第140話 酒とデレは適度に
シーナとの久々の食事は、とても楽しいものであった。
どんな話であっても的確に相槌を返してくれる彼女であれば、会話下手なアインでも口が回るというもの。そこに美味い食事と酒があれば尚更だった。
勧められるままに蜂蜜酒を飲み、オススメされる料理を食べ、気がつけば夜も完全に更けていた。ドアの外から聞こえる喧騒も、酔っぱらいの声が混じり始めているようだった。
「そろそろお開きにしましょうか……長々と付き合わせて申し訳ありませんでした、アイン様」
そう言うシーナは、酔いのせいか頬が上気しており声も若干舌足らずとなっていた。とはいえ、体がふらついているということはなく、許容範囲を見極めた上で飲んでいたようだ。
「ふぁい……わかり、ました……」
対してアインは、強くないにも関わらず飲み続けたせいか限界が近く、体が振り子のように左右に揺れていた。瞼も落ちかけており、声を掛けなければそのまま寝てしまいそうだ。
「アイン様、立てますか?」
「へいき……です……」
ふらつきながら立ち上がるという、明らかに平気ではないアインを心配するシーナ。
「あっ!」
案の定、前のめりに倒れかけたアインをシーナは慌てて抱きとめる。それに彼女は一安心するが、
「あ、あのアイン様?」
「んー……」
抱きとめられたアインは、離れるどころからシーナの腰に腕を回してしがみつく。
心地よさそうに目を閉じ、自身の胸元に頭を預ける彼女に困惑したシーナは、とりあえず背中を軽く叩いてみる。
「きもちいい……」
ちょうど良い刺激だったのか、増々体から力を抜いていくアイン。
このまま彼女ごと引きずって帰るわけにもいかず、引き剥がしてもそのまま倒れてしまう。困り果てたシーナだったが、そのとき脳裏にひらめくものがあった。
「逆に考えましょう……『抱きしめちゃってもいいさ』と考えるんです……」
無理やり引き離そうとするから離さないのなら、こちらから敢えて抱きつくのだ。押して駄目なら引いてみろと、賢人も語り継いでいるではないか。
素面であれば間違っても思いつかない発想であったが、今の彼女は酔っ払いである。そして、酔っ払いとは時に意味不明な発想と行動を考えるものである。
「シーナちゃんも酔っ払いになれたんだねえ……」
酒が飲めなかった過去を知る店主は、それを眺めながらしみじみと呟きコップ磨きを再開する。
向けられた生暖かい視線に気がついていないシーナは、何たる妙案、起死回生の一手と自画自賛しつつ、早速実行に移す。
「失礼します」
「んん……?」
壊れ物を扱うように慎重に肩へと回された腕にアインは怪訝な声をあげる。しかし、それも最初だけで、温もりに包まれていることに安心したのか、甘えるように頬を擦り付ける。
「ッツ!」
その動作は、さながら飼い主にじゃれつく犬であり、人から心を奪う抗いがたい魅力があった。それが中々懐いてくれなかった犬であれば感動もひとしおである。
「可愛い……」
銀髪の中に犬耳を幻視したシーナは、無意識の内にアインの頭を撫でていた。冷たく手触りの良い髪が、酒で火照った手を冷ましてくれて、思わず吐息がこぼれる。
いつの間にかがっちりと腕を回して抱き寄せていることにも気が付かないまま、シーナは胸元で目を閉じるアインを撫で回す。引き離すという当初の目的など、完全に忘れていた。
熱に浮かされたようにシーナは無心で頭を撫で続け、アインはされるがままに目を閉じる。そんな光景が10分近く続き、立ち疲れたシーナがアインを抱いたまま椅子に座ろうとした所で、
『アイン、いい加減起きろって。流石に寝るのは迷惑になる』
『んあー……?』
ユウが思考を通じて起こしに掛かるが、返ってきたのは胡乱なものであった。
気持ち良く酔っていたところに水を差すようで今まで黙っていたが、失敗だったな。
ユウは、内心嘆息し言い聞かせるように思考を重ねていく。
『いいか、アイン? 今のお前の姿は、シーナさんにべったり甘える犬だ。それを他人が見たらどう思う?』
『さぁ……』
『もっとわかりやすく言うか? 今ここにラピスがやってくる、シーナさんに抱きつくお前を見る。さて、この時彼女はどういう反応をする?』
『ラピスが……』
『俺の予想はこうだ。「ふーん、そういう事するんだ、アインって。へー、ほーん。別に怒ってないわよ。ぜんっぜん怒ってなくってよ!」と怒りながら立ち去るだろうな』
かなり盛った予想ではあるが、方向性は間違っていないだろう。『風呂屋』にツバキを連れ込もうとしたと誤解された時を考えれば、怒るにしろ悲しむにしろ、アインが固まる反応だろうと断言できる。
それがきっかけとなり胡乱だった目に危機感という光が灯っていく。そして、今更ながらただの友人同士がするには密着しすぎだと理解し、慌ててシーナから飛び退く。その拍子に尻もちをつき、小さな声をもらした。
「ハッ……アイン様、だ、大丈夫ですか?」
それで冷静さを取り戻したのか、今までの状況に赤面したシーナは目を逸らしつつ訊ねる。
「だ、大丈夫です……すいません、かなり酔っていたようです……」
