第150話 エターナの魔術と悩み

「ごめん、待たせたわね」


 ラピスは、栄光の間二階のベンチに並んで座っていたエターナとリーベに頭を下げて詫びる。大丈夫ですよ、と気さくな声に顔を上げると、エターナは柔らかい笑顔で続ける。


「まだまだ時間はありますし、焦らず行きましょう。それにほら、ていのいい休憩時間も取れましたしね」

「……うん、ありがとう。それじゃあ、案内の続きをお願いしてもいいかしら?」

「はい、任せてくださいっ」


 胸を叩いて答えるエターナ。しかし、肩をすくめたリーベの、


「とは言え、見られるものはそう多くはありませんが」


 その言葉に躓いたように肩を落とすと、頬を膨らませて言う。


「リーベ……人のやる気を削がないでよ」

「あら、読書するだけで引っ込むやる気だということを忘れていましたわ」

「だ、だって回りくどい表現ばかりで書かれてるし……いや、それは今はいいの。今はここの展示品について説明するんだってば」


 咳払いしたエターナは、アイン達に向き直ると改めて説明を始める。


「ええと、一階については昨日見てもらった通り、街の歴史に関する展示物が置かれています。こちらは既に充実しているのですが、問題は二階の魔術に関する展示ですね」


 言葉と共にぐるりと部屋を見渡すエターナ。それにつられてアインも同じく見渡す。

 朝にざっと見ただけでわかったように、展示品はかなり少ない。空のケースもあるし、意図がわからない『置かれただけ』というものも幾つかある。


 そう感じるのは、解説が足りないからだ。展示物の|いつ、何処で、誰が、何を、何故、どのように《5W1H》を来館者に伝えなければ、ただの物置と変わらない。

 幸い、その点は時間を掛ければ解決できる。しかし、展示すべきものが無いという問題は時間だけではどうにもならないのだ。


「現状は、ただの博物館と変わりありません。それを解消するためにも、目を引く展示が必要です」

「アインさん、二ヶ月以内にそのような品を見つける自信はあって?」


 リーベの問いに、アインはしばし考え、


「……わかりません。ダンジョンのようなものがあれば可能性はありますが、そもそもそれが存在するかも不確かな以上、断言は出来ません」


 正直にそのまま答える。嘘を付くのは契約相手に不利になる、と考えたわけではなく、単に回答を求められたのでそのまま答えただけである。

 しかし、リーベは、そうは思わなかったのか感嘆の声をこぼし、尊敬の目を向ける。


「誠実ですのね。損な性格だとは思いますが、嫌いじゃありませんわ」

「は、はい? どうも……?」


 よくわからないけど褒められましたよ、と不思議そうなアイン。そうだな、とユウは気のない返事をした。

 この性格だと損をしていてもそれに気が付かず、得ばかりに目が向くから損な性格とは言えなさそうだ。彼が、少し頬を緩めたアインを眺めていると、


「おっ、わるい魔法使いだ!」

「ひっ!?」


 突然背後から掛けられたけたたましい声に、アインは驚きに飛び上がった勢いのままに振り返る。そこに居たのは、十歳位の男の子だった。

 彼は、好奇心に輝く目と指先を遠慮なくアインに突きつけながら、舌足らずな声をあげる。


「そのすがた、まぎれもなく伝説にあらわれるあくのまおうとみた! その命、うちとらせてもらう!」

「え、ええ? わ、私って魔王だったんですか……!?」


 知らなかったそんなこと、と言うように手を震わせ愕然とするアイン。

 そうか、だから自分は魔術が扱えて宝石が大好きでその上コミュ障だったんだ――。


「んなわけあるかっ! 何で子どもの遊びに本気でショック受けてるのよ!」

「いたっ!? た、叩かなくてもいいじゃないですか……」


 ラピスに小突かれた頭を擦っていると、子どもは背中に隠していた木の棒を振りかぶり、本人的には朗々としているだろう声を上げ、

 

「むっ、なかまわれか! 今こそがぜっこうのこうき! このいちげき、うけてみ――」


 アインに斬りかかろうとするが、逸る気持ちに体がついていなかったのか、前に踏み出した足に次の足が引っかかる。その勢いは止まらず前のめりになるが、両手で棒を握ったままでは受け身も取れず、


「あっ」


 そう呟くしかないほどに、鮮やかとすら言える流れで子どもは顔面から床へ倒れ込む。一瞬の静寂が訪れ、徐々に引きつった啜り泣く声が聞こえてきた次の瞬間、まさしく火が着いたように泣きじゃくる叫びが部屋中に響いた。


「どどどどうしましょう私が悪いんですか!? 私が謝れば良いんですか!?」

「しがみつくなっての! あんたは子どもに何をしたのよ!?」


 過去のトラウマが刺激されたのか、真っ青な顔でラピスの腕に縋り付くアイン。ラピスがそれを引き剥がそうとする間にも、子どもは蹲りながら泣き続けている。

  

「御主らは何をしてるんじゃ……ほれ、大した怪我ではない。泣き止まん――げっ」


 そんな彼女らに呆れながら、ツバキは泣きじゃくる子どもの顔を上げるが、鼻血で鼻から下を真っ赤に染まった顔に思わず声を上げてしまう。見れば、床に垂れた鼻血はちょっとした血溜まりになっていた。


「いだいいいいいいいい! あああああいだあああああい!」


 その反応に不安を煽られたのか、子どもはさらに激しく痛みを訴える。その勢いと血に怯んでしまったツバキの肩に、そっと手が置かれた。

 暖かさが伝わるような優しい手に振り返ると、


「エターナ……」

「私に任せてください。こういうのは得意なんですよ」


 エターナは、そう言って微笑むと、子どもと同じ目線になるようしゃがみ込む。そして、両肩に手を置いて優しく言い聞かせるような声で訊ねる。


「ねえ、君の名前は何ていうのかな? お姉さんに教えてくれない?」

「いっ、ひぐっ……ま、まぐ、なす」


 たったそれだけで、激しく燃え盛っていた感情が静まっていく。子どもは、ぼろぼろと溢れる涙を必死に拭いながら、上ずった声で答える。

 アインもようやく冷静になったのか、ラピスから離れてじっとエターナを見守る。


「マグナスくんか。いい名前だね、きっと大人になったら勇者になれる名前だ」

「うんっ……んぐっ、ぐずっ……」

「でね、お姉さんは魔法使いなんだ。だから、こんな怪我もすぐに治しちゃう」

「まほう、つかい……?」


 そうだよ、とエターナは笑いかけると、マグナスの目の前に人差し指を一本立てる。泣き止んだ彼は、じっとそれを見つめていた。

 

「傷は癒える、水が流れるように。痛みは消える、風が吹くように。心は静まる、土が重なるように。そして体は立ち上がる、火が燃えるように」


 エターナは、童謡を唄うように軽やかに声を刻んでいく。それに合わせるように立てた指は緩く左右に振られ、唄い終わると同時にマグナスの鼻を軽く撫でる。

 そして、ぼうっとしたままのマグナスにもう一度笑顔を見せて言う。


「はいっ、治ったよ。もう痛くないでしょ?」

「……あっ! ほんとうだ! ぜんぜんいたくない!」


 マグナスは、何度も鼻をつねったり引っ張るが、まったく痛がることはない。それだけではなく、べったりと鼻血で汚れていた顔や手、床までが何もなかったように元通りになっていた。


