第148話 教えて、ラピス先生

「ここが講義棟です。一階層につき教室が三部屋で、二階も同様です」


 エターナの案内を受けながら、アイン達は静かな廊下を進んでいく。磨かれた石の床は,

思ったよりも足音は響かない。


「少し寂しい雰囲気です」


 だが、アインが呟いた感想の理由はそれだけではない。廊下には彼女ら以外の人影はなく、教室から漏れる声もない。真新しい壁面も、使うものがいないという事実を浮き彫りにしているようだった。


「教える者が居なければ、教わる者も集まらない……まあ、当たり前よね」

「そういうことです。一応緩やかに増えてはいるんですが、まだまだ建物には余裕がありますし、教える人も教わる人も増やしたいんです」

「確かにのう、こんな建物を遊ばせておくのは勿体無い」


 一行は、二階へ続く階段を上がっていく。こちらも似たようなものだったが、廊下の先から僅かに人の声が漏れていた。どうやら講義中のようだ。


「講師は何人いるんですか?」

「会長含めて六人。その中で魔術を扱えるのは会長と二人、そのうち一人は他協会へ出向の最中です」

「会長もそればかりとはいかぬし、実質一人というわけか」

「ええ、だからアルカさんの提案は有難かったのです。もっとも、実際のところはこれからですが」


 リーベは皮肉げに言うと、唯一声が漏れている教室後方のドアをノックし、失礼しますと言って入室する。アイン達もそれに続いた。

 教室には十数人ほどの学生が席に着いており、眼鏡を掛けた老講師の講義に耳を傾けている。熱心にノートを取るものもいれば、殆ど寝入っているものもいるという有り触れた講義風景だ。


「人の魔力だけでは成し得ぬ魔術も、宝石や自然の魔力を利用すれば……おや、リーベ君。遅刻かな?」


 若い学生たちに講義を続けていた老講師が冗談めかして言うと、リーベは微笑んで答える。


「違いますけれど、似たようなものですわ、ドミナート会長。紹介が遅れましたが、こちらがロッソ魔術協会から来てくださったアイン=ナットさんとラピス=グラナートさん、そしてツバキさんです」

「初めまして、ラピス=グラナートです。僅かであれ助力できれば幸いです」


 挨拶から流れるように一礼するラピスに続き、


「その旅の連れ、ツバキじゃ。よろしく頼む」


 ツバキが軽く頭を下げ、


「アイン=ナットです。若輩者ですが精一杯頑張らせて頂きます」


 慌てて礼だけをし、名乗るのを忘れたアインをユウがフォローする。

 

「あの二人が……?」

「もう一人は聞いたことないわね」

「思ってたよりも可愛いな……ワンチャンあるか」

「ねぇよ、キマイラに勝てる奴がお前の相手なんてするかよ」


 二人の名前を聞いた途端、熱心に講義を聞いていた学生も退屈そうだった学生も色めき出す。好奇の視線を向けられたアインはフードを被り、ラピスは社交用の笑顔で受け流す。

 ざわめく教室が静まるの待ってから、ドミナート会長と呼ばれた老講師は穏やかな目を向けて言う。


「私が会長のドミナートだ。君たちのような噂に名高い人物を招くことが出来て、とても光栄に思うよ」

「いえ、こちらこそ貴重な機会に恵まれたこと感謝致します」

「まだまだ未熟な協会だが、だからこそ君たちのような若者の力でどこまでも伸びていくと思っているよ。さて、エターナ君。ここの案内の最中だったかな?」

「はい、そうです」


 エターナの答えにドミナートは頷くと、一つ提案をする。


「良ければ、ラピス君たちに講義をしてもらいたい。ちょうど講義も切りが良いところだし、皆も私の講義よりも興味があるようだ」


 学生全員が板書ではなくアインたちに興味津々という視線を向けていることに苦笑するドミナート。

 エターナは目で是非をリーベに問う。彼女が頷いた所で次にラピスに目を向ける。


「私は構わないわよ。講義というよりは、簡単な一問一答になると思うけど」

「それでも構わないよ。私自身、君たちがどんな旅をしていたのか興味があるんだ」

「じゃあ、ラピスさんお願いできますか?」

「ええ、任せて」


 ラピスは頷き、教壇へと向かう。その途中、振り向くとアインに対して目配せをした。『参考にしなさいよ』というそれに、彼女が小さく頷くと、緊張を感じさせない気楽さで教壇に立つ。


「さて、改めて挨拶をさせてもらいましょうか。私がラピス=グラナートよ。ここに来た目的は臨時講師みたいなもので、主に実践的なことについて教えるつもり。で、早速だけど聞きたいことはあるかしら?」


 ラピスが言って学生たちの顔を見渡すと、真面目そうな男子学生が挙手する。ラピスが促すと、彼は椅子をがたつかせながら立ち上がった。


「ラピスさんは、授かりし者ギフテッドと聞いておりますが、魔術を初めて使ったのは何歳だったのですか?」

「そうねえ……確か、十歳頃だったかしら。誰でも『もし魔術が使えたら』って考えることはあると思う。そんな風に――だけど妙な確信を持って呪文を唱えたら、本当に手から火が出たの」

