第154話 教えて、アイン先生リターンズ
街の視察――或いは観光から一夜明けた朝の資料準備室。視察内容についての報告書を書くのに飽きたツバキは、早々にペンを放り出すと積まれた箱を片っ端から開けていた。
大抵は加工途中の水晶で、目を見張る物は無いと思い始めた所で、それとはかけ離れたものが現れた。
「のう、リーベ。この服はなんじゃ?」
ツバキが示したそれを、僅かに顔を上げたリーベは一瞥し、ペンを止めないまま答える。
「それは、我が協会の制服です」
「制服? これを着ているものはおらんかったぞ」
「当然です、その一着しか作られていないのですから」
「ますますわからぬな。一着しか作られぬ制服など何の意味があるのか」
「意味はあったのです、試作品という。ですが、ええ、お父様は少々張り切ってしまって、生地から糸に至るまで選別を妥協しなかったのです」
呆れ気味に嘆息するリーベに、ツバキはなるほどと頷く。
滑らかで指触りの良い袖、微細かつ頑強に施された刺繍、艷やかな光を返すタイ……どれもが一級品か最上級と言って差し支えないものばかりだ。そうなれば、値段も相応のものとなるだろう。
「これを買おうというなら、給料三ヶ月分は覚悟せねばなるまいて。確かに、これは何着も作れるわけがないな」
「そういうことですわ。素材も必要なら、それを作る職人も必要となり、とてもじゃありませんが制服に出来るものではありません」
「だから、こうして寝かしていたわけか。じゃが、それなら御主かエターナのどちらかが着れば良いじゃろう。良い宣伝にもなる」
ツバキのその言葉に、リーベのペンを執る手が一瞬止まる。すぐに何もなかったように動き出すが、それをツバキが見逃すわけもなく、
「『どうせならリーベと一緒に着たい』とでも言われたか?」
「……個人的なことは差し控えさせていただきます」
事実上認めたも同然の発言に、彼女はくつくつと笑っていた。
とにかく、と頬を赤らめたリーベは語気を強めて言う。
「制服はデザインから再考することとなり、その試作品は制服になったかもしれないただの服。どんな理由にせよ、私やエターナが着る必要はありませんわ」
「ふむ、しかし惜しいな。せっかく良い服だというのに……」
そこまで言ったところで、ツバキの耳がピンと立つ。浮かんだ表情は、悪戯を思いついた子どもによく似ていた。
そろそろ作業に戻ってくださる、というリーベが言うよりも早く、
「ところで、こいつは幾らで買える?」
胸に抱いた服を指して、そう言った。
「……どうも、アイン=ナットです。本日から本格的に講義を始めていきますが、その前に簡単ですが質疑応答を行いたいと思います」
緊張した様子で教壇に立つアインは、教室を見渡す。彼女が講義を行うと事前に知らされていたためか、普段よりも前列に座る学生が目立った。
その中には熱心な視線を向けるエターナの姿もあった。彼女に恥ずかしいところは見せられないと、アインは気を引き締めて続ける。
「では、質問がある方は挙手をお願いします」
「はいっす! アインさんは何歳から魔術を学んだっすか!」
真っ先に投げかけられた質問は、予めユウと予行演習を行っていたものだった。故に、アインは淀み無く答える。
「七歳頃には明かりを作るくらいは出来ましたが、本格的に学んだのは十二歳頃です。魔術師のお姉さんから、詠唱の基礎や宝石の扱い方について教わり、十五歳になったところで協会で学ぶことにしたのです」
「その切っ掛けはなんすか?」
「……広い世界を見てみたかったのです」
それとなく目を逸らして答えるアイン。その意味に気がついていない女学生は、元気よくお礼を言って席に着く。
「では、風の噂に聞いた偉業の数々は真実なのでしょうか」
続いての質問も予想はしていたが、出来れば答えたくはない質問であった。しかし、そういうわけにもいかず渋々ながらアインは口を開く。
「殆どは脚色と誇張を施された根も葉もないものです。私のことに限りませんが、噂を信じて行動するのは賢明とは言えませんので、心に留めておいてください」
「……そうなのですか」
質問した学生はがっかりした様子だったが、当の本人からすればいい迷惑なのだ。好き勝手な風評を撒き散らし、それを根拠に妄想するなどたまったものではない。
内心アインが憤っていると、
「次は私が質問をしても良いかな?」
鈴が鳴ったよう涼やかな声が投げかけられる。気がそれていたアインは、慌てて口を開こうとし――しかし声を発することは出来なかった。
「うん、どうした? 私がどうかしたか?」
敢えて作っているのだと断言できる口調で発せられた声は、こちらの反応を窺う愉悦が隠しきれていない。
白を基調とし、黒がアクセントのブレザーを纏い、透き通る金髪を赤いリボンでまとめた少女は、見覚えのあるニヤついた笑顔で続ける。
「ふむ、なぜ狐につままれたような顔をしているのか、まるでわからぬな。よく似た知り合いでもおったかな?」
「い、いや……貴方は……」
