第129話 鎧を切り裂くは不可視の刃
「皆さん、無事ですか?」
一切の光が無い空間にアインの声が反響し、遠ざかって消えていく。空間の左右は手を添えるのがやっとという狭さで、天井もアインが頭を下げないとぶつかってしまう高さしか無い。
アインは暗闇の中、本能的に前へと手を伸ばし、
「んっ?」
人肌のように暖かく羽毛布団のように柔らかくあり、しかしレアの肉にナイフを通すときのような手応えもあるこれは――。
「ばっ!? どこ触ってんのよ!」
アインがその正体を悟る前に、ラピスは裏返った叫びを上げながら暗闇に向かってストレートを放つ。
「あぶなっ!? ちょ、ラピスさん落ち着いてください!」
「おお、なかなか鋭い一撃」
めちゃくちゃに振るわれた一撃はベツの頬を掠め、彼はその場に倒れ込む。ナギハは、それに対して呑気な声で批評をしていた。
「……御主ら、今は騒いでる場合ではなかろう」
そんな騒ぎの中、ツバキは一人呆れたように言うと手のひらに青白い輝きを放つ光球を生み出す。その光に周囲が照らされ、空間の様子を把握することが出来た。
上下左右は剥き出しの土で形成され、前方には光が届きらないほどの道が続いていた。赤い顔で胸を抑えていたラピスが闇に向かって光球を放るが、その先にも闇はまだまだ続いている。
それを目にしたナギハは、驚愕と感心の声を上げる。
「これは、トンネルか? いつこんなものを?」
「昨日、本部を訪れたときだよ。アインさんが魔術を使って一気に掘ってくれたんだ」
「その日の内にこれで逃がす算段でしたが、ベツさんが『無理やり連れ出しても納得しない』と反対したんです。けど、無駄にはなりませんでしたね」
「おかげで助かったわね。それで、このトンネルは何処まで続いてるの?」
「街の外です」
さらっと答えるアインに、ラピスは頭痛がするように額を抑えながら改めて問い直す。
「……昨日のうちに街の外にまで続くトンネルを掘ったの?」
「はい。独房から直線距離に適当な空き家があればよかったんですが、見当たらなかったのでそのまま伸ばしました」
「……ここから外までは結構な距離だったと思うけど」
「そうですね、大きな街ではありませんがそれなりの大きさです。結構疲れました」
「結構ってあんた……」
呆れと戦慄混じりの呟きをもらすラピス。
穴掘りの魔術は土に干渉する魔術では初級であり、難しい魔術ではない。しかし、簡単であることと持続して唱え続けられるかは別の話だ。素人でも一回の素振りは容易いが、それを1万回行うのは熟練者でも手こずるように。
自分だったら半ばに到達すること無くバテていただろう。そう自己分析したラピスは、少し疲れただけで成し遂げたアインを誇りに思い、
「ラ、ラピス? か、髪が乱れますからそんな風にしないで……」
「褒めてるのよ。大人しくされなさい」
小さな嫉妬を込めた手で銀色の髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。
それを微笑ましげに眺めていたツバキは、表情を引き締めると全員に確認するように言う。
「とりあえずここから外に出るが、その後はリュウセンに向かうしかあるまい。何処に行こうと、騎士団はナギハの所在を訊ねに村へ行くじゃろうからな」
「そうなるな。私がいなくなればそれを口実にされかねない。何としてもそれは阻止しなければ」
「けど、騎士団は100人近くから構成される集団です。幾らアインさん達が強くてもその数には……それに、勝てたとしてもナギハの無実を証明することにはなりません」
ベツの言う通り、この事件はただミーネを倒せばそれで終わりかと言えばそうではない。相手は領主お抱えの騎士団であり、領民からも信頼される組織なのだ。自分たちの正当性を象徴するには、確固たる証拠が必要だ。
現在アインたちが有する証拠は、村長の証言と手紙、ナギハの証言。これを持ち出せば勝負にはなるが、分がある勝負とは言い難い。片や騎士団団長、片やその下っ端では信頼の差は圧倒的だ。調査が長引けば、後ろ盾のないナギハは不利になるだろう。
かと言って、今から新たに証拠を集めるには時間が足りない。早ければ今日にでも、遅くとも明日にはミーネは村に向かう。そうなれば村を人質にされたも同然だ。
八方塞がりとも思える状況に顔を俯かせたベツは、沈み込んだ声をこぼす。
「すいません……僕が先走ったせいでこんなことになって……」
「まっ、そうじゃな。アレは上手いやり方と言えん」
あっさりと同意するツバキに、ますますベツは肩を落としていく。それに引きずられて体ごと埋まってしまいそうだった。
ツバキは、そんなベツの背中を叩いて愉快げに笑う。
「だが、それはそれじゃ。上手いやり方ではなかったが――うむ、ときめくやり方ではあったな!」
「と、ときめく?」
「おうとも! 敵となった幼馴染を信じ続け、恐ろしい相手を前に啖呵を切ったんじゃ! これでときめかぬ娘はおらぬよ! そうであろう、ナギハよ?」
期待に満ちた目を向けられたナギハは、苦笑しながらもそうだな、と答え、
「未練はあったし後悔もした。それでもベツたちが幸せになれるならそれでいいと思ったが――お前にああ言われては、決意も揺らぐ。それがときめいたというなら、そうなんだろう」
「ナギハ……」
「しかしだな」
顔を上げたベツの肩に、ナギハは両手を置く。
その表情は笑顔であり、体勢は恋人同士が見つめ合っているようなのだが、何故か獲物を逃すまいとする捕食者と動けない小動物のようにユウには映った。
理由のわからない笑顔と肩に掛かる力に表情を引きつらせるベツに、ナギハは一字一句区切るように告げる。
「あの時『そんなことを思いつくほど君は頭が良くない』と言ったように聞こえたが、それは私の気のせいか?」
「い、いやそれはその」
「暗に私が脳筋だと言いたいのか?」
「そ、そうじゃないよ。君は確かに直情的なところがあるけど馬鹿とまでは思ってないって!」
「ふぅん?」
しどろもどろで視線を彷徨わせるベツ。ナギハは疑わしそうなジト目を向けていたが、
「……まあ、いいだろう。今はそんな場合ではないな。アイン殿」
「は、はい?」
不意に顔を向けられたアインは戸惑った声を上げる。
「他のお二人もそうだが、誠に感謝する。この程度の言葉では足りないが、ひとまずはこれで勘弁して欲しい」
そう言って深く礼をするナギハに、アインは無意味にわたわたと手を振っていた。
「そ、そんなことはありません。私達はベツさんに頼まれただけで……ええと、とにかくここを抜けましょう。それからの話はそれからです」
動揺しているのか同じ言葉を重ねたアインは、早足で出口に向かおうとし、
「った!?」
突き出た石に蹴躓きそうになっていた。
トンネルから街の外まで脱出したアイン達は、昼とは逆に村へ向かって谷を駆け抜けていた。太陽は傾きつつあり、数時間もしない内に空は夕暮れに染まるだろう。
走りながらもアインはどうすべきかを考えていた。騎士団を倒すことは難しくはない。ベツは数が違いすぎると言っていたが、この地形なら覆す方法は幾つかある。
簡単なのは、通り過ぎる一団に向かって崖を崩してやればいいのだ。それで全滅させられなくとも、混乱し散り散りになった相手なら驚異ではない。
『問題は、間違いなく死人が出ることか』
『そうですね……野盗が相手ならそこまで気遣う義理はありませんが、おそらくミーネの計画を知っているのは本人とバッツだけでしょう』
『何も知らない元同僚を犠牲にするのはナギハも望んでいないだろうし、領主からの心証も悪くなる。それは避けたいな』
ミーネとバッツだけを倒し、他の団員は可能な限り傷つけない。
その条件を加えると難易度は大きく上がる。だが、何とか考えつかねばならない。早ければ今日にでも騎士団は村にやってくるのだから。
「っと、わっ!」
谷を吹き抜ける強風にツバキのフードが捲りあがり、危うく隠されていた狐耳が顕になりかける。その寸前で頭を抱えるようにフードを抑えた彼女は、安堵の息をこぼす。
「ここは風が強いのう。今日は一段と強い気がするぞ」
ツバキと同じく外套を纏っているアインでも冷たさを覚えるほどに風は冷たく、そして激しい。向かい風ということもあり、急いではいるが進みは遅かった。
「風が吹き抜ける場所がここしか無いので必然そうなるんです。ナギハ、寒くないかい?」
「平気。ああけど、宿についたら熱いお茶が飲みたいな。ぬるい水を飲むのは飽きた所だったんだ」
ナギハは半袖に薄い生地のズボンという見ている方が寒そうな格好だが、彼女は冗談を口にする余裕すらあった。
強い人、と体を抱くようにしていたラピスは呟き、なにか思いついたのかその場に立ち止まる。
「……ねえ、ベツ。この風って夜も吹いている?」
「風ですか?」
訊ねられたベツは、首を傾げながら手を風にかざす。しばらくそうしていた彼は、頷いて答える。
「ええ、この調子なら夜も吹いていると思いますよ。それがどうしました?」
「良し。アイン、この道を塞ぐ大きさのゴーレムは作れる? 形はなんでも良いわ」
「作れると思いますが……その大きさだと強度は期待できませんよ?」
「作れるならそれで良いわ。この地点が谷の半分くらいだから……もう少し進んでからね。ツバキ、宝石は持ってる? サファイアとかアクアマリンとか、氷系魔術向きの奴」
「なるほど、御主が何をする気か読めてきたぞ。そら、遠慮せず使うが良い」
声を弾ませて青い宝石を幾つか手渡すツバキに、ラピスは不敵な笑みで答えた。
日が落ち、黄昏から宵闇に染まった谷を革鎧を纏った一団が行進していた。先頭から最後尾に至るまでに数える騎士は30人。
手に持つのは魔術の光を放つ
その一団の一人が、前を進む騎士に声を掛ける。
「しかし、ナギハはどうしたってあんなことを? 何か知ってるか?」
「知らんよ。ただ、謹慎中独房入りしていた奴が騎士を一時人質にして逃亡したんだ。追わないわけにもいかんだろ」
不機嫌そうな声で答えた騎士は、漏れた息が白いことに気が付きますます顔をしかめる。
外套を纏ってはいるが、隙間から容赦なく侵入する風の前には大した意味をなさない。霧雨のように湿った空気も手伝い、体温が奪われているのを感じる。
「寒いな……くそっ、本当なら蜂蜜酒でも飲んで休んでるところだったのに、何でこんなことに」
「まったくだ……この寒さは尋常じゃないぞ。さっさと終わらせて帰りたいぜ」
「この先の村は温泉があるらしいな。そこで休んでいくか?」
強風に押され進まぬ歩み、身を切るような寒さを誤魔化すために愚痴混じりの軽口を言い合う二人だが、先頭から聞こえる私語は慎めという怒声に舌打ちし、以降は無言の行進を続行する。
「寒い……なんなんだ……」
しかし、それでも異様な寒さに対する愚痴は自然と口から溢れていた。
谷を通る風が冷たいということは、勿論彼も知っている。しかし、それは日向に置かれた水と日陰に置かれた水を比べる程度の温度差だろう。氷を何個も突っ込んだ水と比べるようなものではないはずだ。
両腕は無意識に体を抱き、噛み合わない歯は上下にぶつかり合いカチカチと音を鳴らす。体は凍ってしまったように固く、鈍い。
刃から身を護る革鎧も風の刃には何の意味もない。しかし、それでも自分はまだマシだ。金属鎧を着ている奴は、さらに体温を奪われているだろう。
「全員、止まれ!」
先頭を歩く隊長の声に、全員が足を止める。目的地に到着したのかと喜んだのも束の間、
「壁……?」
眼の前にあったのは、進路を塞ぐように立ちはだかる土壁だった。高さは数メートルあり、乗り越えることは不可能だろう。迂回も不可能となれば、出来ることは一つしか無い。
「ド真ん中を掘りぬくぞ! 幸い堅い壁ではない!」
叫んだ隊長はいの一番に壁へと向かい、剣の鞘を使って壁を崩しにかかる。そうなれば部下が続かないわけにもいかず、騎士たちは不満を押し殺しながら同様に鞘をスコップ代わりにして挑んでいく。
非効率的な方法に体力が奪われ、流れる汗に熱が奪われ、吹き荒ぶ風に使命感が奪われていき、先の見えない作業に膝をつく騎士たちが出始める。半数近くがそうなった時、
「っ! 抜けた! 抜けたぞ!」
壁に突き刺した鞘の感触が軽くなったことに一人が歓声を上げ、それが周囲に伝播していく。先程までしゃがみ込んでいた騎士も詰めかけ、ついに壁を貫通した。
壁を崩した勢いで前のめりになった騎士は、達成感に溢れた顔を上げ、
「……えっ?」
そして、目の前にあるものに気が付き絶望に歪んでいく。
そこにあったのは、たった今時間を掛けて貫通したばかりの土壁だった。
「これが後どれだけあるんだ……」
誰かがこぼした絶望の声は、先程の歓喜の声以上に素早く、深く騎士たちの心を染めていく。期待を裏切られた精神は、完全に折れてしまった。
声を上げることも出来ずうずくまる騎士たちに隊長が告げる言葉は、
「……一時撤退だ! 不明な状況につき一時撤退し態勢を立て直す!」
不本意ながらもそれしかなかった。
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