第155話 言葉にして見えるもの

 昼食に満足したアインは、意気揚々と午後の講義のため教室へ向かおうとしていた。しかし、その腰にはユウは提げられておらず、ラピスの対面の机に置かれていた。


「では、行ってきますね」

「おう、頑張ってこい」

「あまりおかしなことは教えないようにね」


 ユウとラピスの声を背に受けたアインは、手を振って資料準備室を後にする。残った二人は、閉められたドアを黙ったまま眺めていたが、不意にラピスが口を開く。


「大丈夫かしら……アイン一人で講義なんて」

「本人がやる気なら止めるのも野暮だろ。あいつにしては珍しく積極的だしな」


 不安げなラピスに対して、ユウは軽く言って答えた。


 『次の講義は私一人でやってみます』。

 協会へ戻る途中の道で、アインは決意を込めてそう宣言した。それにユウが驚かなかったと言えば嘘になる。今回の一件では、どちらかと言えば義務感で動いてると思っていたからだ。

 

 そんな彼女が、自主的に一人の力でやってみると言ったのだ。ラピスが案じたように止めるべきか、とも一瞬考えたが、わざわざ水を差す必要はあるまいと思い直し、こうして送り出すに至ったのだ。

 

「ちょっと失敗しても、今のアインなら大丈夫だって。本格的に落ち込んだら、その時に考えればいい」


 尚も不安そうな顔をするラピスを励ますようなユウの言葉に、


「……そうね。私が心配しても仕方なかったわね。あの子はあの子なりにやろうとしているんだから」


 ラピスは小さく息を吐いた。そうだな、とユウが同意する。


「……そう言えば、二人でこうして喋ることって殆ど無かったわね」

「言われると……アインがいつもいたからな」

「いつも、か。あの子と一緒にいるのは大変だったでしょう? 突拍子もないことをしだすから」

「そうだな……楽天家で大雑把だし、いきなり暴力に訴えようとすることもあったし……」

「変わってないのね、相変わらず」


 ラピスはそう言って笑うが、すぐに物思いに耽るように俯いてしまう。その顔は、何かを迷っているようでもあった。


「どうした?」

「あー、その、さ。変なことを訊くけど、いいかしら」

「……いいけど?」

「じゃあ、訊くけど……ユウって、今は剣だけど元は人間で男性なんでしょ?」

「そうだけど、それがどうかしたか?」


 何を今更、とユウが不思議に思っていると、視線を伏せて言いづらそうに唇を噛んでいたラピスは、身を乗り出して硬い声で言う。


「アインとは、何もなかった?」

「何もなかったって……何が?」

「いや、その……一応年頃の男女が二人旅――ツバキもいたけど、していたわけじゃない。それで、『相棒』って言えるくらい密接な関係だったわけで……体は無くとも心は繋がっているというか……」


 顔を赤らめて言うラピスの声は、後半になるにつれ小声になっていく。しかし、何が言いたいのか察するには十分すぎる態度だった。


「要は、俺とアインがデキてるって心配してたのか?」

「し、心配なんてしてない! ……はい、してました……」


 いつものように怒鳴って誤魔化そうとするも、訊いた時点で自白したも同然ということに気がついたラピスは、萎れた敬語で肯定する。

 顔を両手で覆って項垂れる彼女に、ユウは慰めるように告げる。


「その心配は杞憂だよ。あいつとは何もない、驚くくらいにな」

「……本当に?」

「本当に」


 不可抗力だったり偶然で着替えを見てしまったことはあるが、その程度である。もちろん彼女らにとっては、その程度のぞきですまないことは明白なので口にしないが。

 それを知ってか知らずか、机に突っ伏してこちらを見やるラピスの表情は芳しくない。逆の立場なら、自分もそう思っただろうから無理もないが。


 しかし、だからこそあり得ないと否定することも出来る。


「アインは、ずっと一人の背中だけを追いかけていたと思う。『あの人みたいになりたい』って、出会った時から今日までずっと……だから、そこに俺が割って入る余地なんて無かったさ」

