第152話 はたらく狐娘

 オーランで過ごす三日目の昼下がり、ツバキは串焼きソーセージ片手に街を散策していた。

 パリッと香ばしく焼けた表面に齧りつくと、中から肉汁が滴ってくる。波状に塗られたケチャップの酸味もアクセントとなり、濃いだけではない味を提供してくれた。


「何処を見ても芋とソーセージばかりと侮っていたが……中々旨いではないか。アインに自慢してやるとしよう」


 上機嫌に言うツバキの隣に立つものはいない。しかし、答える声はあった。


「一応仕事なんだから、それらしくしたらどうだ? それじゃ観光客と大して変わらない」


 ツバキの腰に提げられたユウの呆れた声に、彼女はわかっとらんな、と首を振る。


「商売というのはな、上ばかり見ても駄目なんじゃよ。実際に商売を行っているのは店に立つものであり、客もそこから買うんじゃからな。上澄みだけでなく、底を掬って浮き上がるものを確かめなければ意味がない」

「はいはい。リーベに叱られるのはお前だから、俺は別にいいけどな」

「わかっとるよ。これは市場調査じゃ、自分で言ったことくらい覚えておる」


 本当かよ、というユウのボヤキを聞き流し、再びツバキはソーセージに齧りついた。


 アインとラピスは、講義の調整と準備に今日を当てるという。学生達の学力や魔術に対する意識などを顧みて、求められている講義を熟考すると積み重ねた資料を前にした彼女は言っていた。


 エターナとリーベは、アイン達との協議だけでなく学生として講義に出る必要もあり、基本的に忙しい。それが落ち着けば、皆で出かけられるかもとエターナは笑っていた。


 そして、残るツバキは暇だった。しかし、協力すると宣言した以上ごろ寝をしているわけにいかないので、同じく暇だったユウを連れ出し、市場調査という名目で街に繰り出した次第である。


「むう、この芋も中々旨いのう。ビールが欲しくなるわ」


 その当人は、店主から差し出された螺旋状に巻かれたフライドポテトに満喫しきっていたが。ケチャップを唇につけた様も相まって、観光を楽しむ子どもにしか見えない。

 屋台の店主もそう思ったのか、目を細めて言う。


「お嬢ちゃん、一人で旅してるのか? それとも連れがいるのかい?」

「後者じゃ。魔術協会に助っ人に来たという二人の話を聞いとらんか? そいつらじゃよ」

「ああ、ロッソから来たっていう! へえ、ってことはお嬢ちゃんも只者じゃないんだな」

「おうとも。愛らしい外見に化かされぬようにすると良い」

「そりゃあおっかない。気をつけるとしよう」


 ツバキと店主は歯を見せて笑い合う。ひとしきり笑った所で、ツバキは訊ねる。


「ところで、ここで採れる水晶は、どんな用途に使われておるんじゃ?」

「ああ、質がイマイチだったり、並のやつは魔術師さんの元に行くらしい。魔術の練習に使ったり、溶かして固める……なんて話も聞くな」

「ほう? では、良質なものは?」

「そっちは、工芸品に加工して街の外へ輸出するんだ。或いはそのまま外の魔術師に売ったり、機械の部品になったりもするとか。欲しいんだったら、広場の露店でも売ってるよ」

「そうか、参考になったぞ。感謝する」


 店主に礼を言って、ツバキは広場へと向かう。数分もしない内に辿り着いたそこには、露店から呼び込む店主の声、その間を行き交う人々の声が何重にも重なっていた。

 店の形態も、屋根付きの屋台であったり単にシートを広げただけであったりと様々だ。すれ違う人もラフな格好のものだけでなく、外套を纏いザックを背負った姿もそこそこ見られる。


「屋台で店を出しておるのは、おそらくこの街のものじゃろ。で、露店は流れの商人じゃな」

「ってことは、前者のが信頼性が高いってことか」

「間違ってはおらんが、そうとも限らんな」


 そう言ってツバキは、一つの屋台へと足を向ける。木製の屋根付きの屋台の商品棚には、うっすらと蜂蜜色をした水晶らしきものが並べられており、裸石ルースもあればペンダントや指輪に加工されているものもある。

 しかし、何よりも目を引くのは中に封じられた葉や小さな骨だ。先客達が興味深そうな目を向けるそれらを、


「さあ、どうぞ手に取ってください! 太古の薫りが封じられた貴重な宝石、古代水晶アーティファクトクォーツです! 決して安くはありませんが、それだけの価値はありますよ!」


