第130話 溢れる信頼と溢れそうな涙
「ふむ、どうやら諦めて退いたようじゃな」
ジョウの宿の一室、その端で鈴の付いた枝を手に目を閉じていたツバキは呟き、小さく安堵の息を吐く。
その言葉に、固唾を飲んで見守っていたベツも胸をなでおろしていた。
「良かった……これで一日は稼げますね」
「そうじゃな。宝石によって増幅した魔術で冷気を生み出し、谷の風で吹き散らす。ついでに水気も帯びさせれば、防寒具無しでは厳しかろうよ」
「土壁も何枚か設置しましたし、今日は心配せず休みましょう。勝負は明日ですね」
アインの言葉に一同は頷く。
一先ず危機は去ったが、あくまでそれは一時的なものだ。これから先どう対処するかについて話しあう必要がある。
まず何から考えるべきか、とアインが思ったところで、ナギハは気まずそうに挙手する。
「まあ、なんだ。勝負は明日というのであれば、今は明日に備えて英気を養うべきだろう。端的に言うと空腹で死にそうだ。なので、ベツ。何か作ってくれ。それも可及的速やかに」
「了解。皆さんの分もすぐ用意しますのでお待ち下さい」
苦笑して部屋から厨房に向かうベツの背中に、ナギハは悪いなと呟くと気怠げに壁にもたれかかる。着替える気力もないのか、半袖の肩に浴衣を引っ掛けただけというラフな格好だ。
その様子に独房でなにかあったのかと心配そうに訊ねるラピスに、彼女は苦笑いで答える。
「いいや、何もないよ。ただ、独房の食事は量が少なくてね。燃費の悪い私には二日程度でも酷だったというだけ」
「燃費が悪い……」
ラピスは呟き、アインに視線を向ける。ツバキもユウも自然と彼女に目を向けていた。
「な、なんですか。私は普通ですよ、ベツさんの料理が美味しいから箸が進むだけです」
「普通ねぇ」
「我らとベツの食事を足しても敵わぬ量を食べるのが普通とは、随分と高いハードルじゃな」
「わ、私のことはいいじゃないですか。それよりも、ほら……ナギハさんに訊くことが何か、こう、あるでしょう」
相変わらず話の切り替えが下手くそだな、と嘆息するユウ。
そんな雑な形で話を向けられたナギハは、静かに笑いを噛み殺していた。
「いや、失礼。大したことには答えられないが、私が答えられることであれば何でも聞いてくれ」
3人を見回すナギハ。
では、と最初に口火を切ったのはツバキだった。
「今回の一件の首謀者について訊きたい。御主を誑かしたのはミーネで間違いないか?」
「そうだ。リュウセンの未来を考えればそうすべきだと言われた。正直、疑わしくはあったが団長殿の言葉を無碍に否定するわけにもいかず、村長の嘆願もあったせいで断る気にはなれなかった」
「けど、その村長は自身の地位を得るための内通者だったと」
「らしいな……後で一発入れておこうか」
「その必要はなかろうよ。ベツが代わりにやっておったぞ」
不機嫌そうに眉を寄せたナギハだが、その言葉に表情を和らげる。そうか、という呟きは何処か嬉しげだった。
その今までの無表情無感情とは異なる顔を見せた彼女に、アインは少し驚く。
『怖い人だと思ってましたけど、そうでもないんでしょうか?』
『……お前も人のことは言えないと思うが。まあ、敢えてそうしていたってことなんだろう。"自分は敵"って言い方をしても"ベツは敵"とは言わなかったし、悪者ぶろうとしていたっていうか
『大人なんですね。見た目は……まあ、若いですが』
オブラートに包んだ感想を内心浮かべるアイン。
とは言え、それも無理はない。背の低さは既にわかっていたことだが、無表情故にわからなかった顔つきの幼さも、はっきりと感情を示したことで鮮明になっている。大方の者は10代と判定を下すだろう。
一方で纏った雰囲気は性格と積み重ねた年月のせいか、落ち着き払った静かなものである。口調もやや男性的だ。
それがあどけなさの残る表情と合わさり、不思議な色気を醸し出している。同僚の騎士も落ち着かなかったのではなかろうか。
「けど、周りは男ばかりで大変だったんじゃない? 舐められることもあったでしょう」
同じ女性で部下を持ったこともあるラピスは、そう訊ねる。若干18歳ながらもエリートコースを歩んだ彼女は、周囲から羨望と嫉妬に晒されることも多かった経験からか、その声はナギハを気遣うようなニュアンスが含まれていた。
「大変では無かったかな。わかりやすい制度があったお陰でその手の手合は、すぐに関わらないようになった」
「わかりやすい制度って?」
「決闘だ」
あっさりと言い放たれた物騒な単語に面食らうラピス。その反応に、ナギハは慌てて付け加える。
「ああ、誤解しないで欲しい。別に命を掛けて行うようなものじゃない。あくまで便宜的にそう言われているだけだ」
「というと?」
「そうだな、例えば机に置いてあった自分のパンを横取りされたとしよう。当然食べられた側は怒るが、食べた側も『そこは共有スペースでメモも書かず置いておくのが悪い』と言うだろう。話し合いで解決できればいいが、感情的な二人にはそれが難しい。そんな時は、剣で勝負を決めるんだ」
「それは……ちょっと乱暴じゃないかしら? 論理ではなく腕っぷしで正しさを得るんでしょう?」
ナギハはその答えを予想していたのか、悪戯っぽく口の端をあげて続ける。
「と、思うだろう? だが、これが案外上手くできていてな。頭に血が登ったままでは勝てないし、ならばと冷静になれば決闘をしていることが馬鹿らしくなる。大抵はその場の勢いで決闘をするものだから、どんな結果になろうとそれで落ち着くんだ」
「禁じるのではなく、枠を決めた上で喧嘩をさせるというわけか。なるほどのう」
要は、不満が溜まり切る前に行うガス抜きということなのだろう。ツバキは感心したように頷いていた。
「とまあ、そんなこともあってか一週間もすれば絡んでくる奴はいなかったな。だから、特別苦労したつもりは無いさ」
「一週間で? どうやってその短期間で信頼を得たの?」
「そうだな……アレは確か、入団して二日目のことだったか。ガラの悪い騎士に絡まれたんだ」
腕を組み懐かしげな目をするナギハ。ただ思い出語りをしているだけ――そのはずなのだが、妙にひりついた感覚を覚えるのは何故なのか。
アインとラピスは無意識に後ずさり、ツバキは怯えたようにアインの袖を掴んでいた。
体の無いユウも感じる圧迫感めいたものは、ナギハが語りを進める度に増していく。
「『おいおいここはガキの来るところじゃないぜ? どうせコネで入ったんだろうが、おチビちゃんはさっさと家に帰んな! それとも、俺の槍で足腰が立たなくなるまで可愛がってやろうかギャハハハ!』。いきなり彼はそう言ってきたんだ」
淡々と続けるナギハだが、おそらく一字一句違わない台詞を口にしたことから凄まじい怒りが読み取れる。そう、ただ思い出しただけでコレなのだから、実際の現場でどうなったかなど想像するに容易い。
それはわかっているが、聞いた手前訊ねないのも不自然と、ラピスは若干引きつった表情で訊ねる。
「えーと……それでどうなったのかしら」
「彼が望んだ通り、馬乗りになって
誇るでもなく吐き捨てるようにナギハは言って、向けられた視線と部屋の空気に気がついたのか慌てたように弁解する。
「い、いや本当にバラしたわけじゃないし後遺症も残してないぞ? いつの間にかいなくなっていたが、私から圧力をかけたりもしていない! そ、それに私は無作法な者に然るべき方法で答えただけで、礼には礼で答えるぞ! 誰にでもそうするわけじゃない!」
「……信頼を得たのではなく、ビビられただけでは」
「否定はしない! しないが、それだけではないはず! 『真面目に働いてくれるからいつも助かる』とか『例えると鈴蘭みたいだな』と褒められたこともある!」
半ば自らに言い聞かせるような勢いでナギハは言う。
思い出した怒りよりも暴力的な人間と誤解される方が嫌だったのか、目をあちこちに彷徨わせながら必死に言い訳を重ねる姿は、初対面の時からは想像も出来ない。
けれど、こうしているのが本来の彼女なのだろうとユウは思う。
今までのベツに向けた言動は不本意なもので、その枷からようやく外れることが出来たのだ。まだ予断を許さない状況ではあるが、ここまで到達することが出来たのは喜んでもいいだろう。
しかし、何故彼女は鈴蘭に例えられたのだろうと思っていると、
『たぶん、鈴蘭は小さくて綺麗な花を咲かしますが、葉には猛毒が含まれているので……そういう意味かと』
『……迂闊に口にすると危険ってことか』
そういうことです、とアインが呟いたところで襖が開かれる。
「お待たせしました、ってナギハ? お腹が空いてる割に元気だね」
顔を出したベツは、身を乗り出してまくし立てるナギハを見て首をひねっていた。
「ご馳走様。ベツの料理は相変わらず美味いな」
空になった食器を前に手を合わせたナギハは、満足そうに息を吐く。久しぶりに見るリラックスした様子の彼女に、ベツは笑い返した。
「それは良かった。食後のお茶は何が良い?」
「緑茶、と言いたいところだが、その前に大事な話を済ませよう」
そう言って姿勢を整えるナギハ。その意図を察したベツの顔に緊張が走る。
今この場ですべき話など一つしか無い。彼女は、アイン達に正座して向かい合い、ゆっくりと口を開く。
「まず、アイン殿らには礼を言いたい。自らの危険を顧みず、私を助け出してくれたこと。誠に感謝する」
「い、いえそんな別に大したことでは……」
「いいや、それだけの価値があることだ。少なくとも私とベツには」
ナギハはそこまで言うと、一旦目を伏せる。僅かな逡巡の後、彼女は目を上げて言う。
「助けてもらって図々しい申し出だが、団長殿との決着は私がつける。いや、つけなければならない。だから、アイン殿にはそのお膳立てをお願いしたいのだ」
「決着って……まさか」
「ああ、そうだ。騎士の決着の付け方など一つしか無い」
まあ、私は元騎士だがな。自嘲気味に言うナギハの言葉を受け、ユウはどうすべきかを考える。
彼女は、剣と剣による決闘で決着をつけようとしている。普通に考えれば、あまりいい手とは言えないだろう。何故なら、決闘の勝敗と主張の正当性は何ら関係がないからだ。騎士が羨望を浴び、その道が尊ばれた時代はとうに過ぎているだろう。
『敗者は全ての真実を明らかにする』という条件をつけたところで、ミーネがわざわざ決闘を受ける必要など無い。立場と後ろ盾を考えれば、じわじわとナギハを押しつぶすだけでいいのだ。それに音を上げても、逃げ出してもミーネの勝利となる。
だが、それはあくまで理屈であり――それも一側面に過ぎない。
「悪くはないと思います。こちらが証拠を突きつけた上で決闘を申し出てミーネが断れば、後ろめたいことがあるのかという邪推は避けられない」
「それに、こちらは下っ端騎士だがあちらは団長。勝って当然の相手から逃げるのかと煽れば、受ける気にさせられるかもしれん」
アインとツバキが指摘する通り、ミーネの立場と後ろ盾は逃げ場を塞ぐ壁にもなり得る。
そして、その壁は彼女の心にも間違いなく存在する。
「具体的な理由まではわからないけど、ミーネはナギハのことを妬んでいる。なら、そんな相手からの挑戦を逃げるわけにはいかないでしょうね。他ならぬ彼女のプライドがそれを許さない」
「受けざるを得ない状況まで持っていけば、自供を条件とした決闘を受けさせることも現実的になりますね」
決闘まで持ち込むことは問題ない。後は、その当事者の心次第だ。
「ふむ、ナギハは本当に良いのか? 元とは言え上官に刃を向けることになる。騎士には不名誉なことになるが」
気遣うツバキの言葉に、ナギハは首を横に振る。
「私はもう騎士ではなく、ただの女だ。それに、なんと理由をつけても不正に加担していたというのは覆しようがない。ならば、せめてその責任をとって真実を明らかにするのが私の役目だろう」
凛とした瞳でツバキを見つめ返すナギハ。それは、無表情無感情のために考えることをやめた時とは違う。自らの意思で選択し、道を選んだものの目だ。
それにツバキは頷き、続いてベツに訊ねる。
「御主らだけなら逃げ出すことは十分可能じゃ。幼馴染を、名誉と未来を掛け金にする鉄火場に送り出しても良いのか?」
答えをわかっていながら訊ねる彼女にベツは苦笑しながらも、彼ははっきりと思いを告げる。
「それこそ今更ですよ。僕が言ったところで彼女が聞くわけも無いですし、村を放り出して逃げ出すなんて出来るわけがありません。それに」
「それに?」
「――勝てるとわかっている勝負から逃げるほど、僕はビビリじゃないですよ」
何を不安に思う必要があるのか。
寸分たりとも揺らぐこと無く信頼を言葉にしたベツに、ツバキは一瞬あっけにとられ、
「ぷっ……くはははは! 言うではないか! まったく、いい男になるぞ御主は!」
「ど、どうもってそんなに背中を叩かないでください、いたたっ」
「なに、遠慮するでない!」
彼女は尚も上機嫌にベツの背中を叩き続ける。
アインは止めたほうが良いのかとラピスを見やり、彼女は肩をすくめてそれに答える。ナギハは、少し熱くなった頬を冷ますように手の甲で撫でていた。
「何も心配する必要は無かったな! 余計なお世話だった!」
それまでの空気を払拭するような笑い声が響く中で、しかしユウには気がかりなことがあった。
ツバキは心から笑い、心から喜んでいる。それは『良い結末を迎えて欲しい』という願いが叶いつつあるのだから当然だ。
しかじ、それなら何故――その目は今にも溢れ出しそうなほどに涙を湛えているのだろう。
「うむ、御主らは幸せになれ! 二人でのう!」
そう上ずった声で紡がれた言葉は、拭い去った悲哀が染み込んでいるように思えてならなかった。
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