第109話 安らぎを求めて

「アインー。まだ着かぬのかー? 我はもう歩き疲れたぞー」

「私だって疲れましたよ。地図を信じればもう少しですから頑張ってください」


 本当かい、と最後尾のツバキは呟き、のっそりとした動作で山道を歩きだす。


「弱音を吐いてもしょうがない……って言いたいけど、これじゃそうも言ってられないわね」


 先頭を歩いていたラピスは息を吐き、来た道を振り返る。

 緩やかな勾配の道は、何重にも蛇行しつつ麓まで続いていた。道の幅は3人並んで歩くのがやっという狭さで、木々の侵食もあり獣道よりはマシといった程度だ。


「まったく……もっと歩きやすいよう整備すればいいのに……」


 そんな道を半日近く歩いていれば愚痴も出てくるというもの。

 アインは額に浮かぶ汗を拭って、代わり映えしない道に新たな足跡をつけていく。


 何故、彼女たちは愚痴を言いながらも歩くことを止めないのか。それは、山頂付近に待ちかねるものがあるからだった。


「ほら、頑張れ。温泉はすぐそこだ」


 アインの腰に提げられているだけのユウは、悠々と言葉を投げかけた。








 マツビオサの動乱から3日が経過したある日のこと。


「平和ですね……」


 アインは、道行く人の顔を眺めて呟く。大通りは初めて訪れた日と変わらない賑わいを見せていた。

 

「コノハ達が頑張ってくれたお陰だな。それとも、表彰されなかったのは残念か?」

「前にも言いましたけど、私には柄じゃないですよ」


 からかうようなユウの言葉に、アインは肩をすくめて答えた。


 マツビオサで研究中のゴーレムが暴走し、それに巻き込まれて当主であるゼドは死亡。その息子であるシェンは、偶然居合わせた魔術師と協力しこれを停止させる。

 跡を継いだシェンは責任と賠償のためプリムヴェールへ屋敷を譲渡し、領主もこれに同意した。


 先日の一件は、このような筋書きで発表された。かなり無茶があるように思えるが、不幸中の幸いというべきか、屋敷に張り巡らされていた消音の結界のお陰でゼドの言葉をはっきりと聞いたものはいなかった。

 屋敷の中にいた者も、罪を問われることを恐れてか余計な口は出さず、早々に街から離れていった。


 これには、領民に過剰な不安を与えたくないという領主の思惑と、利用されていたシェンら関係者に必要以上の罰を与えて欲しくないというコノハの懇願もあったためだ。


「シェン達がどうなるかは彼ら次第ですが、良い未来があると思いたいですね」


 シェンは、数名の研究員と共に街外れへと居を移した。

 潤沢な資材と設備があった数日前からは考えられない没落ぶりだが、彼はむしろ晴々とした顔で現状を受け入れていた。

 捻じ曲がってしまった祖父の妄執とそれを止める使命から解放され、本当の意味で自分の人生を歩むことになるのだろう。


 アインが言う通り、その先には良い未来があると思いたい。そうでなければ、あまりにも救われない。

 ユウの言葉にアインは同意し、


「私達のこれからも考えないといけませんね」


 そう呟いた。

 

「そうだな。ラピスは協会からの返事待ちだけど、俺たちもそれ次第でこれからが決まる」

「ですねえ。不安は尽きませんが……まあ、なるようになるでしょう。あそこまで言ってしまったんですし」

「そういうこった。出来ることをするだけで、今までと変わらないさ」

「じゃあ、今は……ラピスとツバキにお土産でも買っていきましょうか。宿の食事だけだと飽きますし」


 アインは弾んだ声で言って、立ち並ぶ商店へと足を向ける。

 お前が食べたいだけじゃないのか? とはユウは言わなかった。たまにはそれくらい許されるだろう。


「色々ありますね……ふむ」


 団子、饅頭、寿司、飾り飴――目ぼしい物は多く、それ故にアインはどれにするか決めあぐねていた。

 食べ物ではなくお茶も面白いか、と店を回っていたところで、広場に人集りが出来ているのを見つける。


「何でしょう、アレ」


 アインは呟き、人集りの後ろから様子を窺う。

 人集りの先には横並びに置かれたテーブルと椅子が置かれており、そこには4人の男女が座っていた。全員が共通して体格が良いが、それ以上に異様な共通点があった。


「なんだアレ……犬耳?」


 アインに持ち上げてもらったユウは、その姿に怪訝な声を出す。

 上半身裸で鍛え抜かれた筋肉を惜しげもなくアピールする男も、恰幅の良い体を揺らす女性も、全員が犬耳のついたバンドをつけていた。

 はっきり言って誰もが似合っておらず、邪な儀式場なのではとすら思わせる何とも言い難い空間だった。この場にいる人達は、何を目的にこの場に来たのだろう。


 ユウだけでなくアインも首をひねっていると、不意にその肩が叩かれ、


「んなっ!? な、なんでしょうか!」

 

 彼女は裏返った声を上げて振り返る。


「い、いや……少しいいかな?」


 その反応に肩を叩いた男も驚いていたが、なだめるように手をかざして訊ねる。アインは、落ち着かせるように胸を抑えながら無言で頷いた。


「実は、ワンコ蕎麦の参加人数が足りなくてね。君みたいな娘に参加してもらえるととても助かるんだ」

「ワンコ蕎麦……?」


 知ってますか、と訊ねるアイン。それにユウが答えるより早く男は答える。


「ああ、犬娘わんこの真似をして食べるからワンコ蕎麦って言うんだ。起源はよく分かってないけど、昔からあるらしいよ」


 ユウが知っている椀子蕎麦とはまったく別の説明に、アインはそうなんですかと曖昧に頷いていた。

 一刻も早くこの場を去りたいというのが透けて見えるが、男は引き下がらない。


「それで、本当なら可愛い娘にやってもらいたいんだけど……まあ、賞品がつくとああいう人たちばかりが参加するんだよね。だから、君に5人目として参加して欲しいんだけど」

「嫌です」


 にべもなくすっぱりと断るアインに、男は愛想笑いを浮かべ拝むように頼み込む。


「ただ蕎麦を食べるだけでいいから! 参加費も僕が出しておくし、豪華賞品もあるんだ!」

「賞品……ですか」

「そう! あのプリムヴェール御用達の温泉宿で二泊三日だよ! こんなに豪華なのは今年だけだ!」

「温泉……」


 ふむ、とアインはうつむき考える。

 温泉は一度も味わったことがないが、疲れを取るにはもってこいだと本で読んだことがある。ラピスもあんなことがあって疲れているだろうし、プレゼントすれば喜ばれるのではなかろうか。

 犬耳をつけるのは気に食わないが、彼女のためだ。それくらいは耐えよう。

 

「わかりました、参加しましょう」

「本当かい! 助かるよ! じゃあ、これつけて一番の端の席に行ってくれ!」


 男は押し付けるように犬耳付きのバンドをアインに渡すと、そのまま参加者たちの傍に走り去る。それに遅れて、アインは端の席に座った。

 犬耳をつけた美少女の登場に観客たちが歓声を上げる中、司会役だったらしい男は腕を振り上げ声も張り上げる。


「皆さん、お待たせしました! ワンコ蕎麦選手権が今より始まります! 私の店でこれを行うのも今回で20回目! 節目となる今回は、なんとプリムヴェール家御用達の温泉宿二泊三日の権利です!」


