幕間2 私が彼女に惹かれたワケ 前編

 1ヶ月も過ごせば生活に慣れ始め、関わるコミュニティも増えてくる。

 同時期に入会したメンツだけでなく、講師陣や先輩となる学生、研究に必要な素材を入荷する業者、素材調達を依頼する市民。大小様々な縁が紡がれ、広がっていく。


 それは良いことなのだろう。世界を広げるとは、関わる者を増やすことと同義だ。全ての人は他人と違うものを見ているのなら、それを知ることは世界を知ることだと言える。


 だが、しかし。知りたくもない景色いけんを押し付けてくるものほど、面倒な輩はいないだろう。


 私の対面の席でニヤつくマッドという人物は、そういう男だった。彼は箒のようにツンツンに逆立てた金髪をいじりながら言う。


「だからさ、こんな湿気った建物じゃなくてもっといいトコに行こうって」

「自身のお父様が出資している協会の蔵書室に対して随分な言い方ですこと。貴方にとっても母校のようなものではなくて?」

「はぁ? オヤジが煩いから仕方なく行ってただけだし? まともに話を聞いたことなんてないって!」


 断りもなく対面に座った挙句にこの馬鹿笑いとは。

 私だけでなく周囲の者も不快感を顕にしていたが、面と向かって注意することはなく、足早にその場から去っていく。品性を欠片ほども持たないくせに、金と地位だけはある奴が一番タチが悪いということか。


 私もさっさとここから離れたいのだが、今どうしても貸出禁止本を書き写す必要があるため叶わない。

 今は、腹立たしい雑音を耳にしながら、苛立ちを文字に変換していくことしか出来なかった。


「真面目だねえ。そんなことしたって意味ないのに」


 後数行……数行の辛抱……。


「大体さ、魔術って才能で決まるんだろ? そんなあやふやなものよりもさ、確かな現実と向き合うべきだって」


 良し、必要なところは書き終えた。最後は走り書きだが、致し方あるまい。


「俺は金もあって家柄もある、そしてルックスもイケメンだ。それがリアル! だから、これからすることはわかるだろう?」

「生憎ですが」


 私はマッドの戯言を聞き流し、鞄と本を脇に抱えて席から立つ。

 自分の思い通りになると信じて疑わない顔に向かって、私は言い放つ。


「箒と食事をする趣味はありませんので」


 周囲からは吹き出す声が聞こえ、マッドはニヤケ顔のまま頬をひきつらせていた。

 その反応に幾分か溜飲を下げた私は、何か怒鳴る彼に背を向けその場を後にする。


 蔵書室から廊下へ、そこからさらに建物の外へと出る。中庭の解放的な空気が苛ついていた頭に良く染み渡った。


 まったく、面倒なOBとは何処にでもいるのだな。故郷の学校にも、偉そうに後輩に口出しばかりして煙たがれた奴がいたっけ。


 私は、先程のことと過去をまとめて溜息として吐き出す。昼食を摂るには良い時間だ、気分を入れ替えるにはもってこいだろう。

 

