第143話 勝負に負けても試合は勝つ

「ここからは、私のターンよ。そして、もう貴方にターンは回ってこない」


 周囲をクラゲの水爆弾に囲まれ、こちらの攻撃は届かないか無効化されてしまう状況で、ラピスは少しの不安も感じさせない声で言い切った。

 それが虚勢ではないと、リーベもわかっている。だからこそ、


「だったら、これはどうかしら!?」


 胸に去来する一抹の不安を掻き消すように叫び、瓶を振りかざす。そこから水滴が撒かれるよりも速く、ラピスは地面に手を付き念じる。


「あんたはこれから対応するだけよ!」


 地面に触れた手からリーベに向かって青白い閃光が奔る。閃光はリーベを囲むように奔ると、その形に大地を抉り取った。


「っこの! せこい手を!」


 生まれた穴へ落ちる前にリーベは飛び退いていたが、無茶な体勢からの跳躍だった故に膝をついてしまう。

 その隙にラピスはさらに魔術を唱え続けていく。


「大地より生まれし杭よ、我が敵を穿て! アーススパイク!」


 再び地面を奔る閃光は、空中のクラゲが作る影の元まで奔っていき、出現した土の杭が次々とクラゲを貫いていく。

 しかし、それだけだ。クラゲは動きこそ止まったものの、風船のように破裂することもしぼむこともなく形を保っている。


 体勢を立て直したリーベは、その様子を見て鼻で笑う。 


「一体何を考えていらっしゃるの? 動きを止めた所で、私のフリーゲン・クヴァレは問題なく炸裂出来る。そこまで広がってしまえば、逃げ場はなくってよ」

「そうね……けど、私は逃げるんじゃなくて前に出るのよ!」


 吼えるラピスの両手には、煌々と赤の輝きを放つ魔力が渦巻いていた。その輝きを目にした野次馬たちは、歓声を上げつつ後ずさるという一見矛盾した行動を取る。


 だが、それは何もおかしくない。赤の輝きは、黄昏のように美しくありながらも、触れれば一瞬で焼き尽くされることを確信させる。炎を美しいと思うのが本能ならば、それを恐ろしいと思うのも本能なのだ。


「……!」


 その二つの輝きに、リーベは動くことが出来ない。

 ルール上、あの輝きが自身を傷つけることはないとわかっていながらも、その光に目を奪われた彼女は立ち尽くしていた。


「リーベ!」

「ッ!」


 エターナの呼びかけに意識を取り戻すが、もう遅い。


「我が指が指し示すは我らが敵――汝の怒りを持って焼き尽くせ! サンライト・レイジ!」


 ラピスの突き出した両手の指から放たれた十の光線は、クラゲを串刺しにする杭へ熱量を全て注ぎ込む。真っ赤に赤熱化した杭が見えたのは一瞬だった。


「うぉおおおお!?」

「あっちぃ!? なんだぁ!?」


 野次馬達が悲鳴混じりの声を上げるが、すぐに真っ白い蒸気に飲み込まれて消えていく。急激に熱された杭は、触れ続ける水のクラゲを蒸発させ、大量の蒸気を生み出していた。

 

「リーベ、大丈夫!? 何処に居るの!」


 隣の立つ者すら見えなくなるほどの濃霧の中でエターナは叫ぶが返事はない。声で位置がバレることを案じたのか、それともその余裕すらないのか。


 野次馬達が混乱の声を上げ続ける最中、アインは外套がはためきだしたことに気がつく。


「この風は……」 


 アインは、風にはためく外套を抑えながら徐々に晴れてきた視界を注視する。

 いや、視界が晴れたというのは正しくはない。外へと広がっていくはずの蒸気が、逆に内に向かって収束していってるのだ。収束されていく蒸気に反比例して、その周囲が晴れていく。


