第156話 開き直って歩き出す
カーテンが締め切られた薄暗い空き部屋の中心に座しているのは、目を閉じたエターナだ。眉を寄せる彼女は、小さく唸り声を上げて右手をかざす。
「我が手に光を……輝きをここに……」
詠唱が紡がれると同時に右手の平に光球が生まれる。しかし、その大きさと光量は蛍のそれのごとく儚く小さい。数秒も経たず光は消え、すぐに薄暗い空間に戻ってしまう。
「うーん、また失敗……全然上手く出来ない……」
「少しずつですが成長していますよ。焦らずいきましょう」
溜息をつくエターナに、壁際で椅子に座るアインはそう声をかけた。
アインは、学生達に講義を行う傍らエターナの個人講義も行っていた。人懐っこく明るい彼女が相手ということもあり、アインも肩に力を入れずに講義が出来ている。その点は、僥倖と言えるだろう。
だが、その一方でエターナは数度講義を受けても上達しない自分に嫌気が差しているようだった。
「ごめんね、アインさん。せっかく教えてもらっているのに、中々成果を出せなくて……」
「魔術は、そう簡単に成果を出せるものじゃありませんよ。少し休憩しましょう、精神の乱れは魔術の乱れに繋がりますから」
「はい……」
息を吐いて姿勢を崩すエターナ。アインは、カーテンと窓を開けて暗い空気を入れ替える。差し込んだ光の眩しさに目を細めていると、
『なあ、あまり順調じゃないのか?』
ユウが疑問を投げかける。
アインは、難しい顔で天井を仰ぐエターナを横目に見て、
『正直、ここまで出来ないとは思っていませんでした』
呆れるでもなく淡々と答えた。
個人講義は、今回で三度目となる。そして、その全てで魔術の基礎である明かりを作り出すという実技を行っていたが、全て失敗に終わっている。
魔力を体外に放出、留める。それさえ出来れば光球は出来るし、極論を言えば火球も水球も材料が違うだけで同じ理屈で作ることが出来る。アインは、そう言っていたが、エターナにとっては容易いことではないようで――。
『嫌な言い方だけど、才能が無いんじゃないか? 才能が無いとどれだけやっても身につかないんだろ?』
ユウがそう思ってしまうのも無理はない。しかし、アインは首を振って否定する。
『それを決めるのは彼女です。早々に見切りをつけて新たな道を探すのも良し、諦めず目指し続けるのもまた良しです。才能を保証することは出来ませんし、無才を断定することも出来ないのですから』
『そりゃあ、まあそうだけど』
『それに、あれだけの治療魔術が扱えるのなら才能はあるはずです。仮に無才だったとしたら、上手く魔力をコントロールできないはずです』
『……確かに。俺は素人だけど、あんな魔術は見たことがない』
ユウは、一回目の講義でエターナがやってみせたことを思い出す。
十字に切り込みを入れた料理用の生魚。それを治療できるか試して欲しいとエターナに提示した所、彼女は子どもの怪我を治したときと同じく血が滴る魚体を治してみせた。初めから切れ目など無かったように、僅かな継ぎ目も治療痕も無くだ。水槽に戻すと当然のように泳ぎ回る魚には、アインも目を見開いて驚いていた。
『ふむ……少し方針を変えますか』
アインは、エターナに対面の席に着くよう言って、彼女が座った所で話を切り出した。
「今日で三度目の講義となりますが、このままでは結果を出すのは難しいと思います」
「……そう、ですか」
がっくりと項垂れるエターナ。慌ててアインはフォローする。
「ああいえ諦めるのではありません! 目指す方向を変えるだけです!」
「目指す方向?」
「はい。このまま基礎を続けても、おそらく成果になるのはもっと先です。それでは、私がここにいる意味がありません。なので、基礎は一旦置いて得意を伸ばしましょう」
「得意ってことは……治療魔術を?」
その通りです、とアインは頷く。
「多少の明かりを生み出せるようになるよりも、類稀である治療魔術を磨いていくほうがより効率的です。照明魔術を使える魔術師は百人居ても、治療魔術を使える魔術師はエターナさんしかいません」
「だ、だけど基礎が出来ないのにそんなことを……」
「前に言いましたが、魔術は道具です。目的を達成するために魔術に拘る必要はない、他の道具を使っても良いんです。明かりが欲しいならランタンを持てば良い、縄を切りたいならナイフを使えば良い。それも無いなら他人を頼ればいい。全部一人でやらなくても良いんですよ」
「……えっ?」
エターナは、驚きに目を見開き息を呑む。彼女は、おずおずと確認するようにゆっくりと口を開いた。
「……良いんですか、道具を使っても?」
「ええ、私は良いと思いますよ。勿論、道具無しで出来るようになるという向上心は素晴らしいことだと思いますが、それで息苦しくなり続けるなら、いっそ割り切ってしまったほうが良いでしょう」
「……そっか、いいんだ」
そんなこと考えもしなかったというように、エターナは感心した声をあげ何度も頷く。その様子に思い当たるものがあったユウは、声を借りて訊ねる。
「リーベは、そうは言ってなかったのですか?」
「う、うん。『魔術師たるもの、それくらいは自力で出来るようになりなさい』って」
「……まあ、彼女はそういうでしょうね」
ユウは、苦笑気味に返した。
リーベは、魔術師であることにプライドがあるようだし、エターナに対しても求める結果の基準は高そうであった。他に師事する者も居なかったエターナが、魔術師とはそうであると思いこんでしまうのは仕方のないことだろう。
とはいえ、同じ高さのハードルでも簡単である者もいれば、全く困難である者もいる。まずは、飛び越えられる
『ですね。とくに、彼女は特異なケースですから』
アインは同意し、ユウに代わって続けていく。
「その憧れは忘れないようにしてください。その上で、まずは自分が出来ることを増やしていきましょう。貴方の魔術はそれ一つだけで十分過ぎるほどのものですから」
「……それって特別……ってことだよね」
「……? そうですね、非常に珍しい魔術です」
アインの答えに、エターナは手を組んで少し項垂れる。焦燥を代弁するように固く組まれた手をじっと見つめたまま、彼女はか細い声で言う。
「……少し嫌味っぽい愚痴を聞いてくれる?」
「どうぞ。話を聞くのは下手ですが、私で良いなら」
「ありがとう」
少しだけエターナは微笑み、そして語り始める。
「私は、正直わからないの。特別な才能があって、特別な魔術が使えるって言われても……それは、私にとっては呼吸をすることと大して変わらない。呼吸の仕方を聞かれても答えられないように、どうして出来るのかもわからない。だから、その凄さも実感できない」
「……」
「それでも、周囲の人はすごいと称えて期待してくれる。それは嬉しくて、答えたいとも思っている。だけど、『本当にそうなの?』って思うことも止められない。『大したことじゃないよ』なんてことも言えない。実感できなくても、納得できなくても――リーベを否定するなら、口になんて出来ない……」
エターナの吐露をアインは黙って聞いていた。
特別な才能を持つが、それは当人にとっては呼吸同然のことであり、周囲の期待が重く思えてしまう。大したことじゃないという本音を口にすれば、嫌味にしかならない。いや、悩むことすら嫌味とも言えてしまう。
それをわかっていながら、彼女は言葉にした。それは、どうしても言葉にする必要があったからだ。同じ
アインは、不安に揺れる彼女の目を見つめ返しながらゆっくりと答えていく。
「……その手の悩みは、大なり小なり誰もが抱えているのだと思います。人によっては、考えることすら贅沢だと言われるようなものであったり、鼻で笑ってしまうほどに些細なものであったりしますが……その重さは、その人だけのものです」
「重さ……」
