幕間1 死神と魔女の出会い

「ということは、ラピスさんは授かりしものギフテッドということですね!?」


 魔術の知識はどの程度のあるのかという質問に、多少なら扱えると私が答えると、受付の男は身を乗り出してそう言った。

 突然の声に書類と睨み合っていた職員も顔を上げ、訝しげな視線を送っている。


「その、多少なので余り期待されても困ります」

「っと、失礼。授かりしものギフテッドの方は久しぶりだったもので、つい興奮してしまいました」

「やはり珍しいのですか?」

「自分は5年ほど勤めていますが、ここに来たのはラピスさんが3人目ですね。それだけ珍しいんですよ、学習も訓練も無しに魔術を使えるというのは」

「はぁ」


 受付の男は熱っぽく語ってくれているが、これ以上の好奇の目を浴び続けるのは余り良い気分ではない。

 提出した書類に不備が無いか訊ねると、彼は咳払いして書類をめくっていく。


「度々すいません。問題は……ありませんね、大丈夫です。この後は生活する寮の案内がありますが、ラピスさんはその前に簡単なテストを受けてもらいます」

「テスト、ですか?」

「難しく考えなくても結構です。現時点でどの程度の魔術が扱えるのか見せてもらうだけです。もちろん調子が良くないということなら、お断りして頂いても構いません。魔力の扱いを身に着けていない方は、日によって魔術が使えないということがあるので」

「問題ありません。受けさせて頂きます」

「はい、ではそちらのソファーに座って――」


 書類から顔を上げてこちらを見る男の目が見開かれる。まるで亡霊を視たように怯え椅子ごと後ずさる彼を不思議に思いつつも、私も背後を振り返り、


「ッ!?」


 影が立ち上がったかのように真っ黒な姿に思わず距離を取る。

 ほぼ全身を覆う黒の外套で正確な人相はわからないが、背はそれほど高くなく体格も大きくないことから成人ではない。おそらく若い少年か少女だろう。

 表情は、深く被ったフードのせいで窺うことは出来ない。僅かに銀髪が見えるくらいだ。


 しかし、外見から感じ取れるもの以上に発する空気の方が異様だった。理由はわからないが、敵愾心に似た強い警戒をむき出しにしている。その空気に、カウンター内の職員の一部は距離を取り、或いは立ち上がり臨戦態勢を取っていた。


「……」


 一瞬即発の空気の中、黒い外套の人物は右手を外套内部に滑り込ませる。それに一層職員たちは緊張を強め、


「……えっ?」


 受付は、差し出された入会申請書類に間抜けな声を上げ、次に人物を交互に見やり、もう一度書類を見やる。


「……何か」


 初めて発せられた声は、まだ少女のもの。だが、重く低い声はそれを忘れさせるほどに冷たかった。

 受付は慌てて書類をめくっていくが、その手はすぐに止まる。彼は、猛獣の機嫌を窺う飼育員のような慎重さで言葉を選び、訊ねる。


「申し訳ありませんが……その、お名前が書かれていないので教えて頂けると幸いなのですが」


 その言葉に、黒い外套の人物は体を震わせる。そして、僅かな沈黙の後、


「アイン」

「はっ?」

「アイン=ナット」


 それ以上言うことはないと黙り込むアインと名乗った少女。

 その意味がわからず怯えて困惑し切る受付の男は、周囲に助けを求めるが誰もが一様に目を逸らしていき、最終的にその目は私のところで止まる。


 正直関わり合いになりたくなかったが、それは今更だろう。既に渦中にいるのは明らかで、彼女の話が進まなければ何時までもここで待つことになるのだ。選択の余地は最初から無い。


 内心の動揺と緊張を隠しつつ、私は訊ねる。


「ええと、アイン。アイン=ナット、それが貴方の名前?」


 彼女はゆっくりとこちらに向き直ると小さく頷く。私の方が少し背が高いため、見上げる形となったことでフードに隠れていた彼女の右目と目が合う。

 青い瞳は鋭く細められ、冷たい色を湛えていた。まさしく刺すようなという表現が似つかわしいそれに、怯まなかったと言えば嘘になる。


 けれども、それよりも強く感じたのは"綺麗"という単純な感情だった。冷たいだけではない、別の色が奥底に眠っている。ただの直感で理屈はないが、確かにそんな気がしたのだ。

 硝子玉のように透き通り、清流の煌めきのように輝かしいそれをもっと視てみたいと思った私は、


「私はラピス=グラナート。貴方と同じく、今日からここで魔術を学ぶことになるわ。よろしくね」


 ややもすれば不審者一歩手前の彼女に対して握手を求めていた。

 アインは、差し出された手をじっと見つめていたが、やがておずおずと自分の手を重ねて、


「…………よろしく、ラピス」


 静まり返った室内でやっと聞こえるような声で答える。



 私と彼女アインの出会いは、そのようなものだった。







「寮はこちらになります。私はこれで失礼しますが、何かわからないことがあれば、また受付に来てください」


 寮までの案内を終えた受付の男は、そう言うとそそくさと立ち去る。原因は、私の隣にいるアインだろう。

 その背中を見届けた私は、改めてこれから暮らすことになる寮を見やる。煉瓦で造られた2階建ての簡素な建物で、外見は四角い粘土を積み上げたようなものだったが、


「へえ、結構綺麗ね」


 中に一歩足を踏み入れた私は感嘆の声をもらす。

 最低限の外見からは考えられないほど、魔力の仄かな明かりに照らされたロビーは落ち着いた雰囲気となっている。おそらく手造りだろう木製のテーブルセットに革張りのソファーなど中々の家具が置かれていた。