「ここでは大きな声を出したり、走り回ったりしちゃ駄目だよ? もうしないって、約束できるかな?」

「うん、もうしない! おねえさんありがとう!」

「うん、お礼が言えて偉い! ほら、お母さんが心配しているから帰ろう?」

「わかった! またね!」


 手を大きく振り、元気良く階段を駆け下りるマグナスに手を振り返して見送るエターナ。ばたばたと騒がしい足音が遠ざかり、そして完全に消えた所で彼女は立ち上がった。


「ふぅ、大した怪我じゃなくて良かったですね」


 振り返ったエターナはそう言って、あっと小さく声をもらす。


「……嘘でしょ」


 愕然とした声で呟くラピスの手は、小さく震えていた。それは、恐怖ではなく抑えきれない興奮からだ。エターナが口を開くよりも早く、彼女は両肩に強く手を置いて詰め寄る。


「貴方、治したっていうの!? 今のは! もう一回、もう一回見せて! 何なら私が鼻血を出すから治してみて!」

「ら、ラピスさん落ち着いて……! リーベも見てないで助けてよ!」


 興奮のあまり支離滅裂なことを言いだしたラピスに迫られるエターナ。助けを求められたリーベは、


「さて、どうしましょう?」


 肩をすくめて、そっけなく返した。







「落ち着きましたか?」

「ええ……ちょっと騒ぎすぎたわね、ごめんなさい」

「私は気にしてませんから。ほら、ここのカフェラテは美味しいですよ」


 気まずそうに言うラピスに対して、エターナはむしろ気遣うようにカフェラテが注がれたカップを差し出す。それにお礼を言って、ラピスはカップに口をつけた。


 場所は、二階から一階にあるカフェブースへと移っていた。エターナの見せた魔術に興奮するラピスを落ち着かせるため。そして、先程の魔術について説明を受けるためである。


 その展開は、ユウにも都合が良かった。エターナが怪我を治したことはわかるが、何故ラピスが我を忘れるほどに興奮したかはわからなかったからだ。


「じゃあ、さっきの魔術について説明させてもらいます。とは言っても、あまりお話できることはないんですが……」


 全員の前にカップが置かれた所でエターナは話を切り出す。神妙な顔で言葉を待つラピス。アインとツバキをそれを横目に、一緒に運ばれてきたワッフルを頬張っていた。


「見て頂いた通り、あれは治療魔術です。そして、私が唯一扱える魔術でもあります」

「唯一って……それじゃあ、貴方は授かりし者ギフテッド?」

「そう、なります」

「……信じられないけど、本当なのね」


 溢れそうな戦慄を飲み込もうと、ラピスはカップを傾ける。美味しいとエターナが評した味は殆どわからず、泥を流し込んでいるようですらあった。

 一方で、呑気にワッフルをかじるアインにユウは訊ねる。


『どうして授かりし者ギフテッドってわかったんだ?』

授かりし者ギフテッドの中には特定の魔術だけは達人めいた腕を発揮しますが、それ以外はてんで駄目というタイプもいるんです。そして、それは珍しい魔術を扱う者に多いのです』

『治療魔術ってそんなに珍しいのか?』

『数百年に一人、と言っても言い過ぎではないでしょうね。とくに、彼女がやってみせたようなレベルのものは』


 数百年に一人。よく聞く言い回しであったが、ラピスの反応から察するに比喩ではなく事実なのだろう。そこで気になるのは、それほど希少な理由であるが、


「御主らの魔術はあまり詳しくないが、治療魔術は廃れた魔術だったかの?」

「ええ、人の魔力は他人には毒となる。毒を流し込みながら傷を塞いでも、それは癒やしたとは言えません。ならばと、対象の魔力を用いても治療が必要なものから魔力を引き出そうとするのは、命を削って薪にするようなもの。実用的に出来ることは、精々が自然治癒力を高めることですが」

「それなら尚更、魔術で行う理由がない。そもそも、特定個人しか出来ない治療なんて不安定過ぎて頼ることが出来ない。一人が居なくなった途端に破綻するんじゃ、自分たちで医術を学んだほうがマシでしょうね」


 代弁したツバキの問いにリーベとラピスの二人が答える。


 その答えに、ユウは魔術ではなく機械が発達し始めた経緯を思い出す。魔術師だけが魔術という特権を振りかざし、生活を支配することに対する反発が始まりだとアインは語っていた。医術も似たような過程を辿ったのだろうか。


 彼がそんなことを考えていると、落ち着き無くカップを運んでいたラピスが重い口を開く。


「……けど、エターナのそれは、私が知っているものとは違った。対象が魔力で苦しんだ様子も無ければ、消耗もしていない。アインみたいに宝石を使ったわけじゃない。いや、そもそもそれで出来るのは自然治癒力の向上が関の山。四元素全てを使っているようで、全てを使っていないようにも見えた」


 殆ど減っていないカップの水面を見つめていた彼女は、顔を上げてじっとエターナを見やる。その視線に戸惑うエターナに構わず、彼女はさらに言葉を重ねていく。


「私の知っている理屈や理論じゃ説明できない。それこそ――魔法としか言いようがない。貴方は、一体」

「ラピス=グラナート」


 知らず、身を乗り出していたラピスは、強い語気で制止され我に返る。眼前のエターナが、何も言えず俯いていることにも気がついて居なかった。

 ラピスを静止したリーベは、批判するような目と言葉を放つ。


「あまり妹を苛めるのはやめて頂きたいですわね。それとも、貴方は自分の全てを言葉に出来るとお思いでして?」

「……ごめんなさい、エターナ。問い詰めるような真似をして……人にするような態度じゃなかった」

「わ、私は気にしていませんから。気に病むことはありませんっ」

「……ありがとう。何度もごめんなさい、つまらないことをして」


 魔術が使えるからどうのこうのと言われるのはいい気分ではない。それは、身をもって知っているはずなのに、自分が繰り返してしまっては世話がない。

 自己嫌悪で気落ちするラピスを気遣うようにエターナは言う。 


「私がもっと魔術を理解していれば良いんですが……どうしてこんなことが出来るのか、私自身もよくわからないんです。ただ治せるというだけで、本当に治療魔術なのかもわかりませんし……」

「それを言うなら私もですわ。こんな稀有な才能があるというのに、適切な指導も出来ない……無力な自分が嫌になります」


 それぞれの悩みを吐露する二人。重い空気が漂い始めた一席で、ツバキは敢えて軽い口調で告げる。


「なら、出来るものが指導すれば良かろう」


 ひどく単純なその言葉に、呆気にとられるリーベ。


「そんな者は……」

「おるじゃろ。確かに治療魔術は扱えんが、天才肌で理屈もわかっていないながらも高度な魔術を扱える奴が目の前に」

「目の前……」


 楽しげなツバキの視線につられ、そちらを見やるリーベ。その先には、


「……んっ、あれ? わ、私ですか?」


 戸惑いながら自分を指差すアインの姿があった。

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