第111話 卵は誰のために

「満足です……おいしい食事は心を豊かにしますね……」


 座椅子にもたれるアインは、ぬるいお茶を啜ると気分良さそうに呟く。


 食事として出されたのは、猪の肉をよく煮た牡丹鍋だった。その名の通り牡丹の花弁のように敷き詰められれた猪肉の味は語るまでもない。それは空になった鍋が証明している。

 アインは女将に勧められるままに箸を動かし続け、ようやく一息ついたところであった。


「そうね、夜風も気持ちいいし……このユカタだっけ? 楽な格好をするのも久しぶりだから、リラックスできるわ」


 ラピスは、窓際でゆったりと足を伸ばして座っていた。着慣れていないせいか少し着崩れた胸元や髪を上げて露出したうなじが艶めかしい。

 普段は見えない部位が見えるとなると誰だって気になるもので、それはユウも例外ではない。つい視線を送ってしまう彼だが、


「……」


 アインの無言の視線に明後日の方向に目線をそらす。誰も取らんと内心で呟いた。


「しかし、畳はいいのう。エドゥの宿はベッドじゃったからな。そこが不満じゃった」


 ツバキは上機嫌な声で言いながら、ごろごろと畳を転がっていた。ぴんと立った耳もふかふかの尻尾も隠さない完全に緩みきった状態だ。


「いいんですか? 女将が来るかもしれないのに隠さなくても」

「なぁに、暗示は使ってるしチラッと見られたくらいではバレまいよ」

「ふぅん、便利なんですね。私も人が話しかけてこない暗示とか使いたいです」

「あんたは相変わらずねえ」


 そんなことを話していると、襖が数回叩かれる。続いて、


「おう、食器を下げに来たぜ。入っても構わねえか」


 ややしわがれた男性の声に、アインはどうぞと答えると襖が開かれる。

 現れたのは、藍色の羽織を着た老人だった。しかし、腰はしっかりと伸びているし目も輝きを失っていない。かなりの高齢なのだろうが、それを感じさせない活力があった。

 彼は、アイン達の顔を見回すと声を弾ませて言う。


「おうおう、若い女とは聞いていたがここまで別嬪たぁ思ってなかったぜ。その年齡としで旅とはぁ大したもんだ」


 その言葉にアインはぎこちなく頷き、ラピスは社交用の笑みを浮かべ、ツバキは当然とばかりに胸を張る。狐耳は魔術で不可視となり、尻尾は座布団に挟んで隠されていた。


「っと、その前に挨拶をしなきゃならんかったな。俺は、この宿の主を任されているアイダだ。3代前の領主から続けている」

「3代前って……そんな昔からここはあるの?」


 訊ねるラピスに、アイダは誇らしげに頷く。


「おうよ。3代前の領主を労うために建てられたのが始まりだ。山奥にあるここは、日々の喧騒や仕事を忘れるにはもってこいだろ?」

「そうじゃな、苦労して登ったかいがあったというものじゃ」


 若干の皮肉を込めて言うツバキ。余程山道が堪えたらしい。

 アイダは苦笑して答える。


「そりゃあ悪かったな。昔ならともかく、領主専用の温泉に税金を投入なんてことは簡単には出来ない時代だ。だから、道を整備する余裕もないし、おめえ達みたいな一般人にも使わせるようになったってわけだ」

「そんな理由が……」

「俺としては、相手をする奴が増えたほうが張り合いがあっていいがな! で、どうだい? ここは気に入ったか?」


 アイダの問に、アインは、


「ええ、とても。温泉も食事も素晴らしかったです。とくに温泉卵は気に入りました」


 今度は若干だが自然な笑みと共に答える。それに、彼は満足げに頷いた。


「そいつぁ良かった。しかし、温泉卵を気に入ったか……惜しいな、俺がもうちっと若ければな」

「……どういう意味ですか?」


 自分が温泉卵を気に入ることと、彼が若ければという仮定にどんな繋がりがあるのか。

 訊ねるとアイダはニヤリと笑い、声を潜めて続ける。


「実はな……この山の山頂には数十年に一度、巨大な翼を持った鳥が現れる。そいつの卵で作った温泉卵は絶品で食うと不老不死になるとさえ言われてんだ」

「不老不死……」


 ゼドのことを思い出してしまい苦い顔になるアイン。いくら美味だろうと、あんな人外になってしまうのは遠慮したいところだ。

 それを老人の法螺話に対する反応だと思ったのか、アイダは、それは大袈裟だけどなと苦笑する。


「だが、まるっきり嘘ってわけじゃあない。実際そいつを食った領主たちは病気で死ぬことは無かったんだからな」

「なるほどのう。しかし、今は取れない……いや、取りにいけんのじゃろう?」

「そういうこった。山頂まで登るだけならともかく、無事に帰る自信は今の俺にゃあねえ。ちょうど今時期にやってくるんだがなぁ」


 肩をすくめるアイダは残念そうに言って、


「おっと、長話しちまったな。今片付けるぜ」


 本来の目的である食器の片付けに取り掛かる。


「……」


 それを前にしてぼうっと考え込むアインに、ラピスは声を掛ける

 

