第138話 過去を歩く

 アルカが立ち上げる新役職に協力することにしたところで、会議は一先ず終了となった。

 詳細について後日連絡するので、それまでゆっくり休んでいて欲しいというアルカの言葉を受けた三人。


「私は協会に顔出しをしておくわ。特に変わりなさそうだけど、何かあったかも知っておきたいしね」


 じゃあまた明日ね、と手を振るラピスと別れ、


「我は疲れたし、少し寝るぞ。前と同じ宿を取っておくから、用が済んだら戻ってこい」


 ツバキは大きな欠伸をすると一人大通りに向かって歩き出す。

 残るアインは空を見上げて太陽の位置を確かめる。まだ夕暮れには早く、昼食は済ませたが夕食にはまだ早い。ということは、お茶を飲むにはちょうど良い。


 一人頷く彼女に、ユウは半ば呆れた声を掛ける。


「お前の場合はおやつがメインだろ?」

「失礼な、ちゃんと紅茶も味わっていたのを見てきたでしょう」

「その割に蜂蜜だの砂糖だのバカスカ入れていたような気がするけどな」

「糖分は頭の栄養なんですから、それくらい必要なんですよ」


 さいですか、と嘆息混じりの相槌を打つユウに構わず、アインは軽い足取りで通りの石畳を踏み鳴らしていく。その隣を、荷車を引く馬が同じように蹄鉄で合いの手を入れていた。


 通り過ぎていくそれが、妙に懐かしいとユウは思う。

 数えてみればたった一ヶ月前にはこの街で過ごしていたというのに、それも随分昔のように感じる。それでも記憶が薄れていないのは、想像打にしなかった旅の始まりだったためだろうか。


「そうですね……ユウさんと出会って最初に過ごしたのがこの街でした」


 アインは懐かしげに呟き、腰に提げたユウにそっと手を添える。空を仰ぐ瞳は、過去を想うように遠くを見つめていた。


「気がついたら遺跡にいて、しかも体は剣になっていた。そこでお前に拾われた」

「喋る剣なんて初めて見ましたから、あの時は驚きました。異世界から来たと言われたのも驚きましたが」

「その割に信じてなかったと思うけど」

「そ、その時は適当なことを言ってると思ってたんです……今は信じてますよ」

「それは助かる。まあ、俺も内心アインの実力を疑っていたから人のことは言えないさ」


 そう言ってユウは思い出す。『質と量で圧倒する』と命を吹き飛ばす閃光に身を躍らせ、そして手の内の光でそれを掻き消す少女の姿を。

 記憶に焼き付いたそれは、決して忘れることも消えることもない。そう断言できるほどに、あの輝きは眩いものであった。


「ふふん、私は強いですから。それは疑いようのない事実です」

「そうだなお前はすごいな」


 あの時と同じように誇らしげな彼女に、わかりきったことなので雑な答えを返すユウ。

 今回は、それでは満足しなかったのか彼女は少し唇を尖らせていた。


「その次は協会で決闘して、ラピスと再会したんだっけ」

「ここで再会できるなんて思いもしませんでしたから、心臓が止まるかと思いました……」

「俺はトドメを刺そうとしたことにヒヤヒヤしたけどな……アレ、本気だったのか?」

「そんなわけないじゃないですか。適当な所で助けるつもりでしたよ」


 心外だというアイン。


 しかしそれは、『適当な所』に達するまでは助けないということでもあるので、あまり堂々と言えることではないような。

 ユウは思ったが口にはしない。聞き流されるのがわかりきっているからだ。


 その反応に思うところがあったのか、アインは咳払いして話を進めていく。


「あー、その後には遺跡を探索しましたよね。ちょっとした手伝いのつもりでしたが、まさかキマイラがいるとは……」

「あの時は本当に駄目かと思ったよ。何というか……生きてる世界が違うと肌で感じた。まあ、肌は無いんだけど」

「ユウさんとラピスがいなかったらどうなっていたわかりませんね……意味のない仮定ではありますが」


 通りをまた馬車が通り過ぎていく。荷車を引くのは馬型のリビングメイルで、それを目にしたアインは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


「……まだレプリのリビングメイルを使ってるんですね」

「道具に罪はないってことか……それか、アレを前提していたところは急に切り替えられないんだろう」

「思えばツバキが追っていた偽宝石も彼に関わったものでしたね。というか、この街の事件は元を辿れば大体彼が元凶でした」

「それを残らず潰したっていうのもすごい話だけどな。それは素直に褒めたい」

「ありがたく受け取ります」


 今度は満足する言葉だったのか、彼女は軽く微笑んだ。

 そうして昔話に花を咲かせていると、見覚えのある看板にアインは歩を止める。そこは、ロッソで初めて利用した食堂だった。


「久しぶりですし、ここにしますか。アップルパイの味が懐かしいです」


 一ヶ月ぶりに訪れた店内は、記憶の中の光景となんら変わっていなかった。テーブルの置かれた位置も、並べられた椅子の形も何かもそのままだ。

 いつものように端の席に着いたアインは、ホッとしたように息を吐く。漂う紅茶と甘い匂いに目を細めながら頬杖をつく姿は、穏やかな午後の空気と相まって切り取られた絵画のようだった。


「……せっかくですし、チキンを食べても良いのでは。いや、流石にそれは使い過ぎか……けど、またしばらくここには来れないかもしれないし……ううむ」


 当の本人は、注文すべき料理と財布の中身を天秤にかけているだけだったが。

 これも相変わらずだな、とユウは悩むアインから目を外し、店内を見渡す。


 ちょうど食事時から外れているためか、店内に目立った客は居ない。静かに食事と会話を楽しむ老夫婦、食事を終えてそのまま寝てしまった男性、カウンター席で店主相手に熱心に話し込む女性――。


『ん、アイン。あの人、見覚えないか?』

「いや、やはり食べる時は食べたほうが……」

『一割でもいいから人の話に思考を割いてくれないか』


 真剣に注文を考えていたアインは、ため息をつくユウに渋々ながらも何でしょうかと返す。


『あそこのカウンターに座ってる女の人。なんか見覚えないか?』

『……言われると、あるような』


 言いつつアインは額を指先で叩いて記憶を探る。

 首に掛かる程度の長さの黒髪に、オレンジ色のツナギのような上下一体の服を着ている。ツナギの女性で思い出すのはマシーナだが、彼女の髪の色は銀だ。


 それに、活発で落ち着きのない印象だった彼女と違い、席に着いた女性は楚々とした冷静な雰囲気で真逆のタイプに見える。一体どこで彼女を見たのだろう。


「ご注文は決まりましたか?」


 噛み合いそうで噛み合わない記憶に悩むアインの元に、注文を取るべく店員がやってくる。

 アインは一旦思い出すのを諦めて、注文を告げる。


「アップルパイと紅茶を。蜂蜜入りでお願いし……ま……」

「お客様?」


 店員は、注文の途中で目を見開き黙り込んだアインに心配そうな声を掛けるが、彼女は聞いていなかった。それはユウも同じだ。

 蜂蜜、オレンジ、女性、知り合い。そこまで連想できれば、自ずと答えにたどり着く。


「シーナ……さん?」


 呟いたアインの声は、静かな食堂によく響いた。その声に女性は振り返ると、目を丸くして両手で口元を覆った。

 

「アイン……様? 戻られていたのですか?」


 驚きに満ちた声は、しかし再会の喜びにも満ちていた。店主に一言断ることも忘れ、足早に駆け寄る彼女をアインは立ち上がって出迎える。

 その人物は、間違いなくシーナ=ビーネンその人だった。


「ええ、つい先程……ええと、お久しぶりです。元気……でしたか?」

「はい、シーナ=ビーネン。この通り健勝でありました」


 薄く微笑むシーナに対して、アインは落ち着かなさそうに視線を彷徨わせていた。

 何かあったのかと不安そうに訊ねる彼女に、アインは目を伏せて申し訳なさそうに答える。


「その……友人と再会する経験があまり無かったので……何を話せば良いものかと……」

「ああ……では、旅の話を聞かせていただけませんか? ちょっとした出来事でも、私にとってはどんな吟遊詩人が語る物語よりも胸を打つのです」

「その期待に答えられるかはわかりませんが……はい、私もシーナさんの近況を知りたいです」

「では、旅の話と交換ということで」


 待ちきれない様子で席に着いたシーナの瞳は、好奇と情熱で輝いていた。

 それを待たせまいと、対面に腰を下ろしたアインは咳払いする。そして大仰な口調で勿体ぶった語り始めた。


「――これは、東の土地、最初の村で起きた出来事でしゅ」

「……」

「……」


 噛んだのは誰の耳にも明らかだったが、精一杯話を盛り上げようとする彼女の努力に水を差す必要はあるまい。

 言葉にせずとも一致した思考に、ユウもシーナも生暖かい目で体を震わすアインを見守っていた。

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