第135話 お湯に流すは過去の行い

「別の世界から意識だけが漂流して、その結果喋る剣になったと……なかなか数奇な運命ではないか」


 温泉に肩まで浸かったナギハは、そんな感想を口にした。


 結局、ユウの正体はナギハとベツに明かすこととなった。流石にあの状況で誤魔化す手段は思いつかず、さりとてアインを可哀想な子にするわけにもいかないので、已む無しと言うべきか。


 剣が喋ることに二人はかなり驚き、とくにナギハは元騎士だけあってか興味津々で、刀身が錆びついているのがわかりながらも試し斬りを切望し、宥めるのにはかなり苦労した。

 彼女曰く、魔剣なら見た目に関係なくスパッと斬れるはずということだったが、樽を片手で放り投げられる力で振り回されるのは勘弁して欲しいというのがユウの本音であった。


 そして、ナギハ達がそんなことで盛り上がっている間にベツは温泉の用意を行い、彼女たちは早速それを満喫しているところである。


「そうですね……たまたま立ち寄った遺跡でユウさんと出会わなかったら、私もまったく違う道を歩んでいたかもしれません」

「それはユウにとってもね。あんたが拾わなかったら、他の誰かに売られてたかもね」

「そ、そうですね……」


 まさにそうしようと考えていたアインは、バツが悪そうに視線を逸らす。その反応から察したのか、ラピスはツバキへ話題を向ける。


「あー、ツバキは良かったの? フクスだって明かしても?」

「んあ? 良いじゃろ別に。それを知ってどうこうする奴はここにおらんよ。それに、せっかくの温泉をリラックス出来ないなどもったいないではないか」


 岩盤に頭を預け、手足を水中にだらりと伸ばしたツバキは心地よさそうに答える。耳も尻尾も隠されることなく、堂々と露出していた。

 その耳と尻尾をまじまじと見つめながらナギハは言う。


「剣が喋ることもだが、ツバキ殿が御狐様というのも驚いたな……むう、その尻尾を触っても良いだろうか」

「構わんが、濡れた今よりも乾かしてふかふかの時のが良かろうぞ。というか、驚いたというわりに驚いておらぬではないか」

「いやいや、十分驚いている。こうして人の前に現れることなど無いと思っていたし、このような少女とも思っていなかった」


 身を乗り出して言うナギハに気分を良くしたのか、ツバキは片眉を上げて訊ねる。


「ほう? ではどのような姿と思っていた?」

「それは決まっている。色々と大きくて色気に溢れる妖艶な女性だ。そこを言うとツバキ殿はぶっ!?」

「馬鹿馬鹿バーカ! 御主とて対して変わらぬではないか!」

「わ、悪かったツバキ殿! 流石に口が過ぎた!」


 顔を真赤にしながらバシャバシャとお湯を浴びせるツバキ。ナギハは平謝りしつつ顔へ掛かるお湯を手で防ぐ。

 なかなか微笑ましい光景である。この場で一番23歳三番17歳に年長であることを考えなければの話だが。


 それをラピス18歳は呆れたように、アイン16歳は我関せずとお湯に体を沈めていた。


「平和ですね……」

「平和ねえ。まあ、沈んでるよりは余程良いけど」

「私はずっと沈んでいたいですね……ふぅ、温泉卵と酒が欲しい……」

「上がってからにしなさいって。ここで酔っ払われたら面倒だから」

「はぁい……」


 ラピスの隣で心地よさそうに目を閉じるアインは、気の入らぬ声で答えると増々お湯に沈んでいく。水面下で揺らぐ体は、本当に溶けているのではと思うほどのだらけっぷりだった。

