第101話 緑の血を焼き尽くせ

 私は、深呼吸をして思考を切り替え、眼前の敵を睨む。


 敵は、4メートル程度の大きさのゴーレム。装甲は特殊合金で、物理・魔術のどちらに対しても強靭な防御を誇る。

 加えて、人の筋肉と同等の働きを持つ"藻屑"が注入されており、運動性は通常のゴーレムとは比べ物にならないだろう。

 そして、謎なのは『何故操縦者無しで暴走しているのか』ということだ。ここにある"天"は、ケーブルと操縦者無しでは操作することが出来ないはずだ。


「――――!」


 だが、現実に"天"は起動している。慟哭するように、大気ではなく感情を震わせる叫びを上げている。

 この感情を直接揺さぶるような"声"もわからない。何か悲しんでいるようだが、一体何を悲しんでいるというのか。


「……いいわ、それは後で考えましょう」


 どちらにせよこのまま放っておくわけにはいかない。

 私は、ポケットに手を突っ込み荒く磨かれたルビーを手に取る。


「朱の輝きよ、我が手に宿れ! 生まれし焔よ、我が敵を焼き尽くせ!」


 詠唱に答え、手の中のルビーが赤い輝きを放つ。それを "天"の一つ目めがけて放り、叫ぶ。


「レッド・バースト!」


 詠唱に呼応し、ルビーは赤い閃光と共に弾け散る。炸裂範囲を狭く絞った分だけ高熱の炎は、風船のように膨らみ"天"を覆い隠していく。

 岩くらいなら融解させられる熱量があるそれだが、炎が萎みきった時そこには表面がやや溶けただけの"天"がこちらを睨んでいた。


「チッ! もうちょっと食らってもいいでしょ!」


 悪態と共に私は通路を走り出す。遅れて、先程立っていた地点に拳が振り下ろされた。

 振動に体勢を崩しそうになりながらも、何とか階段までたどり着く。狭い踊り場まで一気に跳び、間髪入れず1階まで跳び下りると、演習場の壁に身を隠す。


「――――!」


 壁から様子を窺うと、"天"はえぐり取った手すりを振り回し、辺りをめちゃくちゃに叩きまわっていた。まるで自身の悲しみを打ち壊そうとしているように。

 だが、それで奴の悲しみが晴れるとしても、そんなことはさせられない。屋敷の外に出れば、間違いなく惨事が起こる。それを防ぐためにも、必ず止めなければ。


 だが、どうやって?

 私はポケットにある宝石を確認する。ルビー、サファイア、ペリドットが幾つか。普通なら十分過ぎるが、あの装甲に通じるかどうか……。


 如何に特殊合金と言えども、金属には変わらない。現に僅かではあるが表面は融解しているのだ。持続して火力をぶつけられれば、行動不能までは追い込めるはずだ。


 問題は、それだけの火力をどうやって発揮するか。

 レプリの時は、アインのブラッドルビーのお陰で苦もなく灼き尽くす事ができた。しかし、あんな物を私が持っているはずもない。ツバキなら所持しているかもしれないが、何処に居るかもわからない彼女を探す余裕はない。


「自分でなんとかするしかないってことか……」


 状況は良くないが、最悪ではない。少なくとも『通じるかもしれない』という希望はある。

 なら、それを目指して突っ走るしか無い。試せるだけのことを試してやろうではないか。 


 私は、身を隠していた壁から躍り出ると同時に魔術を解き放つ。


「氷竜の吐息よ、牙と成れ! フロスト・ファング!」


 放たれた氷の牙は、"天"の肘に食らいつき氷で覆い尽くす。

 鉄柵を振り回していた動きが一瞬止まるものの、肘を無理やし動かすことで鈍い音を立てながら氷は砕けていった。


「――――!」  


 体ごと振り向いた"天"の赤い瞳が私を捉える。完全に敵と認めたのか、叫びには明らかな敵意があった。

 これで、外へ出る心配は無くなったはずだ。後は、どうやって動きを止めるか……。


「――――!」


 耳障りな――いや心障りというべきか――叫びをあげ、"天"は前傾姿勢をとり地響きを立てながら距離を詰めてくる。


「速い……!」


 一歩一歩確かめるような歩みではなく、人がそうするように足をついた瞬間には次の脚を振り上げている。普通のゴーレムとは全く比べ物にならない速度で迫るそれは、数秒もあれば私を踏み潰せるだろう。


