第113話 竜退治の報酬

 ワイバーンは、蝙蝠のように腕部と一体化した翼を羽ばたかせて数メートルの巨体を浮かせていた。両足の鉤爪には命を刈ったばかりということを証明するように鮮血が滴っている。

 垂れ下がった尻尾がしなり空気が唸る。自身が強者であることを確信しているその目を、彼女は怯まず睨み返した。


「見下されるのはいい気分じゃありませんね」

「それは同感だが、勝てるのか?」


 大型の鹿を絞め殺しただろう両足。それに鹿を吊ったまま飛行できる翼の力は、鷲など比較対象にもなるまい。人が掴まれれば、そのまま絞め殺されるか地上に叩きつけられるのか二択だろう。

 

「ッ……速い!」


 ホバリングしていたワイバーンは、翼を動かす代わりにグライダーのように広げて山頂の周囲を旋回し始める。風切音を轟かせるそのスピードは、目で追うのがやっとだ。

 

 焦るユウをよそに、アインは呑気な調子で言う。


「なるほど、流石に竜というだけのことはありますね」

「感心するのはいいけどな、逃げたほうがいいんじゃないか? どう考えても分が悪いぞ」


 これまでアインは、野盗にキマイラにリビングメイル、果ては巨大ゴーレムを相手にし、それらを下してきた。その実力は折り紙付きと言っていい。

 しかし、今回のワイバーンは遥か上空を飛行している。加えてあの速度では、こちらの攻撃を当てることは困難だろう。向こうは一発当てた所で致命傷になるかもわからないが、こちらは一撃でも貰えばそれでお終いだ。


 身を隠すものが無い山頂では圧倒的不利。戦うにしろ一旦退くべきだというユウに対して、


「いえ、違います。ここだから都合がいいんですよ」


 アインはそう言って走り出す。向かう先は、反り立つ崖だ。

 彼女は、崖を背にして空中を旋回するワイバーンを見据える。竜は、時折威嚇の咆哮をあげてはいるが攻撃を仕掛けてはこない。


「ワイバーンは喋れはしないものの、比較的知性のある生物です。故に、迂闊に人間に近づくことが危険なことも知っています」


 そして、崖を背にすれば攻撃の方向を絞ることができ、激突の可能性を恐れたワイバーンが鉤爪で飛び掛かることも防げる。


「それに、森に逃げた私をワイバーンが見失ってしまうのは危険です。まだ奴が成長期のうちに仕留めないと、いらぬ被害が出るかもしれません」

「……勝てる算段はあるんだな?」

「当然です。これは驕りや慢心ではない、自信です」

「……なら、俺が言うことは一つだけだ。死ぬなよ」


 ありがとうございます、とアインは微笑む。

 ワイバーンは、旋回の速度を緩めて数回円を描いた後、アインを見下ろす位置で宙に留まる。滞空する竜は、空に向かって首を大きくのけぞらせると、勢いよく首を振り下ろし、


「――――!」


 咆哮と共に赤熱の火球を撃ち出した。

 火球はアインが背負った崖の上部に着弾し、轟音を響かせ瓦礫と灼熱を撒き散らす。


「ッ!」


 アインは舌打ちをし、落下する岩盤から逃れるためその場から走り出す。その背後で、重い岩が地面に落下し土煙が舞い上がった。


「ワイバーンも魔術が使えるのか!?」

「もちろん! ドラゴンとは比べ物にならないとは言えワイバーンですからね!」


 叫び答えるアインの声を掻き消すように、再び火球が着弾する。狙いは甘いが、爆風と熱波によろめきそうになりながらも彼女は走り続ける。


「いつか言った通りですが、魔術は星に対する呼びかけです! そして多くの魔物はイメージこそ稚拙ですが、それを魔力量の多さでカバーしています! ようは声がデカイってことですね!」

「わかるようなわからない説明だな! いや、それはいい! 問題は今だ! 有利だったはずの場所から追い出されたぞ!」

「それも……ッ! 折り込み、済みです!」


 滞空し鎌首を持ち上げたワイバーンは、それを振り下ろし火球を放つ。その単純な繰り返しだが、それだけで脅威ならばそれ以外する必要はないのだ。

 竜が吠える度に草花は吹き飛び、或いは焼け焦げていく。なだらかだった大地も、そこらかしこにクレーターが発生している。ただの人間ならとっくにパニックを起こし、レアに焼かれていただろう。