 それを横目に見つつ、ふと思い出したラピスは言う。


「そう言えば、ナギハはこれからどうするつもりなの?」


 その問いにツバキはお湯をかける手を止め、ナギハの言葉を待つ。彼女は、そうだなと少し考えてから答える。


「とりあえずはこの村にいようと思う。少なくとも今回の一件が完全に終わったと言えるまでは」

「領主お抱えの騎士団、その団長の不祥事じゃしの。余計なちょっかいを出してくる奴がおらんとは限らん。それが良かろうぞ」

「その後は……そうだな、道を造るのも悪くない」

「道?」


 ああ、とナギハは頷いて続ける。


「谷からリュウセンまで続く道だ。今はガタガタの砂利道でも、石畳を敷き詰めれば馬車だって通れるようになる。そうすれば、村も豊かになるはずだ」

「千里の道も一歩から……と。良いではないか、そういう地道な努力こそ報われて然るべきじゃ」

「まだ考えているだけだがな。けど、そうしたい。騎士でなくとも出来ることはあるはずだ」

「立派な考えだと思うわ。立場こそ騎士でなくなっても、心にはしっかりと残っているのね」

「そう言われると照れるが……ありがとう、ラピス殿」


 照れくさそうに笑っていたナギハは、しかしとお湯に溶けるアインを指して不思議そうに訊ねる。


「アイン殿は噂で聞いた話とは別人のようだな。銀髪で少女というくらいしか一致していない」


 その言葉にアインはぴくりと体を震わせるが、聞かなかったことにして空を仰ぐ。青い空が今日も美しい。

 そんな現実逃避をする彼女だったが、ツバキがこんな面白そうな話題を逃すはずもなく、


「ほう? ちなみにどんな噂じゃ?」


 目を輝かせながら先を急かす。ラピスも口には出さないものの、笑いを堪えるように口元を隠していた。


「そうだな……亡霊は寝床に戻る前にアインがいないか確かめる、噛み付いた毒蛇が五日間苦しんだ末に死んだとか……で、風貌は銀髪で両目は赤と青のオッドアイ、それぞれ破壊と再生を司る力を持ち、右手には邪神の力が封じられて……」

「もういい、もういいですから! はいこの話は既に終了しました!」


 羞恥に顔を染めて両手を振り乱すアインに、堪えきれなくなったツバキは大声で笑い出す。

 その反応にナギハは、気まずそうに言う。


「ああいや、私も信じていたわけではない。ないのだが……そう言われるだけの所以があると思っていたんだ。だが、実際は強くこそあれど心優しい少女だった。おそらく悪意を持って風評を撒き散らした者がいるのだろう」

「そ、そうですそうなんです! 逆恨みして適当なデマを撒き散らしている奴がいるんですよ! まったく度し難い!」


 ナギハのフォローに深く頷くアイン。それをラピスとツバキは生暖かい目で眺めていた。


 アインが野盗を退治したことはあるし、そういう連中から逆恨みされている可能性はあるだろう。しかし、本当にそうであるなら恐ろしいものではなく、醜いものとして広まっているはずである。

 そうではないということは、ありのまま語った恐怖体験に尾ひれがついたという証左である。今でこそだいぶマシになったが、不機嫌な彼女は内心以上にそう見えるのだ。そんな彼女に夜、フードを被った状態で襲われればトラウマにもなろう。


 ラピスはそう思ったが、拗ねられても困るので口には出さない。代わりに適当な同意を口にする。


「まあ、そうね。昔から変な噂を立てられるのは得意だったものね」

「うぇっ!? 何故ラピスがそれを……!」


 何故かひどく狼狽するアイン。ナギハとツバキは勿論、その原因になったラピスも首をひねる。


「何故って、寮暮らしだったときからそうでしょ?」

「あっ、昔ってそういう……」


 アインはほっと胸を撫で下ろすが、すぐに表情は絶望へと切り替わる。


「『そういうこと』ではない昔があるとな?」

「そう言えば、アインの昔話って聞いたことがないわね」

「私も気になるな。魔術師の子供時代とはどのようなものなのだ?」


 三者三様の興味津々という視線からアインは目を背けるが、何処を向いても逃れることは出来ない。唸ってみたところでどうにもならず、結局観念するように両手を上げた。


「わかりましたよ……言いますよ。まだ私が10歳位で、故郷の村で過ごしていた時の話です。当時から私は一人で過ごすのが好きな子どもで、その日は近くの山で水晶を探していました」

「ほうほう、それで?」

「運良く大きな水晶を見つけた私は、意気揚々とそれを持ち帰りました。しかし、そこで村の暴れん坊――所謂ガキ大将に絡まれたのです」

「ふむ、ありがちだな。この村にもベツに絡んでくるガキ大将がいたものだ」

「ああ、どこでもそうなのですね。まあ、後は分かると思いますが、彼は私の水晶を取り上げて、しかも落として割ってしまったのです」


 それまでは諦観気味に語っていたアインだったが、当時を強く思い出したのか不快そうに眉根を寄せる。

 腕を組んだナギハは、よく分かると大きく頷いていた。


「ベツに絡んでいたガキ大将もそうだった。自分が偉いと思っているのか、他人を平気で傷つける」

「そう言えば、ベツさんはよくナギハさんに庇ってもらったと言っていましたが、そういうことですか?」


 アインは、谷の道中で聞いた話を思い出していた。バレバレな庇い方ではあったが、それが理由で彼女には頭が上がらないのだと。

 しかし、ナギハは首を振る。


「いや、あいつは自分のものを壊されたり、バカにされた時は自分で立ち向かっていたよ。私もそれに関しては手を出さなかった」

「……『それに関しては』とは含みがあるようじゃが」

「ああうん、ベツがバカにされたの頭に来るが、あいつが自分で立ち向かっているんだ。それを邪魔することはないと思って見守っていたんだが」


 頬を掻くナギハは、明後日の方向を向きながら続ける。


「『あんなチビ女と一緒にいるからお前も弱いんだ!』と言われれば、それは私の問題と言うか……日頃の苛立ちを飛び蹴りという形でぶつけても致し方ないというか……」

「……貴方って、結構やんちゃだったのね」

「うぅ……わ、私の話はここまでにしてだな! アイン殿の話に戻ろう!」


 ラピスからジト目を向けられたナギハは強引に話を戻す。


「えっ、あ、はい。何処まで話しましたっけ……ああ、そうそう。水晶を割られたところですね。私は当然怒りました、泣いていたかもしれません。そんな私にガキ大将は言ったのです。『悔しかったらやり返してみろ』と」

