第120話 一振りの刃

 空が黄昏となり、そこから注ぐ光を浴びた木々が夕暮れ色に染まり初めた頃、アイン達は定めておいた地点に集合していた。

 それぞれ疲労の度合いに差はあれど、全員に共通しているのは芳しく無い表情であるということだった。


「そちらは見つかりましたか?」


 訊ねるベツに、アインは首を振る。ラピスは方をすくめて答える。


「何も無かったわ。ハシンはもちろん似たような毒草もね」

「こっちもじゃな。ハシンの派手な赤い花は何処にも見つからんかった」

「そうですか……」


 続くツバキの言葉に、ベツは複雑そうな表情だった。

 ハシンが見つかれば騎士団に正当性を与えることになるが、見つからなければナギハが疑わしくなってしまう。彼にとってはどちらも辛いことだろうと、ユウは思う。


「とりあえず、宿に戻りましょう。皆さんもお疲れでしょうし、明日以降どうするかも話す必要がありそうです」


 ベツの提案以外に出来ることはなく、4人が村に戻ろうとした時だった。


「おいベツ! ベツは何処にいる!」


 怒鳴り声をあげながら、草をかき分けてこちらに走ってくる者がいた。それは、広場であった宿屋の主ジョウだった。彼は額に汗を浮かべ息を切らしながらも、ベツの姿を認めると一目散に走り寄ってくる。

 そのただ事ではない様子に、ベツは焦りながらも出来るだけ冷静にジョウに訊ねる。


「ここですジョウおじさん! 何があったんですか! ゆっくりでいいので教えてください!」

「はぁ……村に……ナギハちゃんと……ふぅ……騎士団の、奴らが……」

「ナギハが!? 一人じゃないんですか!?」

「ああ……武装した騎士を……引き連れて……とにかく、早く……」


 ジョウはそれだけ言うと、その場に座り込み荒い息を整えることに専念する。

 顔色を変えたベツはアイン達に振り返り、


「僕は先に行きます! 皆さんはおじさんを頼みます!」

「あ、おい! 待てぃ!」


 ツバキの制止にも構わず、振り返ること無く村に向かって走り去ってしまう。あっという間に見えなくなる彼の背を追いかけようとするツバキだが、それは突き出された腕によって止められる。


「邪魔をするな! まだ信用できないとぬかす気か貴様!」


 通すまいとするジョウに激高するツバキ。

 ベツとジョウの様子からして、ナギハだけでなく騎士団が――それも武装した者が村にやってくるというのは尋常ではない。何かが起ころうとしている時に、足止めをする理由があるのか。

 

 そう牙をむく彼女に、ジョウは途切れ途切れながらも何とか口を開く。


「信用の問題じゃない……あんたらを見て……騎士団がどう思うか……」

「……なに?」

「あんたらは……火種になりうる……不用意に顔を出すな……」

「何が言いたいんじゃ!」

「ツバキ」


 苛立ちから声を荒げるツバキの肩に、アインは手を置く。そして、怒りと焦りに揺れるツバキの瞳をじっと見つめる。


「……すまん、落ち着く必要があるのはわかっておる」


 冷たい青い瞳に見つめられた彼女は、頭を振るとバツが悪そうに言う。アインは頷くと、腕を組んだラピスを見やる。

 説明を求める彼女に答え、言い聞かせるようにラピスは喋り始めた。


「いい、ツバキ? 村と騎士団は現状冷戦が続いている。それは対立を決定づける出来事が無かったからよ」

「……じゃが、武装した騎士を引き連れてやってきたとなれば、それも危うい」


 抑揚の無い声で言うツバキの言葉に、ラピスは頷き続ける。


「その通りよ。威圧にしてもそれまでとはレベルが違う。当然騎士団側も反抗を警戒しているはず」

「そこに私達が行けば、騎士団に対抗するため雇った旅人と捉えかねられない……ということですか」

「実際の立場も似たようなものだしね。つまり、迂闊には出られない」

「なら、慎重に行けばいいってことですね」


 アインの言葉に、肩で息をするジョウは頷く。

 彼女の言葉は一見乱暴ではあるが、現状わからないことが多すぎるのだ。ナギハがどういう人物なのかも、騎士団が良識ある組織なのかもわからない以上、実際に目にして確かめるしか無い。

 

「村近くまで走って、近づいたらしゃがんで接近します。大丈夫ですね、ツバキ」

「ああ、わかっとる。大丈夫じゃ」


 気丈に答えるツバキだが、アインとラピスは何処か心配そうだった。

 ラピスは、何か言うべきか逡巡していたが結局何も言わずに走り始める。その背中をアインが追いかけ、


『行こう』


 俯き服の裾を握りしめていたツバキが、ユウに呼びかけられ最後尾を走り始めた。








「伏せて」


 止まること無く走り続けていたラピスは、短く鋭く言うと後ろを走っていた二人に伸ばした腕をゆっくり降ろすジェスチャーを送る。その理由は、静かな森に響く声が原因だった。


「――する気は――――小隊長の――」


 微かにだが、確かに聞こえた声は騎士団員のものだろう。3人は逸る足を抑えながら、繁みに紛れつつ声のもとへ近づいていく。


「攻撃する気はない! 小隊長の話を聞くのだ!」


 今度ははっきりと聞くことが出来た。声は村の入口付近から聞こえている。

 アイン達は、森を抜け住居の陰から陰を移動し、村人の人垣と入り口付近に陣取る5人の騎士団員を一望できる位置から様子を窺う。


「……」


 村人たちから一歩前に出ているのは、硬い表情で口を結んだベツ。それと相対するのは、昨日宿の前で一目見ただけだが見間違えるはずもない。長い黒髪を後ろで纏めたやや背の低い女性――ナギハだ。傍にいる革鎧を着て剣を提げた4人は部下なのだろう。


 彼女は、冷たい無表情で感情を読み取ることは出来ない。ベツの背後で不安そうにざわめく村人を一瞥もせず、ただ彼だけを睨むように見据えていた。


「一瞬即発ってわけじゃ無さそうですが……」

「あまり良い状況でも無さそうね……」


 村人側は不穏な空気に怯え、騎士団側は何が起こるかわからない状況に警戒を強めている。村人はそれに増々怯えるという悪循環だ。これを打破するには、どちらかが動くしか無いが、ナギハはだんまりを決め込んでいる。


 ならば、ベツが動くしか無い。彼は、意を決したようにさらに歩み寄ると、やや硬い笑顔を浮かべて言う。


「やあ、ナギハ。今日は大勢で来たみたいだけど、それなら前もって言ってほしかったな。君も知ってるだろうけど、おじさんの宿は部屋が少ないからね」


 冗談めかしたベツの言葉に、ナギハは表情をミリも変えず淡々と答える。


「その必要はない。この村は我ら騎士団の管理下に置くのだから」

「それは困るな。せっかく守人になったのに、ここを追い出されたら職無しだ。考えて直して貰えないかな」

「無理だ。この村の温泉からは違法薬物であるハシンが検出された。その疑いが晴れるまでは管理下に置かせてもらう」

「ナギハ……」


 ただひたすら機械的に返答を続けるナギハに、ベツは哀しそうに目を伏せる。それにも彼女は何の反応も示さない。


 その時、村人の中から一人の老人がずかずかと歩み出ると、ナギハを指差し大声でまくしたて始める。


「こんな奴の話を聞く必要があるか! この村で育っておきながら村を売って出世しようなどと! 騎士の風上にも置けぬ愚者めが!」

「村長、落ち着いてください。彼女はそんな人ではありません」

「黙れ! だったら何故こんなことをする!? 私の村を食い物にしようとしているに違いないだろう!」


 その物言いにユウは舌打ちする。ツバキと心配していたことがそのまま現実になってしまった。

 内心はともかく、この場で同調するものがいないのは不幸中の幸いと言ったところだが、これで空気はかなり悪くなった。次にナギハが口にする言葉次第ではどうなるかはわからない。


 ツバキは、袖を握りしめながら固唾を飲んで対峙する二人を見つめていた。ラピスは、瞬きすら忘れた彼女の両肩に手を置きながら安心させるように言う。


「大丈夫よ、ツバキ。ナギハだって、ああ言われてそうですとは言わないでしょう。小隊長っていうなら、それなりの腹芸は出来るはずよ」


 だが、ラピスの予想も虚しく、


「――そうだとして、何の問題がある」


 言い放たれたナギハの声は、何処までも感情が感じられない平坦で冷めきったものだった。

 実質的な肯定であるそれに、村長はさらに顔を紅潮させて怒鳴り、村人たちはさらにざわついていく。


「ほら見たことか! この村を捨てた者に人の心など無いのだ! お前の目当ては金なのだろう! 権力なのだろう! 騎士として恥ずかしくないのか!」

「村長は黙っていてください! ……ナギハ! それはどういう意味なんだい!」


 村長を強引に下がらせたベツは、答えてくれとナギハに近づいていく。その伸ばした手が彼女に触れようとした時、


「ひっ!?」


 短い悲鳴を上げたのは村人の一人だった。

 音もなく抜き放たれた片刃の刃は、ベツの首筋に触れる寸前で留められていた。僅かにでも動かせば、首筋から鮮血が吹き出すだろう。


「ツバキ……! 堪えてください……!」


 思わず飛び出しかけたツバキを、アインは羽交い締めにするように押し止める。塞いだ口からは、声に出来ない叫びがうめき声となって溢れていた。


「ナギハ……」


 間近に迫った死の刃に、ベツは恐怖ではなく驚愕を向けていた。

 そんな行為を幼馴染に行いながらも彼女の表情は変わらない。一振りの剣に徹する彼女は、ただ告げる。


。それだけ覚えていればいい」

「……それは、君の意志かい」

「そうだ、

「……そうか。君はそう言うだろうね」


 ベツのその言葉は、友人に挨拶するような気軽さと親しみが込められていた。ゆっくりと刃から体を離すと、今度は自然な笑顔を浮かべて言う。


「君の言うことはわかった。けど、すぐに明け渡すわけにはいかない。せめて、3日くらい待ってくれないかな? ほら、宿はまだ散らかってるしね」

「……」


 剣を下ろしたナギハの表情は変わらない。だが、纏っていた雰囲気は軟化したように思えた。それを感じ取ったのか、村人も騎士団員も静まり返って二人の一挙一動を見守っていた。

 ナギハの目が一旦伏せられ、もう一度ベツを見やる。そして、了解を告げようとした瞬間、 


「これは一体何の騒ぎだ?」


 朗々たる女性の声にその場にいる全員の視線が集まる。

 その先には、水を打ったような静寂の中を絢爛な鎧を纏った一人が堂々と行進していた。まるでここが独壇場だと言わんばかりに。


「貴様は何者だ! 答えろ!」


 悠々と沈黙の波を掻き進む鎧姿の美女に、誰もが何も言えない中で村長だけが喚いていた。女性は、一瞥すると優雅に礼をし、名乗りあげる。


「騎士団長、ミーネ=ハットリ。名乗る名は、それで十分だろう」


 不敵に笑うミーネを、ナギハは感情を殺した表情で見つめていた。

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