第117話 人助けの理由

「ええと……僕はベツ=クライムと申します。リュウセンでは温泉の守人もりひとを任せられています」


 ナギハと口論していた宿から少し離れた酒場の一席。ベツは席を囲む3人の顔を見渡し、緊張気味にそう言った。


「……アイン=ナットです。旅の魔術師です」

「その旅に同行中のロッソの魔術協会所属の魔術師、ラピス=グラナートよ」

「同じく旅の連れ、ツバキ」

「魔術師……そんな方たちが僕にどんな用が?」


 3人の自己紹介を受けたベツは、魔術師という言葉にますます緊張した様子を見せる。心なしか警戒心も見え隠れてしていた。

 少し表情を緩めろ、とユウは指示を出しながら、出来るだけ柔らかい口調を作って答える。


「いきなりすいませんでした。実はリュウセンの温泉は素晴らしい所だと噂に聞き、明日にでも向かおうと話していた時に何やら温泉について言い争っていたので、何かあったのではと思いまして」

「騎士団が何かしているって噂も聞いたの。だから余計に気になっちゃって。呼び止め方がああだったのは……この娘って不器用だから、悪気があったわけじゃないのよ」


 ラピスが困ったように笑いながら言う。敵意を向けられたわけではないとわかったのか、ベツの警戒心が少し緩んだ。

 彼女の援護を受けたユウは、さらに続ける。


「なので、村に一体何が起きているのか知りたいのです。そして、望むのであれば力になることも出来ますよ」

「……力に、ですか。しかし、無関係な人を私達の都合に巻き込むのは」

「巻き込まれるのではなく、自分から首を突っ込んでいるだけですよ。それが私達の利益になるのですから、何も遠慮することはありません」


 ユウの言葉にベツは押し黙り、考え込むように目を閉じる。

 テーブルの脇を店員が通り過ぎていった時、目とともにゆっくりと口が開かれた。


「……わかりました。お話します。ですが、公言は控えてください。あまり噂を広めたくないので」

「もちろん、そのつもりです」


 ユウの答えにベツは頷くと、声を潜めて語り始める。


「現在、リュウセンは騎士団からある勧告を受けています。その内容は『温泉に違法薬草であるハシンの成分が含まれており、その調査のため明け渡せ』というものです」

「ハシン……?」


 ハシンはあらゆる地域で栽培が禁止されている毒草です、とアイン。曰く、骨すら溶かす快楽を味わせるが一度の使用で取り返しのつかない崩壊を招くため、研究すら禁じられているという。

 要は麻薬のようなものか、とユウは納得する。


「それが本当なら、直ぐにでも閉鎖するべきでしょうね」

「ええ。本当であれば、ですが」

「そうではないと?」


 訊ねるユウにベツは頷く。


「厳密な調査を行ったわけではありませんが、そんな事はありません。入浴した人の様子も普段と変わりありませんし、大本の泉の様子もそうです」

「ですが、厳密な調査を行っていないのであれば、気がついていないだけで含まれている可能性もあるのでは?」

「……騎士団もそう主張しているのです」


 ですが、とベツは苦々しい口調で続ける。


「そもそも、騎士団やそれに関係するものはこの1ヶ月の間で一人しか出入りしていないんです。その間に水質調査がされたという話は誰も聞いていません」

「ということは、騎士団は適当なことを言って因縁をつけてるってこと?」

「少なくとも、僕にはそうとしか思えません。証拠を見せて欲しいと言っても必要ないの一点張りで……」

「ふむ……」


 アインは顎に手を当てて考える姿勢を取る。

 話を聞く限りでは、騎士団の主張は滅茶苦茶も良いところだ。調査もせず証拠も出さず、怪しいから明け渡せで納得できるわけがない。

 その目的と意図はわからないが――。


「とりあえず、騎士団を痛めつけ……ではなく、ええと武力を用いた説得をすれば解決するのでは」


 考えるのが面倒になったアインは、極めて短絡的で単純な方法を示唆した――つもりなのだろうが、それは『叩いて解決』と言っているに等しかった。

 それを冗談と思ったのか、ベツは苦笑して答える。


「騎士団は領主お抱えの戦闘部隊です。治安維持が役割とは言え、僕たちでは相手になりません。そもそも、彼らに楯突くということは、領主に逆らうこととほぼ同義です」

「そうですか……良い考えだと思ったのですが」


 割りと本気で言ってそうなアインをよそに、ラピスはさらに訊ねる。


「騎士団は何時からそれを言い出したの?」

「確か……3週間前だったはずです。突然村にやってきたかと思うと、温泉を明け渡せと要求してきて。それからは3日に一回のペースで来ています」

「要求をしているだけ?」

「今のところはそれだけですが、いつか強制的に踏み込んでくるんじゃないかと怯えている村人もいます。それに……」


 そこでベツは目を伏せて言いよどむ。言うべきか迷っている様子の彼の言葉を待っていると、


「その尖兵は同郷のもの――さっき話していたナギハなのじゃろ」


 不意に口を開くツバキ。その淡々とした声に、ベツは目を見開く。


「どうしてわかったんですか?」

「『騎士団の仕事には慣れたか』と言っておったじゃろ。ということは、その前の彼女を知ってなければならぬ。そして『今は世間話に付き合う関係ではない』のなら、前まではそうだったということ。そうなれば、あり得る関係は絞られてくる」

「……それだけでわかるなんんて」


 ベツから尊敬の念を向けられるツバキ。だが、褒められているにも関わらず彼女の表情は固く張り詰めていた。

 その普段と異なる彼女をアインは不安げに見やっていたが、その視線に気がついたツバキは、


「心配せんでも良い。今は其奴の話を聞いてやれ」


 安心させるように僅かに表情を緩めるとベツを顎で示す。

 気になることはあったが、今はそうしようというユウの言葉に従って、アインはベツに先を促した。


「ツバキさんの言うとおり、交渉の矢面に立っているのはリュウセン出身の騎士――ナギハ=クドウです」

「女性で騎士なんてすごいわね。そう簡単になれるものじゃないでしょ」


 隣に座るアインよりも小柄だった彼女の姿を思い出し、ラピスは驚いた声を上げる。

 女性の騎士というのは、かつて存在しなかったわけではない。しかし、大抵は領民の人気取りのためのお飾りマスコットであり、実際に戦場に立つ者は稀である。

 だが、その稀の中のさらに稀。極々稀に英雄譚として吟遊詩人に唄い継がれるほどの活躍をしたものも存在する。戦乙女と呼ばれる彼女らの物語に憧れ、騎士を目指すものも少なくない。


「彼女は紛れもなく実力でなったんです。実際に入団試験のときは大の男をのしてしまったんですから」


 その時の光景を思い出したのか、ベツは誇らしげに答える。しかし、すぐに表情を曇らせてしまう。


「ですが……今の彼女は村と対立する立場です。そのせいか、彼女を悪く言う人まで現れだして……交渉が一向に進展しないというのもあるんですが」

「向こうは話を聞かず、言い分も筋が通らない。だから、迂闊に飲めばどうなるかわからない……ってことね」

「そういうことです……彼女の上官である騎士団長を出してくれと言っても『それは出来ない』の一点張りで、どうしたらのいいのか……」


 重い溜息をつくベツ。

 おそらく交渉役の彼も、進行しない交渉について何かと言われているのだろう。板挟み状態の心労は大きな負担になっているはずだ。


 それを解消できるならしてやりたいが、相手が騎士団ともなれば、野盗や魔術師を相手にするとはまったく違う。それには見合った報酬が必要だが、それだけのものを彼らが出せるだろうか。

 その空気を察したのか、ベツは申し訳なさそうに言う。


「報酬は、正直多くは出せません。所詮は小さな温泉村で……その、魔術師さんは技術を安売りしないと聞きますし、相手が相手ですし……」

「まあ、そうね。魔術師を雇うならそれなりの金は要るし、相手が騎士団となればそれを加味してもらう必要もある。はっきり言って安い買い物には出来ないわ」


 ただまぁ、とラピスは頭を掻き、肩を落とすベツに続ける。


「ここまで希望を持たせておいて『やっぱり嫌だ』っていうのも気が引けるわ。私としては、報酬の範囲内で出来ることをしてもいいけど」


 そこまで言ってラピスは横目でアインを見やる。『貴方はどうする?』という問いかけに、アインは少し考えて、


「……私も同意見です。解決までは難しいですが、武力をチラつかせれば交渉のテーブルに就かせるくらいなら出来るでしょう」


 いつも通りの考えを口にする彼女に、ラピスは呆れ気味にだが同意する。


「あんたはそれ暴力ばかりねって言いたいけど、多少は必要ね。相手がただの村人と舐めていることが停滞の原因なら、それで進行する可能性はあるわ」

「ええと……出来れば穏便に進めて欲しいんですが……」

「それは相手次第よ。ツバキはどう思う?」


 ここまで殆ど黙ってばかりだったツバキは、腕を組んで目を伏せていた。

 それは、どうすべきかわからないが故に何も言えないのだろう。或いは、それが本当に正しいのかわからないのかもしれない。

 だけど、それでもわかっていることはある。だからこそ、彼女はベツとナギハのやり取りを目にして苦しそうにしていたのだから。


 ユウは、アインの声を借りてそれを告げる。


「ツバキ。『どうしたいか』は、初めからわかっているでしょう。なら、それを言葉にするだけでいい。私もラピスも――も今更我儘がどうだとは言いません」

「……理由は要らないと?」


 驚いたように顔を上げて問うツバキに、アインは頬をかいて答える。


「なんというか……大袈裟な理由は要らないってことです。ここまで一緒に旅をして、手助けしてくれた貴方が困っているなら、それは十分な理由です。その……数少ない友人は大切にしたいと思ってるんですよ」

「……」


 その答えにあっけに取られるツバキの背中をラピスは軽く叩いて笑う。


「まっ、幸い日銭に困る旅はしてないし、いいんじゃない? こういうのにも慣れたでしょう?」

「……そうじゃな。まったく、今更こんなことで悩むのも阿呆らしかったわ」


 ふっと表情を緩めて自嘲するツバキ。だが、その顔は迷いが晴れたようにスッキリとしていた。

 

「では、3人共力を貸して頂けるんですか!?」

「そうじゃな。だが、その前に一つ聞かせい」


 ツバキは身を乗り出すベツを制し、目を鋭く細める。それに感じるものがあったのか、ベツは姿勢を正してその目と向き合う。

 彼女は問う。ゆっくりと問いただすように。


「御主は、ナギハのことを信じておるか?」


 彼は答える。そんなことかと、微笑みながら。


「勿論。夢を語り合った幼馴染ですから」

「……うむ、ならば良い。つまらぬことを聞いたな」


 ツバキは満足げに頷き、空気を切り替えるように手を打って言う。


「さて、ではここからは商談じゃな。まけといてやるが、支払いはきっちりしてもらわねばな!」

「お、お手柔らかにお願いします……」

「それは御主次第といったところじゃな」


 いつもの調子でからかうような笑みを浮かべる彼女に、アインは独り胸を撫で下ろす。


『これで良かったんですよね?』

『それは今はわからないけど……そうなるように頑張ろう。これまで通りにな』

『ええ、そうですね』


 アインはユウに同意し、次にラピスを見やる。

 彼女は、『心配しなくても最後まで付き合うわよ』というように苦笑する。それに、アインは微笑んで答える。


 決めたのは自分の意志だけど、同じ場所を目指すのは一人ではない。それが心強さと先へ進むための勇気をくれる。

 ならば、後はこれまで通り歩いていくだけだ。


 アインが静かに決意をした所で、くぅと小さく鳴る音がした。そう言えば、まだ夜ご飯を食べていなかった。


「せっかくですし、ここで食べていきましょうか。何があるんでしょう」

「あっ、でしたら僕が奢りますよ。好きなだけ食べてください」

「いいんですか?」

「ええ、これくらいしか出来ませんから、どうぞ遠慮せず食べてください」

「なんと……ありがとうございます。そうさせて頂きますね」


 目を輝かせてメニューを読み出すアインを、ベツは微笑ましい目で見ていた。

 そして、彼が口にした言葉の恐ろしさを知るツバキとラピスは、


「オイオイオイ」

「財布が死んだわね」


 と数十分後のベツの財布に黙祷し、


『……少しは遠慮しろよ?』


 ぬかだと知りつつも、ユウは釘を刺した。

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