第104話 翁の闇
現在ラピスにあてがわれている部屋につくなり、彼女はアインにそう訊ねた。
その当事者であるアインとコノハはお互いに顔を見合わせて、
「蕎麦屋で食事でとっていたところを話しかけられて……」
「その後、私の家で旅の話を聞かせてもらったの。食事もしたわね」
口々に答える。
領主の娘と知り合うには余りにもリアリティの無い話に、ラピスは疑わしそうな顔をするが、
「本当じゃよ。知り合った経緯は知らんかったが、食事をしたのは本当じゃ」
ツバキの意図的に情報を隠した供述にますます剣呑な目になっていく。
慌てて否定しようとするアインだったが、
「ええ、そうなの。私の料理に美味しいって言ってくれて、嬉しかったわ」
「……へえ」
空気がわかっていないのか、それともわかっていて燃料を投下しているのか。笑顔でコノハはそんなことを口走り、ラピスの目の冷たさが増していく。
「ラ、ラピス……」
ずいっとラピスがアインに迫る。逃げようとするアインだが、後ろは閉められた襖、左右はラピスの両腕で塞がれている。
壁ドンなんて初めて見た、とユウが呑気に考えているのをよそに、迫られたアインは両手でラピスを押し返そうと抵抗していたが、余りにも弱々しすぎた。
「人が苦労している間に随分楽しんでいたのね?」
「た、楽しんでは……」
「ふぅん? とてもそうは思えませんけど? 今日もどうして一緒にいたのかしら?」
「そ、それは……その……」
迫るラピスと目を泳がせるアイン。そんな二人を眺めるコノハとツバキは、こそこそと好き勝手に語り合っていた。
「ねえ、ツバキ。彼女はどうして怒っているのかしら」
「あれはじゃな、『また自分が知らぬ前に取られそうになった』という焦りのせいじゃな」
「また? 前にもあったのね」
「その時は『デートに誘ってやれ』と発破をかけて、まあ丸く収まったんじゃがな。そのせいもあるやもしれんな」
「デート……素敵ね。私もそんな相手が出来るかしら」
燃やすだけ燃やして我関せずな二人、迫られて混乱しきったアイン。ここに至るまでを説明出来るものはこの場には一人しかいなかった。
「落ち着いてラピス。俺が説明する」
発せられた声はアインであるが、口調と一人称は明らかに異なる。
その意図に気がついたラピスは、一先ず距離を離し――今までが近すぎたことに気がついたのか赤面していた。咳払いすると、目で先を促す。
ユウは、コノハと出会った日から今日までを説明していく。
蕎麦屋で食事中に出会ったこと。旅の話をねだる彼女の家に連れて行かれたこと。彼女が領民の生活に寄り添おうと一人暮らしをしていること。食事はツバキも同席していたこと。
そして、何度もラピスに会おうと屋敷を訊ねていたが門前払いされていたこと。今日コノハと一緒にいたのは、彼女もマツビオサに用があったからということ。
「……ふぅん。そう、なんだ……何度も私に……」
それを聞いたラピスは、何度も噛みしめるように口にすると、
「……じゃあ、良いわ。そもそも私の待遇と貴方の行動は別問題だしね」
冷静さを取り戻したのか、そう言って上機嫌な様子でアインの肩を軽く叩く。彼女はほっと胸をなでおろしていた。
「話はまとまった? それなら座ってお茶にしましょう。お互い知りたいことは多いんじゃないかしら」
座布団に腰を下ろしたコノハは、いつの間にか人数分の湯呑みを卓袱台の上に並べ終えていた。ツバキもその隣に座っている。
「そうね、こちらも何かあるなら聞きたいわ」
「ですね」
アインとラピスが腰を下ろしたところで、コノハは身を乗り出して言う。その表情は真剣だった。
「じゃあ……二人はどんな出会いだったのかしら」
「……はっ?」
戸惑うラピスをよそに、コノハはさらに続ける。
「アインの話に出てきたラピスって貴方のことでしょう? 旅人のアインとどうやって出会ったのか、気になるの」
「ちょ、ちょっと待って下さいコノハ。聞きたいことって、ゴーレムの件では無いのですか?」
「ああ、今はいいの。それよりも、二人のお話を聞きたいわ」
先程まで堂々とゼドと応対していた少女は何処へ行ってしまったのか。今アイン達の前にいるのは、他人の恋愛に興味津々な年頃の少女だった。
どう答えるべきかアインとラピス、ユウが迷っていると、