「ラピスさん……! リーベは!?」


 蒸気の中にうっすらとだがラピスらしきシルエットが見えた。その先には、天まで伸びる白い霧の柱がそびえ立っている。中の様子は見えないが、おそらくリーベがいるはずだ。


「なるほど、水蒸気を冷やせば水に戻る。あれだけの蒸気で包んで冷やせば、ずぶ濡れには十分だろうね」


 うんうん、とラピスの勝利を確信したのか余裕の表情で解説するアルカ。エターナは、むくれながら彼を睨みつけて怒鳴る。


「リーベは負けてない! まだ勝負はわからないでしょう!」


 それに頬を掻いたアルカが反論しようと口を開こうとした時、


「その通りでしてよ!」


 霧の中でリーベの声が響き渡り、息を呑んだアルカを含めた観衆の視線が霧の柱へと集まっていく。


「蒸気を冷やして水に戻す? だからどうしましたの?」


 声とともに白の柱は徐々に透明度を増していき、全く見えなかったリーベのシルエットがおぼろげながら見えてくる。


「水にワインが一滴でも混ざれば水ではない! 私に水を贈ったのは失敗でしてよ!」


 彼女は、蒸気に小瓶の水を与えることで自身の支配下に置いていた。一滴のワインがコップの水を赤く染めていくように、たったそれだけの行為で膨大な水を我が物としているのだ。


「リーベ! 信じてたよ!」


 蒸気が完全に水へと戻ったことで、柱の中心で天に向かって右手を掲げるリーベの姿がはっきりと見えた。空間全体が蒸気に覆われる中で、彼女の周囲だけは台風の目のように澄み切っている。


 霧から水へと材質を変えた柱は、その先端を揺るがせラピスへと狙いを定める。その姿はまるで鎌首をもたげる大蛇のようだ。

 

「ここまでの水魔術を使えるとは……これはラピス君も敵わないな」

「当然ですよ! リーベはすごいんだから!」


 戦慄の声をこぼすアルカに、エターナは胸を張って言う。それに対してアインは、


「確かに、ラピスも敵いませんね」


 意外なことにアルカの発言に同意する。その口調は穏やかで、悔しさなど欠片もない。当然のことを当然と認めているだけというように。


「でしょう? ラピスさんには悪いけど、この勝負は私達の――」


 それに訝しみながらも、調子づいたエターナは声を弾ませて続けるが、


「ですが、勝つのはラピスです」


 はっきりと断言するアインに彼女は言葉を失う。


 敵わないと認めながら、どうしてそこまで断言できる?

