第133話 決着の刻
街の大通りはどよめきに包まれていた。誰が命令したわけでもなく、歩む人々は足を止めては端に寄って道を空けていく。
人の波を割って進むのは、騎士たちに取り囲まれた一団だった。先頭に立つナギハは堂々とした態度で前を見据え、その背中にアイン達が続く。
「どうなってんだ? ナギハは街から逃げたって聞いたが……」
「連行、じゃねえよな。おい、あの最後尾の担架に乗せられてるのって」
「副団長……? 何があったの?」
どうやら罪人であるはずのナギハが騎士に護衛されるように街へ戻ってきたことに、人々は驚いているようだ。あれだけ大騒ぎの中抜け出したのだから当然ではあるが、話が広まるのが早い。やはり、まともに争っては勝てない勝負だっただろう。
『まだ勝てると決まったわけじゃないのが辛いところですね』
『そうだな……ここからはナギハとミーネ次第ですべてが決まる』
ユウは、視線をナギハの背中からその先――騎士団本部へと向ける。後数分で到着するそこでミーネは待ち構えているだろう。
そして、その時は訪れる。
先導していた騎士の足が止まり、これまでの通行人がそうだったように左右に退いていく。どよめきはいつの間にか消え去り、出来た道の先に立つものに視線が集まっていた。
「……やはり来たか、ナギハ」
そういうミーネの声は、泰然とした静かなものだったが、抑えきれない興奮からか唇の端が吊り上がっていた。こうなることを期待していたかのような彼女に、ナギハは臆すこと無く告げる。
「ああ、自らの過ちと貴方の過ち。その両方の清算のためにここに来たのだ」
「その方法は?」
「決まっている」
言葉とともにナギハは剣を抜き放ち、切っ先をミーネへと突きつける。
「『剣での決闘』! それが流儀!」
「――それでいい。そうでなくては面白くない」
愉悦に顔を歪めるミーネ。その表情から感じる仄暗い炎に、思わずベツはナギハへと駆け寄るが、彼女に制止される。
「心配するなベツ。お前はここまでよくやってくれた。後は私に任せておけばいい」
「……ああ、そうだったね。ナギハ、必ず勝つんだ」
「言われずとも、だ」
ナギハは薄く微笑み、ミーネへと向き直る。その表情に迷いはなく、鋭い目は目の前に立つものを敵と定めていた。
その目を真っ向から受けるミーネは、闘志と敵意を隠すこと無くぶつけ返す。
「覚悟は良いか?」
「言われるまで無く」
「ならば来い! 騎士団団長の剣閃をその身で味わえ!」
ミーネはそう告げ、マントを翻し敷地内の広場へと向かう。ナギハはその背を無言で追い、一度は追放された敷地に今一度踏み入った。
普段は騎士たちが訓練を行っている広場の中央に数メートルの距離を取り、ナギハとミーネは立つ。
片やナギハは飾り気のない長剣を一振り腰に提げ、防具は両腕につけた篭手のみ。片やミーネは豪奢なエングレービングが施された鎧を身に着け、長さの違う細剣を左右それぞれ一振りずつ提げている。
武器も防具も体格も立場も年齢もまるで違う騎士の決闘の始まりを、事態を飲み込み始めた野次馬達は人垣を作りながら待ちかねていた。その人垣に押されながらも最前列を確保したアイン達は、固唾を飲んでそれを見守っていた。
「私が勝ったなら、貴方の罪を認めてもらう」
「私が勝ったなら、貴様の罪を断罪しよう」
「――いざ」
「――いざ」
剣を抜き放ったナギハは正面に剣を構える。
ミーネは長い細剣を右手に、やや短い剣を左手に持ち両腕を広げた悠然とした構えを取る。
それだけで空気は一変し、騒いでいた野次馬の声も徐々に消え去っていく。凪いだ海のように静まり返り、聞こえるのは僅かに吹く風だけとなる。
「……あっ」
誰かが声を上げ、一際強い風が吹く。それが合図だったように、
「いざ勝負!」
二人が叫んだのも距離を詰めたのも同時。一瞬の後、金属がぶつかりあう甲高い音が響き渡る。
ミーネはを十字に組んだ剣でナギハの剣を受け止めていた。ナギハは上から押し切ろうとするが、力を込めきる前に剣を弾かれやむなく距離を取る。
「相変わらずの力押しだな。技を学べと教えられなかったのか?」
「付け焼き刃の技で勝てると思うほど甘く見てはいない。それに」
ナギハはミーネから目を外さないまま、訓練中用の補水樽の元へ素早く移動する。中身が空でも数十キロ、満杯ならその数倍の重量となるそれの縁にナギハは左手を掛け、
「これが、私の持ち味というものだ!」
引っこ抜くようなアンダースローで軽々と投げ飛ばす。ほぼ水平軌道で宙を舞う樽という光景に、野次馬たちは悲鳴じみた歓声を上げた。
龍の力を宿していることを知っているユウとアインも、予想を超えた光景に驚愕していた。
「なんつう馬鹿力だ!」
「まさかここまでとは……!」
同時にユウは納得もしていた。
何故、ミーネが泉の力を信じるようになったのか。その答えがコレだ。あの体格では考えられない力を発揮するのを見ていれば、手に入れようと考えるのは何もおかしくない。
「チッ!」
迫る樽を、ミーネは右にステップを踏んで躱す。背後から聞こえる悲鳴を無視し、接近し再び振るわれるナギハの横薙ぎの一撃を受け止めた。
鍔迫り合いが続けば、疲れ知らずのナギハに対して常人のミーネは不利となる。上手く力を受け流し受け止めている攻撃も、疲労が蓄積されればどうなるかはわからない。
ナギハの狙いはそれなのだが、
「鬱陶しい!」
ミーネは押し込まれる力を逆に利用し、円の動きで後方へと受け流す。つんのめる形となったナギハの背中を二振りの刃が襲いかかる。
「ッ!」
刃が肉に到達する寸前、彼女は自ら前に跳び転がるように距離を取る。背の代わりに犠牲になった黒髪が羽毛のようにミーネの足元に散らばっていた。
ミーネは、散らばる髪を踏みにじりながら、膝をつくナギハを嘲笑う。
「情けない格好だな。土に塗れた惨めなその姿を見て、誰が騎士と思うだろうか」
「誰も思わないだろうな」
ナギハは立ち上がり、小さく息を整えて答える。後ろで纏められていた髪は乱れ、長さも不揃いの不格好なものとなっていた。
服についた土を払おうともしない彼女は、当たり前のことを答えるように続ける。
「もう騎士ではないのだからな。それに、これくらいしなければ貴方には勝てない」
不格好であることを認めながらも、恥じる気は一切ないというナギハ。
そんな彼女に対してミーネが見せたのは、
「ああ、本当に貴様は……」
美しい花へ向けたような穏やかな微笑みであり、
「――私を苛立たせるのが得意だ」
その存在を許すことが出来ないという憤怒であった。
もはや誤魔化すことも隠すこともしない生の感情に当てられた野次馬の一部が小さく声をもらす。
「貴様は若い。その若さ故に何もわかっていない」
「急に何を……それに私は23だ。若人を気取る年齢では」
「若造が年寄りを気取るんじゃあない!」
一喝に言葉を詰まらせるナギハ。ミーネは、ふつふつと湧き上がるような感情を言葉へと変えていく。
「ああ、そうだ。何もわかっていないからそんなことが言える。日に日に衰えていく肉体を知らないからそんなことが言える。今日出来たことが明日も出来るとは限らないということを知らないからそんなことが言える。成長が終わり、老いが始まる恐怖を知らないからそんなことが言えるんだ!」
「貴方は……」
「誰もがそうであれと望んだ! 誰もがそうであり続けろと願った! 美しく強い騎士団長を! ならば、答えるしかないだろう! それが力あるものの責任なのだから! だというのに、貴様は!」
怒りと悔しさを滲ませたミーネは、剣先を突きつけ吠える。
「貴様は、私を否定した! 私と同じ女でありながら、私よりも若く強く……そして老い無いなど! 私が『私』である理由を奪った!」
「くっ……!」
素早い踏み込みから振るわれた右の袈裟斬りをナギハは何とかいなすが、息をする間もなく左の剣が閃き、それを防いでも再び右から刃が襲いかかる。
矢継ぎ早に繰り出される刃に一転して防戦となったナギハは距離を取ろうと剣を弾きに掛かるが、
「年老い、剣も衰えたミーネ=ハットリは民衆の望む姿か!?
「くそっ……!」
力任せに作り出した距離は瞬く間に詰められ、再び剣の雨が降り注ぐ。
身体能力では圧倒的に上回るはずのナギハが押されているのは、磨き上げられた技量と経験の差。そして、
「私は、決してただの
剣に込められた執念と言うべきそれは、質量以上に剣の重みを増していく。流麗な剣捌きなど影もなく、感情の叫びに応えるように振るわれる剣は受け止めるナギハを追い込んでいく。
「ッ! そこだ!」
追い込まれながらも一瞬の隙を狙った突き――そうナギハが考えていた行動は、ミーネには想定済みのものであり、あっさりと左の剣で弾かれ切っ先は虚空を穿つ。
がら空きになった胴体に鈍い痛みが走り、肺の空気が吐き出されたと思うと同時に体は後方へと吹き飛ばされていた。
「がはっ……!」
蹴りを入れたミーネは、激しく咳き込みながらも何とか立ち上がるナギハをじっと見下ろしていた。先程の激情は鳴りを潜めていたが、目には未だ苛立ちが浮かんでいるのが見える。
「もういい、これまでだ。これ以上見苦しい姿を晒す必要はない。立ち上がるんじゃない」
「それは出来ない……ふぅ……私はまだ負けてない。腕は動くし、脚も動く。剣もまだここにある。むしろ諦める理由がない。それに、貴方がそうであるように私にも応えなければならない者がいる」
「何だと?」
「私を信じてここまで連れてきてくれた人達がいる。幼馴染もいれば、昨日顔を合わせたばかりの旅人もいる。だが、私を想ってくれるという点では等価だ」
「たったそれだけのために、まだ泥にまみれるというのか?」
「たったそれだけで十分だろう? 騎士とはそうであり、そうあるべきだと教えてくれたのは貴方だ」
その言葉にミーネは肩を震わせる。彼女を見るナギハの目にあるのは憎しみではなく、憧憬だった。
「やめろ! 貴様は憎むべき敵で、私は憎まれるべき悪だ!」
その目から逃れるようにミーネは叫び、剣を振るう。しかし、ナギハは静かに首を振って否定する。
「だとしても、入団を目指した切っ掛けは貴方であることに変わりない。貴方が老いようと、衰えようとも変わることもない」
「何を……!」
「もう怯えて走り続ける必要はない。もう止まって休むべき時が来ている」
「……ッ! だったら、証明してみせろ! 私よりも強いということを、ナギハ=クドウ!」
「言われずとも!」
これが最後の激突となる。言葉にせずとも誰もが理解し、ただ目の前の光景を焼き付けようと瞬きもせず注目していた。
3歩、2歩、1歩。二人の距離が徐々に縮まり、そしてゼロとなる。
「砕くッ!」
気合とともに振るわれたナギハの刃は、ミーネではなく彼女が右手に持つ細剣が狙いだった。ナギハの力と剣自体の耐久の差からして、まともに受ければ細剣は折れる。
そうなれば残る一振りで剛剣を受けきることは不可能。身体能力で押し切ることが出来る。武器を奪うという単純かつ強力な戦術だったが、
「だから貴様は単純だというのだ!」
それ故にミーネに読まれていた。激突の瞬間に引かれた剣は触れ合いながらも致命的な衝撃にはならず、逆に絡みついたように刀身に纏わりつく細剣にナギハの体は引きずられる。
このままでは無防備な背中に剣を突き立てられる。それを避けるためには剣を捨てなければならない。だが、そうなれば素手となったナギハに勝ち目はない。
剣を選ぼうと選ぶまいと終点は袋小路の選択。そこに追い込んだとミーネは確信していた。
だが、ナギハは、
「それでいい!」
引きずられた瞬間には自ら剣を手放していた。追い込まれてから選択したのでは間に合わない――最初から決定済みだった行動にミーネは動揺し、隙が生まれる。
「なっ!?」
「チェストォ!」
渾身の力で放たれた右手刀は、ミーネが右手に持つ細剣を根本から叩き折る。剣が上げた断末魔に彼女の動揺は収まるどころか増していく。
「なぜ、何故だ! どうしてそうも簡単に捨てられる! 何故!?」
「騎士であることが、私の全てではない!」
素手でありながらナギハは怯むこと無くミーネへと向かっていく。
それは、人並み外れた力があるからというだけではない。例え傷ついても守りたいものがあり、果たさなくてはならない責任があるという意志が彼女を突き動かしているのだ。
「それは、貴方もそうだ! 強いこと、美しいこと、団長であることが貴女の全てではない!」
やはり、私は――。
「ッ! まやかすなァアアアアアッ!」
脳裏に浮かんだ思考を掻き消すようにミーネは叫び、元凶であるナギハを穿たんと左の剣を引き絞る。
ナギハも同じく硬く右手を引き絞り、意識を集中させる。野次馬の歓声も、ミーネの叫びも、ベツの声も聞こえなくなった世界で目標だけを見据えていた。
そして、剣と拳が放たれたのは同時。二つが交差した刹那、肉と骨が軋む音が嫌に響き渡った。
「……」
ナギハの右頬は真一文字に斬り裂かれ、流れ出た血が首筋を汚している。首を僅かには動かせば触れる距離には、血に濡れた刃が存在した。
「……ぁ」
小さくうめき声をもらしたのはミーネだった。刃と交差したナギハの拳は、彼女の左頬を完璧に捉えていた。これ以上の戦闘が不可能であることは、焦点の定まらない目が無情に物語っていた。
ナギハは、腕を引いて距離を取る。もはや自身を支える力も残っていなかったのか、ミーネは崩れ落ち膝をつく。
「……私の勝ちだ」
静かに勝利を告げるナギハを半ば意識を失いつつあるミーネは見上げる。
「……ああ。やはり、私は」
朦朧とした声でミーネは呟く。
ナギハの姿は、全身は土に汚れ、頬から流れた血で右肩口はひどい有様だった。髪も乱れ、ずたずたに斬り裂かれた後ろ髪は見るに堪えないだろう。騎士の証である剣すら手にしていない。
だが、美しいと感じた。いや、認めることが出来た。がむしゃらでも、泥に汚れようとも人の想いを背負って戦う彼女を。
かつては、自分もそうしていたはずなのに。そうでありたいと思っていたのに、いつしか無くしてしまったものをミーネは羨ましそうに見つめていた。
「――私は、間違っていたのだな」
穏やかな表情で呟いたミーネの意識は途切れ、体は地面に向かって倒れていく。
「いや……貴方は見失っていただけだ。間違っていたとしても、それは目的ではなく……手段だった」
ナギハは倒れゆくミーネを抱きとめ、慈しむように告げる。そして、転びそうになりながら駆け寄るベツに向かって微笑んだ。
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