第134話 正しさというもの

「まあ、ひとまずはこれで終わりかの」


 宿の縁側に座ったツバキは、空を見上げながら言う。ぼんやりと気が抜けてしまった目は、空の青さだけを映していた。

 そうですね、と隣に座るアイン目を閉じ、顛末を思い出す。




 決闘は、ナギハの勝利という形で終了した。末端の一人に過ぎない彼女が団長であるミーネを下すという下剋上に観客は湧き上がり、二人の健闘を称える言葉を何度も口にしていた。

 その大歓声の中、目を覚ましたミーネは広場を埋め尽くす群衆に向かって告げた。


「私は、罪を犯した。私というたった一人の我が身可愛さのために、あらゆる他人を踏みにじった」


 彼女は淡々と自らの罪を告白していった。ナギハの故郷を思う気持ちを利用したこと。村長を煽り獅子身中の虫に仕立て上げたこと。嘘の物語でベツを騙そうとしたこと。そして、決闘という大義名分を用いてナギハを亡き者にしようとしたこと。


 それらの告白を聞き終えた群衆たちはざわつき、動揺していた。決闘中の叫びと照らし合わせればミーネが言っていることは理解できる。しかし、それでも大半の者は、それを信じられないようで彼女に向かって否定を求めた。群衆だけでなく騎士たちも加わって何度も掛けられる声を、彼女は無言で唇を噛んで聞き続けた。それが彼らを裏切った罰だというように。


 やがて動揺が収まりつつあった時、ミーネはふらりと歩き出した。慌てて行き先を訊ねる騎士に、彼女は静かな――けれど確固たる意思を持って答えた。


「領主の元だ。私の罪に相応しい罰と償いが必要だ」


 騎士団本部から去ろうとするミーネは、最後に振り向きベツに支えられたナギハを見やる。


 ――お前は間違えるな。


 無言の目は、そう言っているように思えた。


 


 剣撃の残響は目を開くと同時に薄れていく。それでも、二人の意地と誇りを賭けた決闘は胸の中に高揚感を残していた。


「私達は見ていただけですが、それでも相当疲れましたね。正直、ミーネが勝ってもおかしくない勝負でした」

「むしろ、そうならなかったのがおかしいと言うべきじゃな。ナギハが相手でなければ勝っていた」

「けど、結局勝ったのはナギハだ……本人がどう思っているかは、わからないけど」

「……そうじゃな」


 ユウの言葉に、ツバキは嘆息する。その表情は、空とは不釣り合いに曇っていた。

 ミーネが自己保身だけを考えた――リュウセンの村長な――人物であれば、そうではなかったのだろう。或いは、自分を悪と思わない邪悪であれば、ざまぁないと笑っていられた。


 だが、彼女は期待に答え続けようとした、ただの人間だった。傷つき衰える体で民衆の偶像アイドルで在り続けようとした騎士だった。何のためにそうしていたのかを見失い、誤った手段を選ぼうともそれは否定できない。


「だからと言って、見逃すわけにはいきません。ナギハが言った通り、罪には違いないのですから」


 そんなユウとツバキの感傷を、アインはぴしゃりと切って捨てる。

 それは確かに正しいが、ツバキは簡単にそうと飲み込みきれなかった。


「それはそうじゃが……ナギハは騎士団を辞めると言うし、もっと上手いやり方があったのではと思ってしまうのじゃよ」

「辞めなくてもいい、とベツも説得はしたんだけどな。全然聞き入れる様子がなかった」


 ナギハ曰く、ミーネの行いが罪だと言うならそれに加担した自身も罪がある。そのけじめはつけなければならない。

 ベツだけでなく、ツバキにラピスも加わってその必要はないと説得したが、彼女は頑として聞き入れず、結局根負けしたのだった。


 その彼女は、今は別室でラピスに髪を整えてもらっている。かなり派手に髪を斬られてしまったため、切り揃える必要があったのだ。

 そろそろ終わった頃だろうかとユウが考えていると、背後から襖が開く音がした。


「アイン殿にツバキ殿、ここにいたか」


 襖から顔を覗かせたナギハの髪は、肩につくかどうかという長さにまで短くなっていた。斬られた右頬には、大きな絆創膏が貼られている。


「ナギハさん、動いて平気なんですか?」

「大した怪我はしてないさ。この通り、首もしっかり繋がっている」

「頬の傷は大丈夫か? 深そうに見えたが……」

「こちらも問題ない。綺麗に斬れたから同じく綺麗にくっつく。痕も残らないだろう」


 そうか、と安心したようにツバキは呟く。ユウも傷が残らないと聞いて安堵する。男性だろうが女性だろうが、痕が残らずに済むならそれにこしたことはない。


「隣、良いか」

「ん、ああ。構わん」


 ナギハは、ツバキの隣に腰を下ろすと息を吐き、空を見上げる。彼女はしばらくそうしていたが、不意に独りごちるように口を開いた。


「今回の一件で、貴方達が気に病むことは何もない。私もベツも貴方達も、正しいと思ったことをしただけだ」

「正しいか……果たして本当にそうだったのか。今回は偶々上手くいっただけかもしれん」

「かもしれないな」


 ナギハは、ツバキの沈んだ声にあっさりと同調する。しかし、その表情は曇ってはいない。


「けど、正しさという点でなら団長殿も変わらない。手段を間違えてしまったが――人のために生きるという正しさを無くしてはいなかった。その点では安心したと言えるな」

「安心?」

「そうだ。だってほら、人のために生きようとして今回の事件を起こしたと言うなら、それは結果を間違えてしまっただけだ。少なくともその出発点は間違いじゃない。私が憧れた彼女の在り方は、間違っていなかったんだ」


 強がりではなく、本心からの思いを口にするナギハ。彼女はさらに続ける。


「だから、これで良かったのだと思う。私は騎士では無くなり、彼女も団長では無くなるだろう。けど、私はここにいて、彼女も必ずやり直せる。無くしたものは少なくないけど、手にしたものはそれ以上に掛け替えのないものだ。なら、それで良いじゃないか」


 そう言って笑うナギハは、空と同じく晴々とした顔でツバキを見やる。見つめられたツバキは、しばらく考えるように俯いていたが、やがて顔を上げると、


「うむ、そうじゃな。過ぎ去った過去を想うよりも、今と明日を笑って過ごした方が楽しいだろうよ」


 チラリとユウを横目に見て笑う。先程まであった凝りは解消され、代わりに達成感が彼女の心を満たしていた。

 そんな彼女にアインとユウが安心したところに、


「ああ、全員いるのね。ちょうどよかった」

「皆さんここにいましたか。少し早いですが、お昼にしましょう」

 

 今度はラピスとベツの声が背後から聞こえた。振り返ると、おにぎりとお茶を載せたお盆を持った二人がこちらにやってくる。

 ラピスから湯呑を受け取ったアインは、不思議そうにおにぎりを指さして訊ねる。


「これはコメですか? どうしてコメを丸く?」

「そうすると携帯しやすく、手に持って食べやすくなるんですよ。中に色んな具材も入れられますしね。それに、こういう所で話しながら食べられますから」

「成る程……」


 アインがおにぎりに興味津々な一方で、ナギハは別の疑問を訊ねる。


「それはいいが、昼には早いんじゃないか? 私は一向に構わんが」

「ああ、それはこっちの都合というか……早くアインさん達のために温泉を沸かしたくて、簡単に作れるおにぎりにしたんだ。これなら好きな時に食べられるしね」

「なんだ、まだ上手く温泉を沸かせなかったのか? やっと親父さんに怒鳴られなくなったと思ったのに」


 昔を思い出したのか、からかうように言うナギハ。


「そうじゃないって。アインさん達は元々温泉に入るためにここに来たんだ。けど、今回の事件があったせいでそんな暇は無くて、ただのお湯で我慢してもらってたんだ」

「……そうだったのか。申し訳ないことをしてしまったな」

「気にするでない。そうしたいと思ったからそうしただけじゃよ。なぁ?」

「そういうこと。それよりも、ツバキを褒めてあげて。最初に貴方達を気にかけたのは彼女だから」


 ラピスは意地悪っぽく言って微笑む。普段の意趣返しとばかりの彼女の言葉に反論しようとするツバキだったが、


「ありがとうございます、ツバキさん。本当に……ありがとうございました……」

「私からも言わせてくれ。ありがとう、ツバキ殿。こうしていられるのも貴方のお陰だ」


 ベツには上ずった声で、ナギハには真正面から感謝の言葉を述べられ、思わず言葉に詰まる。

 彼女は、何か言おうと口を開いたり閉じたりしていたが、結局何も言えずラピスを睨む。だが、その頬が赤くなっているせいで迫力は無いに等しかった。


 ベツは目を擦ると、ラピスに深く礼をする。


「ラピスさんもありがとうございます。割に合わない依頼にも関わらず、受けて頂きありがとうございました」

「だからいいってば。そういうのは、一応リーダーのアインに纏めて言ってちょうだい」

「はいっ。アインさん、本当にありがとうございました」


 照れくさそうなラピスに言われた通り、彼はアインに礼をするが、


「ッ!? すっぱ……!? な、なんですかこれは!?」


 当の本人は、梅干しの酸っぱさに目を白黒させており全く話を聞いていなかった。

 ユウは、内心溜息をつきつつも彼女に代わって返答する。


「……お気になさらず。二人が言った通り、そうすべきと思っただけですから」

「っげほ、そうです。それに、背中を押してくれたのはユウさんですし、私だけで決めたことじゃありませんよ。そうですよね?」


 むせていたアインは息を整えると、腰に提げたユウに対して極当たり前のように訊ねる。

 言い訳をするなら、彼女は事件が解決し気が抜けたところに食事が加わったことで注意力が散漫になっていた。そこで話の流れを理解しないまま、とりあえず聞こえた言葉に答えた結果が現状である。


「……えっ?」

「んっ?」


 しかし、そんなことはベツとナギハには関係がない。同じ声同士で会話してるように聞こえ、その一人は剣に向かって訊ねるという異様な光景に顔を見合わせていた。

 状況がわかっていないアインは二人の顔を交互に見やり、次にラピスとツバキを見やる。ラピスは大きな溜息と共に顔を手で覆い、ツバキは呆れたように肩をすくめていた。


「……あっ」


 そこでやっと状況を理解した彼女に、ユウは遅えよとボヤくようにツッコんだ。

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