第114話 それぞれの報酬
「ん、おかえりなさい」
ラピスは、開けた襖から顔を出したアインに言う。その膝の上には、寝息を立てるツバキの頭が乗っていた。
おずおずと部屋に入ったアインは、申し訳無さそうな声で訊ねる。
「ただいま……朝ご飯はもう食べましたよね?」
「いえ、まだよ。あんたが帰ってくるのを待ってたのよ」
「私を……?」
「ええ。ツバキは二度寝を始めちゃったけど」
ラピスは苦笑し、丸まって眠る彼女の体を揺する。何度か揺すられた所で、彼女はむくりと起き上がり、
「ふわぁ……ああ、なんじゃ。戻ったのかアイン」
目をこすりながら言う。
「ついさっきね。それで、卵は見つかった?」
「いえ、卵は……」
アインはそこまで言いかけて、
「……どうして知ってるんですか?」
目を見開いて訊き返す。
朝に出立する際は朝風呂と散歩と言ったし、それが嘘だと見抜かれても卵が目的とまではたどり着かないはずだ。
驚くアインに、ラピスは悪戯っぽく笑って答える。
「風呂と散歩に行くだけの人がわざわざ外套やらザックまで用意しないでしょう。それに、あんたとユウは一緒に風呂に入るほどの仲かしら?」
「あっ……」
「で、そんな用意をして行くところと言えば、貴重な卵がある山頂と考えるのは不自然なことじゃないわ」
言われてみれば簡単なことであり、だからかとアインは納得していた。
彼女は自分に対して『気をつけて行きなさい』と言っていた。最初からわかっていたのだ。
「敵いませんね……」
「当然。それなりの付き合いでしょ?」
何処か誇らしげにラピスは言って、
「それで卵はあったの?」
改めて問い直す。それにアインは首を横に振った。
「風喰鳥の卵はありませんでした……というか、探せもしなかったんですが」
「はっ? 風喰鳥? なんでそんなものが出てくるのよ」
「えっ……? だって、数十年に一度現れる珍しい大鳥って……」
「そんな鳥の卵なんて食べれるわけないでしょう。何を言って……?」
首をひねるラピスの反対側に首をひねるアイン。どうも噛み合わない会話に、とりあえず座れというツバキは言う。
アインは、彼女の言う通りラピスの対面に座る。そして、確認するように指を立てて言う。
「ええとまず……宿の主に曰く、山の山頂には数十年に一度、巨大な翼を持つ鳥が現れる。これはあってますね」
「ああ、そのとおりじゃ」
ツバキは言って、ラピスも頷く。
「そんな鳥の条件に当てはまるのは風喰鳥。だから私はその卵を探しに山頂に向かいました」
「……ああ、なるほど。あんたは聞いてないのか」
そりゃあそう信じるわけだ、とラピスは苦笑交じりに言う。ツバキも笑いを噛み殺していた。
その意味がわからないアインに代わってユウは訊ねる。
「何の話だ?」
「アインは夕食の後ぼうっとしてたから知らないだろうけど、私とツバキは外に出ていたのよ」
「その時、女将にその卵について訊ねたんじゃが……主は話を盛って話す癖があるのじゃと。確かに貴重な卵はあるが、十数年に一度なんて物ではないのだとな」
「……それって、法螺話にまんまと乗せられたってことですか?」
「まっ、そういうことじゃな。良いではないか、朝から
「けど、卵を食べたいってだけで山頂まで登るなんてガッツがあるわね」
声を上げて笑うツバキと肩をすくめて呆れたように言うラピス。
それに顔を赤くしたアインは、テーブルを叩いて反論する。
「無駄骨ではありませんでしたし! 実に有意義でありましたとも!」
「ああ、そうじゃな。流した汗は美しく足踏みした時間も無意味ではない。ああ、まったく……」
「ぐぬぬ……! これを見ても煽っていられますか!」
ザックに手を突っ込んだアインは、目的のものを探り当てると叩きつけるように――置こうとして、価値を思い出したのかゆっくりと慎重にテーブルに置く。
「へえ、綺麗な羽根じゃない。どうしたのこれ?」
翠色の羽根を手でもて遊びながら言うラピス。目を見開いたツバキは、震えた指をそれに向ける。
「お、おま……これ、これって……」
「なんだ、ツバキは知ってるのか?」
「忘れるわけがなかろうよ! 長の装飾品にはこれと同じものが使われておった! 幼い我は憧れの目で眺め続けたものじゃ……」
尻尾をぶんぶんと振って全身で興奮を示すツバキに、お茶を啜るラピスは不思議そうに訊ねる。
「そんなにすごいものなの? というか何の羽根かしら」
「風喰鳥の羽根……だと思います。たぶん」
「ふぅん、風喰鳥――はぁ!?」
ラピスは噴き出しかけたお茶を手で塞ぐ。その拍子にむせたのか、えづくような咳を繰り返していた。
ひとまず落ち着いた彼女は涙を拭い、改めて手にした羽根を見やる。
「こ、これが……風喰鳥の……目撃すら難しいのにその羽根なんて……」
ふらっと出歩いたと思ったら、とんでもないものを見つけてくる。然るべき所に売れば一生働かずに過ごせるだけの金が手に入るだろう。
アインが引きつけるのは、厄介事だけでなく幸運も含まれるらしい。まったく恐ろしいとラピスはその当人に視線を向ける。
「ふぅ……紅茶もいいですが緑茶もいいですね」
なんでこんなものを手にしたというのに、彼女は呑気にお茶を飲んでいられるのか。金に執着はしないが無頓着というわけであるまいに。
「何処で! 何処で手におったこれを! 教えろ、教えぬか! まだ落ちてるかもしれぬ!」
そして、割りと金に執着するツバキは噛みつかんばかりの勢いで顔を突き出していた。問われたアインは若干引きながら答える。