「だから……『そのくらいで悩むな』と言われてもどうにもならない。自分には『そのくらい』のことが重いのだから」
「そ、そう! それなの! 贅沢な悩みと言われても、それでも悩んでいるんです!」
「では、考え方を変えましょう。この際、他人と比べてどうこうは言いっこ無しです。悩んでいるのは自分であり、自分の問題です。ならば」
「ならば……?」
身を乗り出して言葉を待つエターナ。アインは、きっぱりと言い切る。
「開き直りましょう。『他人にとって簡単かなんて知らない、私には難しいことなんだ。それで悩んで何が悪い』と」
「ひ、開き直る……」
オウム返しに言うエターナにアインは頷く。
「ええ。だって、難しいのだから仕方ないじゃないですか。飛べない鳥もいるし、泳ぎが下手な魚もいる。だったら、基礎が出来ない魔術師やコミュ障な魔術師だって良いじゃないですか」
「コミュ障?」
「失礼……ええと、それでですね。要は目的を達成すれば悩みは晴れるんです。なら、後はその過程をどう過ごすかの問題です。だったら、開き直って気楽でいたほうが良いに決まってるじゃないですか」
実に大雑把で単純な理屈に口を開いて呆けるエターナ。アインは言いたいことは言ったと満足気に息を吐く。
彼女らしい大雑把で根拠らしい根拠も無い理屈――けれど、
「……ふ、ふふっ。そうだね、結局私の気持ちの問題なら……そんなことなら、それで良いんだね」
あの日の夜、ユウの不安を和らげたように、エターナの悩みも『そんなこと』と笑い飛ばせるくらいに軽くしてしまった。
「ありがと、アインさん。出来ないことは出来ない……けど、出来ることには誇りを持ちます。それが、魔術を学ぶ心構えと教えて貰いましたから」
「はい、その意気です。頑張りましょう」
「はい! よし、やっるぞー!」
エターナは元気良く声を上げると、勢いよく椅子から立ち上がり部屋の中央に向かおうとし、
「ッ! エターナさん!」
「えっ?」
背後に置かれていた加工途中の水晶塊に服が引っかかっていることに気が付かないまま、アインの声に振り返る。その拍子に引っ張られた水晶は、床に向かって落ちていく。
「やっ、まっ……!」
エターナは慌てて手を伸ばすが、その手が届いたのは鈍い音が響いてからだった。
アインからはテーブルに隠れて見えないが、音から察するに折れた水晶もあるだろう。目を閉じて現実から逃げるエターナを気遣うようにアインは言う。
「だ、大丈夫です。私なら直せますから。見せてください」
「はい……うぅ、リーベに怒られるかな……」
「バレなきゃ大丈夫ですよ」
そういう問題か? というユウのツッコミを聞き流しつつ、アインは水晶塊を受け取る。大きな水晶の土台から木々のように大小の柱が突き出ているそれを見回した彼女は、
「あれ……どこも割れたりしていませんよ?」
不思議そうに言って、エターナに水晶を戻す。受け取った彼女も確かめるが、それらしい箇所はないし、床にも破片は落ちていなかった。
「割れた音もしたと思うんだけど……打ちどころが良かったのかな」
「……まさか……いや、それは……」
アインは、水晶を凝視し呟いていた。何かをひらめいたようでいて、同時にそれを否定している。顎に手を当て考え込む姿は、そのように思えた。
「アインさん? どうかした?」
「ああいえ、何でもありません……何でも……」
歯切れの悪い返事をするアインにエターナは首を傾げる。アインは、思考を仕舞うように額を叩いて言う。
「そろそろ練習に戻りましょう。あまり肩に力を入れず、リラックスしてやってみてください」
「うん、やってみる」
エターナは、水晶をテーブルに置いて、照明魔術の練習を始める。アインは、それを一瞥もせず、
「……」
テーブルに置かれた水晶を瞬きもせず見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます