幕間3 私が彼女に惹かれたワケ 後編

 街外れの倉庫跡。情報はそれだけだったが、さしたる苦労もなくたどり着くことが出来た。

 マッドの奴は、協会だけでなく街でも我が物顔だったらしく、自然と彼が不良仲間と集まる場所も有名となっていたのだ。


 その建物を視認した私は、息を切らしながらも開きっぱなしのドアを目指す。

 民家程度の大きさがある倉庫は、かつては木材等の保管に使用されていたのだろう。だが、ボロボロになって剥がれた箇所も多い木壁は、その面影を僅かに残すだけだ。


 その間近にたどり着くと、怒声がはっきりと聞こえた。アインがまだ辿り着いていない可能性は、潰えたということになる。


 それならば、せめて彼女を逃さなければ。私のツケを、彼女が払う義理なんてない――!


「アイン!」


 私がドアを開けるのと、


「があっ!?」


 吹き飛んできた男が直ぐ傍の壁に叩きつけられるのは、同時だった。


「な、なに!?」


 突然のことに思わず声を上げると怒声は水を打ったように静まり、一斉にその場にいる全員の視線が私に集まる。


「――ラピス?」


 その静寂で最初に聞こえたのは、アインの驚いた声だった。

 彼女は、ガラの悪い男たちに取り囲まれて――いや、違う。十数人の男の内、半数は膝をつくか倒れている。残る半数も、武器を手にして遠巻きにするばかりで近付こうとしない。


 これは……彼らは、アインを追い込んでいるのではなく追い込まれている?


「あの女を捕まえろ! 盾にするんだ!」


 マズイ……!

 悲鳴じみた叫びに男たちは我に返り、二人が私に向かって突っ込んでくる。

 

 詠唱が間に合うか、そもそも俄仕込にわこじこみの私の魔術で倒せるのか。考えても意味がない不安を脳の片隅に追いやり、必死に唱えた魔術を解き放つ。


「食らいつけ、赤の牙!」


 突き出した右手から放たれた二対の牙の一本は、素手の男の太腿を焦がし転倒させる。しかし、もう1本はナイフを持った男に僅かに掠っただけで、構わず突っ込んでくる。


 詠唱はもう間に合わない。素手ではナイフの相手にはならない。暗がりで光るナイフの反射に総毛立った体は、動くことすら出来ず、ただ迫る男を見ることしか出来ない。


 男がナイフを振り上げ、


「ラピス!」


 アインが叫んだと同時に地面から生まれた柱に吹き飛ばされた。

 彼女は、呆然とする私の元に駆け寄り、庇うように前に立つ。


「ラピス、大丈夫ですか! 怪我はありませんか!?」

「だ、大丈夫……」

「危ないですから、私の後ろにいてください。ここは私に任せてください」


 『私だって戦える』『貴方だけには任せられない』『いいから逃げましょう』。

 脳裏に言葉が次々と浮かんでいき、しかし実際に口にしたのは、


「あっ……うん、わかった……」


 そんな弱々しい声だった。

 言い訳するなら、戦うことが怖かったのではない。いや、恐怖を覚えたのは否定しないが、それ以上に私は見惚れていたのだと思う。


 普段は小さく見える彼女の背中は、父の背中のように頼もしく。フードに隠されていた横顔は、俯くことなく真っ直ぐ敵だけを見据えており。鋭く青い瞳は、冷たい怒りと熱い義憤に燃えていた。


 声を掛けただけで子犬のように怯える彼女の姿は何処にもない。今ここにいるのは、敵に対して牙を剥く銀狼だった。


 睨まれた男たちは後ずさり、手にした武器を取り落とす。もはや決着はついたと思われたが、


「なんなんだよお前はよぉ!? 自分がやっていることの意味がわかってんのか!」


 後ずさる男たちの背後から姿を現したのは、逆立てた金髪の男――マッドだった。ポケットに手を突っ込んだまま大股で歩を進める姿は、余裕しか見られない。

 彼は、倒れ伏した仲間を一瞥し、嫌らしい口調でアインに言う。


「誰だか知らねえけどよぉ、この俺に手を出したんだ。どうなるかわかってるんだろうな?」


 アインは、目をより鋭く細めて言葉を返す。


「一応聞いておきますが、ラピスの部屋を滅茶苦茶にしたのは貴方ですね?」

「質問に質問で返すんじゃあねえよ! コミュ障かよテメエはよぉ!」

「……だったら何だと言うんですか」


 僅かに目を伏せるアイン。それに優位に立ったと思ったのか、マッドは得意げに続ける。


「いや? お前が誰かなんて別にどうでもいい。重要なのは、俺は金がある、力があるってことだ。さあ、ここまで言えばわかるよな?」

「いえ、全く」


 刹那の迷いもなくアインは答え、訊ねるように私に視線を送る。挑発や煽りではなく、本当に彼女はわかっていないようだった。

 だが、それを挑発と取ったマッドは、余裕を取り繕うこともできなくなったのかツバを撒き散らして叫ぶ。


「この俺に! 少しでも触れてみろ! こんなチンピラなんかじゃない、もっとヤバい奴らを差し向けることだって出来るんだ!」

「だから?」

「土下座しろ! 許しを請え! 二度と逆らわないと泣いて懇願し――」


 マッドが最後まで言い終えるよりも速く、アインは気怠げに持ち上げた右足で地面を踏み鳴らす。硬質な音が響き、


「ろ?」


 マッドは、地面から突き出た柱に仲間が吹き飛ばされるのを、馬鹿みたいに口を開けたまま眺めることしか出来なかった。


 ものの数秒でこの場に立つのは、アインに私、そしてマッドだけとなる。

 それを理解した彼は、青ざめた顔面を振り乱して悲鳴をあげる。


「お前、お前!? 一体何をしてんだ!?」

「こんな言葉を知ってますか」

「なんだ、なんなんだよお前は!? こんなことをしてどうなると――」

「『死人に口無し』。意味はわかりますか?」


 向かってくるアインから逃れようと、腰が抜けたマッドは這いずるようにドアへと向かうが、生み出された壁に塞がれる。這ったまま壁を乗り越えようと藻掻いていたが、そんな気の長いことをする猶予はもう残っていなかった。


 冷めた瞳で見下ろすアインは、手を伸ばせば届く距離まで迫っていた。背後は壁に塞がれ、マッドに逃げ場は何処にもない。


「悪党を頼るのもいい、父親を頼るのもいい。好きにしてください、ここから生きて帰れたらの話ですが」

「こんなことをして何になるんだよ!? お前に、お前は関係ないだろ!? 意味がない! 何の価値もない!」

「私には関係ありません。ですが」


 泣き叫ぶマッドに、アインは右手を突きつけて告げる。その手には、目が眩むほどの光を放つ魔力球が浮かんでいた。


「私は彼女に借りがあり、そしてこんなことで彼女が傷つく必要はなく、故に借りを返すには絶好の機会。それだけで、私には意味があるし価値がある」

「やめ、やめろ! やめてくれやめてください!」

「貴方は女を屈服させるのが好きと言っていましたが……私は悪党の命乞いを一蹴するのが大好きなんですよ」


 では、さよならです。


 つまらなそうに言い放ち、一切の間もなく光球は放たれる。マッドには悲鳴をあげる暇すらなく、眩い光球は彼へ向かって飛翔し、何かが粉々に吹き飛んだ音が私の耳へと届いた。

 

 からん、と小石が落ちた音が静まった空間に響き、そして次にアインが息を吐いた。ここでの出来事はこれで終わりだと、静寂を取り戻した空間は語っていた。


「ッ! アイン!」


 崩れた壁に埋もれるように弛緩した足を投げ出すマッドの姿に、血の気が引いた私は慌ててアインの元へと駆け寄る。


「ラピス、怪我は?」

「いくらなんでもやりすぎよ! 何も殺さなくても……!」

「こ、殺してはいません。少し脅かしただけです」

「えっ?」


 食って掛かる私を両手で制したアインは倒れたマッドを指差す。

 確かに、血溜まりが出来ているなんてことはないし、両手足も千切れたりしていない。恐る恐る頭を隠す瓦礫をどけるが、そこには白目を剥いて気絶する顔があった。


「もう……脅かさないでよ。あんな顔であんなこと言われたら、誰だって殺ったと思うわよ」

「すいません……中途半端に痛めつけると復讐を考えるかもしれないので……それよりは心を折ってしまったほうが良いと考えたのですが」


 俯き時折こちらの反応を伺いながら弁解するアインは、私が知っているいつもの彼女で、それにひどく安心した。

 私は大きく息を吐き、彼女の髪を両手でぐしゃぐしゃに撫で回す。


「ラ、ラピス? どうしましたか?」

「なんでもない。とりあえず、ここを出ましょう」

「は、はい?」


 彼女は困惑していたが、それ以上は何も言わずに出口へと向かう。私も遅れてそれに続いた。

 

 軋んだドアを開けて倉庫跡から抜け出すと、夕暮れになりだした空が見えた。それをアインと眺めながら、無言で歩き出す。

 倉庫跡から十分離れたところで、アインは見つけたベンチを指さして言う。


「少し休みましょう。私も、その、疲れました」


 私を気遣ってくれているのは、目を逸しているのを見れば一目瞭然だった。

 けど、今はそれに甘えさせてもらおう。気が抜けた体で歩き続けるのは辛かったし、何より彼女と話がしたかった。


 ベンチに二人並んで腰掛け、私から口火を切る。


「まずは、ありがとう。私が原因なのに片付けてくれて。そして、ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまって」

「……お礼も謝罪も不要です。私が勝手にしたことですから」

「それでもよ。だからこそ聞かせてほしいの。どうして私を助けてくれたの? 借りを返す、と言っていたけど私に返してもらうツケなんてないわ」


 動機が義憤なら理解できる。マッドの行いは、悪徳であり怒りを覚えるのはおかしくない。

 動機が同情なら理解できる。あの時の私は、どうしようもなく沈んでいた。


 けど、返してもらう借りがないのに『借りを返す』とは理解できない。だから、これだけは聞かねばならない。


 身を乗り出し顔を覗く私から、アインは目を逸らし、顔を逸らし、フードを被ろうとし――無かったことを思い出したのか手を彷徨わせる。


「その……」


 数秒の葛藤の後、彼女は再び私と目を合わせる。すぐに逸らされてしまうが、少なくとも向かい合おうという意志は感じた。

 私は黙って言葉の続きを待つ。十数秒の沈黙が流れ、ようやく彼女は口を開く。


「ラピスは……私に、その、ご飯を奢ってくれました」

「……はっ?」


 予想外の言葉に脳が理解を拒む。いや、拒んだというか意味を飲み込めなかったというか。

 そんな私に、アインはそうではなくてと大慌てで弁明する。


「言葉足らずでした! それだけではなくて、入会申請の時に私を助けてくれたり……ロクに会話も出来ない私に声を掛けてくれて、時には食事まで誘ってくれて……」

「……」

「それが嬉しかったんです。ラピスにとっては、なんてことない当たり前のことだったかもしれませんが……私には絶対に出来ないことだったんです」


 だから、と彼女は続ける。


「貴方が大切しているものを傷つけられたのが許せなかった。私は策謀なんて扱えませんし、話し合いで解決なんてもっと無理です。なので、こんな形になってしまいましたが……それでも貴方に報いたかった」

「……そっか」


 彼女の行動は、きっと最善ではなかった。今は良くとも、さらなる火種を招くだけかもしれない。

 だけど、そんなことはどうだっていいんだ。見上げた空は少しぼやけているけど、胸には暖かいものが確かにあったのだから。なら、間違いなんかじゃない。最善ではなくとも、気分は最高だった。


「ラピス? どうして泣いて」

「なんでもない! ほら、帰りましょう。それとも何か食べて帰る? 好きなだけ奢ってあげるわよ?」

「いいんですか!?」


 その一言だけで彼女はぱっと顔を輝かせる。まったく、出会った時はこんな単純なんて思いもしなかった。


 尻尾があればはちきれんばかりに振っているだろう彼女に苦笑していると、ふと頭をよぎるものがあった。


「ねえ、アイン。私は怖い?」


 その質問に、アインは意味がわからないと首をひねる。


「そんなわけないじゃないですか。どうしてそんなことを?」

「ううん、なんでもない。なんとなく訊きたかったのよ」


 そうか……では誰にでも話しかけられればああなって、私の誘いを断らなかったのは好意からで――。

 そこまで考えて顔が熱くなったのを自覚した私は、頭を振って熱を払う。


「ラピス? さっきから何か……様子が変ですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫だっての! ほら、行くわよ!」


 私は強引にアインの手を取って歩き出す。自分の顔も見せられなかったし、彼女の顔も見てられなかった。


「ラ、ラピス……もっとゆっくり歩いて……」

「考えとく!」

「考えるだけでは無意味では……」


 アインは死神でもなく、臆病なだけでもなく、ただの少女でもない。コミュニケーションが苦手で大食らいで強くて――表面の冷たさの奥底に暖かさを秘めた少女だった。


 取った手が控えめに握り返してくるのが熱とともに伝わってくる。

 彼女も私と同じ熱を持っている。そんな当たり前のことが、どうしてか嬉しくて仕方がなかった。

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