「1……2の……」


 だが、アインはただの人間でも少女でもない。コミュ障で喧嘩っ早くて大食らいの――"死神"とまで仇名される魔術師だ。

 降り続く爆撃の最中、彼女はワイバーンから目を逸らさず何かのタイミングを図っていた。右手は人差し指だけを突き出し、その先端には青白い光が灯っている。

 それはまるで、銃を抜き放つ時を見極めるガンマンだった。ワイバーンが再び鎌首を持ち上げた瞬間、右手の銃が震える。


「1……」


 右手をワイバーンに向かって突きつける。ワイバーンは、まだ鎌首を持ち上げたままだ。


「2の……」


 人差し指の先の光が輝く、ワイバーンは、唸りつつ首を振り下ろそうとし――。


「3!」


 瞬間、放たれた光の弾丸は一直線にワイバーンに向かっていく。そして、咆哮と火球を放つワイバーンの口に飛び込み、


「――――!?」


 爆音に混ざり苦悶の絶叫が響き渡る。

 攻撃の瞬間は動きは止まる。そして自らの火球の爆発を間近で喰らえば、ワイバーンといえどダメージは逃れられない。アインが狙っていたのはこれだったのだ。


「やった……!?」

「まだです!」


 ユウの声を否定するのと同時に、怒りの咆哮をあげたワイバーンは爆煙を切り裂き、こちらに突っ込んでくる。

 迫る鉤爪を、アインはギリギリまで引きつけてから大きく飛び退き躱す。鋭い鉤爪は大地を切り裂き深い轍を作っていく。


「近づいた……!」


 激昂したワイバーンは、自らの肉体で外敵を排除しようと距離を詰めてきた。遠距離では決定打を撃ち込めないアインにとってはチャンスだったが、


「――――!」


 しかし、彼女が体勢を整える前にワイバーンは大地を蹴り、瞬時に宙へと舞い上がる。


「アイン!」


 未だ地面に這う姿勢のアインに、ワイバーンは容赦無く飛び掛かる。回避は間に合わず、防御など人の力では紙も同然。

 迫る死を前にアインは、


「――それを待っていました」


 不敵に笑い、トパーズの欠片と共に手を大地につく。大地に閃光が奔り、鉤爪が彼女に届く刹那、


「打ち抜け!」


 命令と同時に生まれた右腕は、突っ込むワイバーンに強烈なカウンターを叩き込む。予想だにしない一撃に、竜は声を上げることも出来ず、大地に仰向けに倒れ込んだ。

 痙攣する体で藻掻くワイバーンの首に、一直線の影が差す。それは、アインが振り上げた即席のギロチンだった。


「――終わりです」


 振り下ろされた手刀にワイバーンの首が逆への字に折り曲がり、そして二度と体が動くことはなかった。

 





「全部狙い通りだったのか?」


 来たときと同じ平穏に戻った山頂で、ユウはアインに訊ねる。訊ねられた彼女は、ワイバーンの鱗を撫でながら答える。


「ええ、怒らせればこちらに突っ込んでくることは予想していました。確かに速いですが、直線なら待ち構えるのは容易です」

「火球を吐き続ける可能性は?」

「それもありましたが、その場合は避け続ければ業を煮やして突っ込んできましたよ。っと、良かった。無事だったみたいです」


 アインは声を弾ませて言って、ナイフをワイバーンの喉元辺りに押し付けていく。慎重にナイフを引いていくと、手のひら大の鱗が一枚剥がれ落ちた。


「それは?」

「逆鱗って奴ですね。竜に1枚だけある逆さについている鱗です」

「何に使うんだ?」

「武具の装飾に使うらしいです。貴重なものなので、高く売れるんですよ」


 アインは、甲殻類の甲羅のように硬く厚い鱗をザックに仕舞うと歩きだす。その方向は、崖ではなく来た道だった。


「木登りはいいのか?」

「流石に疲れましたよ。おそらくあのワイバーンは最近ここに棲み着き、それを宿の主が風喰鳥と勘違いしたんでしょう」

「ああ、なるほど。ありそうな話だ」

「はぁ……収穫はありましたが望みとは違いましたね。お腹もすきましたし、帰りましょう」

「腹が減ったなら、そこに大きな肉が転がってるだろ?」

「ワイバーンの肉なんて脂っぽくて臭いだけですよ。まったく、所詮竜ですね」

「……食ったことあるのか?」


 他愛ない話をしつつ、二人が山頂から下ろうとしたときだった。

 まず最初にアインが異変に気が付き、立ち止まる。振り返って凪の水面のような草原を見やり、次に空を仰ぐ。


「どうした?」

「いえ……風が急に止んだような……」

「風が……? 確かに、草も揺れてないな」

「……! ユウさん、アレ! 上です!」


 興奮した声をあげるアインが指差したのは空だった。

 ユウは見た。眩い太陽を背にして大翼を広げる鳥の姿を。翠色の羽根に光を受け、鮮やかに空を舞うその姿を。

 この世のものと思えない――有り体の言葉しか思い浮かばないほどに、長い尾を翻す姿は美しかった。

 

「あれは……」

「風喰鳥……だと思います。綺麗……」


 新緑の風のように穏やかに。吹きすさぶ風のように激しく。まさしく風のごとく自在に空を飛ぶ風喰鳥は、大きく羽ばたきアインの頭上を飛び去っていく。

 それを瞬きせず見送ったアインは、舞い落ちるものに気が付き手を伸ばす。それは、風喰鳥から抜け落ちた1枚の羽根だった。


「すごい……風喰鳥を見ただけじゃなくて羽根まで手に入るなんて」


 アインは歓喜の声をあげ、艶やかな羽毛を撫でたり日に透かしたりしてその美しさに溜息をもらす。

 それを見て、ふと思ったことをユウは口にする。


「お礼なのかもな」

「お礼、ですか?」

「ああ、風喰鳥はワイバーンがいたせいで飛び立てなかったんじゃないか? その羽根は、ワイバーンを退治してくれたことに対するお礼ってこと」 

「……そうですか。では、ありがたく貰っておきますよ!」


 アインは掲げた羽根を振って、どんどん小さくなっていくシルエットに叫ぶ。返事はなかったが、その代わり一陣の風が吹いた。

 風喰鳥の姿が完全に見えなくなり、止んだ風が吹き始めた頃にアインは鞘を軽く叩いて言う。


「それじゃあ、帰りましょうか。二人が待っています」

「ああ、そうだな。朝ご飯には間に合いそうにないけど」

「それは残念ですね……しかし」


 山道を下るアインは、手にした羽根をくるくると回しながら不思議そうに言う。


「自分の羽根が報酬とは、風喰鳥はナルシストなんでしょうか」

「……お前なぁ」


 ズレた感想をこぼす彼女に、ユウは苦笑で答えるのだった。

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