 その真意を探るように横顔をじっと見つめていたが、


「呑み込んであげますわ! ラヴィーネ・ピュートン!」


 リーベの声に慌ててそちらを見やる。大蛇は大きく開いた口でラピスに喰らいつこうと、巨体に見合わぬ速度で地面を這っていく。

 その先にいる野次馬たちが慌てて霧の中から抜け出していく中で、一人動こうとしない人影があった。その影に大蛇は雪崩の如く迫り――あっさりとそれを呑み込んだ。


『ラピス……!』


 大蛇は弧を描いて軌道を変えると、一瞬体を震わせる。その途端に形は崩れ、周囲に大量の水を広げていく。霧に閉ざされていた視界も段々と晴れつつあった。


「……私の勝ちです! 手加減はしましたが、救助が必要だと思うなら早くしなさい!」


 ゆっくりと腕をおろしたリーベは、大きく息をつくと観衆たちを見渡して声を上げる。それに慌てて何人かの学生とエターナが駆け寄ろうとするが、


「行かなくて良いんですか!? 溺れてはいなくても、かなり水を飲んだかもしれないのに!」


 その場から動こうとしないアルカとアイン。二人は顔を見合わせて、


「その必要はないよ。確かに、水魔術の勝負では敵わなかった」

「ですが、ラピスは試合には負けていません」

「えっ?」


 その言葉に答えるように、リーベの背後の地面が隆起する。僅かだったそれは、さらに広がっていき、


「そういうことよ!」


 地面から一人の人間が飛び出し、野次馬たちは悲鳴じみた声を上げる。背後からの声にリーベは振り返り、驚愕に目を見開いた。


「ラピス=グラナート!?」

「如何にも!」


 その声、赤い髪は間違いなくラピスのものだった。土を巻き上げながら飛び出した彼女は、完全に油断していたリーベ目掛けて右手から水球を放つ。

 リーベは必死に小瓶に手を伸ばすが、それは余りにも遅すぎた。


「ッ!」


 胴体に水球が直撃した彼女は、振り抜こうとした腕をだらりと下げる。俯いた顔は、悔しげに唇を噛んでいた。


 勝利条件は、相手を水浸しにした方が勝利。上着を濡らした程度では、それを満たしていないと主張することも出来る。

 しかし、リーベはそれを選ばない。背後を取られた時点で敗北は必至だからこそ、ラピスが加減したことがわかっているからだ。

 負けを恥とするなら、それを素直に認めないのは更に恥。そう思わざるを得ないほどに、完璧な敗北だった。


「……あの蒸気は、目眩ましだったというわけね」

「ええ、ああすればきっと使ってくれると思ったから。それに、貴方の実力だとちょっと濡らしたくらいじゃ、すぐに水を抜かれてしまうわ」

「そして、私がそれに気を取られている隙に背後に回り、土の下に身を隠していた……あの人影は土で作った囮でしょう」


 淡々と敗因を分析していくリーベ。ラピスは、無情とも思える声ではっきりと告げる。


「そして、私が勝った」


 その言葉にリーベは硬く拳を握りしめ、肩を震わせていた。

 敗者に追い打ちを掛けるようだが、それを決めるために争っていたのだ。曖昧に済ませるわけにいかなかった。


 しばらく無言だったリーベは、大きく息を吐くと顔をあげる。


「貴方の実力、確かに見せて頂きました。噂通り――いえ、それ以上の実力であることを認めます。そして、無礼な発言をしたことをお許しくださいませ」


 そう言って、リーベは右手を差し出す。ラピスはその手と彼女の顔を交互に見やった。


 表情は悔しさのせいかしかめっ面のままだし、声の端々から刺々しさも感じる。こうして握手を求めることすら、正直死ぬほど悔しいに違いない。

 けれど、認めたという言葉も撤回の言葉も、本心から口にしているということも理解できた。悔しさを抑えきれなくとも、それでも私を認めようとしていることもだ。

 何故かは自分でもわからないが、そう確信できた。


「貴方こそ、予想以上だったわ。これは嫌味じゃなく、本音よ」


 だったら、それでいい。

 差し出された手を握り返し、しっかりと握手を交わす。他協会の魔術師との交流模擬戦が一応爽やかな形で終わったことに、周囲から拍手が鳴り響いた。

 リーベは変わらずぶすっとしたままで苦笑いが浮かぶが、逆の立場だったら自分もそうだっただろうと思うと、何も言う気にはなれなかった。


「リーベ、大丈夫?」

「ラピス、お疲れ様です」

「やぁやぁ、ボクが期待した通りだったよラピス君」


 観衆の拍手に二人が気恥ずかしくなってきた所で、リーベの元にエターナが、ラピスの元へアインとアルカが駆け寄ってくる。


「問題ありません、この程度ならすぐに乾かせます」

「ちょっと土に塗れたけど、平気よ」


 二人が口々に答えた所で、アルカが手を打って視線を集める。


「じゃあ、親睦も深まった所でミーティングの続きといこうか。そうだね、時間もちょうどいいし昼食を食べながらなんてどうかな」

「良いと思います」

「賛成!」


 即座にアインとエターナが賛同し、


「あんたねぇ……」

「貴方は……」


 同時にラピスとリーベが溜息をつき、思わず二人は顔を見合わせる。そして、気まずそうに顔を逸らした。

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