 見慣れない顔に不思議そうな顔をする寮生に軽く頭を下げ、今日からここで暮らすことを告げると、彼は軽く手を上げて答えてくれた。


「ああ、よろしく。今日は疲れただろうし、ゆっくり休むといいよ……そっちの人? は……?」


 親しげに答えてくれた寮生は、明らかに困惑した様子でアインを顎で示す。

 ここまで一言も声を発していない彼女に代わり、私は答える。


「彼女はアイン=ナットです。少し……だいぶ変わっていると思いますが、悪い子ではないので」


 さっき顔を合わせたばかりの相手を勝手に評して紹介するのはどうかと思ったが、これくらい言わないと向こうも納得しないだろう。


「はぁ……そう、だね?」

「では、失礼します」


 これ以上アインについて突っ込まれても答えようがないので、私は彼女の手を引いて足早に階段へと向かう。指定された部屋は、2階奥の二部屋だ。

 

 伝えられた番号と鍵のプレートナンバーが一致していることを確かめ、ノブに挿した鍵を回す。小気味良い音がロック解除を知らせ、部屋の様子を窺う。


「殆どなにもないわね」


 ワンルームにあるのはベッドと机、クローゼットと最低限の家具だけだ。とは言え、これから自分好みの家具を増やす余地があるということでもある。そう考えれば悪くない。


 寮とは言え一人暮らしと言っても良いのだ。親から離れての生活は寂しくもあるが、楽しみでもある。何もかも自分で決めて行動できるのだから。


 一通り部屋を見たところで、隣から何も物音がしないことに気がつく。彼女は殆ど荷物を持っていなかったが、それでも無音というのは変だ。


 部屋を出てみると、アインはまだ部屋の前に突っ立っていた。

 鍵は手渡したばかりで無くしようがないし、まさか鍵の開け方がわからないということもあるまい。


「部屋はそこよ。何か問題でもある?」


 声を掛けてみるが、彼女はドアを見つめたまま答えない。もう一度呼びかけるが、やはり返事はなかった。


「あっそ、精々風邪を引かない内にドアの開け方を思い出すことね」


 ムッとした私はついそんな事を言って、わざと強めにドアを閉めてしまう。そんなことをしても意味がないというのに。


「一言くらい答えてもいいじゃない」


 自己嫌悪を誤魔化すように、ベッドに寝転んだ私は独りごちた。





 魔術協会と聞くと何やら胡散臭いイメージがあるし、閉鎖的なものと考えるものは多い。私もその一人だった。

 しかし、実際その中に入ってみれば何のことはない。ただの学校と大きな差は無い。教えるものが魔術というだけだ。


「魔術の発展は文化の発展と同義と言える。何時如何なる時も生み出せる火は闇を照らし、外敵から身を護る術ともなった。それによって行動範囲は拡大し、魔術が確立して300年後には現在の活動圏の8割が成立していたと言われる」


 そして、魔術と一口に言っても広範囲に及ぶ。

 現在教壇で講師が説いているように魔術の歴史を学ぶこともあれば、遺跡について学ぶこともあり、攻撃魔術について学ぶことだってある。変わり種としては、魔術を用いた農業という講義もあるらしい。


 これらの講義からどれを学ぶかは生徒次第であり、特定の講義だけを受けに来る者もそれなりにいる。しかし、魔術協会で働きたいのであれば、実質必修となる講義が存在する。


 この歴史講義もその一つなのだが、受講者の大半は眠たそうな顔をしていた。かく言う私もその一人なのだが、前列席ということもあり寝るわけにはいかず、欠伸を噛み殺して耐えていた。


「……」


 ふと隣に視線をやる。席についているのは、相変わらず真っ黒な外套を纏ったアインだ。室内だというのに、フードを被っているせいで表情はわからない。


 わからないのは表情だけではない。寮の部屋が隣同士となり、同じ講義を学んで一週間が経つが、彼女についてわかったことは殆どなかった。

 死神めいた姿や会話した者は殆どいないという話から、『実は幽霊』だの『魔王の力を受け継いだ哀しき宿命の少女』だのと眉唾な噂が飛び交っているが、一つ確かなことがある。


 それは授かりしものギフテッドであり、私と同じく4系統の属性を扱える稀な存在であること。それが受付でわかった時、その場にいなかった職員まで駆けつけるほどの騒ぎだったのだから間違いない。


