第115話 新たな湯を求めて
二泊三日を温泉宿で過ごすうちにすっかり温泉が気に入ったアインが、女将からそう遠くない村にも温泉があると聞き、次はそこへ行きたいと言い出したのは宿を出立するときだった。
女将いわく、その村の温泉は龍が汗を流したと伝えられており、浸かることで不老長寿を授かるという伝説があるのだとか。
「今すぐ向かいましょうそうしましょう。温泉は素晴らしいです」
不老長寿はどうでもいいが温泉でのんびりしたいアインはすぐに向かうべきだと主張。一応は現地調査を命じられるているラピスは、
「遊んでばかりは駄目よ。ちゃんと龍と温泉にどんな関係があるのか調べないと。ええ、何日かかってもね」
と申し訳程度の使命感を示して全面的に賛成。
「まあ、いいんじゃないか」
「急ぐ旅では無いしのう」
ユウとツバキは反対する理由は無い。よって女将らの見送りを受けてすぐ向かうこととなった。
「しかし、龍の温泉のう。本当かいな」
藁束に背中を預けるツバキは青空を見上げて呟やく。その隣で同じく座るアインは、
「まあ、何にしろ温泉はあるんですよ。それさえわかれば十分です」
期待に目を輝かせながら答える。
現在アイン達は、その村の近くに住むという農夫と馬が引く荷車に揺られていた。下山でかなり体力を使ってしまった彼女らにとっては、渡りに船といったところだ。
ゆっくりと流れていく平原の景色を眺めていたユウは、そう言えばとアインに訊ねる。
「これから龍の温泉に行くけど、
山頂でワイバーンと対峙した時、彼女はワイバーンを指して『龍とは比べ物にならない』と口にしていた。その口振りは、龍はさらなる化物ということに他ならない。
その疑問に、アインは頷く。
「ええ、竜と龍は見た目が似ているだけの別物です。アレを同じというのは、パスタとうどんを同じというようなものですね」
「……お前がその例えを使うのか。まあ、それはいい。具体的に何が違うんだ?」
訊ねられたアインは、少し考え込む。そして、ぽつりと言う。
「強さですね。細かい違いはあれど、絶対的かつ超えられない壁はそれです」
「そんなに強いのか?」
「強いなんてものじゃありません。そうですね……あのゼドが使っていた巨大ゴーレムですが、龍であれば一瞬で影すら残さず消し去ることが出来るでしょう」
「……あれを?」
何の冗談を交えず断言したアインの言葉に、ユウは戦慄する。
あの真紅の悪鬼のことは記憶に新しい。倒せはしたものの、装甲自体には傷も付けることが出来なかったのだ。それを、一瞬で消し去ることなど出来るのか?
ユウの疑念を読み取ったように、ラピスは答える。
「出来るでしょうね。龍の知慧と魔力なら。人間はもちろん、他の生物とも一線を画した怪物。それが龍よ」
「何度目かになりますが、魔術は星に対する呼びかけです。練り上げたイメージを詠唱として呼びかけ、その代償に魔力を差し出し、星の現象を再現します」
アインの言葉をツバキが引き継ぐ。
「それは薪木と種火の関係じゃ。大量の薪木を燃やしたければ見合った組み方をせねばならんし、それに火をつけるには大きな火が必要となる。組み方が上手いやつもいれば下手なやつもおる。小さな火しか持たぬものもおる」
「龍はそれが得意で、大きな火を持っているってわけか」
「そういうことです。龍はただの咆哮ですら大魔術に匹敵するか上回る魔力を発揮します。技術で再現できないということなら、魔術ではなく魔法と言ってもいいでしょう」
魔法。その言葉に、ユウはゼドが身につけていた緋々色金の腕輪を思い出す。
重力・慣性制御に不死に近い再生能力。あれらの力は、はるか未来の科学技術だった。しかし、龍はそんなものですら行使できるのだろうか。
聞けば聞くほど恐ろしい生物だが、そうなると浮かんでくる疑問がある。
「けど、本当にいたのか?」
そんな凄まじい力を持っているなら、龍は生態系の頂点に君臨して世界を支配し、弱肉強食の原理が蔓延っていそうだが。しかし現実は、概ね平和で法も存在する世界である。
仮に平和を望んだ龍がいたとしても、そうではない龍もいたはずだろう。それが退治されたと言うなら、それを退治したものの方が余程怪物だ。
「まあ、そう思うわよね」
ラピスは肩をすくめて、困ったように頬を掻くアインを見やる。
アインは、これは一説ですがと前置きして続ける。
「龍とは人間の恐怖が生み出した形なき怪物で、各地に残る伝説や伝承も全て自然現象の結果に過ぎないという説もあります。つまり、龍なんて最初からいなかったということですね」
自分たちが理解できない自然現象を妖怪という枠に収めることで、人々は畏れつつも安心を手にしてきた。人が持つ防衛本能であり、龍もその結果の産物だというのだ。
「まあ、これはやや極端な説ではあります。それでは説明できない跡や龍の一部とされる牙や鱗も残っていますからね」
「そうなると……昔はいたけど、今の世界に龍はいない?」
「少なくとも、砦よりも巨大で羽ばたきだけで大群を吹き飛ばす翼を持つ――なんて龍は500年の間では目撃されていません。世界の果てに隠れ住んでいるのだ、という説もありますが確かめようがありませんし」
「確かめようがないって言うなら、龍の一部っていうのもそうだけどね。大型のワイバーンや魔獣のものだって可能性もあるわけだし」
そうなると、やはり存在しない幻想の生物なのではないだろうか。
そうユウが考えていると、
「嘆かわしいのう。龍がいないのは、勇者によって討たれたため。現世に姿を表さないのは、再び討たれることに怯えているからだと思わんのか。まったく夢のない奴らめ」
ふてくされたようにツバキは言う。その理由はおそらく、存在しないものとされるのが癪に触ったのだろう。
絶滅したと言われるフクスだが、ツバキがここにいる通り隠れ住んでいるだけだ。それを存在ごと否定されれば腹も立つ。それが自分ではなく龍に向けられた言葉であろうと。
もっとも、絶滅を偽装しただけでなくそれを商売に利用したフクスである。それすら利用するに違いない。それがわかっているアインとラピスは、肩をすくめるだけだった。
「俺は、好きだけどな」
とは言え、その顔に寂しさがあったのも事実である。だから、ついユウは、
「勇者が悪い龍を退治して、お姫様と結ばれる。いいじゃないか、王道で」
慰めるような言葉を口にしてしまった。
それを聞いた途端ツバキは同志を見つけたとばかりに口の端を吊り上げ、鞘をバシバシと叩き始める。
「おお、そうか! やはり御主はわかっておるな! 夢も見れない世の中などつまらなくて仕方あるまいな!」
「ちょっ、やめ、ツバキ、痛くはないけどやめろ。視界が揺れて気持ち悪い」
「なぁに、そんなことを忘れるくらい面白い話をしてやろうぞ。どうせ村に着くまでは暇じゃろう?」
「それはそうだが。とりあえず叩くのはやめてくれ」
「ははは照れるでないわ」
「聞いてない……」
優しさは時に厄介を招くのだな、と愉快そうなツバキに溜息をつくユウだった。
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