 知り合いがいないかと中庭を見渡したところ、ベンチに黒い人影を見つけた。傍目にもわかる異様なシルエットの正体は言うまでもない。


「おはよう、アイン」


 相変わらず真っ黒の外套を纏った彼女は、私に声を掛けられると電流が走ったように背筋を伸ばし、その拍子に読んでいた本を取り落とす。


「ッ! な、あっ」

「そんなに驚かなくてもいいじゃない」


 はい、と落とした本を手渡すと、ありがとうございますと蚊の鳴くような声が返ってくる。それに私は肩をすくめた。

 こんな態度でも1ヶ月前よりはずっとマシだというのが何とも。無視か遅れて頷くかだったのを思えば、成長と言えるだろうが。


「外で読書なんて珍しいわね。何かあった?」

「いえ……ただ、蔵書室から面倒くさそうな気配を感じて……」

「ああ、それは正解ね。スポンサーのドラ息子がやってきて煩かったのよ」

「そうだったんですか……大丈夫でしたか?」

「平気。そんなことより、ご飯食べに行かない? まだでしょ?」


 アインは、少し逡巡して小さく頷く。


「よし、じゃあ行きましょう。パンにする? パスタがいい? それとも両方?」

「あ、じゃあ両方を」

「……冗談のつもりだったんだけどね」


 苦笑する私に、アインは恥じるように俯いていた。

 アインは見た目の割に――というか並外れて食事を摂るというのも、この1ヶ月で知ったことだった。

 





「美味しかったですね、サンドイッチ。山菜パスタも絶品でした」

「ありがと、私の見る目も中々ね」


 サンドイッチとパスタの両方を味わったアインは、機嫌良さそうに寮への帰り道を歩んでいた。まあ、フードを被っているので表情はわからないのだが、漂わせた雰囲気はそんな気がしたのだ。


 しかし、だから余計にわからない。

 彼女が、私を怖がっているのは話しかけた時の反応やそっけない対応からわかる。なのに、誘えば迷いながらも答えてくれる。怖いのなら断ればいいのに。


 ……怖いからこそ断れないのかもしれないし、そう思いながら接している私が考えるべきではないだろうが。一方的にライバル視なんて、彼女にはいい迷惑だろうに。


 自己嫌悪の溜息がこぼれたところに、


「おっ、ラピスちゃんじゃん。今度はお友達も一緒?」


 追い打ちをかけるように、うっとおしい声が掛けられた。

 片手を上げヘラヘラと笑うマッドを無視したいが、進行方向にいるとあってはそうもいかない。


「どうも、1時間ぶりですね。急いでいるので、これで失礼します」


 私は適当に挨拶をしてマッドの横を通り過ぎようとするが、彼はニヤケたまま行く手を塞いでくる。


「まあ待てよ。ラピスちゃんって授かりしものギフテッドなんだって?」

「……それが何か」

「調子に乗るなよ。テメエが幾ら才能があろうと、潰しちまえばそれまでだ」


 ニヤケ面から一転、マッドはドスを利かせた低い声で言って、睨め付けるように凄んで見せる。

 見た目もチンピラならやることもチンピラか、と内心舌打ちしていると、彼は尚も続ける。


「覚えておけ。あそこ協会は俺の庭だ。何をしようと文句を言うやつはいねえし、言わせねえ。それがわかったら身の程をわきまえるんだな」

「ご忠告どうも。その気遣いが痛み入りますわ」

「ハンッ! もう一つ覚えておけ。俺はお前みたいな女を屈服させるのが大好きなんだよ! 考えるだけでスカッとするぜ!」


 そう言って、マッドは下卑た笑い声を上げながら歩き去っていく。

 それに溜息をついたところで、アインが心配そうにこちらを見ていた。


「大丈夫よ。ああは言ってるけど、口だけに決まってるわ」

「……なら、良いのですが」


 アインは、それ以上言うことはなく、寮まで無言を貫いた。私も、不安がもれるのが怖くて何も言わなかった。


「ねえ、どうする?」

「どうするって……」


 寮のロビーに着くと、何人かの寮生が不安そうな顔を突き合わせていた。いや、不安というより怯えと言ったほうが正しい。


「何があったの?」


 私が訊ねると、一人は目を逸らし、一人は俯く。残る一人は、口ごもりながら階段を指さして言う。


「さっき、マッドさんがいきなり怒鳴り込んできて……『赤髪の女は何処だ』って。ラピスさんは居ないと答えると、じゃあ部屋を教えろって……」

「……まさか」


 嫌な予感に私は階段を駆け上がり、2階奥の自室を目指す。普段はなんてことのない距離が、今は嫌に長く感じた。

 自室前に辿り着いた私は、半開きになった鍵をかけたはずのドアに手を掛ける。胸にこびりつく焦燥を千切り取るように、一気にドアを開いた。


「やられた……」


 強盗に入られたような、或いは嵐が通過したような――表現は何だっていい。確かなのは、悪意を持った人物が部屋を荒らし尽くしたのだということ。


 まだ真新しかったベッドのシーツは泥水を吸って変色し、開け放たれクローゼットからは水を滴らせるブラウスがずり落ちている。床には本の頁が散乱し、悪趣味なラグマットとなっていた。