「山頂です……ユウさんが言うには、ワイバーンを退治したお礼だとか」
「やはり山頂か! 我も行くぞ!」
言うが早くツバキは廊下に向かって駆け出し、
「いえ、もう飛び立ってしまいましたが……」
「があああああああ!」
アインの無慈悲な宣告にすっ転び襖に激突し、ひっくり返っていた。
その大騒ぎに逆に落ち着いたのか、ラピスは冷静な声で訊ねる。
「山頂で拾ったのはいいけど、ワイバーン退治? 何をしていたのよあんたは」
「ええと……」
アインは、ここに戻るまでにあったことを説明する。
山頂は穏やかな場所であったこと。そこに棲み着いたワイバーンがいたこと。それを退治し帰ろうとした時、風喰鳥が飛び立ったのを見たこと。この羽根は、その時に手に入れたこと。
話を聞き終えたラピスは、
「なんとまぁ……。存在しない卵を探した結果が竜退治とは、あんたらしいわ」
呆れたような感心したような、何とも曖昧な表情で言う。言われた当人は感心成分を重視したらしく、それほどでも、と誇らしげに答えていた。
「けど、これなら確かに登ったかいはあったってわけね。負け惜しみではなかったと」
「ええ、そういうことです。ですよね、ツバキ?」
先程の意趣返しなのか、勝ち誇ったように言うアイン。
「ああ我の負けじゃよ。まったく、どうして法螺に引っかかったものがそんなものを手に入れるのか……」
寝転んだまま背中越しにブツブツと不満を口にするツバキに、
「ああ、そうだ。これ、ツバキにお土産です」
アインは、ザックから取り出したものを彼女に向かって放る。それは、彼女の頭に当たって畳に落ちた。
「土産じゃと? あんなものを見せられた後じゃ何だって霞む――ほう、これは良いものではないか!」
不機嫌そうな声から一転。飛び起きたツバキは竜の逆鱗を手に上機嫌な声で言う。風喰鳥の羽根ほどではないが、竜に一つしか無い逆鱗も貴重なことに代わりはないようだ。
「私よりツバキの方が高く売れるでしょう。分前は友人設定の1割でいいですよ」
「いいじゃろう! その程度なら幾らでも払ってやるわ!」
ニヤニヤと皮算用ならぬ鱗算用を始めるツバキを横目に見ながら、ラピスは意地悪く言う。
「ふぅん、私には何もないのかしら?」
「もちろん、ありますよ」
アインはそう言って手を伸ばす。しかし、それはザックの中に伸びることはなく、
「はい、どうぞ」
テーブルに置かれた風喰鳥の羽根を掴み、ラピスに向かって差し出していた。
「……」
思わず真顔になったラピスは、羽根とアインの顔を交互に見やる。
アインは、『要らないのか』と言うように不安そうな顔をしており、それにラピスは頭を抱えて言う。
「あのねえ……その羽根がとても貴重なものだっていうのは知ってる?」
「……? 知ってます」
「じゃあ、他人にペンを貸すような気軽さで渡すものじゃないっていうのもわかるわよね?」
「……ああ、なるほど。確かにラッピングもしないのは無作法ですね」
「違うわ!」
一人納得するアインに、テーブルを叩いたラピスは、その勢いのままに身を乗り出す。
アインは、視界を覆い尽くす彼女から目を逸らせず固まっていた。
「価値に囚われず選択して決定できるっていうのはあんたの美点よ! それは認めるわ!」
「ど、どうも……」
「けどね、だからって価値のある物をホイホイ渡すのはやめなさい! 然るべきものには然るべき在り方っていうのがあるのよ!」
要するに、価値のあるものならそれに相応しい扱いをしろとラピスは言っているようだ。それは飴玉ではなく、貴重な宝石なのだからと言うように。
まあ、彼女からすればそう見えるだろうなと他人事のようにユウは思う。
「い、一応私なりに考えた結果です……」
「どんな過程でその結果が出たのか説明しなさい! 3行で!」
「え、ええと……」
指を突きつけるラピスにしどろもどろになりながらも、アインはか細い声で何とか答える。
「私もその羽根が貴重で大切にすべきものだとわかっていて」
「……」
「同じくラピスも大切な親友なので」
「…………っ」
「大切なものは大切な人に持っていて欲しいな、と思ったのですが……」
迷惑でしたか、と目を伏せて言うアイン。対するラピスは声をつまらせ、何度も口を開いてはすぐに閉じてを繰り返す。
しかし、ニヤニヤと無言で眺めるツバキと、暖かい目を送るユウに耐えられなくなったのか、
「……ああもう! 迷惑なわけないでしょう! 貰うわよ! ボロボロになっても返してやらないからね!」
自棄気味に叫ぶと、ひったくるように羽を手にしてそっぽを向く。その耳は、赤髪に隠れてもわかるほどに真っ赤に染まっていた。
「……ありがとうございます、ラピス」
受け取って貰えたことに安堵したのか、アインは柔らかく微笑む。それに増々ラピスは顔を背けていくが、本心は緩んだ口元を見れば一目瞭然だった。
当初の目的であった卵は手に入らなかったが、結果的には叶ったと言ってもいいだろう。二人とも嬉しそうに笑っているのだから。
無駄骨にならなかったことにユウが内心安堵していると、
「さて」
立ち上がったツバキは、ニヤついた口元を袖で隠しながら飄々とした声で言う。
「犬も食わぬものを見ていても腹は膨れぬ。遅めの朝食といこうか」
「なっ、あっ……! こらツバキ!」
顔を赤くして怒鳴るラピスから逃げるように、ツバキは笑いながら部屋から飛び出していった。
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