第112話 大鳥の正体を追え

「思っていたよりは道がありますね」


 アインは言って、落ち葉が積もった大地を踏みしめ振り返る。手の平を広げれば、そこに収まってしまうほど小さい温泉宿の全景が見えた。

 宿を出発して40分ほど歩き、山頂までちょうど半分といったところだが、この調子なら朝食に間に合いそうだ。


「あんまり焦るなよ。滑落して遭難なんてつまらんからな」

「わかってますよ。"山は慣れたと思い込んだ時が一番危ない"と教わっています」

「なら、いいけど。しかし、巨大な鳥ってなんだろうな」

「私は風喰鳥かぜくいどりだと予想してますね」

「風喰鳥……聞いたこと無いな。どんな鳥なんだ?」


 ユウが訊ねると、アインは歩む足を止めないまま答える。


「風喰鳥は、その名の通り風を食って生きるとされる鳥です。木にとまるための足はなく、一生を風に乗って過ごすと言われています」

「そいつがここに来るっていう根拠は?」

「風喰鳥は、死ぬ時は生まれた場所に帰ると言われています。正確な寿命はわかりませんが、目撃数の少なさから少数長命な生物と考えられるので寿命は十数年」

「なるほど、ここに来るっていう巨大な鳥も十数年に一度」

「そういうことです。ここで生まれここで死ぬというサイクルが途切れていないのなら、風喰鳥がここに来てもおかしくない」


 問題は、と眉をひそめるアインは続ける。


「風喰鳥が卵を生むのかという点ですが」

「なんだそりゃ。鳥なら卵から生まれるのが道理だろう」

「それはそうなんですが、そもそも風喰鳥を目撃した例が少ないんですよね。なので、生態については殆どわかっていません。死ぬと風になって、その風が風喰鳥になるなんて説もありますし」


 要するに、本当に実在するのかも怪しいということだ、とユウは無い肩をすくめる。

 もっとも、キマイラが存在した以上、風になって生まれ変わる鳥がいないとも限らないが。何しろ喋る剣だっているくらいだ。


「まあ、旨い卵があるっていうのは事実でしょう。それが何であれ、効果があるなら構いません」

「それはそうだけど。そう言えば、何処にあってどんな卵なのかは知っているのか?」

「いいえ、山頂辺りにあるとしかわかりません」


 何ら恥じることは無いというように、はっきりと答えるアイン。その態度に呆れるユウだったが、同時に何か考えがあるのだろうとも思っていた。

 彼女が嘘をつく時は目をそらす癖がある。それはここまでの付き合いでよくわかっている。しかし、今回は目をそらさず堂々と答えたということは、隠さなくても良い理由があるということだ。


 それを知ってか知らずかアインは、胸を張って答える。


「もちろん考えはありますよ。この時間帯、風は山頂から麓に向かって吹いていますね」

「それがどうした?」

「つまり、こちらが風下ということです。なら、近づけばわかりますよ」

「……匂いを嗅ぐとでも?」

「その通りです……冗談ですよ、冗談。本気にしました?」


 ユウさんってば、とアインは笑っていたが、ユウは笑えない。彼女ならそれくらい出来てもおかしくないし、むしろ出来ないのかと思ってしまったからだ。


 それを察したのか、赤面したアインは咳払いして言う。


「……ええとですね。大きな鳥ということは、巣もそれに合わせて大きいはずです。そして、それが山頂という狭い範囲に限られるのであれば、探すのはさほど難しくありません。何らかの痕跡も残っているでしょうしね」

「お、おう。なんだ……まっとうなことも言えるんじゃないか」


 至極まっとうな推測に心から感心した声をあげるユウ。そんな彼に、アインは引きつった笑顔で訊ねる。


「……あの、本当に私のことを何だと思っていますか?」

「暴力で解決したがるのを改めたら教えてやるよ」


 んぐ、と声をつまらせたアインは鞘を叩こうとした手を渋々引っ込める。しかし、それでは収まりがつかなかったのか、


「……今日の私は知性派ですよ、見ていてください」


 むくれたように言って、小石を崖に向かって蹴っ飛ばした。





 アインがさらに歩き続けること40分。最後の坂道を登りきると、底の深い皿のような形の山頂にたどり着いた。

 アインが登ってきた道以外は険しい崖と植生に阻まれており、皿の欠けたところから内側に入り込む形となる。その内側には、これまでの道中に見えた木々の代わりに背の低い草花が風に揺れていた。