 その中の1枚を私は取り上げる。もう水で滲んで読めない1枚の紙は、両親から私に送られた手紙だったもの。それを証明するのは、もはや折り目以外には無かった。


「……ッ!」


 床についた手は、八つ当たりのようにふやけた頁を握りしめる。体が震えているのは、怒りなのか、それとも――。


「ラピス」


 静かな声とともに、体に黒い布が掛けられる。俯いていた顔をあげると、アインがこちらを見据えていた。彼女が纏っていた外套は、今は私の肩に掛けられている。

 

「アイン……」


 初めてはっきりと見た彼女の顔から、私は目を逸らす。そうしないと、すぐに溢れてしまいそうだった。

 彼女は、無機質な声で言って私を立ち上がらせる。 


「ラピス、私の部屋で休んでいてください。その間に私が

「……ごめん、少しだけそうさせてもらう」


 いつもアインがそうしているように、私はフードを目深に被る。彼女と違って、泣き顔を見られたくないなんて情けない理由だけど、今はそうするしかなかった。


「ラピスは悪くありません、絶対に」


 そう断言してくれるアインにお礼を言って、通された彼女の部屋のベッドに腰を下ろす。

 部屋から出るまでに何度も振り返る彼女に大丈夫と笑うと、何も言わずにドアが閉められた。


 抱えた膝に顔を埋める。嗚咽をもらすのは5分だけだ。弱音を吐くのはそれだけだ。


 心の内で強がりながら、失ったものとの別れを済ませていく。

 読めない手紙に意味はないし、読み終わった手紙に価値はない。本来なら無意味無価値なものに価値を見出しているのは、私の心がそうしているのだと納得させていく。


 それを何度も繰り返し、涙と嗚咽が収まった私は顔を上げて目を擦る。そして、鈍い足を動かし自室へと向かう。

 アインに任せてばかりはいられない。マッドへの対応だって考えなければならない。これは私が招いたことなのだから。


「アイン、もう大丈夫。後は私がやるから」


 声を掛けるが返事はない。無視、ではない。そもそも静まり返った部屋からは気配が感じられなかった。


「アイン?」


 既に片付けは終わっているが、気を遣ってくれたのか。

 そう考えたが、それはドアを開いた瞬間に否定される。部屋の様子は、変わらず荒れたままだった。


 一瞬、彼女にからかわれたのかと邪推してしまうが、すぐに否定する。アインは、そんなことをする人物ではない。


 では、何故部屋は変わらないままで彼女は居ないのか? 確かに彼女は『私が片付けてきます』と――。


「……片付けてきます?」


 それは、言い方が変だ。この部屋を片付けるなら『片付けておきます』と言うはずだ。

 『片付けてきます』とは、まるでここではない何処かで片付けるような言い方ではないか。何処で何を――。


「ッ! まさかあの子!」


 至った考えに私は突き動かされ、堪らずその場を駆け出し階段を飛び降りるように下っていく。


「アインは!? 何処に行ったか知らない!?」


 ロビーにいた面々に向かって叫ぶと、一人が答える。


「さっきマッドさんは何処に居るかって聞いて……街外れの倉庫跡によく居るらしいって言ったら、飛び出していったけど」


 何故止めなかったという言葉をすんでのところで飲み込む。そんな言葉は、私に言う資格はない。

 

「ありがとッ!」


 形だけでもお礼を言って、私は走り出す。


 アインが、危ない。


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