「その人って……」

「まあ、ラピスだよ。ラピスに認められたい、誇れるようになりたいっていう行動指針はずっとブレていない」

「っ……そ、そうはっきり言われると、どんな顔すればいいかわからないじゃない」

「笑えばいいだろ、嬉しいなら」

「……そうね、そうかもね」


 赤くなった顔でラピスはぎこちなく笑う。そして、ふっと力無く息を吐いた。


「……これは愚痴というか、独り言みたいなものなんだけど、聞いてくれる?」

「俺でいいなら」

「ありがと、やっぱり優しいのね貴方って」

「人並みにはそのつもりだ」


 ユウの軽口にラピスは小さく微笑むと、椅子の背に背中を預けて天井を仰ぐ。そして、彼女が言った通り独り言のように呟いた。


「私、アインのことが好きなんだと思う」


 意識を向けていなければ聞き流してしまうほどにあっさりと紡がれた言葉は、しかしユウが息を呑むほどの衝撃を与えた。

 その原因は、その内容そのものではなく、


「驚いた? うん、私だって驚いてる。こんな簡単に口にできるなんてね」


 自嘲したラピスが言うように、それを口にしたことであった。

 彼女がアインに好意を持っているのは、行動や言動の端々から察することが出来るし、告白同然の言葉を掛けた現場にも居合わせた。しかし、それは類似ニアイコールでありそのものイコールではない。


 いつもならば、好意を向けたり向けられれば真っ赤な顔で反発する彼女が、素直に『好き』だと言葉にする。そんなことは初めてであった。


「……どうしてかしらね。アインにだけは、こんな風に素直になれないの。ああいえ、違うわね。理由なんてわかっている。魔術師のラピス=グラナートは、ずっと彼女に嫉妬している。突き抜けた一つの才能を持つ彼女が、羨ましかった。初めて出会った日から、ライバルと位置づけていた」


 風船から空気が抜けていくように、ラピスは胸の内を言葉にして吐き出していく。それは、ユウもアインもツバキも――ともすれば本人もこの瞬間まで自覚できなかった本音である。


「彼女は口下手で人付き合いが下手で向こう見ずで――けど、私を助けてくれた。自分には助ける意味も価値もあると、心からそう言ってくれた……ただの少女のラピス=グラナートは、そんな彼女に惹かれて目を離せなくなった。そうしていつしか、好きになっていた」


 言ってしまえばそれだけのことなのに、どうしてそれが言えないのだろう。

 その言葉を最後に吐き出しきったラピスは、苦笑を浮かべてユウに言う。


「つまらないことを聞かせてごめんなさい。はぁ……結局、私が素直になればいいのよね」

「あまり気に病みすぎないほうがいいぞ? 嫉妬も羨望も、裏を返せば認めてるってことなんだから、別に悪いことじゃない。好意や憧れから乖離した感情ってわけじゃないんだから、後は気持ちの問題だ」

「それが出来ればいいんだけど……あっ」


 嘆息するラピスは、何か思い至ったように目を見開き、


「そうか……そうだったんだ……」


 呆然と呟きながら何度も頷いていた。


「どうした?」

「ああいえ、ちょっと引っかかっていたことがわかったというか……見えないものが見えたっていうか。そういうことよ」

「どういうことかわからんが……」


 だが、ラピスの表情は冷たい水で顔を洗ったばかりの朝のようにスッキリとしていた。それなら悪いことではないだろうと判断し、それ以上ユウは追求しなかった。


「話を聞いてくれてありがとう。結構気が晴れたわ」

「そりゃあ良かった。役に立てて嬉しいよ」


 頬杖をついて微笑みを浮かべるラピス。

 ユウがその表情に安心したのも束の間、彼女は柄にかけられたペンダントを弄りながら言う。


「ところで、そのペンダントはツバキから貰ったんでしょ? 貴方、正直ツバキをどう思ってるの?」

「……どうもこうも、旅の仲間だよ」


 ラピスのニヤついた顔は、どこかツバキと被るもので、危機感を覚えたユウは素っ気なく答えて難を逃れようとする。

 しかし、むしろその反応に裏があると察した彼女はユウを引き寄せ、さらに訊ねる。


「本当に? 前から仲良いとは思ってたけど、それだけとは思えないわね」

「そりゃ買い被りか気の所為ってやつだ」

「ふぅん? けど、ツバキは貴方のことを気に入っていると思うけど。プレゼントを貰えるくらいにはね」


 いつもの意趣返しのつもりか、ラピスはニヤニヤとしながら鞘を指で突いて言う。

 その言葉を否定するのは、ツバキの好意を否定するような気がした。ユウは思わず黙り込んでしまい、


「私も素直になったんだし、言ってみたら? 案外スッキリするものよ」


 結局、好意はあるが恋愛感情とは限らないと答えるまで解放されることはなかったのであった。

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