「さて、どうかな。今の私はただの学生ぞ。改めて問うが、質問をしても良いかな? 他の者を待たせるのも悪かろう」
どう見てもツバキである少女は、そう言って周囲を見渡す。その彼らは、見覚えのないツバキに首を傾げていたものの、それ以上不審がることはなく、彼女の言葉に同意するように頷いていた。おそらく暗示魔術を使っているのだろう。
エターナは気づいてこそいたが、何か考えがあるのだろうと何も言わずじっとツバキを見つめていた。
『どういうことですか……もしや、私の邪魔をしに……』
『そこまで性格は悪くないさ。ツバキなりに何かあるんだろ』
『むう、彼女の肩を持ちますか。もしや、それで買収されたのですか』
柄に掛けられたペンダントを指で弾くアイン。それはない、と呆れ気味に答えるユウ。
彼女は疑わしい顔を崩さなかったが、それでもユウの言葉を疑う理由にならなかったのか、ツバキに先を促す。
「では、問おう。ラピスは魔術を扱う者の心構えを説いた。ならば、御主からは魔術を学ぶ者に向けた心構えを聞いておきたい」
「えっ……?」
予想以上に真っ当な質問に、むしろアインは意表を突かれる。それを問うツバキの表情は真剣で、からかう意図は微塵も見られない。
ならば、正面から答えなければならない。ユウの考えや助言を取り入れた言葉ではなく、自身が考えるそのままの言葉でだ。
アインは、大きく深呼吸をし、そしてツバキを見据え、述べていく。
「……魔術を学ぶ、そして扱う瞬間までに必要なことは簡単なことです。自分を疑うな、己が才を誇れ、最強を思い描け、そして謙虚であれ。たったそれだけです」
「ほう、その意味を訊ねても構わんか?」
「もちろん。まず、魔術は星に対する呼びかけでもありますが、同時に己に対する呼びかけでもあります。己の力を疑えば、引き出される力を否定することに繋がる。そうなれば、可能だった魔術すら不可能になり得る」
アインは、そこで一旦言葉を切って息を整える。
自分だけで論説することが、ここまで緊張するとは――だけど、想像していたよりずっと楽だ。ならば、出来る。
「才能を誇れとはそういう意味であり、最強を思えというのはその先。現状と理想のギャップに怯むこと無く、その差を埋めていくこと。その差がゼロになるのか、どこかで停滞するのかはわかりません。或いは、それすら呑み込んでこそ進める道があるのかもしれません」
「では、最後に謙虚であれというのは?」
「ラピスが言ったように、魔術は所詮技術であり道具です。それは即ち、火と言い換えることも出来る。炎には善悪はなく、万物を平等に照らし、燃やすだけです。善悪があるとするなら、それを扱うものに他ならない。故に、火の恐ろしさは常に気に留める必要があるのです」
最後は振り絞るように言い切ったアインは、汗ばむ手を握りしめツバキの反応を待つ。目を閉じ、腕を組んで聞き入っていた彼女は、ゆっくりと目を開いてき、
「……うむ、良い心である。今更ではあるが……御主の心を言葉として聞けたのは嬉しいぞ」
そう嬉しげに言って微笑んだ。
「……で、どういうつもりだったんですか?」
講義を終えて人が捌けた教室。アインは、机に腰を下ろすツバキに訊ねた。
「別に大した理由はあらぬよ。面白い服を見つけたから、見せてやろうと思うただけじゃ。ついでに御主がちゃんと講師を出来ているかも気になってな」
似合っとるじゃろ? とスカートの裾を軽く持ち上げるツバキ。そこから覗く生足が艶めかしく、ブレザーということもあってユウには妙な懐かしさを覚える。
とは言え、アインにとってはただの服である。彼女は嘆息混じりに言う。
「あまり驚かせないでくださいよ……どうなるかと気が気でなかったんですから」
「だが、問題なく終えたではないか。学生らも中々真面目に聞いておったようじゃしな」
「それはそうかもしれませんが……お陰で余計な質問をされずに済みましたし」
ツバキが紛れ込まなければ、風聞に対する質問で時間を取られていた可能性はあるし、否定し続けていれば舐められていたかもしれない。そう考えれば、彼女が真面目な質問をしてくれたのは良いフォローだったと言える。
「そうであろう? まあ、余計な心配だったようじゃな」
ツバキはそう言って机から降りると、外を顎で示して続ける。
「ほれ、腹も空いたじゃろ。旨いものでも食べに行こうぞ。少しくらいなら奢ってやろう」
「それは素晴らしいすぐに行きましょうさあ行きましょう。パンで挟んだソーセージが美味しいらしいです」
途端に目を輝かせたアインは、ぐいぐいとツバキの背を押して外へと向かう。少しは遠慮しろよ? というユウの苦言には、
「講義では忘れていましたが、魔術だけでなく人生には愉しみが不可欠です。心身ともに豊かであってこそ、正しい道を選べるのですから」
講義のときよりも数倍滑らかな調子で返すのだった。
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