 花畑のような穏やかな風景と風に、アインは感嘆の声をもらす。


「綺麗な場所ですね……ピクニックで来たかったくらいです」

「だな……山頂の割に穏やかなのは壁のせいか?」

「かもしれません。まあ、それは後で考えるとして、本来の目的を果たしましょう」


 アインはそう言って、草花を避けて風喰鳥の巣を探し始める。

 空間は、端から端をはっきりと見通せる程度の広さであるため、狭くはないが広すぎるということもない。アインの予想通り巣が大きければ、さほど苦労せず見つけることが出来るだろう。


「ぱっと見たところは、それらしいものは無いな。というか、どんな巣を作ってるんだろうな」

「やはり小枝とかでしょうか……そうか。足が無いのなら、飛び立つ時は跳び下りる形になるかもしれません」

「なら、高い所にあったほうが都合がいいな」


 ユウの言葉に、アインは目線を上げる。崖の上には巨大な数本の木がある。深い枝木に隠れているが、その中には巣があるかもしれない。

 問題は、


「……あそこまで登るんですか」


 うんざりした声でアインは言う。

 崖と言っても傾斜があるため実質坂ではあるが、登る苦労は大差ないだろう。そこを登りきっても、今度は木登りをする必要がある。そして、登りきったからといって成果が保証されているわけではない。


「……まあ、とりあえず。地上を探して無かったら登りましょう」


 暗にめんどくさいというぼやきを零しつつ、アインは地上の散策を再開する。

 

「静かだな」


 崖に沿って歩くアインに、ユウは率直な感想を伝える。

 歩いて動き回っているのは彼女だけで、それ以外の動物の気配は感じられない。鳥の囀りも虫の囁きも、ここでは交わされていなかった。

 そうですね、と答えるアインもここまでの疲れがあるせいか眠たげだった。欠伸をして大きく体を伸ばすと、


「ん?」


 その動きを止め、ゆっくりとその場にしゃがみ込む。


「……どうした」


 何かを警戒するような動きに、ユウは声を潜めて訊ねる。

 アインは、頬を叩いて眠気を払うと、同じく声を潜めて返す。


「まっすぐ前の地面、見えますか。何か白いものが突き出ていますよね」


 アインが指差したところは、そこだけ草が無く土も何度も掘り返したように荒れていた。彼女の言うとおり、白く太い棒のようなものが突き出ている。


「ん……ああ、見える」

「アレ、たぶん動物の骨です」

「……食事の跡、ってことか?」


 おそらく、とアインは頷きゆっくりと近づいていく。

 突き出しているのは間違いなく骨であり、周囲を軽く掘り返すだけで似たようものが大量に出てきた。骨の大きさから、全て大型動物のもののようだ。

 鹿の角らしきものを持ち上げるアインに、ユウは訊ねる。


「これを食ったのは熊か?」

「……ではない、と思います。熊がここまで獲物を持ってくるとは思えませんし、何より道中に血の匂いはしませんでした」


 アインは、顔を上げて自身がやってきた道を見やる。


 熊が獲物を背負ったり、両手で持って運んだりしない以上なにかしらの痕跡は残るはずだ。

 しかし、ここに至るルートは一つしか無いが、そこに重いものを引きずった跡、こびりついた血は見つからなかった。


 ということは、熊以外の何かということになるが――。


「……なんだ?」


 思考を中断させるように空から聞こえてきたのは、大きな布をはためかせたような音だった。


「ッ!」


 その正体を確かめようとユウが視線を上に向けるよりも早く、アインはその場から飛び退いていた。

 次の瞬間、重い肉感のある音とともに大地が揺れる。空高くから落下してきたそれに、ユウは言葉を無くす。


 それは、首の折れた鹿だった。既に死に絶えている肉の塊は、人が背負うと考えることすらおこがましい巨体であり、ましてや放り投げることなど不可能だろう。

 だが、それは空から落ちてきた。ならば、そうしたモノが必ずいる。


「確かに……大きな鳥と言えば鳥ですね」


 それを目にしたアインは、忌々しげにその名を言う。


「……ワイバーン」


 双翼を羽ばたかせ宙に浮くそれは、縄張りを荒らす外敵に向かって大気を震わす威嚇の咆哮をあげた。

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