「考えがあるのなら、口にしたほうがいいじゃろ。此奴ら、どうも置いてけぼりのようじゃぞ」
ツバキが笑いをこらえながら口を挟む。
「ああ、ごめんなさい。もちろんゴーレムのことは忘れていません。けど、ラピスも全て知っているわけではないのでしょう?」
「……まあ、そうね。私は所詮招かれた客だから、分からないことのほうが多いかもしれない」
ラピスの答えに、コノハは頷いて言う。
「だから、推測混じりの情報だけで話し合っても答えは出ないし、出たとしても間違っているわ。だから、全貌を知るものが訪ねて来るまで待ちましょう」
「全貌を知るものって……誰ですか?」
「そうね……例えば」
コノハが天井を仰いで考えるポーズを取った時、襖が叩かれる音が部屋に響いた。
「シェンだ。話したいことがある」
次いで聞こえてきた入室の許可を求める声に、全員の視線がコノハに集まる。彼女は、言ったとおりでしょ? と誇らしげに小さく微笑んでいた。
ただのお嬢様ではない、とラピスはコノハに対する認識を改めると、襖に向かって答える。
「いいわ、入って」
「失礼する」
襖を開けて現れたシェンは、両手の松葉杖でふらつく体を支えながら部屋に入ると、そのまま閉じた襖に背中を預ける。折れた左足は、石膏で固定されていた。
「座るのが億劫なのでな。無作法は見過ごしてくれ」
「構わないけど……大丈夫なの?」
「この程度、亡くなった部下を思えばなんてことはない。一刻も早く原因を知りたいのは、こちらも同じだ」
そう言うシェンの言葉には、どうすることも出来なかった無力感と人らしい最後を迎えさせてやることが出来なかった慚愧に溢れていた。
町娘のように笑っていたコノハも、沈痛な表情で目を伏せていた。そして、開かれた目がシェンを捉える。
「本題に入る前に一つだけ言わせてください」
彼女は静かに告げると、シェンに向き直り畳に手をついて深々と礼をする。
「凶刃から身を挺して私を守ってくれたこと、誠に感謝致します。そして、亡くなった方の冥福を祈らせてください」
「構わぬ。こちらも借りを返しただけだ」
「借り……そのようなことを私がしたでしょうか」
「警備のものが襲われた時、危険を顧みず助けただろう。そのような者を見捨てるのは人の道に反する。むしろ、こちらから聞きたい。何故マツビオサの者を助けた?」
顔をゆっくりとあげたコノハは、シェンの目を見つめ返してはっきりと答える。
「それが人を助けない理由にはならないからです。貴方も、そう思ったから私を助けてくれたのではなくて?」
「……かもしれぬ。だが、勘違いはするな。これは自分個人の感情であり、マツビオサの総意ではない」
「ええ、もちろん。わかっていますわ」
強く放たれたシェンの言葉にも、コノハは微笑みで答える。
それは、マツビオサの者と共通するものがあったということを喜んでいるためだった。
それに毒気を抜かれたのか、シェンは咳払いすると蚊帳の外だったアイン達に目を向ける。
「……なんでしょうか」
鋭い目に睨まれた彼女は、同じく鋭い目で睨み返す。敵意を向けている――わけではなく、警備員を踏みつけて不法侵入したことを咎められるのではと怯えていただけである。
シェンは、いやと頭を振ると、
「あまり男女についてとやかくは言いたくないが、アイン殿のような少女が魔術に精通しているというのに、まったく扱えない自分が情けなく思えたのだよ」
「……魔術が使えない?」
「ああ、自分には魔術の才はゼロだった。魔力の保有量も少なく、魔道具も満足に扱えない」
「だから、研究者としてゴーレムの研究を?」
「そうだ。こんな形でも当主殿の役に立ちたいと思ったのだよ」
そんなことがあるのかとユウは考え、すぐに思い直す。
ロッソの魔術協会にも魔術が使えなくとも教鞭を執るイッサという男がいた。魔術と酒造りで分野は違えど、シーナも同じ境遇といえるだろう。
ならば、彼が魔術師ではなく研究者と優れていてもおかしくはない。ただ、彼の口振りはそれをよく思ってはいないようだった。
シェンは息を吐くと、天井を仰ぎ独り言のように話し続ける。
「マツビオサの魔術師の才能は、祖父の代には陰りを見せ、自分の代で完全に枯れた。それに絶望した祖父は、かつての栄光の証であるゴーレムの開発に躍起となった」
「祖父の代からじゃと? そこまで資金が続くものか?」