「いえ、私が飲ませすぎたのがいけないんです……ごめんなさい」
「いえ私が……」
「私が……」
お互いに責任を主張しあい、顔を見合わせる。そして、どちらともなく苦笑した。
「……お互い様、ということで如何でしょうか?」
「そうしましょう。ですが、とても楽しい一時でした。ありがとうございます、シーナさん」
「こちらこそお礼を言わせてください。ふふっ……たまには羽目を外すのは良いものですね」
たまには、ですけどね。
困ったように笑って手を差し出すシーナに、アインはそうですね、と恥ずかしそうに手を借りながら答えた。
「ツバキ、入りますよ」
「おお、アイン。戻ったか」
宿のベッドに寝転んでいたツバキは体を起こし、ノックされたドアへと視線を向ける。そして、現れたアインに顔をしかめた。
「なんじゃ、随分と酔っておるではないか。我に一人留守を任せておいて良い身分じゃ」
「休むと言ったのはツバキからでしょう……ふぅ」
ふらつくアインは、椅子まで歩く気力も尽きたのかベッドに倒れるように横になる。
「これ、せめて外套くらい外さんか」
「明日します……」
「明日じゃ意味がなかろうに。ったく、仕方のないやつじゃ」
まったく手が掛かるとツバキは愚痴りつつ、アインから外套を引っ剥がすと椅子の背へと放る。ついでにユウも腰から外し、ベッドサイドへと立てかけた。
ベッドからずり落ちてしまいそうな彼女を中心まで引っ張り上げたところで、ツバキは一息つく。
一人素面ではやってられんと立ち上がろうとするが、
「ふかふか……」
いつの間にか尻尾にしがみつかまれてしまい、嘆息してそれを諦める。
幸せなそうな顔で尻尾を抱きしめるアインの頭を膝に乗せてやり、ツバキはユウに訊ねる。
「かなり飲んだようじゃが、一人で飲んでおったのか?」
「いや、シーナさん――酒屋の娘とばったり会って、その流れで今まで食べて飲んでだったんだ」
「シーナ……ああ、あやつか。ラピスが聞いたらまた妬くかもしれんな」
「そう言ったら一気に酔いが覚めたよ。ここに戻るまでが限界だったみたいだけど」
「それは見てみたかったのう。まあ、それはまたの機会じゃな」
ツバキは意地悪げに口の端を吊り上げ、膝に置かれたアインの頭を撫でていく。もう意識を手放したのか、静かな寝息が聞こえてきた。
それを眺めながら、ユウは感慨深げに呟く。
「変わったよな」
「あん? 我が愛らしいのは前からじゃぞ」
「そこで自分が褒められたと解釈できる都合の良さは見習いたい。というか、わかって言ってるだろ」
「愛らしいのは否定しないのじゃな?」
「今から否定しても良いならそうするよ」
「御主は、心にも思ってないことを言えるほど腹芸は得意ではあるまい。言えたとしても我にはバレバレじゃよ」
「そうかい」
くつくつと笑うツバキに投げやりな答えで返すユウ。人をからかうのが得意な狐と舌戦で叶うわけがないのだ。
そうじゃなくて、と語気を強めて彼は言う。
「アインの方だよ。シーナさんも言ってたけど、前向きになったし人当たりも……まあ、少しずつだけど改善されてきた」
「それは、そうじゃな。今までからは考えられない進歩じゃろ」
「前にも思ったけど、これまでの旅は無駄じゃなかったんだなって。そう思うと、相棒であることが少し誇らしくなる……本人に言うと調子に乗りそうだから黙ってたけど」
「それは賢明じゃな。まっ、たまには言葉にしてデレておいたほうが良いぞ? ラピスを見てればわかるじゃろ」
「デレるって……俺は素直だから関係ないよ。心配無用だ」
呆れた様子のユウ。
そもそも男がデレたところで誰が得するというのか。そういうのはもっとこう――。
「『ツバキみたいな美少女がすべき』か? 残念じゃが我は安売りしない主義でな」
「そこまでは思ってない」
「ほう? 何処までは思ったか気になるのう」
ああ言えばこういう狐め。強引にでも話を切りたいが、それは負けを認めるのと同義で、しかし話を続けても勝機があるかどうか。
考えあぐねて唸るユウだったが、挑発的な視線を向けられては背を向けるわけにはいかないと、口火を切る。
「可愛い子がデレるべきとは思った。思ったが具体的な対象までは考えていない。思ったのはそこまでだ」
「なるほど、男子たるもの当然の考えじゃな。とはいえ、そう考えた時には無意識に身内から条件に一致するものを浮かべるもの。それは誰だったかの?」
「さて、思ったとしても無意識だったからわからんな。ツバキでは無いと思うけど?」
「はーん、そう否定するのは意識せねば出来まいて。つまり、思い浮かべていたのは我というわけじゃな、はい論破じゃ」
「穴だらけの推測で断定するのはみっともないぞ。もっと確固たる証拠を掴んでからにしてもらおうか」
舌戦とも言えない口喧嘩じみたじゃれ合いは、ツバキが寝落ちするまで続き――ユウが体のいい暇つぶしにされたと気づいたのが、勝利の余韻に浸っている最中のことだった。
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