第132話 架けた橋を越えていけ
朝の空気は冷たく澄んでいる。それは、ようやく太陽が登りだしたばかりというのが理由ではないだろう。今日は穏やかな風の中を進むアインの心理が、そう感じさせているのだ。
普段と変わらず眠たげに目を覚まし、いつも通りに朝食を摂って身支度をしていた彼女の表情に緊張は見られない。だが、気を抜いているわけでもないという理想的な状態だった。
それはアインと並んで堂々と進むナギハも同じだ。迷いを感じさせない背中にツバキ、ラピス、ベツが続く。一人緊張気味のベツの手にはロープが握られており、それは村長と野盗達へと繋がっていた。
「くそっ……なんで私が……」
「行動の責任ですよ。貴方達には一体何をしていたのか証言して貰わなければなりません。それと、余計な口と動きがあれば……わかってますね?」
愚痴る村長に振り返ったアインは冷たく言って、喉元を指で指す。そこには、雑に石を紐で括り付けたチョーカーが巻かれている。
彼女の言葉に卑屈な顔をしていた村長は、顔色を青ざめさせガクガクと頷く。同様のチョーカーが巻かれた野盗たちも似たような顔をしていた。
『効果絶大だな』
その様子を見てユウは呟き、出発前のことを思い出す。
――魔力を飛ばせば石は爆発する。死にはしないが、喉が丸々吹っ飛ぶので死にたくなるくらい辛くなる。それが嫌なら真実を大衆の前で明らかにしろ。そうすれば悪くはしない。
反抗的な野盗達に対して、アインは石が爆発するところを実演し、そう言い放った。
実際に首に巻かれた石は、何の魔術も込められてないただの石なのだが、命を引き換えに試す度胸があるわけがない。お陰でここまでトラブル無く来ることが出来た。
トラブルと言えば、とユウは視線をツバキへと移す。
昨晩は涙まで見せた彼女だが、今日はいつもと変わりない。少し心配していたが、これなら大丈夫だろう。
ならば、今心配すべきは――。
「あれは……」
ナギハが呟き、ユウは視線を正面へと戻す。
その視線の先には、革鎧を纏い盾を構えた騎士による三重の壁が作られていた。一つしか無い谷の出入り口は完全に封鎖されている。
「ああ、来てくれましたかナギハ=クドウ。お陰で手間が省けます」
その先頭に立つ糸目の男――バッツは近づいたナギハを認めると気さくな声をかける。
緊張した様子の騎士たちと対称的な態度に話が通じるかも、と期待するユウだったが、
『いえ、アレは話し合いをする気はさらさらありません。むしろ今すぐ剣を抜きたくて堪らないってところでしょう』
アインの指摘に考えを改める。なるほど、言われてみれば柔和な表情は不自然過ぎるほどに変わらず、同行者のアイン達には一切見向きしていない。彼が見ているのはナギハだけだ。
彼女もバッツの内心に感づいたのか、剣の間合いから数歩離れたところで立ち止まると、腰に提げた剣に左手を添えながら言い返す。
「生憎だが、降伏するつもりはない。企みに加担したのは罪だが、謂れ無い罪まで背負う気は無いよ」
「加担? 謂れ無い? おかしなことを言いますね。まるで首謀者は別に居るとでも言いたげだ」
「その通りだよ。副団長の貴方なら知っていると思うが、敢えて言わせてもらおう。今回の一件の首謀者は団長殿――ミーネ=ハットリだ」
はっきりと断言したナギハの言葉にバッツは顔色一つ変えず、背後の騎士たちは僅かに動揺しただけだった。予め彼から言い含められていたのかもしれない。
これで崩れれば儲けものだったが、そう上手くはいかないか。内心舌打ちしつつも、ナギハは更に続ける。
「彼女の目的は、リュウセンの泉だ。龍の力が宿るという泉を我がものとするため、村長の我欲を煽り、村のためだと虚偽を弄し私を共犯者に仕立て上げた。その事実を明らかにするためにも、こんなところで立ち止まってはいられない」
「なるほど、後ろの奴らはそのための証人ですか。そんなものを用意したところで無意味ですがね」
「貴方に心配してもらう必要はない、そこを退け。私は団長殿と剣を交える必要があるのだからな」
「……あの人を、団長と呼ぶ資格は今の貴方には無いでしょう」
紳士ぶっていたバッツの声が、苛ついたものへと変わっていく。開かれた目は無知を蔑むようにナギハを見下していた。
そうだな、と短く答える彼女に増々彼は苛立ち気に頭を振ると、剣の柄に手を掛け一気に引き抜く。鞘よりもさらに細い刀身は、冷たい空気を切り裂くような異様な雰囲気をまとっていた。
それに応えるようにナギハが柄に手を掛けたところで、
「どうでもいいですけどね、邪魔なのでさっさと退いてもらえませんか」
それを制したアインは一歩前に出ると、つまらなさそうに言い放つ。水を差されたナギハは訝しげな表情を、バッツは鬱陶しそうな表情で彼女を見やった。
「アイン殿、一体何を?」
「ナギハさんの目的はミーネとの決闘でしょう。こんな噛ませの相手をしている暇は無いはずです」
「だが……」
「心配無用です。魔術師の私が剣を振り回すしか脳がない相手に負けるわけありません」
アインは、鼻で笑いながら刺々しい言葉をバッツに突き刺していく。彼の表情こそ変わりないが、激しく苛立っているのは騎士が思わず後ずさっていることから察せられた。
そう彼女が言っても、責任感からか下がろうとしないナギハだったが、
「まあ、ここはあやつに任せい。あの程度の相手には負けんよ」
「そうそう。あんなほっそい剣なんて5秒でへし折られるわよ」
「ツ、ツバキ殿? ラピス殿?」
二人はバッツに聞こえるような声で言いつつ、ナギハを両脇から抱えて引きずるように下がらせる。アインと目があったラピスは目配せし、彼女は小さく頷いてバッツへと向き直る。
「聞いた通りです。ナギハさんが相手をするまでもありません。噛ませ程度、私で十分です」
「……愚かだ。その慢心と傲慢は実に愚かだ。私に勝てると思っていることも、あの方に勝てるなどと思い違っていることも」
バッツの開かれた目は鋭く、声は荒々しく変貌していた。おそらくこれが彼の戦士としての顔なのだろう。団長に仇なす者であれば、誰であろうと斬り捨てる。そんな昏い意志を感じさせる。
おそらく、初めてミーネと対面した時もそうだったのだ。もしミーネに敵意を向けていれば、その理由など関係なく刃を向けただろう。腹黒と評したアインはあながち間違いではない。
そんな彼女は場違いなまでに軽い口調で答え続ける。ユウは、何も言わない。言う必要がない。
「ふぅん。では、貴方に勝ったのならミーネに決闘を申し込む権利があるということですね。良いことを聞きました」
「そんなことはあり得ないが、万が一勝てたのなら進言してやろう。だが――」
バッツの体が沈み込み、弾いたような速度で一気にアインへと迫っていく。
「現実は、罪人の名を読み上げることになるだろう!」
「それは夢を見過ぎというものです!」
吼え返したアインは、大地に右手を触れさせる。瞬間、脈動した大地から十数の土の柱が生まれ、バッツに殺到していく。丸太のように太いそれは、ただの剣で斬るには余りに無謀。折れはせずとも刀身を捕られ、そのまま押しつぶされるのがオチだ。
よって、バッツが取るべき選択は一度距離を取ること。そのはずだったが、
「はぁ!」
彼は、その場に留まり手にした細剣を振るう。一閃、二閃と銀の軌跡が鋭く描かれる度に柱は切り裂かれ、ただの土塊へと還っていく。背後の騎士たちが、おお、と感嘆の声を上げてその光景を目にしていた。
最後の柱が切り裂かれ、振るわれる剣が止む。周囲には土の山が出来上がっていた。
わざとらしく息を吐いたバッツは、肩をすくめて言う。
「魔術師と言うから期待していたというのに……土魔術とは地味なものを使う」
「……地味と言いましたか」
聞き捨てならないと噛みつかんばかりの怒りを見せるアイン。バッツの活躍に湧いていた騎士たちも、思わず黙り込んでしまうほどだ。味方のはずのベツですら、一歩引いていた。
その怒りにバッツは冷笑で答える。
「何度も言ってやろう。炎のように鮮やかでもなく、水のように清らかでもなく、風のように爽やかでもない。質素素朴と言えば聞こえは良いが、その実ただ陰気臭いだけの魔術だ」
「だったら、派手な魔術を見せてあげますよ! その目に焼き付けろ! そして死ね!」
ストレートな敵意に満ちた言葉を叫んだアインは、伸ばした両手を正面に突き出す。それぞれの手のひらに小さな光球が生まれ、大きさを増した二つがさらに巨大な一つの光球へとなっていく。普段アインが放つ光球が野球ボールなら、これはバスケットボール並だ。
大きさに比例し光量も増していくそれを前に、バッツは眩しげに目を細めるだけで動こうともしない。ただ見下した笑みを浮かべる彼に向かって、アインは魔術を解き放つ。
「クリア・エクスプロージョン!」
放たれた大光球は、何かに触れた瞬間に魔力の奔流をもって周囲に破壊を巻き起こす。
それを本能的な危機感で察したナギハは、逃げるんだと騎士たちに叫ぶがもう遅い。大光球は、バッツが袈裟斬りに振るった刃に触れ――。
「……そんな」
愕然とした声を上げたのはアインだった。
何も起こらなかった。刃に斬られた大光球は、最初から存在しないものだったかのように宙に霧散し消え去っていた。
爆発どころかそよ風すら巻き起こらず消え去ったそれを探すようにアインは視線を彷徨わせるが、何度も見たところで結果は変わらない。彼女はよろめき、膝をつく。
「騎士は魔術師に勝てないとでも思ったか? そうだとすれば、救いがたい愚か者だな」
膝をついたアインを見下ろすバッツは、これみよがしに細剣を突きつける。彼女は、地面に手をついて俯いたままだった。
その剣を見たラピスは、驚愕した表情で叫ぶ。
「まさか……その剣は魔術を掻き消す力があるの!?」
「その通り。どれだけ強大な魔術であろうと、この魔剣で切り裂けぬものはない。魔術師にとっては大敵というわけだ」
自らの獲物を誇示して見せるバッツ。陽光を浴びた刀身は妖しく光を照り返していた。
バッツの言葉にラピスとツバキは、現実から目を背けるように頭を抱えてその場に蹲る。
「そんな剣があるなんて……最初からアインに勝ち目は無かったのね……」
「もう駄目じゃ、おしまいじゃあ……逃げるんじゃ……勝てるわけがない……」
「二人が信じてやらずにどうする! 勝機は必ずあるはずだ!」
「そうですよ! アインさんならきっと……!」
焦りを滲ませながら二人を叱咤するナギハを、バッツは声を上げて笑う。
「つまらない相手に命運を預けたものだ! 同じ女性、同じ騎士と言えど団長殿とはまったく次元が違う! いや、もう騎士ですら無かった!」
「くっ……」
「さて、どうしますか? 勝ち目が無いのはよくおわかりでしょう。これ以上は時間の無駄です。そうですね、大人しく降参するなら貴方達は見逃しても良い。ナギハとそこの男さえいれば良いのですから」
未だ俯いたままのアインに、バッツは余裕からか口調を戻して告げる。ナギハは唇を噛むことしか出来ず、ベツもそれを止めることは出来なかった。
勝利を確信した男からの通告に、アインはゆっくりと顔を上げ、
「そうですね、時間の無駄です」
冷めきった――しかし怒りに満ち溢れた声にバッツは剣を構えようとするが、その手が動くことはない。
それは、手だけではない。両足も大地に深く突き刺さった根のように固く、身動ぎすることさえ出来なかった。
「な、にが……があああああ!?」
右手首に走った激痛に剣を握り続けることが出来ない。息と共に苦痛の声をもらし、剣が手の中から滑り落ちる。
バッツは歯を食いしばり、激痛を堪えながら視線を右手に向ける。その原因を目にし、驚愕に目を剥いた。
「腕……!? 地面から、いや……土が腕に!?」
「貴方が調子に乗って斬っていた土ですよ。お陰で手間が省けました」
皮肉げに言うアインの手から魔力は大地へと伝わり、そこから斬り裂かれた柱に仕込まれていた宝石へと導かれる。
魔力を受けた土は、彼女の意志のままに操作され、バッツの両足を覆い尽くした土で拘束し、生み出した腕は万力のような力で手首を締め上げたのだ。
「あれは演技だったのか!? わかっていたのか!?」
「ええ、その剣と似たような鎧を見たことがあったので。ですよね。ラピス、ツバキ」
「まあね。見た瞬間に嫌な感じが蘇ってきたもの」
「あれだけ挑発したのだから考えがあるのだと思うてな。どうやら正解だったようじゃが」
先程まで蹲っていた二人は、何事も無かったように立ち上がると肩をすくめて言う。その変わりように呆けていたベツだったが、もしかしてと呟く。
「最初から気がついていたから……わざと挑発していたんですか? 彼に勝てば決闘の場を用意させるという言質を取るために……」
「なに? 何を言ってるかわからんぞベツ」
「最初から『勝ったらミーネと決闘をさせろ』と言っても首を振らない。けど、魔術師に有利な武器を持った相手を魔術師だと強調して挑発すれば、彼だって黙っていられない。アインさん達はともかく、君は約束を守るだろうから勝てば面倒が省けるからね」
「ああ、なるほど……私も騙されていたのか。見事な策略だ」
感心するナギハに、アインはありがとうございますと言って、バッツを睨みつける。拘束から逃れようともがく彼の背後には、成人男性程度の大きさをしたゴーレムが立っていた。
「貴方の負けです。約束は果たしてもらいますよ。無論、騎士が約束を違えるなどありえませんね?」
「……当然だ。お前たちがどれだけ汚らしい存在だろうと、約束を違えるなど騎士の名折れだ」
「ふむ。貴方達も今の言葉を聞きましたね!」
急転する事態についていけず呆然としていた騎士たちは、アインの声にも反応できなかったが、彼女が掲げた光球を見るやいなや慌てて頷き出す。
それを見て頷いたアインは、バッツの背後に立たせていたゴーレムの両腕を彼の胴体に回してから両足の拘束を解く。
「何を……」
背後からゴーレムに抱えられる形となったバッツは、その理由がわからずにいたが、
「では、貴方が気絶しようがもう関係ないですね」
アインの怒りが消えていない瞳に全てを察し、弁解の言葉を叫ぼうとするが、強く胴体を締め付けられ代わりにうめき声が溢れる。
「散々土魔術が地味だの陰気だのと……人が気にしていることをずけずけと言い放った報いを受けろ」
背後へと引きずり込まれるような力がかかり、バッツの視界からアインが消え、次の瞬間に見えたのは青い空だった。瞬きすら間に合わないほどの時間の中で、その景色はやたらにゆっくりと見え――刹那、後頭部に凄まじい衝撃が走り、視界は暗黒へと切り替わった。
まるでアーチ橋のように滑らかな曲線を描いて地面へと叩きつけられたバッツに、誰もが言葉を失う中で、
「見事な
ナギハは一人ズレた感想を口にしていた。
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