ツバキの疑問に、シェンは淡々と答える。
「それは、知識と財産の切り売りによって賄われていた。不幸中の幸いというべきか、当時のマツビオサに城を維持する力は残っておらず、それと引き換えに金を得たお陰で完全な没落は防ぐことが出来た。しかし、それも長くは持つまい」
「けど、祖父の代からなんて……そこまで命令を守り続ける理由があるんですか?」
「理由? それは単純なことだ。当の本人がそれを唱え続けているのだ。歯車が勝手に止まるわけにはいくまい」
自嘲するようなシェンの言葉に、誰もが困惑を頭の上に浮かべていた。
コノハは、戸惑いながらも訊ねるように口にする。
「ええと……あの城がプリムヴェールのものになったのは、今から100年ほど前だと聞いたわ。けど、シェンのお祖父様が当時の当主なら、30歳か40歳のはずよ」
「今も生きているなら……130歳かそれ以上……?」
「冗談が過ぎる。我ら……げふんげふん。人外のもので無ければ、そこまで生きることは出来まい」
ユウも声には出さず戸惑っていた。
この世界では知らないが、自分の世界での最高齢でも116歳程度だ。そこまで命を延ばす魔術がこの世界には存在するのだろうか。
『ありえません……確かに不老長寿を謳った魔術や薬は存在しますが、実際に目にしたものはいないんです』
『伝説か与太話だけのものってことか……』
そうだ、与太話。シェンがそう言っているだけで、実際にその祖父を見たわけではない。この仏頂面の男が、顔に合わないジョークを言っているのでは。
しかし、そんなユウの推測は、
「お前たちは、祖父を目にしている。いや、先程会ったばかりだ」
その冷静な言葉に切り捨てられる。それすら与太と信じようにも、そんな裏は一切感じられなかった。
そして、"先程会ったばかり"という言葉に戦慄を隠せないラピスは、震えた声で言う。
「ちょっと待って……じゃあ、あんたが『自分はゼドの息子じゃない』って言ってたのって……」
「そうだ、自分はゼド=マツビオサの孫だ。両親は既に家を出ている」
「……待て。では、ゼドは齢100を超えているというのか。50代にしか見えぬ姿だというのに」
「ああ。自分が物心つく前からあの姿だったし、それ以前もそうだったのだろう」
馬鹿な、と言ったきり絶句するツバキ。口には出さないが、全員が同じことを考えていた。
何らかの干渉も無く、人が100年生きて50代のように立ち振る舞えるわけがない。必ず何かあるはずのだが、
「その理由は誰もわからぬ。訊けるわけもない。誰が好き好んで藪を突きたがるものか」
だが、とシェンは言葉を濁らせながら続ける。
「緋々色金の腕輪……そんな言葉を口にしたのを耳にしたことがある。聞き間違いかもしれぬが」
「ヒヒイロカネ……聞いたことがあるような」
ぼんやりとした記憶を掴みきれないアインはラピスを見やるが、彼女は肩をすくめる。代わりにツバキが答えを出した。
「緋々色金は伝説の金属じゃよ。その表面は夕暮れのように輝き、その刃はあらゆるものを穿ち、その盾はあらゆるものから守ると言われておる」
「私も、昔話で聞いたことがあるわ。けど、本当に存在するのかしら」
「わからぬ。あるとは言われているが、我も同族も目にしたことはない。ただ、ゼドが本当に緋々色金の腕輪を身に着けているなら……長寿にも納得がいく。それほどに力あるものと伝えられておるからな」
「だけど……そうだとしたら、財産を切り潰してまでゴーレムを造る必要はあるのかしら。そんなにすごいのなら、その腕輪だけで家を復興することが出来るはずなのに」
「それは自分にもわからぬ。悲願を果たすとは言っているが、本当にそうなのかは……断言できぬ」
わからないことばかりだ、と口を挟めないユウは独りごちる。
シェンが全貌を知るものと考えていたが、彼ですら見えているのは氷山の一角に過ぎず、水面下にどれだけ大きな秘密が隠されているのかまったくわからない。
「まいったわね……」
口を開く度に疑問は増えていくが、それらが解決することはなく、ただ飲み込めないものだけが積み上がっていく。
確かなことは、ゼドという人物が見た目通りの好々爺ではなく、底知れないものが潜んでいる翁であるということだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます