第139話 積み重ねた時間の成果
「……ということで、ジャガイモを巡る一連の騒動は幕を閉じたのです」
一つの物語を語り終えたアインは息を吐き、シーナの反応を窺う。
じっと目を閉じて聞き入っていた彼女は、小さく拍手すると、
「とても面白い話でした。ガレンさんの顛末には笑わせてもらい、村長さんの吐露には父を重ねてしんみりとする思いです」
微笑んで感想を述べた。
それにアインは胸を撫で下ろすと、すまなそうに言う。
「ありがとうございます……聞き苦しかったと思いますが、楽しんでもらえたなら幸いです」
「卑下する必要はありませんよ」
シーナは、ポッドを手に取りアインの空のカップに紅茶を注いでいく。
「私は楽しめたのですから、そこに上手い下手は関係ありません。それに、詩人の語る甘い言葉より、アイン様の辿々しくも楽しませようという気持ちが込められた言葉のほうが嬉しいですから」
「あ、ありがとうございます……」
どうぞ、とアインは差し出されたカップに口をつける。温くなってしまっていたが、乾いた喉にはちょうど良かった。
彼女は紅茶を飲みながら、対面のシーナに視線をやる。しゃんと伸ばした背筋に優雅な動作で運ばれるカップ。纏った楚々とした雰囲気は相変わらずだ。
しかし、とアインは不思議そうに首をかしげる。
『……何か変わった感じがしますね』
依頼を受けていた時とは違う服装だから、ということだけが理由では無いだろう。オレンジ色のツナギという活発的な格好だが、外面だけでなく内面から明るくなったように思える。
その訝しげな視線に気がついたのか、シーナは少し悪戯っぽく微笑んで言う。
「この服、似合いませんか?」
「い、いえそんなことは! とても良く似合っています!」
無作法を指摘されたと焦ったアインは裏返った声をあげる。シーナは、おかしそうに小さく笑っていた。
「その服はどうされたんですか? 受付嬢らしからぬ格好ですが」
気まずそうなアインに代わり、ユウも気になっていた疑問をぶつける。
シーナは胸を張ると、誇らしげに答える。
「これは受付嬢から酒職人へ転身した証です。まだまだ駆け出しですが」
「酒職人……そう、夢が叶ったんですね」
「はい、アイン様のお陰です。コンテストに優勝した結果、注文も増えて製造が追いつかないほど忙しいですが、毎日が充実しています」
「私は手助けをしただけで、今があるのはシーナさんの努力の成果です。もっと自身を誇ってください」
「もちろん、そうしますとも。自身に自信を、ですね」
「えっ、あっ、ハイ」
朗らかな声で飛ばされたジョークの反応に困るアイン。
こんなこと言うタイプだったっけ? とユウも困惑していると、顔を赤らめたシーナは咳払いして言う。
「父のセンスが伝染ったようです。失礼しました」
「い、いえ……あー、ですが……変わりましたね、シーナさん」
「変わった、ですか?」
「何と言うか……張り詰めたものが無くなったというか、余裕が出来たと言うか」
「余裕……ですか。それは、確かにそうかもしれません」
カップの縁をなぞるシーナは、過去を懐かしむように目を伏せる。紅茶の水面に映った自身を見やりながら、彼女は続ける。
「私は、ずっと追われていたんだと思います。酒が飲めない私が酒を造るには、他人の数倍は努力せねばならないという思いに突き動かされて、走り続けていた」
「走り続けた……」
「そうしないと追いつかれてしまうと思ったのです。『酒が飲めないのに旨い酒が造れるはずがない』という諦観と恐怖に……そして、一度はそれに追いつかれてしまった」
それは、コンテスト用の酒を滅茶苦茶にされて消沈した時を指しているのだろう。その責任の一端があるアインは、つい顔を俯かせてしまう。
その時、テーブルの上に置かれた手に暖かいものが触れる。見ると、アインの手にシーナの手が重ねられていた。
「ですが、アイン様が手を貸してくれたから……もう一度歩きだすことが出来ました。だから、もう怖くありません。例えアミュレットが無くなったとしても、自分で歩いていける勇気を貴方がくれたのです」
「シーナさん……」
顔を上げたアインにシーナは微笑む。蕾から花へと咲かせてくれたのは貴方だと、その目は言っていた。
その微笑みにアインも同じく答える。自然と浮かんだそれに、シーナは息を呑んだ。
「シーナさん?」
「し、失礼しました。アイン様がそのように微笑むのは初めて見たもので……というか、こうしてじっくり顔を見たのも数えるほどしか無く……」
「……そうでしたか?」
「はい、普段はフードを被っていらしたので……酒造り中は余り顔を合わせませんでしたし……」
「……言われるとそうだったような」
ですが、とシーナはパッと顔を輝かせて言う。
「食事中のアイン様は嬉しそうでした。これはよく覚えています」
「……そんなに嬉しそうでしたか?」
「ええ、レストランで食事をしたときも水を差されるまでは、とてもご機嫌だったと記憶しています」
「……」
そんなに嬉しそうでしたか、と今度はユウに訊ねるアイン。言うまでもないと思っていたよ、とユウ。
そこまで筒抜けだったのかと顔を覆う彼女に、慌ててシーナはフォローする。
「食事を楽しむのは良いことですから、恥ずかしがることはありませんよ。私も見習いたいくらいです」
「それなら良い……のですが」
「ええ、良いのです。その方が同席の方も喜ばれますから」
「そう……ですか……」
シーナの語調は、年上が年下を言い含める時のそれそのもので、アインはくすぐったそうに頬を掻く。
ラピスやツバキからもそうだが、どうして自分は世話ばかり焼かれるのだろう。そんなに子どもっぽく見られているのだろうか。
そんな思いから、アインはつい無意識に呟いていた。
「私は変わりませんね……」
それは、ただの独り言以下の声で、発した当人すら認識が遅れるほどのものだった。
「アイン様も変わられたと思いますよ」
だが、それにシーナは答えた。気遣いや慰めではなく、当然のことを指摘するように。
思いがけない答えに、戸惑ったようにアインは聞き返す。
「変わった、ですか? 私が?」
「はい。以前よりも自信があるというか、前向きになられた気がします。以前――とくにフードを被っている時のアイン様は……その、雷に怯える犬というか……何かを恐れている節があったので」
「犬……」
ぴったりじゃないか、と吹き出したユウ。無言で鞘を叩くアインをシーナは不思議そうに見ていた。
アインは咳払いし、話を戻す。
「犬かどうかは置いておくとして……自信がついたのはその通りかもしれません。この半年は、一言では語り尽くせないほどに出会いを経験してきましたから」
「私もその一つでしょうか。そうだとすれば、とても光栄なのですが」
「勿論です。私こそ、貴方の
「ありがとうございます、アイン様。でしたらその……まだお時間は大丈夫ですか?」
アインは壁に掛けられた時計を確かめる。随分と話し込んでいたせいか、夕食に相応しい時間となっていた。
「せっかくですから、お食事をご一緒しませんか? アイン様が良ければですが、まだまだ旅の話を聞かせて欲しいです」
「喜んでお受けします。私も、シーナさんの話を聞きたいですから」
食事という単語に内心テンションが上っているのか、またも自然な笑みで答えるアイン。
シーナは少し呆けていたが、慌ててありがとうございます、と頭を下げた。
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