第102話 合流、怪物との対峙

時間は、ラピスが工房で頬杖をついている時まで巻き戻る。



「ラピス、どうしているんでしょうね」


 茶屋の長椅子に腰掛けるアインは、重い溜息とともに独りごちる。

 その隣に座るツバキは、そうじゃのうと言ってすすっていた湯呑みを置いた。


「同じ街にいながら数日顔を合わせないとは思わんかった。会いに行こうにも門前払いじゃしのう」

「ですねえ……伝えてくれとは言っていますが、あの調子じゃそれも怪しいですし」


 再びため息をつくアイン。脳裏には、無表情のまま事務的な受け答えに終始する警備の顔が浮かんでいた。


「せっかく偶然の再会が出来たというのに、これではな。デートが出来なくて残念だったか?」

「……からかわないでください。何かあったのかと不安なんです」


 アインは拗ねたように言って、立てた膝に顔を埋める。

 不安げな様子の彼女に、ツバキはバツが悪そうに頬を掻く。


「……そうか、それはすまんかったの。これでも食って元気を出しとくれ」


 ツバキが差し出したみたらし団子に、のっそりと顔を上げたアインは一口かじりつく。

 普段ならそれで機嫌を良くする彼女だったが、浮かない顔は晴れることがない。


 アインは、三度溜息をつくと空を見上げる。靄ばかりの心情を笑うように、雲一つない青空だった。


 彼女も、同じ空を眺めているのだろうか。

 近くにいるはずなのに、遠くに感じられるラピスを思うと胸が締め付けられるようだった。


「あら、アイン。随分沈んだ顔をしているわ」

「わっ、った!」


 突然顔を覗き込まれたアインは驚きのあまり背筋をのけぞらせ、そのまま倒れ込んで背中を打つ。

 背中に走る痛みに顔をしかめていると、


「ご、ごめんなさいアイン。そんなに驚くとは思わなくて……」

「い、いえ……大丈夫です……」


 申し訳なさそうに手を差し出すコノハの手を取り、長椅子に座りなおす。コノハは、その隣に腰を下ろした。

 そのまま押し黙っていた二人だが、おずおずとコノハが口を開く。


「アインは、何か悩んでるの?」

「……やはり、そう見えますか」

「誰だってそう思うわ。ご飯を食べている時の貴方は、もっと素敵な顔をしていたもの」

「……そんな顔してました?」


 訊ねるアインに、


「ええ、してたわ」

「しておったな」


 コノハとツバキは口々に言う。声には出さないがユウも同意見だ。

 そんなに浮ついているんですか、とアインは呟くと咳払いして言う。


「それはそれとして……まあ、悩みって言うほど大げさじゃないですよ。ただ友人と会えないのが寂しいと言うだけで」

「ご友人と……遠くにいらっしゃるの?」

「いえ、すぐ近くなんですが……簡単には入れないというか」

「マツビオサの客人として招かれているのじゃよ。会いに行っても門前払いされてしまった」

「マツビオサに……そうだったの」


 物憂げに呟くコノハだったが、すぐにぱっと顔をあげる。その顔は、名案が思いついたというように自信ありげだった。

 領主の娘ならではの解決法があるのか期待するアイン。コノハは、指を立ててそれを告げる。


「じゃあ、今から会いに行きましょう!」

「……はっ?」


 いやいやきっと何か策があるのだと気を取り直そうとするアインだが、


「私もこれからマツビオサに行こうと思っていたの。ちょうどいいでしょう?」

「ええと、つまりアポがあるということですか?」

「あぽ……ああ、約束ね。ううん、無いわ」


 きっぱりと笑顔で言い切られ言葉を失う。

 ツバキもそれは予想外だったのか、困惑半分呆れ半分の顔をしていた。


「……その、アポ無しで訪ねて入れてくれるような場所ではないと思います。現に門前払いされましたし」

「大丈夫、私もずっとそうだったから。けど、今日は違うかもしれないわ」

「ずっとって……何度も通っていたんですか?」

「ええ、一人で暮らすようになってからだから……913回かしら。今回で914回目ね」

「きゅっ……!?」


 さらっと口にした数字にアインは、息を呑む。

 一日一回だとしても約2年半続けなければ達成できない。いや、彼女の口ぶりからして事実そうなのだろう。

 何故そんなことを。脳裏に浮かんだ疑問をツバキが代弁する。


「それだけ門を叩いても顔を合わせようとしない相手に、どうしてそこまで拘る? わざわざご機嫌取りをする相手ではなかろう」

「そうね、マツビオサにそれだけの力はもう無い。かつての支配者であっても、今ではそれも過去のもの。プリムヴェールとの禍根を断つというなら、いっそ追い出してしまったほうが楽かもしれない」


 淡々と論理的に言葉を重ねるコノハの横顔は、合理的に動く為政者のものだった。

 その変化に戸惑っているアインに気がついたのか、彼女は大げさに肩をすくめて続ける。


「なぁんて、お父様やお兄様は考えているの。それが間違っているとは思わないけど、私はそれだけしかないとは思わないわ」

「じゃあ、御主はどうすると?」

「もちろん、話し合いよ。お互いが認め合えるまで、お互いが納得し合える前で膝を突き合わせるの。それだけでどうにもならないことは多いけど、それがわかるまでは試す価値があると思うの」


 貴方もそう思うでしょ? と微笑むコノハ。

 一見すれば世間擦れしていない小娘の甘言で理想論だ。けれど、彼女が口にすると"そうかもしれない"と思わせる何かがあった。


「ふむ、夢想家じみているが……我は嫌いではない。いや、むしろ好ましい。夢に向かってひた走る姿勢は、見ていて飽きぬな」

「ありがとうツバキ。けど、私が目指しているのは夢じゃなくて星よ?」

「はははっ、そうであったな」


 ツバキは可笑しそうにくつくつと笑う。アインは、眩し気な表情でコノハを見つめていた。

 コノハは立ち上がると、二人に向かって言う。


「私は行くけど、二人はどうするの? 一緒に来てくれると嬉しいのだけど」


 ツバキは無言でアインの顔を見やる。二人の視線を浴びる彼女は、少し考えてから、


「……行きます。一度や二度でへこたれるのは情けないですし、ここで愚痴っていても仕方ありません」


 そう答えて、嬉しそうに頷くコノハを先導するように歩きだす。

 それは、コノハの背中を追いかけるだけでは駄目だという気持ちの現われであったが、


「おい、アイン。マツビオサの屋敷はそっちではないぞ」


 呆れ気味に指摘するツバキの声に動きを止めると、ぎこちない動作でフードを被って舞い戻る。どうも、気持ちだけが先走っているようだった。


 会計を済ませた3人は並んでマツビオサの屋敷を目指す。その途中、コノハが屋敷にいる友人について訊ねた。

 訊ねられたアインは、


「私と同じ魔術師です。私よりちょっと年上で赤い髪が特徴的な、魔術協会の調査隊副隊長を務める若きエリートといったところでしょうか」


 何処か誇らしげな口調で答える。

 それを聞いたコノハは、まあ、と口に手を当てて言う。


「すごい人なのね。私と変わらない年齡で人の上に立つ仕事をしているなんて」

「ええ、私もそう思います。私なら逆立ちしても出来ません」

「その方とも会ってみたいわね。叶うなら、一緒にお茶を飲みたいわ」

「そうですね……そうしたいですね」


 ツバキと顔を合わせた時も彼女はひどく驚いていたが、今度は領主の娘だ。一体どんな反応をするだろう。

 アインはそんなことを考えながら、道を曲がる。その先には、マツビオサの屋敷と門が見えた。


「何度も訪ねているけど、やっぱり緊張するわ。アインはどう?」

「私は……正直、怖いかもしれません。交渉事はどうにも苦手で」

「じゃあ、私に任せて。笑顔には自信があるのよ?」


 そう言って微笑むコノハに、アインの緊張も若干ほぐれる。

 ふと、ここまで黙りっぱなしのツバキを見ると険しい表情で門を睨んでいた。


「どうしました、ツバキ?」

「何か変じゃ……。塀の中から音がする」

「音、ですか?」


 聞こえますか、と目でコノハに訊ねるアイン。コノハは首を振って否定し、


『俺も聞こえない』


 ユウも同様に否定する。


「気のせいじゃありませんか?」

「いや、違う。音はしているのに、それが不自然にかき消されている……そんな感じじゃ」

「……何らかの魔術でそうしている、ということですか」


 冗談や間違いではないと理解したアインは、鋭い目を屋敷に向ける。傍目には、前に見た時も何も変わらず、警備員も黙って直立しているだけだ。


「消音の魔術を塀に張り巡らせれば、それも可能です。そうすると」

「何のためにそうしているのか。中で何が起きているのかじゃな」


 アインの言葉を引き継いだツバキは、彼女と顔を見合わせると足早に門に向かう。


「二人とも、どうしたの? 何があるの?」

「わかりませんが……良くないことが起きているかもしれません。とにかく、急ぎましょう」


 不安げに訊ねるコノハに、アインは振り返らず答えて門まで走っていく。それにツバキが続き、コノハが慌てて追いかける。

 駆け寄るアインに気がついた警備員は、門の前に立ちふさがるように立つと威圧的な口調で彼女に告げる。


「なんだ貴様は。ここは無関係の者の立ち入りは禁止されている。さっさと消えろ」


 アインはその言葉には耳を貸さず、じっと目を閉じて塀の中の音だけを聞き取ろうと耳を済ませる。

 ――ツバキが指摘しなければ聴き逃していたであろうほどに極僅かではあるが、聞こえる。重い鉄球が岩にぶつかったような音が確かに聞こえた。


「門を開けてください。中で何かが起こっています」

「何かだと? 適当なことを言って門を開けさせるつもりか?」

「違います……いいから早く開けてください!」


 苛立ちから声を荒げるアインだったが、それは逆効果だった。警備員は増々疑いの目を強めると、絶対に退くまいと強く地面を踏みしめる。

 いっそ無理やり入ってやろうかとアインが考えたときだった。


「いやいや、遅れてすまんかった。ちょいと道が混んでいてな」


 親しげな声が背後から聞こえ、頭の横を淡い光を放つ蝶が通り過ぎていく。蝶は、警備員の頭をくるりと回ると初めから何もなかったように空に溶けていった。

 警備員は、わざとらしい笑顔を浮かべるツバキに呆けた声で言う。


「お前は……」

「10分前に面会の約束をしておったものじゃ。そうであろう?」

「……ああ、そうだったな。今開ける」


 警備員は、ふらふらとした足取りで門に向かっていく。その後ろでツバキは、舌を出してそれを眺めていた。


「あれが暗示の魔術か?」 

「そうじゃ。興奮した相手には効きづらいが、あれくらいなら十分じゃろ」

「助かりました……ありがとうございます、ツバキ」

「なぁに、今度団子でも奢ってくれれば良かろうぞ」


 何はともあれ、穏便に中にはいれそうだ。

 そうユウが思えたのは束の間のことだった。


「ふ、二人とも……はやい……」


 息を切らした声にアインとツバキ、それに警備員が振り返る。

 そこには、肩で息をするコノハの姿があった。それを見た途端、夢見心地だった警備員は目を見開き、


「お前……! コノハ=プリムヴェール!? お前らはいったいなんだ!?」


 開きかけていた扉を慌てて閉めると、疑惑ではなく明確な敵意の目をアイン達に向ける。


「ツバキ……」

「わ、我は悪くない! あくまで暗示なのじゃから、絶対にあり得ないことが起きれば目も覚める!」

「……私が何かしてしまったかしら」

「いえ、貴方のせいじゃありません。ツバキ、中からまだ何か聞こえますか?」

「う、うむ。まだ聞こえるぞ。ここまで近づいてさらにはっきりした」

「……なら、仕方ありません」


 アインは呟き、右手に光球を浮かべると門の正面に立つ。そして、それを立ち塞がる警備員に向かって突きつけて言う。


「門と心中する気がないなら、そこを退いてください。痛い思いはしたくないでしょう」

「な、なにを言っている!? ここが何なのかわかっているのか!?」

「さあ、よくは知りません。まあ、入ればわかりますよね」

「お前……一体何を……!」


 アインは、光球を突きつけたまま、不安げにこちらを見やるコノハに目配せする。

 その意図に気がついたコノハは小さく頷き、大きな扉に向かって駆け寄る。


「おい、待て! 何を!」

「動くな! そこから動けば撃つ!」

「……っ!」


 警備員が躊躇する間に、コノハは扉を押し開けていた。内と外の境界が決壊した瞬間、そこから体全体を震わせる轟音が響いた。


「な、なんだ……あ、お前ら!」


 戸惑う警備員の横をすり抜け、アインとツバキは敷地内に入り込み、そして絶句する。

 おそらく工房であろう建物は、壁の一部が大きく吹き飛び内外の区別がつかなくなっていた。そこから僅かに見える内部も、瓦礫が散乱しまともな状況とは言い難い。

 ここで一体何が起きたというのか。呆然と立ち尽くす三人だったが、


「不法侵入者め。ここが何処なのかわかっているのか?」


 冷徹な声に我に返る。気がつけば、警備員に周囲を取り囲まれていた。

 アインとツバキは、コノハを庇うように前に出るが、


「私は大丈夫。それより、ここで何があったのか聞きたいの」


 決意を秘めた瞳で告げる彼女に、少し迷ってから体を引く。ありがとう、とコノハは小さく微笑むと、警備員に毅然とした顔で向かい合う。


「ここは関係のないものは立入禁止だ。今すぐ立ち去れ。それとも約束があるというのか?」

「約束はありませんが……用はあります! 一体ここで何が起きたのか、コノハ=プリムヴェールには知る義務があります!」


 プリムヴェールの名に警備員達はざわつき、顔を見合わせる。どうやら対応を決めかねているようだ。

 ならば、畳み掛けるなら今か。客人であるラピスの名前を出せば、少しは有利に運べるはず。

 そう考えたアインは小さく息を吸って前に出る。


「…………アイン?」


 開きかけた口を固め、アインは声がした方を勢い良く見やる。


「…………ラピス」


 鮮やかな赤い髪は乱れ、服は土汚れにまみれているものの、そこに立っているのは間違いなく彼女だった。


「ラピス!」


 呆ける彼女に向かって、アインはもう一度名前を呼び、コノハの事も忘れて彼女のもとに駆け寄ろうとする。


「逃がすとぐぅっ!?」

「きさまああっ!?」


 立ち塞がる警備員に容赦無く光球を撃ち込み、人の壁を突破したアインはラピスのもとにたどり着く。そして、まだ事態が飲み込めないのか呆けたままの彼女の手をとり、震えた声で叫ぶ。


「ラピス! 大丈夫ですか!? ここで何があったんですか!?」

「……あ、うん。大丈夫。何があったかは……一言じゃ言えないわ」

「……良かった」


 心から安堵の息を吐くアイン。状況が飲み込めてきたラピスは、彼女の背後に目をやり顔をしかめる。


「随分大騒ぎしたみたいだけど……あの黒髪の娘は誰? プリムヴェール……って聞こえたけど」

「ああ、コノハですか。彼女は領主の娘であるコノハ=プリムヴェールです」


 それを聞いたラピスは驚き半分呆れ半分の顔で言う。


「…………あんた、縁が無さそうな女の子と縁を作るのが特技なの?」

「そういうわけでは……結果的にそうなるだけで……」

「まあ、いいわ。とにかくお互い聞きたいことはあるだろうけど……とりあえず手、離してもらえる?」


 言われてアインは慌てて手を離し、少し顔が赤くなったラピスはそっぽを向く。微妙な空気が流れるが、


「一体何の騒ぎだ?」


 騒ぎを聞きつけたシェンが二人のもとにやってくる。警戒するアインをラピスは制し、簡潔に情報を伝える。 


「コノハ=プリムヴェールと私の友人が、騒ぎに気がついてここに来た。一体何があったのかを知りたいそうよ」

「……プリムヴェール。わかった、自分が行く」


 シェンが頷き、彼女のもとに向かおうとした時。

 ラピスは彼の背後から工房まで黒ずんだ土が続いていることに気がつく。何か液状のモノが這いずったような――。


「ッ! まさか!」


 嫌な直感に背中を押されたラピスは、火球を黒ずんだ土めがけて放つ。それが地面に触れ炸裂する刹那、


『――――!』


 鼓膜ではなく心を震わせる叫びとともに"藻屑"が飛び出し、爆風に乗ってコノハを取り囲む警備員たちに飛び掛かる。


「えっ?」


 迫りくる危機に警備員はただ呆然と見つめることしか出来ず、その体が緑色の塊に押しつぶされる――。


「危ないっ!」


 その直前、体ごとぶつかったコノハに押し倒され、すんでのところで危機から逃れる。

 手を伸ばせば届く距離に着地した"藻屑"は、衝撃で広がった体を縮めていき、やがてある形へと変貌する。


「こいつは……人……?」


 それを前にしたツバキは、呆然と呟く。

 鉄で出来た人型をドロドロに溶かしたような歪なフォルムではあるが、二本の腕と胴体から繋がる首、そこに接する丸型は人間を連想させた。

 だが、緑色に濁った粘液で構成された体は人から大きくかけ離れている。明らかに異質である怪物に、誰もが固まっていた。


『――――――!』


 人であれば口に当たる部分が大きく裂け、顎に当たる部分がべっとりとこそげ落ちる。声無き叫びは、理不尽に対する怒りと恐怖を叫んでいた。

 瞳無き顔が、倒れたままのコノハを捉える。


「立って! 逃げて!」


 同じく倒れたままの警備員の背中を叩き、逃げるよう促すコノハ。二人は足をもつらせながらも立ち上がろうとするが、それには怪物との距離はあまりにも近く、


『――――!』


 怪物がその腕を二人に振り下ろし、


「シュート!」


 アインの手から放たれた光球が、怪物の右腕から肩にかけてを吹き飛ばす。吹き飛んだ右腕は、地面に叩きつけられると同時に形を失い土に溶けていく。


「ほら、しゃんとせんかい! さっさと逃げるんじゃよ!」


 駆け寄ったツバキが二人を引っ張り、怪物との距離を離したのを見計らい、ラピスは魔術を解き放つ。


「フロスト・ファング!」


 放たれた氷の牙は、怪物に食らいつかんと迫るが、


『――――!』


 怪物は、伸縮自在の腕を鞭のように振るい、首元に食らいつかれる前に全て叩き落とす。牙は、腕の先端部を凍りつかせるだけで終わった。


 やはり、とラピスは確信する。

 あの怪物は、魔術の性質を理解し、その対処法も知っている。しかし、何故スライムモドキがそんな知識を――。


「ラピス!」

「ッ! わかってる! あれは焼くか凍らせるかじゃないと倒せない! 援護をお願い!」


 アインの声に、ラピスは思考を切り替える。

 今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、今はあの怪物をなんとかしなければ……!


『――――!』


 怪物は左腕を横薙ぎに振るう。長く伸ばされた腕は遠心力も相まって凄まじい速度となり、アイン達は這いつくばるようにしてその一撃を躱す。

 振るった腕が長いほど、二度目の攻撃には時間がかかる。そして、伏せた相手を攻撃するには縦に振るうしかないが、それで攻撃できるのは一人。その間にもう一人が攻撃すればいい。

 アインとラピスはそう考えていた。しかし、それは前提が一つ狂うだけで破綻するとは、考えていなかった。


『――――!』


 人であれ獣であれ、意志を持つものは本能的に一番危険の大きなものから排除しようと考える。

 ならば、この場で一番危険の大きなものは?

 それは、鎧を破壊したラピスであり、右腕を吹き飛ばしたアインである。少なくとも二人はそう考えていた。


「ッ! なんで……!?」


 だが、怪物が振り上げた右腕は、何の脅威も無いはずのコノハ目掛けて振り下ろされようとしていた。

 予想が完全に外れた動揺に反応が遅れる二人。伏せたコノハに振り下ろされる腕は躱すことは出来ず、


「がァッ!」


 苦悶の声と足の骨が砕かれる乾いた音が響く。だが、それはコノハのものではなく、


「シェン!?」


 庇うように覆いかぶさったシェンは、鋭い痛みに声を震わせながらも叫ぶ。


「構うな……! はやく、そいつを……!」

「……ラピス! 上から攻撃を!」

「任せなさい!」


 アインが両手をついた地面から青白い光が奔り、怪物を囲むように円の軌跡を描く。瞬間、土が螺旋状にねじれていき造り上げた煙突の中に怪物を閉じ込める。


「空から地へと墜ちよ、朱の彗星!」


 ラピスのかざした手の先――煙突の頂上に朱い光球が生まれる。手を叩きつけるように振り下ろし、叫ぶ。


「レッド・コメット!」


 声に答え、朱の彗星は煙突内に墜ち、僅かな静寂ののち爆風と爆炎を頂上から噴き上げる。


『―――――!』


 断末魔の叫びを上げる怪物。一際大きなそれが響き、そして衰えていく。爆炎が消え去り、煙突が崩れおちたそこには、焼け焦げ黒ずんだ土だけが残されていた。

 今度こそ倒した。そう思った瞬間、ラピスの体がふらつく。


「ラピス、大丈夫ですか?」


 その体を支えたアインに、ラピスは力なく微笑む。


「平気よ……ただ、流石に疲れたわ」


 そう言って彼女は、力を入れて立ち直る。怪物は倒したが、まだ事態が収拾したわけではない。

 むしろ、これからだ。


 ラピスが睨んだ先を、アインは追う。


「午睡から覚めてみれば……妙なことになっておるのう。それに、プリムヴェール家のご令嬢までいらっしゃるとは」


 惨状を前に、場違いに穏やかな声をあげる男がそこにはいた。男は好々爺の笑みを浮かべ、辺りを見回しながらゆっくりとこちらに近づいてくる。


「さて、ラピス殿には説明しないといけないようじゃが……」


 にぃ、と口の端を糸で吊り上げたように笑う。その先には、痛みに脂汗を浮かべるシェン。そして、


「こちらも、説明してもらう必要があるな?」


 倒れながらも毅然とした目で睨み返すコノハに、マツビオサ家当主――ゼドは強い怒りを孕んだ声でそう告げた。

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