「あっ……」

「ふーん……」


 話のオチを察しだしたツバキとラピスは同情したように目を伏せる。過去の人物を想ったところでどうにもならないが、それでも想わずにはいられなかったのだ。


「それで、どうなったんだ?」


 そして、あまりアインについて知らないナギハは、もっとよく知ろうと彼女に先を促す。

 彼女は、何処か遠い目をしながら言う。


「『これから私は一発だけ蹴りを入れる。怖くなかったら逃げるな』。私はそのようなことを言って、彼もそれを了承しました。そして、私の一撃で彼は大地に伏したのです」

「一撃? 一撃で倒したのか?」

「ええ……男性はわかりやすい弱点があって大変ですね」

「なるほど、弱点を突くのは戦いの基本だ。幼い頃から既に理解していたのだな」

「同時に『言ってわからないやつは力でわからせろ』ということも理解しましたね」

 

 何故かナギハは感心していたが、ラピスとツバキの視線はさらに生暖かくなっていく。

 『子ども時代は人格形成に大きく関わるというのは本当なんだな』とその目は言っていた。


「けど、どんな形であれ私が勝ったことに違いはありません。それに加えて魔術を使えたということもあってか、呪って倒しただのと変な噂を立てられたんです」


 10歳の少女が皆から恐れられるガキ大将を一撃で倒す。

 実際は、彼女がやった通り全くあり得ないわけではないが、それに子どもが気がつくかは別だ。そして人はあり得ないこと、理不尽な事があった時、納得するための理由を求める。

 それにちょうど合致するのが魔術だった。


 当時の私は大した魔術は使えなかったんですけどね。

 アインはそう嘆息する。


「そういうこともあってか、私に関わろうとする同年代の子どもはいませんでした。それは別にいいんですが、そのせいで家族以外と話す経験が殆ど無くて……人見知りはそのせいかもしれません」

「なるほどねえ……昔からあんたはあんただったと」

「三つ子の魂百までということじゃな」」


 アインの昔話は、苦笑気味に言ったラピスとツバキの言葉で締めくくられる。

 その反応にアインは不服だったが、同時に解放感のようなものも感じていた。その理由はわからなかったが、考えればすぐに思い至る。

 

 ああ、なるほど。直近ではない過去を友人に明かしたのは初めてのことで、良い思い出では無くとも共有できたことが嬉しいのだ。そもそも旅を始めるまで友人らしい友人もいなかった。

 けれど、ここには友人がいる。一度はすれ違っても、相棒の助力でもう一度縁を繋げた親友もいる。


 ほう、とアインは息をつく。暖かいのは湯に浸かっているからだけではないだろう。体の外、内だけでなく心が暖かい。

 

「……旅をして良かったと、心から思います」


 自然と溢れた呟きは、誰に言うでもない言葉だった。けれど、それが聞こえたようにラピスは小さく微笑み、ツバキは水面下で尻尾を揺らしていた。 

 明日がどうなるかはわからない。けど、良い旅であることを祈ろう。


 静かな祈りを浮かべながら、アインはお湯に沈んでいき――、


「ところで、どうしてアイン殿は旅を始めたのだ?」

「えっ」


 ナギハの素朴な疑問に体を硬直させる。

 訊ねたナギハに悪意は全く無いのだが、よりにもよって恥ずかしい理由メイドカフェが嫌だったのそれをどう答えるべきか、アインは視線を右往左往させる。


 が、吹き出したラピスは顔を背けて笑いを堪えるに必死。ツバキは素知らぬ顔で口元までお湯に浸かっていたが、溢れる泡からニヤけているのは明らかだった。


「それは……その……」

「魔術師ということは、修行の旅? それとも世の人を助ける救済の旅だろうか?」

「いや、そんな立派なものでは……」

「むう、謙遜しなくてもいいだろう。アイン殿は間違いなく立派な人だ。それはここまでで十分にわかる」

「え、ええと……」


 無邪気に実態よりも高いハードルを設置するナギハに、アインは冷や汗を流しながらも、どう答えれば格好がつくか思考を巡らせていた。

 しかし、自分一人ではそんなことは出来ないとすぐに結論が出る。そんな事ができれば、そもそもここには居なかっただろう。


 結局アインに出来ることは、空を仰いでここにはいない相棒に助けを求める念を飛ばすくらいだった。

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