「十歳で魔術を……! すごいです!」

「ありがと。けど、私にとってはそれよりも家具に火が着いて慌てる両親の方が記憶に残ってるわ。私自身、マズイことをしたっていうのはわかったから、泣いちゃってよく覚えていないしね」


 苦笑して言うラピスの言葉に、男子学生は驚きながら問う。


「ご両親は、魔術師ではなかったのですか?」

「ただのパン屋よ。魔術書なんて触れたこともない普通の両親。確かに魔術師の子どもは授かりし者ギフテッドである可能性は高いと言われてるけど、必ずしもそうではない。騎士の子が必ず剣が得意ではないようにね」


 ありがとうございます、と男子学生が礼とともに着席する。続いて最前列の席に座っていた女学生が勢い良く手を上げた。


「質問っす! 協会に入会したのは何歳で、それまではどうやって勉強していたっすか!」

「あー、そんな大きい声出さなくても聞こえるから。元気がいいのはいいけどね」

「はいっす!」


 わかってるのかわかってないのか、とりあえず乗り出していた体を戻した彼女の質問にラピスは答えていく。


「入会したのは十六歳頃よ。地元には魔術協会がなかったから、一人で生活が出来る年齢になるまでは独学で学んでいたわ」

「独学……尊敬するっす!」

「そうは言っても、魔術について書かれた本を何度も読み返したくらいよ。その内容だって、入会するまでは三割もわかってなかったし」

「そんな事ないっすよ! 私なんて半年やっても爪先ほどもわかってないっすから!」


 それは誇ることなのか、とラピスが反応に困っていると新たな学生が挙手したので、そちらに話を向ける。服を軽く着崩した男子学生は、見た目通り軽い口調で質問した。


「ラピスさんって発掘部隊の副隊長って聞いたんスけど、なにしたらそんな偉くなれるんスか?」

「私の場合は、協会で学んでいる時にスカウトされたのが切っ掛けね。魔物や危険生物が出現する遺跡の護衛に、攻撃魔術が使える魔術師が欲しいって隊長に誘われたのよ」

「そこから副隊長まで上りつめるとかパねえッスね。何か目指してるものがあった的な?」

「目指す……というか、ちょうど怒りを覚えていた時期だったというか」


 意味深な笑顔を見せるラピス。その意味がわからない男子学生は不思議そうな顔をしていたが、


「……」

『まあ、お前のことだよな』


 アインは、気まずそうに目を逸らしていた。彼女にとってもラピスにとっても苦い思い出であり、大切な教訓を得た経験でもあるが、基本的に苦いものに変わりはない。つつかれれば、やはり目を背けたくなるものだ。


 そんなアインの反応にラピスは肩をすくめると、それはそれとしてと言って話を戻す。目は鋭く細められ、その目つきに学生達は居住まいを正していく。


「私は、どんな切っ掛けや理由で魔術を学んでもいいと思うけど、それをどんな風に扱うかはしっかりと考えて欲しい。魔術は道具よ、人を助け生活を豊かにする一方で、簡単に人を傷つけたり生活を壊すことだって出来る。魔術を扱う才能があるのは特別なことでも、それを扱う者が特別ではない。それは絶対に忘れないで」


 真剣な表情で告げられた言葉を、学生達だけでなくドミナートも無言で聞き入っていた。有り触れた忠言だが、そこに込められた重さは実体験が由来の現実味リアリティがあるものだったのだ。


 己の創造物が至高であり、それを創る己こそが至高と歪んだ自意識を持ったレプリ。

 家名の名誉を取り戻そうとする内に、力に溺れ八つ当たりじみた復讐へと走ったゼド。


 その両者の辿った道は、自分もアインも辿る可能性がなかったとは否定できない。何処かで間違えてしまえば、容易に踏み込んだ未知だったかもしれない。

 だからこそ、力あるものの責務として戒め続けなければならないのだ。


 それを感じ取った学生達は、自らの胸に問うように手を当て、また一人は手を組んで懺悔するように目を閉じていた。己の思いが伝わったことに安堵したラピスは、沈んだ空気を吹き飛ばすように手を打って言う。


「それを覚えていればきっと大丈夫。さて、今日はここまで。本格的な講義は明日以降するから、楽しみにしていて頂戴」

「あ、あのっ」


 そこまで言って教壇から降りようとしたしたときだった。大人しそうな雰囲気の女学生が控えめに手を上げたのは。


「ああ、まだ訊きたいことがあった? そうね、それで最後にしましょう」

「あ、ありがとうございます。その、とても大事な話をして頂いた後に訊くのはどうかと思うんですが……ラピスさんとアインさんについて、とても気になっていることがあって……」

「私とアイン? 貴方、何処かで会ったことあるかしら?」


 ラピスは軽く記憶を探ってみるが、その中の誰とも一致しない。

 疑問に思っていると、女学生は慌てたように頭を振る。


「い、いえ、お二人が勉強していた協会に友達が通っていて、手紙で知る機会があったんです。それで、質問なのですが……」

「ええ、何かしら?」


 不安げに視線を彷徨わせる彼女を安心させるため、ラピスは柔らかく微笑んで見せる。その効果があったのか、彼女は意を決したように身を乗り出し、告げる。


「お二人は、付き合っているんですか?」


 ――時間が固まる音がした、というのは後にユウが語った言葉である。

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