 ちょび髭の店主がニコニコとした笑顔で勧めていた。彼は、じっと商品を見つめるツバキに気がつくと、高い声でセールストークを始める。


「おお、そこの可愛らしいお嬢さん! どうぞ手にして、そして身につけてください! この輝きは、貴方のような方にこそ素晴らしい!」

「ほう、言うではないか。我も少し話がしたいと思っていたところじゃ。ちょいと御主らは、少し離れていてくれんか? 大事な話をするのでな」


 この場から離れと言われた先客達は、首をひねりつつも素直に距離をとっていく。周囲の喧騒もあり、ツバキと店主の会話が聞こえるのは二人と、


『どういうつもりだ?』


 腰に提げられたユウだけだった。

 彼は、ツバキが外見を褒められたことに浮き足立っているのでは、と思ったが、


『すぐに終わらせる。気にするでない』


 冷たい怒りを秘めた声に思い直す。浮き足どころか、地を踏みしめ喉元目掛けて飛びかかろうとしているようだった。

 それに気がついていない店主は、猫撫で声で言う。


「気に入ったものがあれば遠慮なくおっしゃってください。お友達にもどうですか?」

「いや、遠慮しておこう。我はまだ死にたくないのでな」


 真顔で放たれた物騒な言葉に店主は怪訝な声を出す。


「死にたく……? それはどういう」

「こんな紛い物をやるわけにはいかんということじゃよ」


 鋭く言い放ったツバキの言葉に、店主は一瞬声を詰まらせるがすぐに笑顔を取り繕って言葉を返す。


「おやおや、確かに少々値は張りますが、だからといってそのような値切り方は」

「ロジン樹脂が1、そこにアンバーエッセンス1を加えてアルコールとオイルを少々。そんなところかの」

「……! な、何を突然言っているのですか! まったく意味がわかりませんな!」


 つまらなさそうに告げられた指摘に、店主は裏返った声をあげ冷や汗を拭う。その反応を見れば、目の前の古代水晶アーティファクトクォーツなるものの正体は明らかだ。

 ツバキは、偽水晶の傍に置かれた値札を指で突く。そこに書かれている金額は、決して安いものではない。


「真っ当な値段の人工琥珀として売るなら別に構わんが……一週間贅沢な食事を取れる金額とはまったく思えんな。精々二十分の一程度じゃろう」

 

 樹脂の中に適当なものを突っ込み、価値あるものと偽るセコい商売にはお似合いの額じゃ。

 続けざまに吐き捨てられたツバキの言葉に、怒りと焦りに顔を歪めた店主は大声を上げて彼女に迫る。


「こ、これが偽物だと一体何を根拠に! ガキに何がわかる!」

「食い下がるなら魔術師を呼んでも良いぞ。宝石は、それぞれ魔力を流した際の感覚が違う。幸い比較用の水晶は腐るほどある」

「そいつが正しいと誰が保証できる! そうだ、お前は因縁をつけて俺から金を強請ろうってんだ!」


 震えた指を突きつけながら怒鳴り声を上げる店主に、周囲も怪訝な目を向け始めていた。自ら不利を招いていることに気がついていない彼に、ツバキは嘆息し介錯の言葉を振るう。


「そいつはもっともじゃな。では、それがアイン=ナットでもか?」

「アイッ……!?」


 嘲るツバキに店主は声も上げることも出来ず、顔色を無くす。その反応にユウも確信を強めていく。

 魔術師や騎士であれば彼女の名は知られているが、一方で商人で彼女を知るものは殆どいなかった。しかし、商人である目の前の男は顔面蒼白になるほど動揺している。


 それは、彼女がどんな人物が知っていることに他ならない。どんな相手を憎んでいるのかもだ。


「噂くらい聞いてるじゃろ。三日前に魔術協会を訪れたとな」

「だ、だだだがそれだってお前とは何の関係……あ、ああ!?」


 もはや立っていることも出来ないのか、店主は屋台にしがみつくように体を支えていた。見開かれた目は、ツバキを凝視している。


「訪れたのはあやつだけではない。三人じゃ。そのうち一人は赤い髪の女、そしてもう一人は――」

「ふ、フードを被った金髪……!」

「まっ、そういうことじゃ。命が惜しいなら、とっとと街から逃げたほうが良いぞ? さもないと」


 ツバキは、にたりと唇を歪ませ、ゆっくりと店主の背後を指差す。


「振り向いた時……御主の首は飛んでおるかも……!」

「ひっ、ぎゃああああああああああ!」


 店主は恐怖の叫びを上げると、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。仰向けに倒れて空を仰ぐ顔は、死人のように真っ青だった。

 その騒ぎに何事かと周囲の客も集まってくるが、その時にはツバキはその場にいなかった。


「ははっ、ざまぁないのう」


 意識撹乱の魔術で注目から逃れた彼女は、遠巻きに気絶した店主が運び出されるのを眺めていた。

 くつくつ笑う彼女に、ユウは言う。


「屋台で出店しているのは地元民、っていう先入観を利用している店もあるってことか」

「そういうことじゃな。それだけなら何の問題もないが、粗悪品を売られては全体の信用に関わる。今回の噂が広まれば、少しはやりづらくもなろう」

「……またアインの知らないところで風評が作られたわけだが」

「人の威を借りることになったが、その方が効果的じゃろ。なに、アインなら旨いものを食わせてやれば是非もなく許すだろうよ」

「そりゃそうだけど」

「それに、あやつが直接関わるよりもずっとマシじゃ。御主だってどうなるかは予想がつくじゃろ?」


 その問いにユウは、無言の肯定をする。

 それは答えるまでもなく――というか、実際目の前で繰り広げられた光景だ。ツバキと出会ったあの時を忘れられるわけがない。


 そういうことじゃ、とツバキは懐かしむように言って微笑む。その小さく細い手は、ユウの柄に触れていた。


「どうした?」

「いや、あの時はアインに助けられたが、御主にも助けられたなと思い出してな」

「ああ、壁の間に隠れるのは俺の提案だったな」

「そうではない。『放っておけ』や『無視して逃げろ』などと思いもしなかったことに感謝しておるのじゃよ」

「それは――」


 ユウが答えるよりも早く、ツバキのその先を答えた。


「『当たり前のことだから』じゃろ。当たり前にそう言える御主は、良い世界で生まれた良い人なのだろうよ」

「……そりゃどうも」


 そっけなく言ってユウはツバキから目を逸らす。

 彼女に褒められるのは苦手だ。人をからかうのが好きなくせに、褒める時はそんなことを微塵も感じさせないから。


「さて、仕事の続きといくかの。ほれ、気合を入れんか」


 ツバキは、そんな彼を軽く叩いて歩き出す。誰のせいか、と呟く声を彼女は心地よさそうに聞き流していた。

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