第118話 谷を超えて

 ベツの依頼を承諾したアインらは、泉の調査をすべく朝日が差し込む谷を進んでいた。

 谷は見上げるほど高いが、幅は5メートルほどと狭い。そのため差し込む日差しは弱く、風が吹き抜けることもあって体感温度は街に居たときよりもかなり下がっている。

 アインは外套の襟を締め直し、先導するベツに訊ねる。


「あとどのくらいで村ですか?」

「ここまでで半分くらいです。もうちょっと道を整備したいんですが、なかなかそうもいかなくて」


 苦笑するベツが言うとおり、道と言っても『他より歩きやすい箇所』という程度のものだ。踏み固められた土のすぐ横には、崖から崩れたのだろう岩が転がっている。何時かの日にアルカに同行した谷よりはマシだが、大差はない。

 

 そんな光景を見ながら、ユウは知る人ぞ知るという所以を理解する。

 確かに、こんな谷を超えた先に温泉があるとは思うまい。知っていたとしても、この道を行くのは骨だろう。


 歩き慣れているベツは財布の中身と同じく軽く進み、それに山歩きのコツを知っているアインとラピスが続き、


「石が邪魔じゃな……おわっ!?」


 荒れた道に慣れていない最後尾のツバキは、石に躓き危うく転びかける。その様子に、ラピスは怪訝そうな顔をする。


「あんた、結構旅してたわりに慣れてないの? その前は山で暮らしてたんでしょ?」

「わざわざ荒れ道を歩く機会は無かったのでな……それに、里があったのは山というより森じゃよ。もっと住み良い場所じゃった」

「ははっ……面倒な場所ですいません。よく言われますよ」

「ああすまんな、つまらん愚痴と聞き流してくっれ!?」


 再び転びそうになったツバキを、前を歩いていたラピスが抱きとめる。


「なにしてんのよ、まったく。ほら、怪我はない?」


 ラピスは、ちょうど胸の辺りに収まったツバキの頭を軽く叩いて訊ねる。しかし、ツバキは答えず無言のまま彼女の腰に腕を回した。

 突然のことに、ラピスは困惑した声をあげる。


「な、なに? 急にそんな……どこか痛めたの?」

「いや、なんとも」


 ツバキはしがみついた体勢のまま答える。じゃあどうして、とラピスが訊ねるよりも早く、


「大きくて柔らかいクッションのお陰じゃな」


 顔を上げてニヤニヤと笑いながら言う


「はっ?……ッ!」


 その意味を理解したラピスは、瞬時に顔を真っ赤に染め、胸を両腕で隠しながらツバキから突き飛ばすように距離を取る。

 

「ばばばバッカじゃないの!? セクハラ、セクハラよ!」

「ははは、お約束と言うやつじゃろ。何にせよ、助かったぞラピス」


 ツバキは涙目になったラピスにそう言うと、先程より慎重に足を運んでいく。

 さらにからかってきたら怒鳴り返すつもりだったラピスは、礼を言われたことでそれ以上何も言えず、小さく唸っていた。


 それを飄々とした態度で受け流すツバキに、ユウは安心感を覚える。


『いつも通り……かな』

『そう見えますね……昨日はどうしたんでしょうか』

『村について時間にあるときにでも訊こう。それか、本人から言ってくれるかもしれないけど』

『ですね』


 しかし、とアインは視線をツバキからラピスに移す。

 今は腕で隠れているが、それでも大きいとわかる。特別コンプレックスがあるわけではないが、ちょっと羨ましい。


 そんなことをアインが考えていると、じろっとラピスは据わった目を向けてきた。


「あに見てんのよ」


 睨まれたことにビビったのか、アインはわたわたと手を振りながら、


「そ、そうですよユウさん。失礼です」


 さらっとユウに責任を押し付ける。お前覚えておけよ、と声に出さない恨み言を彼が思っていると、


「……ユウ?」


 聞き覚えのない名前に、ベツは首を傾げていた。






 

 さらに歩くこと数十分。一行は長かった谷を超えようやく終点へと到達した。その終点と村の境界には、動物避けの簡素な木柵が築かれている。


「ここがリュウセンです。温泉以外は何もない村ですが、ゆっくりしてください」


 まずは宿に行きましょうというベツの後に続きながら、アインは村の様子を観察する。

 お椀状に広がった空間には、木造の民家が十軒程度あった。その民家に挟まれた道を進むと、円状の広場があり何人かの姿が見える。しかし、表情は全員暗く溜息を零しているものもいた。

 

「お、戻ってきたかベツ。ナギハちゃんとは話せたか?」


 近づいてくるベツに気がついた一人が喋りかけてくる。中年で背は低いが、がっしりした体格でたくましい印象を与える男性だ。

 ベツは、首を横に振って答える。


「話は出来たんだけど、前と同じだったよ。『その必要はない』ってさ」

「そうか……。まあ、ナギハちゃんは頑固だからな。諦めずにぶつかってみろ……ところで、そちらさん達は?」


 男は、ベツの背後に立つ3人を指して訊ねる。怯むアインに代わり、ラピスは一歩前に出て会釈する。


「初めまして、旅の魔術師ラピス=グラナートと申します。ここに来た目的は、ベツさんから騎士団との揉め事の調査を依頼されたため、まずは泉について調べようとこちらにやってきた次第です」

「魔術師……」


 ラピスに名乗られた男は、魔術師という言葉に疑わしそうな目を向ける。はっきり言って無遠慮な視線に、ラピスはやや語気を強めて言う。


「何か気になることでも?」

「魔術師を名乗る奴にいい思い出が無くてな。ここで魔術師を名乗った奴らは、全員が詐欺師だった。『温泉の調査に来たのだからタダにしろ』だの『言うことを聞かなければ村を焼く』だのな」

「ジョウおじさん、失礼ですよ」


 ジョウと呼ばれた男は、ベツの制止に鼻を鳴らして続ける。


「わかってるよ。ベツが連れてきたなら真っ当な奴なんだろう。だが、これは覚えておけ。そんな巫山戯たことを言ってやつらは全員俺が叩きのめした。あんたらがそうでないことを祈ってるよ」

「ご忠告、痛み入りますわ」


 わざとらしく仰々しい返しをするラピス。その後ろにいるアインも、不満げな表情だった。

 ジョウは彼女らから視線を外すと、おろおろとしているベツに、


「部屋は好きなところを使わせてやれ。後は任せた」


 そう言い残すと、背中を向けてその場から去っていく。

 残されたベツは、申し訳なさそうに頭を下げて言う。


「すいません……どうも騎士団のことで苛ついてるみたいで。普段はもっと気さくなんですが」

「まっ、仕方ないじゃろ。住処を荒らされるのは誰だって嫌なものじゃ」


 気にするな、と軽く答えるツバキ。しかし、彼女の一族の過去を考えればその一言は口調ほどに軽くはない。

 それを知っているラピスは、子どもっぽい対応をしてしまったことを恥じ、思考を切り替える。


「……そうね。碌でもない魔術師がいるのも事実だし、認識はおいおい変えてもらいましょう」


 助かります、とベツは言うと、広場の先にある建物を指差す。

 似たような大きさの民家が並ぶ中でその建物は一際大きい。意匠や形式こそ違うが、つい先日過ごした温泉宿と似た雰囲気を感じさせる。


「あれが、この村の宿です。調査の間はあそこを利用してください」

「さっきの男――ジョウは好きな部屋を使えって言ってたけど、彼とはどんな関係なの?」


 ラピスは歩きながらベツに訊ねる。


「ジョウおじさんは、あの宿の主人です。僕の父親が先代の守人だったので、子どもの時からの付き合いがあります」

「そう言えば、守人って具体的にはどんなことをしているんですか?」


 本来は温泉と呼ばれない冷泉の水を沸かし、管理する職人。それがアインが知る守人の全てだ。

 そう言う彼女に、ベツは頷いて続ける。 


「概ねそれであっています。大釜に蓄えられた水を沸かし、温泉へと生まれ変える。やることは単純ですが、適温にするのが中々難しい。熱すぎては入れませんし、温くては効能も発揮されない。日々の時に合わせた温泉を生み、守るのが守人というわけです」


 そう言って胸を張るベツの表情は、伝統と技術を守り続けた先人を強く誇りに思っているようだった。

 だけどまあ、と彼は表情を崩すと頭を掻く。


「僕は守人になって3年なので、まだまだ未熟なんですが。っと、そんなことはどうでも良いですね。どうぞ、上がってください。一番いい部屋に案内しますよ」


 話しているうちに宿の前に到着した一行は、ベツの案内で宿の廊下を進んでいく。

 内装の華やかさは、領主御用達の宿と比べるべくもないが、しっかりと掃除と手入れが行き届いているせいかみすぼらしさは感じない。


「わぁ……何だかコノハの部屋を思い出しますね」


 それは、通された部屋も同様だった。

 アインが呟いたように部屋は3人が限界程度の広さだったが、戸を開けば縁側に出られるため息苦しさは無い。家具も年季が入ってすり減ったり、色が落ちてはいるものの、それすら味と感じさせる。

 地味ではなく、落ち着いている。そんな表現がふさわしい部屋にツバキは満足げだった。


「良い部屋ではないか。感謝するぞ、ベツ」

「悪いわね。昨日もアインがかなり食べちゃったし、一番いい部屋まで用意してもらって」

「喜んでもらえて幸いです。アインさんのアレは……その、自分で言いだしたことなので……」


 前半は満面の笑みで、後半は若干引きつった笑みで答えるベツ。その話題になっているアインは、早速テーブルに置かれたお茶菓子に手を付けていた。


「泉までは少し歩きますから、置いていける荷物はここに置いてください。少し休憩してから向かいましょう」

「了解です。ああ、ついでに向こうでも食べられるものを用意してくれませんか?」


 饅頭を飲み込んだアインは、ベツにそんな要求をする。どんだけ喰いたいんだ、とボヤくユウを軽く叩くと、


「私が食い意地張ってるとかではなくですね、もしハシンの成分が温泉に含まれているなら泉の周辺に自生している可能性があります。その調査中にいちいちここに戻って食事を摂るのは効率が悪いです。ただそれだけです」


 主にユウに向けて早口で言い切ったアインは、呆気にとられたベツの視線に気が付き、さっとフードを被って視線を切る。


「……まあ、そういうことだからお願いできる? その分は依頼料を安くしておくから、心配しなくてもいいわよ」

「わ、わかりました。さっそく用意してきます」


 肩をすくめて言うラピスの言葉に、我に返ったベツは慌てて頷いて部屋から去った。

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