 おお、とどよめく観客たち。その反応に司会役は満足そうに頷いて続ける。


「では、名誉ある参加者たちを紹介しましょう! 勝者を的中させた人にも景品があるので、最後までお見逃しなく!」


 その言葉に、観客の一部が目の色を変えるのが見えた。

 なるほど、それで景品が豪華な割に参加者が少ないのかと納得するユウ。勝負に参加できないものも盤外での勝負があるというわけだ。


「まず、一人目は筋肉無双の殺砂州ころっさすだ! この街一番の格闘士グラップラーである彼は、その消費も半端じゃない! 優勝候補と言っても間違いないでしょう!」


 紹介に答えて右手を突き上げる殺砂州。続いて二人目の紹介が行われる中、


「……」


 アインは、運ばれてくる大きな丼だけを睨んでいた。それ以外のものはまったく目に入っていない。

 人前に出て平気なのかと心配していたが、食事を与えておけば大体は問題ないらしい。


 ユウは、心配が杞憂だったことに安心し、ある種の図太さに呆れて視線をアインから外す。

 そのせいで彼は気が付かなかった。そもそも彼女がワンコ蕎麦の趣旨を理解しているのかということ。蕎麦がテーブルに置かれるなり、箸をつけた始めたことに。


 その間にも選手紹介は続いており、それも佳境に入る。


「そして4人目! デカァアアアアアイ! 説明不要の重戦車、マツだ! その巨体は伊達ではないところを見せられるのか!?」


 恰幅の良い女性が鼻を鳴らす。そして、残る参加者はアインだけとなった。


「そして最後は飛び入り参加の5人目! 名前もわからぬ銀髪の美少女です! この選手権に咲いた一輪の華となれ……おや?」


 そこでようやく司会役は、アインが蕎麦に箸を伸ばしていることに気がつく。

 あまりにも自然に食べていたせいで、誰も止めようとしなかったようだ。


「おおっと、やる気があるのは結構ですがワンコ蕎麦は食べる速さを競うもの! 食べ始めるのは同時にお願いします!」

「ああ、そうなんですか。蕎麦を食べるだけでいいと聞いたので……」


 恥ずかしそうに言うアインに、観客の一部は歓声を上げる。一応違反行為であるはずなのに、司会役もむしろ満足げだった。

 華のある数合わせが期待通りの役目を果たしてくれた。彼の顔はそう言っていたが、


「じゃあ、食べ終わったのでおかわりをください」


 なんてこと無いように言ったアインの言葉に、場の空気ごと凍りつく。

 その反応に首をひねるアインに、司会役は我に返ったように言う。


「あ、ああ! 面白いジョークです! つい真に受けてしまいました! 気の利いた返しが出来ずすみません! すぐに代わりを用意しましょう!」


 なんだジョークだったのか、と観客たちは笑い声をあげる。しかし、それも、


「……嘘だろ」


 呆然とした司会役の言葉とともに手元から滑り落ち、地面に落下した丼を前に言葉を失う。

 丼から溢れた汁は、土へと染み渡り黒いシミを作っていく。だが、それだけだ。それ以外に溢れたものは何もない。ネギの一欠片も、蕎麦の一本も何処にもありはしない。


「ああ、勿体無い……」


 沈痛な顔で地に落ちた丼を見つめるアインに、観客と参加者たちは信じられない目を向けていた。

 あの短時間で片手では持てない大きさの丼の蕎麦を全て食べたのか? 何かトリックを使ったのでは?

 そんな疑念混じりの視線も、


「……ええと、おかわりはまだですか? 他の方を待たせるのも悪いですよ」


 まったく気負うところの無い要求と気遣いの前に霧散する。彼女が食べたのだと、誰もが納得せざるを得なかった。

 彼女とユウを除く全員が言葉と顔色を無くす中、アインは周囲を見渡して呟く。


「……私、何か悪いことしましたか?」


 申し訳無さそうな声に、答えるものは誰もいなかった。






 そんなことがあったのだが、結果として温泉宿二泊三日の権利を手に入れたアイン達は早速その宿へと向かった。

 領主御用達と言うくらいだし、楽な道だろうと考えていたのだが、


「キッツ……まだかのう」


 何度目になるかもわからない愚痴をツバキは呟く。

 

 山の頂上付近にあるとは聞いたが、ここまで長い道のりとは思っていなかった。

 それもそのはず。領主御用達ということは、領主以外利用するものは稀なのだ。そんな場所の山道を整備する金も時間も無く、そもそもここに来るものは籠に乗るため歩く必要が無いのだ。

 それを知らなかったアイン達は、自力で山道を歩き続けていた。日は先程よりもさらに傾いている。


 アインは、汗で貼り付くシャツの襟元を緩め路肩の石を示す。


「少し休みましょう。あと少しですが、倒れては意味がありません」

「そうね……私も流石にキツくなってきたわ

「賛成……」


 耳を隠す余裕もないのか、ツバキはフードを取り去り地面にへたり込む。萎れた耳が、彼女の疲労を代弁しているようだった。

 アインとラピスは、石を椅子代わりにしてそこに腰を下ろす。ひんやりとした冷たさが心地よかった。


「疲れを取るために疲れるなんて……まるでマッチポンプね」

「すいませんラピス……もっと準備するべきでした」

「ああ、責めてるわけじゃないわよ。それに、準備ばかりの旅も面白くないでしょ?」

「……ありがとうございます」


 ところで、とへたり込んだツバキは見上げて言う。


「協会からの返事にはなんとあったのじゃ? 出掛ける時に受け取っていたようじゃが」


 ラピスは肩をすくめて答える。


「『せっかくそこまで行ったのだから、周辺の協会や調査の手伝いをして欲しい』って。期限も設定されてないし、実質休暇みたいなものね」

「アルカさんなりに気を遣ってくれたんでしょうか」

「かもね。まあ、ありがたく受け取りましょう。最後の任になるかもしれないしね」


 そう言ってラピスは、意味深にアインに微笑みかける。言ったことを忘れていないわよね、と言うように。

 

 アインは力強く頷き返す。

 もちろん忘れるわけがない。彼女と旅をしたいという願いを叶えるためなら、どんなこともやってみせる。

 

「大丈夫です。アルカさんは手強いですが、私はもっと強いですから」

「そういうことじゃないと思うが……まあ、やる気があるのはいいことじゃ」

「そうね……んっ?」


 ラピスは怪訝そうに周囲を見渡す。周囲には、青々と茂る木が広がるだけだ。


「どうしましたか?」

「花みたいな匂いがしたんだけど……周りには何もないわよね」

「言われてみれば……これは、温泉の匂いかの」


 すんすんと鼻を鳴らしたツバキは立ち上がり、頂上への道を見やる。匂いは、この先から発生しているようだ。


「匂いがするということは、だいぶ近いってことだな」

「それは朗報です。二人共、最後のひと踏ん張りといきましょう」

「おー!」


 ゴールが見えたことにテンションが上ったのか、ラピスとツバキは拳を突き上げて答えた。

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