 その時の正直な気持ちを言えば、『悔しかった』が近いのだろうか。

 特別な存在と自惚れていたわけではないが、魔術は周りの誰もが出来ることではないと自負していたし、誇っていた。だから、アインに負けたくなかった。


 それと、初日の態度がムカついたというのもある。私の何が気に入らないのかは知らないが、無視する必要はないだろう。気に入らないなら、はっきり口にすれば良いのだ。


 声を掛けても無視かそっけない態度の彼女に、自分を認めさせてやる。それが、私の密かな目標だった。


「さて、本日はここまで。次回までに復習しておくように」


 講義を終えた講師は、挨拶もそこそこに教室から去っていく。同時に講義から解放された学生たちは、口々に言い合いながらそれに続いた。昼食前の講義だったため、教室に残って弁当を広げる学生も何人かいた。


 そして、普段は真っ先に教室から出ていくアインだったが、


「珍しいわね。誰か待ち合わせでもしてるの?」


 座ったまま動こうとしない彼女に声を掛ける。

 反応は、無視か首を縦に振るか横に振るかの3択だろうと思っていたのだが、ここでも今日の彼女は違った。


「……その」


 俯きながら囁くような声ではあるが、言葉を返してきたのだ。何を当たり前のことと思うだろうが、彼女の声を聞いたのは初対面以来なのだ。驚くに決まっている。


 そんな彼女が言葉にしたいこととは一体?

 私が固唾を飲んで言葉の続きを待っていると豪快な腹の音が響いた。食事をしていた学生がこちらを向くほどに大きなそれの発生源は、


「…………」


 顔を手で覆って丸まるように俯くアインからだった。


 その事実と初対面から今までの彼女のイメージが噛み合わず、私はどうしたらいいのかわからなかった。

 

「ええと……」

「……」


 意味のない言葉を呟いても解決するはずもなく、俯くアインと向かい合うだけの時間が流れる。

 いっそ聞かなかったことにして会話を進めるべきか、と思ったところで彼女は目を合わせないままボソボソと口にする。


「お金が無くて……それで朝から何も……」

「……食事するだけのお金が無くて、それが原因で朝から何も食べていない?」


 こくんと小さく頷くアイン。半ば呆けたままの私が金欠の理由を訊ねると、


「綺麗な鉱石が売られて……今だけと……それでつい……」

「……綺麗な鉱石が手に入るのは今だけと言われて、つい後先考えず買ってしまった?」

「あ、後先は考えてました……報酬の支払いが明後日だから……それなら耐えられると思って……」


 反論するアインの声は段々と小さくなっていき、最後には消えていく。

 それがおかしくて、私は吹き出してしまう。


「後先は考えたけど見通しは甘かったというわけね」

「うぅ……」

「ふふっ……まっ、そういうことなら隣室のよしみで奢ってあげてもいいわよ」


 そんなことを口走ってしまうほど、私は機嫌が良かったが……何故だろう?

 しかし、それに思い至る前にアインは掴みかかるような勢いで身を乗り出してくる。


「本当ですか!?」

「そ、そこまで喜ばれると困るけど……というか、大きな声出せるのね」

「ありがとうございますラピスさん……この恩は必ず返します」


 深々と頭を下げるアインの姿や、認めさせてやると思っていた相手にお礼を言われた複雑さや、単に照れくさいなどの理由で彼女を見ていられなくなった私は、つい心にも無いことを口走ってしまう。


「別に、貴方のためじゃないわよ。講義中にそんな音を鳴らされたら迷惑ってだけ」

「……すいません」


 しょぼくれた反応に胸がチクリと痛んだ。どうして私は、子どもっぽい反応をしてしまうのか。

 だが、すぐに撤回するのも悔しいというプライドが邪魔して、さらにそっけない言葉を続けてしまう。


「謝ってる暇があるなら早く準備しなさい。ほら、行くわよ」

「ま、待ってくださいラピスさん」


 アインは慌てて鞄にノート類を突っ込み、教室の出口に向かった私を追いかける。その様子は、まるで主人を追いかける犬のようで、噂されているような恐ろしさとは全くかけ離れていた。

 そのギャップと、噂をちょっとでも信じていた自分が馬鹿らしくて、自然と私は笑っていた。


「ラピスさん?」


 追いついた彼女は、私の顔を見て不思議そうに首をひねっていた。それがまた犬らしくて、笑いそうになるのを堪える代わりに彼女の背中を軽く叩く。


「ラピス、でいいわよ。年齢も大して変わらないしょ?」

「ええと……はい、そうですね……ラ、ラピス……ラピス」


 硬いながらも私の名前を呼ぶ声は、何処か嬉しそうに聞こえ、そんな風に思ってしまったことが無性に気恥ずかしくて彼女から顔を背ける。

 しかし、その先の窓には、頬に朱が差した顔がはっきりと映っていた。


「ラ、ラピス? もっとゆっくり歩いても……」


 違う、そうじゃない。彼女に名前を呼ばれたのが嬉しかった、なんて理由じゃない。これは、そう――彼女について知ることが出来たから。ライバルの情報を入手できたからだ。


 ただ、それだけだ。自分に言い聞かせるように何度も私は反復し、


「ラピス!」

「――あっ」


 壁に向かっていることに気が付かず、思い切り鼻頭を痛めることになった。

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