「アイン、どうかした?」

「い、いえなんでも……」


 目を逸らして答えるアイン。ラピスはそう、と一言だけ言うと追求はせず、ツバキに明日の予定を訪ねていた。

 小さく息をついたアインは、窓の外に目を向ける。そこには、月明かりに照らされた山の頂が見えていた。


「……」


 彼女は、それを見て決心したように小さく頷く。





 まだ日も昇りきらぬ早朝。大多数の者は眠っている時間帯であり、それは布団を並べて眠るアインたちもだった。

 しかし、そのうちの一つの布団がごそごそと動いたと思うと、やや遅れて布団が持ち上がる。


「……」


 アインは、しばらくぼうっと布団の上に座ったまま虚空を眺めていたが、大きな欠伸をして目元を擦るとのっそりと立ち上がる。


「……」


 音を立てないように静かに着替えをしていると、


「なんだ、お前が一番早く起きるなんて珍しいな」

「ッ!」


 ユウの声に背中を跳ねさせ、慌てて立てた指を口に当てる。

 静かに、というジェスチャーの意図は分からないが、意味はわかったユウがとりあえず黙ると着替えを終えた彼女は、


「では、行きましょうユウさん」


 ユウを腰のベルトに提げてそう告げる。何処に行くのか、とユウが疑問を投げかけようとした時、


「……んっ、アイン……なにしてんの」

「ら、ラピス!? こ、これはええと……」


 動く気配に目が覚めたのか、起き上がり半眼を向けるラピス。アインは無意味に手を動かしていたが、


「ちょっと朝風呂に入って散歩でもしようかと。起こしてごめんなさい」


 見かねたユウがそう答え、アインはガクガクと上下に頭を振る。


「……そう。気をつけて行きなさい」


 それだけ言ってラピスは枕に頭を戻して寝返りを打った。その背中にアインは、行ってきますと小声で言って部屋を出る。

 冷たい廊下を進み、部屋から離れた所でユウは改めて問う。


「で、本当は何処に行くんだ?」

「その……昨日の話を覚えていますか。数十年に一度、山頂に巨大鳥が訪れるという話です」

「それは覚えてるけど……まさか、その卵を取りに?」


 アインは無言で頷き、静かに宿の玄関を開ける。まだ太陽は山に隠れており、空気は冷たかった。


「そのためには早起きとは……お前らしいな」

「わ、私が食べるためじゃありませんし!」

「ああ? じゃあ何のためだ?」


 問われたアインは言葉をつまらせる。そのままうつむき黙っていた彼女だったが、観念したのか小声で言う。


「……ラピスですよ。今回――レプリの時もですが、危険なことに巻き込まれてばかりです。ですから、不老不死の言い伝えがある卵を食べれば良い方向に運が向くかと思って……」

「……そうか」


 そう一言だけ答えるユウの声は、どこか優しかった。それがわかれば十分だと言うように。


 相変わらずいじらしい。どうして全員で向かわないのか、というのは野暮というものだろう。プレゼントを渡す時は誰だって驚くことを期待するものだ。

 まあ、どんな理由であれ断る選択肢は初めから無いのだが。喋るしか出来ない自分だが、同行を求められたならそれに答えるとしよう。


「それじゃあ、早めに戻らないとな。余計な心配はさせたくないだろ」

「……すいません。いつも我儘に付き合ってもらって」

「驚いたな。いつも我儘だっていう自覚はあったのか」

「……私を何だと思っているんですか?」

「コミュ障で喧嘩っ早くていじらしい魔術師だと思ってるよ」


 アインは鞘を叩くと、拗ねたようにそっぽを向いて山頂へと続く森に向かう。

 頬を膨らませた横顔にユウが、


「悪かったって」

 

 悪いと思っていないのがすぐにわかる声を掛けると、知りませんとむくれた声が返ってきた。

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