 そんなことは御免こうむる。私は地面に手を付き、大地へ命じる。


「大地よ! その身を削り虚と化せ!」


 青白い魔力の光が地面を奔り、大地を削り取って大小の穴を生み出していく。

 ただのゴーレムならこの程度の罠にも気がつかず転倒するのだが、"天"は穴を避け、或いは跳び越えながらこちらに近づいてくる。

 自意識がなければ不可能な動きだが、ゴーレムがそんなものを持つとは思えない。そうなると考えられるのは……。


「――――!」


 振り下ろされた拳を飛び退いてなんとか躱す。殴りつけられた地面が抉られ砂塵が舞う。

 その悪視界の中で、一つ目の怪物の赤く輝く瞳は確かにこちらを睨めつけていた。

 見下されるのはいい気分はしないが、これはチャンスだ。


「スラッジ・ショット!」


 地面の土を掬い上げるように腕を振り、そのまま魔術の水で覆って放つ。

 "天"は、ただの水と脅威を覚えなかったのか宝石の瞳で受け止める。そのまま私に向かって腕を伸ばし、


「―――!?」


 バランスを崩し、腕を伸ばしたまま倒れ伏す。轟音と共にさらに砂塵が舞い上がった。

 私はそれを腕で防ぎつつ壁沿いに走り、"天"の背後を目指す。


「――――!」


 動揺と苛立ち混じりの感情が聞こえる。振り向くと"天"は金属製の指で顔をかきむしっていた。

 瞳についた泥を拭い取ろうとしているが、粘着質の水はその程度では剥がれずますます広がっていく。


「やっぱり、あの目で見ている……」


 ということは、何者かが外部から操作している可能性は完全になくなった。間違いなく、あのゴーレムは自意識を持っているということになる。

 そして、あの人と変わらぬ動き。それを可能にしているのは中を満たす"藻屑"だ。

 あれを注いでから暴走したことを考えると、"藻屑"をどうにかすれば止まる可能性がある。あくまで可能性だが、他に思い当たるものもない以上1つずつ可能性を潰していくしかあるまい。


「ッ!」


 無茶苦茶に暴れまわる"天"が演習場の壁を砕き、工房のガラスが割れていく。まるで豪雨の真っ只中にいるようだ。

 私は、轟音に止まりかける脚を叱咤し、何とか奴の背中側にたどり着く。


 あの装甲を正面から破壊するのは不可能だろう。しかし、"天"の背中にはケーブルを接続するための穴がある。内部にまで届くそこは、間違いなく他よりも装甲が薄いはずだ。

 そこに高威力の魔術を叩き込めれば、中の"藻屑"にまでダメージが及ぶ。攻撃が届きさえすれば、灼き尽くすことは出来るはずだ。


「蒼の輝きよ! その輝きを持って縛めと成せ!」


 思い切り振り抜いた手から二つのサファイアが軌跡を描き、"天"の足元に落下。その瞬間、蒼い輝きから氷が生まれ、下半身を封じ込める。


「―――!」


 "天"は縛めから逃れようと氷塊に向かって拳を叩き込んでいく。割れはしないものの、着実に氷は削れていた。


 高い宝石を使ったのだから、十数秒は持ってもらわねば困る……!

 私は焦る心を落ち着かせ、大粒のルビーを握った右手を天にかざす。


「地から生まれし朱の輝きよ! その輝きは全てを穿ち、抉る必殺の一撃! 我が手に来たれ、朱の魔槍!」


 握りしめた手の中でルビーが砕け散り、その欠片が赤い光を帯びながら連なっていき、一本の魔槍と化す。

 私は、接続穴を睨み魔槍を構える。氷の縛めはもう長くは持ちそうにない。


 チャンスは一度、これで決めるしかない……!


