第136話 今は今、明日は明日
「ところで、アインさんはこれからどうするつもりなんですか?」
温泉から上がり縁側で怠けるアインに、冷えた麦茶を運んできたベツは訊ねる。
座布団を枕にしてうつらうつらしている彼女に代わり、呆れた顔をしたラピスが答えた。
「まだ聞き取りだので呼び出されることがあるだろうし、それまではここに居るつもりよ。もちろん宿泊費は払うわ」
「それは要らない……って言いたいんですが、正直有り難いです。何しろ観光客がわっと来るような村ではないので……」
「ただでさえ大飯食らいがおるからのう」
ツバキの言葉にラピスはアインを見やり、ベツはナギハを見やる。
彼女は、ツバキの尻尾に顔を埋めて幸せそうな表情をしていたが、向けられた目に不満そうに唇を尖らせた。
「なんだなんだ。私は食べた分は働くぞ。鹿でも魚でも必要なだけ獲ってくるさ」
「是非そうして欲しい。美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけど、需要と供給が釣り合ってないんだ」
「それは明日からだ。今日は疲れた」
そう言うとナギハは、再びツバキの尻尾を抱いてふかふかの感触を満喫する。今日のことを持ち出されてはベツも強くは言えず、頼んだよと嘆息混じりに言うのが精一杯だった。
しかし、彼女を見る目は優しく、その唇は緩んでいた。
それを微笑ましげに見ていたラピスは、さっきの続きだけどと話を戻す。
「それが落ち着いたら一度ロッソ――西に戻ろうと思う。今回は関わる相手が大きすぎたし、魔術協会にも直接報告したほうがいいと思うから」
「魔術協会に報告……その、やはり泉やナギハのことも報告するんでしょうか」
訊ねるベツの声は硬く、緊張していることが容易に察せられた。
リュウセンの由来となった泉には龍の残滓と思われる力が宿り、それを証明するのがナギハという存在だ。
今回の事件を報告するなら、ミーネが求めた泉の力とナギハを結び付けず報告するのは不可能だろう。
「研究目的の魔術師が泉やナギハを調査するために押し寄せるんじゃないか。貴方の不安はそういうことね?」
「……はい。これまでもそういった方が来てはジョウおじさんが追い払ってきましたが、それは信憑性にかける情報を元に訪れていたからです」
「伝説や伝承を
「協会に報告されるってことは、信憑性が確かなものになる……ってことですよね」
「そうなるわね。言い方は悪いけど、ナギハは絶好のサンプルよ。何しろ龍の力を宿しているとしか思えない人物が、龍の泉を飲んでいたっていうんだから」
「ですよね……」
暗い表情で俯くベツに、ラピスは安心させるような笑顔を浮かべながら続ける。
「心配しなくても、ありのまま報告はしないわよ。確かにナギハはミーネに勝ったけど、その勝ち方だって空を飛んだとか、地割れを起こしたなんて無茶なものじゃない。『日頃から訓練していたので勝ちました』で誤魔化しが効く範囲よ」
「そうなれば、泉の力が本物かは曖昧になるの。しばらくは騒ぐものもおろうが、時間が経てば忘れられるじゃろう」
「それに、私の上司は頼りないけど人情はわかる人よ。騒ぎ立てたくないって意を伝えれば悪いことにはならないわ」
「……ありがとうございます。そういう騒ぎはこの村には似合わないと、今回改めて実感しましたから」
ベツは安堵したように微笑む。後始末のことを考えると楽天的に考えてばかりはいられないが、それでも心配事が解決した彼の表情は明るい。
そうすると、他人の心配ではなく自分の心配が出来る余裕が生まれたラピスが考えることは決まっている。
「アイン、わかってる?」
「うぁ……何が……です……?」
アインは大きな欠伸をしながら体を起こす。未だ眠そうな目を擦る彼女に、ラピスは言う。
「ロッソに戻るってことは、アルカ隊長と今後について話すってことよ? なんだってするって言ってたけど、まだその覚悟はある?」
からかうような口調、しかしその裏に不安を隠しているだろうことはアインにもわかった。
眠気を振り払った彼女は、ラピスの目を見つめ返しながら答える。
「もちろん。忘れちゃいませんよ。ラピスと旅がしたいというのは私の我儘ですから、その責任は果たします」
「……そう。なら、いいのよ。うん、いいの」
改めて自分と旅がしたいと面と向かって言われたのが気恥ずかしかったのか、ラピスはそっけなく言って顔を背ける。
そして、そういう微妙な機微には鈍いアインが顔を覗き込もうとし、
「見るなっての! 少しは察しなさい!」
「す、すいません……努力はしてるんですが……」
「結果にならなきゃ意味ないのよ!」
「いたい、痛いですラピス」
顔面を掴む力尽くの目隠しをされることになる。それにツバキは声を上げて笑い、ユウは呆れていた。
けれど、これでもずっとマシになったのだろうと彼は思う。
自分と出会った頃の彼女は、ただの農夫相手に殺気を向けるような人物で、その前に一人で旅をしていた頃は焦燥と後悔で荒れていたらしい。
それから考えれば、ラピスと向き合えるようになり、必要があれば依頼人との会話もある程度こなせるようになった彼女は昔とは雲泥の差だ。
「1年前よりは遥かにマシだけどね、あんたは反射と本能で動きすぎなのよ! それじゃ動物と変わりないでしょうが!」
「か、考えてます一応……」
「嘘をおっしゃい! さっきも『ラピスが顔を隠したから見よう』くらいで動いたでしょうが!」
「そそそんなことはないありません」
「すぐバレる嘘をつくな!」
姉に叱られる妹か、或いは母親にどやしつけられる娘か。どちらにせよ、世話を焼くのはラピスで振り回すのはアインというのは、ユウと出会う前から変わらない構図らしい。
そんな二人を困ったような半笑いで眺めていたベツは、すぐには終わらないと見てツバキ達に会話先を切り替える。
「ええと、今日は皆さんお疲れでしょうし、明日以降のことは明日に考えましょう。お酒は飲めますか?」
「酒ッ! 良いではないか、こんな良い日は飲まずにはいられんわ」
「そっちの二人も16歳と18歳だ。飲めるよ」
「それじゃあ用意しておきますね。ユウさんは……と、砥石とか要ります?」
「気持ちだけもらうよ。お気遣いどうも」
ユウは苦笑気味に返す。
喋る剣が相手でも客扱いするのは商売人の矜持か、はたまた単に人が良いのか。きっと後者だろう。
「酒か……良いな、騎士団に入ってからご無沙汰だったからな。久しぶりに楽しむとしよう」
「おお、御主もいける口か。アインは弱いし、ラピスは飲まぬでつまらなかったが、今日は楽しめそうじゃな」
「なんと、ツバキ殿もそうなのか。せっかくだ、勝負でもしてみるか?」
「良いぞ良いぞ。たまには派手に飲むのも悪くなかろうぞ!」
「……ほどほどにしておけよ」
早くも酒盛りの予定で盛り上がるツバキとナギハに釘を刺すが、一人は暖簾のごとく躱し、もうひとりはそもそも刺さりそうもない。
内心嘆息して二人から視線を外すと、同じくそうしたベツと視線がぶつかる。
「大変だな」
「大変ですね」
どちらともなくそう言って、
「けど、楽しいんだ」
「ですが、楽しいですよね」
どちらともなく同意した。
それ以上の言葉は今はいらない。彼が言った通り、明日のことは明日考えればいい。今は今という時を楽しもう。
騒がしくも賑やかな縁側から透き通る空を見上げながら、ユウはそう思った。
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