「レッドブランチ・エクスプロージョン!」


 叫びとともに天井に向かって放たれた魔槍は、放物線の頂点で急停止する。そして、穂先を目標である接続穴に定めると、獲物に飛び掛かる猟犬のように急降下していく。

 直撃すれば、内部から枝のように炎が広がり大爆発を起こす。幾ら装甲が頑丈であろうと、内部で炸裂すれば逃げ場はない。


 彗星のように尾を引く魔槍の狙いは、まったくズレていない。間違いなく直撃する。

 そう私が考えた時だった。


「――――!」


 "天"は、氷の縛めから逃れられぬとみるや、砕いた壁の残骸を引っ掴み飛来する魔槍に投げつける。

 不安定な姿勢から放っただけに過ぎないそれは、魔槍が突き刺さった表面に赤い閃光が奔り、次の瞬間には爆炎をあげ砕け散る。結果、"天"には何のダメージも入っていない。


「嘘……!?」


 私は、次の手を考えることも忘れて驚愕していた。

 ただの瓦礫で魔槍を防がれたことにではない。あの魔槍は突き刺さったものを爆砕するのであり、貫通効果はない。故に、今"天"がやってみせた対処が正しい。


 しかし、問題なのはゴーレムがそれをやってのけたということだ。いくら自意識があると言っても、一目見ただけで魔術の性質をそこまで理解できるわけがない。

 あの対処の仕方は、魔術に対する知識がなければ咄嗟に出来るとは思えない。

 だが、何故ゴーレムにそれが? それとも単なる偶然か?


 答えの出ない自問自答。それは、目の前に敵がいるときにすべきではなかった。


「っしま!」


 私が我に返ったときには、"天"は氷の縛めから半ば抜け出し、瓦礫をその手に掴み投げつけようとしていた。

 壁に隠れるには遠すぎる……!


「――――!」


 感情の咆哮をあげ、瓦礫を投擲する"天"。迫る生命の危機に、舞い散る砂塵の粒まで認識できるような錯覚の中、私はポケットのルビーを引っ掴む。

 間に合うか……!?


「弾けろ!」


 放ったルビーは呼びかけに答えて爆発し、瓦礫を巻き込んで砕け散る。

 一番威力の高いルビーをこんなことに使いたくはなかったが、そうしなければ死んでいた。


「くそっ、なんてザマ……!」


 自分の情けなさに悪態をつきながらも、私は壁に背をついて隠れる。手は、死の恐怖に震えていた。

 震える手を壁に叩きつけ、痛みで無理やり押さえつける。


 こんな時にアインが居てくれたら――。


「考えろラピス=グラナート! 死にたくないんだったら、諦めるんじゃない!」


 浮かんだ甘ったれた思考を追い出すように、私は叫ぶ。

 今すべきは『もし』ではなく『これから』の話だ。考えるのは、『アインが居れば』ではなく『アインならどうする』だ。


 アインなら、ゴーレムを生み出して対抗するだろう。"天"は4メートル程度の大きさしか無いが、彼女ならそれに対抗できる大きさの腕を創り出せる。

 その力でフェイスガードを引剥せば、"藻屑"の注入口が露出する。そこにルビーを投げ込めば内部から焼き尽くせるだろう。


 だが、私にそれは無理だ。彼女のようなゴーレムを創り出すには、高品質の宝石がいる。

 それが出来たとしても、接近戦になれば形を保ちつづけることは出来ない。それだけの技量が私にはないのだ。

 遠距離から質量攻撃が出来ればいいのだが、瓦礫を投げた所でダメージは与えられないだろう。


 一見すれば八方塞がり。だが、考えることはやめるな。

 私には私の戦い方があるはずだ。それを考えるんだ……!


「宝石はルビーとペリドットが一つずつ…………いや、そうだ!」


 私の両脇のポケットには、すぐ使えるように宝石が幾つか仕舞われている。

 しかし、使う気の無かった宝石が胸の内ポケットに一つだけあった。


「勇気を出したかいがあったってものよ……」


 内ポケットから取り出した大粒のトパーズ。キマイラと対峙したとき、アインから譲り受けたものだ。滑らかに磨かれたそれは、大地の恵みを連想させる橙色の輝きを放っていた。


 これだけのものなら、アインに迫るゴーレムを創り出せる。

 まさしく掴んだ希望の光に、狭まっていた視界が広がっていくのを感じる。目の前に、ひしゃげた箱と長い筒が転がっていることに今更気がついた。


「あれは……さっき言っていた手持ち砲……」


 "天"が暴れたときに何度も叩かれたせいか、砲身は歪みきっていた。これでは使い方を知っていても使えない。

 ――いや、手持ち砲ということは必ず弾もセットで用意するはずだ。それも、大砲から遠くない場所に。


「……あった!」


 ひしゃげた箱の傍に砕けた木箱があった。そこから黒いスイカのようなものがこぼれている。駆け寄って押してみるが、渾身の力を込めてやっと動くかどうかと言った重さだ。

 トヨビシが言っていた通りなら、これも"天"と同じ金属で出来ているはずだ。これがあれば――。


「……ッ! 迷ってる暇はないか!」


 壁の向こうからは、氷が砕ける音が段々と大きく、間隔を開けず聞こえるようになっていた。

 私は、ポケットから取り出した翠色のペリドットを砲弾の一つに押し付け、詠唱を始める。


「妖精の風よ。黒き鉄塊に宿り、その風を翼と成せ」


 詠唱を終えると同時にペリドットは砕け散り、新緑の風が円を描くように砲弾を包み込んでいく。

 それを確認し、今度はルビーの先端を砲弾に押し付ける。真っ赤な灼熱に燃える先端部は、じりじりとだが表面を溶かし、中へと食い込んでいく。半分ほどルビーが砲弾に食い込んだところで、砲弾を蹴り出す。

 先程はびくともしなかったそれが、脚で蹴飛ばすだけで滑るように動いていき、"天"と向き合う場所で止まる。


 私は、右手にトパーズを握りしめ、大きく息を吸い、そして吐く。

 準備はできた。後は、覚悟を決めて実行するだけだ――!


「来なさい、鉄屑! 何が悲しいのかは知らないけど、眠らせてあげる!」


 工房の壁と演習場の壁によって生まれた通路は、踏み込んでしまえば隠れる場所も逃げる場所もない。だが、今はそれが好都合だ。

 縛めから完全に逃れた"天"は、ゆっくりと振り返り、赤い瞳で私を捉える。


「―――――!」


 月に吠える狼のように巨人は天を仰ぎ、声なき咆哮をあげる。そして、脇目もふらずまっすぐ私に向かって突進する。

 私は、それから逃げずトパーズを握った右手を大地に突き、叫ぶ。 


「地の底より来たれ、古の巨人の一欠片。我が為にその力を奮え。顕現せよ、鏖殺の剛腕!」


 トパーズを核とし、土の巨人の右腕が形を成していく。気を抜けば崩れてしまいそうなそれを、歯を食いしばってコントロールし、砲弾へと手を伸ばす。

 だが、そこで動きを止める。必殺の間合いにはまだ遠い。私の技術では、躱される可能性がある。


「……まだ!」


 あと1歩――いや、2歩遠い。

 地響きを鳴らしながら近づいてくる巨体から目を逸らさず、その時を待つ。


 恐怖はない。いや、それを勝る信頼がある。


『ラピスなら大丈夫です。貴方となら勝てると信じていますから』


 いつか掛けてくれた親友の言葉を思い出す。

 アインが私を信じてくれるなら、私が私を信じないでどうするのだ……!


「……今!」


 "天"が腕を振り上げた瞬間、私はゴーレムの腕を振るう。

 鞭のように唸りをあげるそれは、下から掬い上げるようなフォームで手にした砲弾を投げ放つ。纏った風によって、砲弾はネジのような螺旋を描き、"天"の胴体に直撃する。


「――――――!?」


 落雷のように重く鈍い衝突音が工房に響き渡る。砲弾は、突き刺さるように"天"の胴体をえぐり、数メートル後退させる。

 だが、"天"は倒れない。たたらを踏みながらも立ち直り、腹が痛むように手で抑えながらこちらを睨んでいた。


 復讐しようと、瓦礫を掴み構える"天"を前に、私は黙ってそれを見つめていた。


「……終わりね」


 "天"が瓦礫を振り上げ――それを振り下ろすこと無く、手から取りこぼす。身悶えするように体をねじり、胴体に埋まった砲弾をえぐり取ろうとガリガリと指を立てる。

 だが、太い指ではそれは叶わず、何かを求めるように右手を天に伸ばすと、その巨体を倒していく。倒れた頭から血のように漏れ出た"藻屑"は、ぐつぐつと煮立ち、"天"が起き上がることはなかった。


「……勝った、かな」


 同じ硬さのものを高速でぶつければただではすまない。そして、ある程度めり込めば砲弾に仕込んだルビーの熱を届かせることが出来る。

 やはり、人の血がそうであるように"天"も"藻屑"を焼かれれば無事では済まなかったようだ。


 私は、崩れ落ちてしまいそうな足に力を入れなおし周囲を見渡す。

 周囲は酷い有様で、工房内はあちこちが砕かれ、ひしゃげていた。壁の一部も無くなり、外との境界線が消え去っていた。


「ラピス殿! 無事か!」


 シェンの声に辺りを見渡すと、出入り口があったところから外に彼と研究員の姿が見えた。


「私は無事! そっちは!?」

「こちらは問題ない! まずはこちらに来てくれ! 状況を確認したい!」

「わかった……ふぅ……」


 張り詰めていた糸を緩めると同時に、腕を形作っていた土が崩れていく。その根本に落ちていたトパーズを、私は拾い上げる。

 加減がわからなかったせいでヒビが入ってしまっているが、お守りとしては十分すぎる。亀裂を一撫でし、私は内ポケットに戻す。


 慣れない魔術を使ったせいか、気怠い体を引きずってシェンの元にたどり着くと焦った声で彼は言う。


「ラピス殿、怪我は無いか?」

「大丈夫……ちょっと疲れたけど、なんてことないわ」

「そうか……貴殿が居なければ、私たちにはどうすることも出来なかっただろう。皆を代表して礼をする」

「あー……気にしなくていいわ。私はやることをやっただけだから」


 それよりも。

 深々と礼をするシェンに私は続ける。今すぐにでも横になりたいが、その前に聞かなければならないことがある。


「私が居なければって、アレが暴走した時の対処は何も考えていなかったの? 暴走の原因について心当たりは?」

「……暴走時の対処は考えていなかった。正確には『考える必要がなかった』からだ」


 一団の中から前に出たトヨビシは、感情を押し殺した声で答える。


「あの場にある全ての"天"は、有線操作でなければ起動しない。操縦者の手からケーブルが離れれば自動的に停止するし、核となる宝石も単なる魔力貯蔵庫に過ぎない。あのように自意識を持つことなどありえない」

「じゃあ、どうして……」

「わかるか! わからんのだよ!」


 肩を震わせ叫ぶトヨビシの剣幕に、私は後ずさる。

 彼は、悔しさを顔に滲ませて嗚咽のように言葉をこぼす。


「わからんが……無くさなくてもいい命が一つ無くなり、その原因が私にあるかもしれない。それだけは……わかるさ」


 誰もが掛けるべき言葉を見失い目を伏せる中、


「後悔は後にしろ。被害状況の確認を今すぐ開始する。同志の亡骸をそのままにはしておけん」


 シェンは冷たさすら感じさせる声で告げる。だが、それが全てでは無いということはわかる。

 冷たいだけの男が、血が滲むほど手を握りしめることがあるわけがない。


「……了解」


 トヨビシら研究員は、暗い顔をしながらも工房に向かっていく。それを見ながら、シェンは私に言う。


「聞きたいことは山ほどあるだろうが、今は後回しにさせて欲しい。状況確認が終われば、必ず答えると約束する」

「……そう。まっ、仕方ないわね」


 彼の言う通り聞きたいことは山ほどある。しかし、状況確認が必要というのも事実だ。今とやかく言っても仕方ないだろう。


 そう考えたところで私は違和感を覚える。

 結構な破壊音が響いたと思うのだが、塀の外に野次馬がいるような気配は感じられない。日常茶飯事なのか、それとも全く気がついていないのか。


「……これも後回しね」


 答えが出ないことを今考えても仕方ない。今は、目の前のことを片付けよう。

 私が思考を切り替え、再び工房に向かおうとした時だった。何やら門の方から言い争う声が聞こえてきた。


「ここは関係のないものは立入禁止だ。今すぐ立ち去れ。それとも約束があるというのか?」

「約束はありませんが……用はあります! 一体ここで何が起きたのか、コノハ=プリムヴェールには知る義務があります!」


 警備と言い争っているのは、艶のある黒い長髪の少女。その後ろには、外套を纏った二人が――。


「…………アイン?」


 フードを被った少女の名を、私は呟いた。

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