第98話 少女は星を視る

「お口に合うかはわからないけれど、どうぞ召し上がって」


 白米、豆腐と油揚げの味噌汁、魚の干物、野菜の漬物。ユウには見慣れた料理が、食卓に広がっていた。

 ツバキは出身地だからか懐かしげに、アインは未知の料理を前に興奮気味に見ていた。


「うむ、頂こう」

「頂きます」


 並べられた料理を前にツバキとアインは食材に対する感謝を述べ、それぞれ箸を伸ばす。

 アインは魚の干物を、ツバキは漬物を口にし、


「美味しいです」

「美味いのう」


 口々にこぼした感想に、コノハはホッとしたように微笑む。


「良かった。家族以外に食べてもらうことはあまり無かったから、不安だったの。美味しいって言ってくれるけど、お世辞じゃないかって」

「そう謙遜するものではあるまい。やはり故郷の味は落ち着く」

「ツバキは東の出身だったの? アインと一緒だから、西の方だと思っていたけど」

「ちょいと事情があって西に向かっていたのよ。そこで其奴に助けられてな」


 ツバキはアインを顎で示す。当の彼女は、魚をほぐすのに悪戦苦闘し会話を聞いていなかった。

 コノハは代わりに魚をほぐしてやりながら、ツバキに訊ねる。


「助けられたって、どんなことがあったの?」

「話すと長いが……まあ、一言で言えば我ら家族の誇りを取り戻してくれたのじゃよ。邪悪に対して危険を顧みず立ち向かったと言ってもいい」

「家族の誇りを……他人のために戦えるなんて、貴方は優しい人なのね、アイン」

「え、あ、はい? そう、でしょうか?」


 完全に魚のほぐし方だけに注視していたアインは、理由はわからないが褒められていることに戸惑った声をあげる。


「おうとも。単純で阿呆じゃが、友に対する優しさは本物じゃ。それは間違いない」

「……別に、そんなことは」


 いつものからかうような口調ではなく、本心からの親しみが込められた言葉にむず痒さを覚えたアインは頬を掻く。

 そんな彼女を見て、ツバキは子を見守る親のように優しげに笑っていた。


「照れずと良いだろうにのう? まあ、この話は後にして今は食事を楽しむとしよう」

「そうね、アインも喋りっぱなしは疲れるでしょうし。けど、食事をしていたら口は休まらないかしら?」


 コノハはそう言って、一旦は食事に集中し丁寧な動作で白米を口に運んでいく。

 その程度のことでも優美さを感じるのは、育ちの違いだろうか。そんなことを考えながら、ユウはコノハからアインに目線を移す。


「……?」


 味噌汁を手にして、彼女は首を傾げていた。箸で汁を掬おうとし、指先ほどしか掬えぬことに反対側に首を傾げる。


『何してるんだ?』

『このスープ、スプーンがついていませんがどうやって食べるんですか?』

『ああ、なんだ。器を持ち上げて直接すすっていいんだよ。見た限り、ここじゃそれが普通だ』

『なるほど、蕎麦と一緒なんですね』

『……一応言っておくけど、蕎麦の汁を全部飲むのは健康上よろしくないぞ』


 無駄だとは思いつつも忠告するユウ。

 ただ、汁料理はスープがメインであり具はそれに付随するものという考え方は現代の西洋人にもあるらしいので、アインがそう考えている可能性はある。

 十中八九、食い意地が張っているだけだろうが。


『この白いプリンのようなものがトーフですか?』

『そうだ。豆乳を固めて作るんだったかな』

『豆乳……ということは、豆が原材料なんですね』


 アインは四角く切られた豆腐を崩さないように箸で掴み、食べる。

 プリンのように甘くないが、柔らかい食感は口当たりが良くあっさりとして美味しい。彼女は満足気に頷く。


『この黄色いスポンジのようなものは?』

『それは油揚げ。豆腐を油で揚げるとそうなる』

『ふむふむ、これも豆から作るんですね』


 味噌汁をよく吸った油揚げは、噛むと味噌汁が染み出し口内に広がる。パンとは異なるふかふかした食感も面白い。

 そこでアインは根本的なことに気がつく。


『そもそもミソって何ですか?』


 味噌汁というからには、コンソメのように溶かしているのだろうが、その根幹をなすミソとは一体?

 今までに嗅いだことのない独特の匂いだが、何から作られているのだろうか。


『味噌は、大豆を発酵させて作る調味料だ。そのままだと匂いがキツイから、苦手な人は苦手かもな』

『……ミソも豆から作るんですか?』

『ちなみに寿司に使った醤油も大豆から作る発酵食品だな』


 それを聞いたアインは、真剣な表情で考え込み、ぽつりと言う。


「……東の人は豆農家に支配されているのですか?」


 あながち間違っていないかもしれないことを呟きながら、味噌汁をすすった。






「ん、そろそろ時間じゃな。もう宿に戻ったほうがいいじゃろ」


 食後のお茶を飲んでいたツバキは、窓から見える暗闇を見て呟く。

 太陽は完全に墜ち、街灯の光に照らされた街路から聞こえる声も小さくなっていた。


「そうですね。長居するのも悪いですし、そろそろ戻りますか……このままだと、ここで眠ってしまいそうですし」


 アインは欠伸を噛み殺して目元をこする。

 初めは地べたに座るようで違和感のあった畳も、今では寝転んでしまいたいくらいだ。食後ということもあり、睡魔は腹から這い上がってきていた。


「もう少しお喋りしたかったけど……残念ね。宿まで見送らせて貰おうかしら」

「もう暗いですし、悪いですよ。帰り道は一人になってしまいますし」

「そうだけど……じゃあ、途中までならいいでしょう? この家が見えるところまでなら」


 それならば、とアインは了承しツバキと共に外へ出る。夜空を見上げると、満天の星空が広がっていた。

 真っ黒なインクをぶち撒けた紙の上にガラス玉を散りばめたように眩い星空を、ユウを含めた4人は無言で眺めていた。


 自分たちが旅をしている間も、彼女は自分とは違う星空を眺めていたのだろうか。

 アインが隣に立って夜空を見上げるコノハを見ていると、視線に気がついた彼女は微笑んで右手を空に掲げる。まるで、星を掴もうとするように。


「アインは星は好き?」


 突然訊ねられたアインは戸惑いつつも、正直に答える。


「好きかはわかりませんが……嫌いではありません。星のお陰で方角がわかって助かったこともあります」

「むう、アインは現実主義なのね」

「す、すいません……」


 頬をふくらませるコノハにアインは申し訳なさそうに謝る。

 宝石の煌めきは好きな彼女だが、星の輝きはそれほどでもない。その差は、手に取ることが出来るか出来ないかの差だ。


 コノハは、再び星空を見上げながら唄うように言う。


「私は大好き。どれだけ遠くにあるのかはわからないけど、間違いなくそこに星はあるんだもの。『いつかはきっと掴める』。そんな気持ちにしてくれるから」


 彼女は、星に向かって伸ばした手をぎゅっと握りしめて、胸の前に持ってくる。ゆっくりと開いたその手の中には、


「ううん、残念。今日も星を掴むことは出来なかったわ」


 当然何もなく、彼女は明るく言って微笑む。それには、『わかっている』という諦観と『もしかしたら』という希望が織り交ぜられていた。 

 そんな彼女を見てアインは、少し躊躇いがちに訊ねる。


「その、不躾かもしれませんが……コノハは、この街から出たいのですか?」

「あら、どうしてそう思ったの?」


 コノハは、驚いたように問い返す。


「旅の話を聞きたがっていましたし、今もこうして遠くに行きたがっているような……そんな感じがして」

「もしかして、"この街から出られない箱入り娘"というのを本気にしてしまったの? あれはただの冗談よ。領主の娘であることを嫌だなんて思ったことはないわ」


 ごめんなさいね、と悪戯っぽく笑う彼女は、嘘を言っているようには思えない。

 では、何故旅の話を聞きたがったのだろう。


 訊ねると、コノハは少し考えてから答える。


「そうね……アインとツバキは、『もし鳥になれた』って考えたことはない? 魚でもいいのだけど」

「鳥……ですか」

「一度くらいはあるのう。『あの空を翔ける鳥になれたなら、一体何処まで行けるのだろう』とな」


 アインも頷き、ユウも内心で同意していた。

 空を翔ける鳥の自由さを羨んだことは誰にでもあるだろう。きっと、自分たちが考えるよりも自由ではないのだろうけど、それでも何処までも行けると思わせる彼らに憧れたのだ。


「私の旅人に対する憧れもね、きっとそういうものなの。生きている世界が違うからこそ抱く漠然とした憧れ。けど、魚は翼が無いことに悲しまないし、鳥も人のように歩けないことに絶望しない。だって、最初から頑張る領域が違うのだもの」


 もしそうだったらと、眠りに至る間の僅かな微睡みで空想するような曖昧で掴むことの出来ない夢。

 故に決して叶うことはない。形もなく何処を示しているのかもわからない夢は、見ることしかできないのだから。


 だから、とコノハは踊るように歩み出し、くるりとアイン達に振り返る。


「私は、夢を見るより星を視るほうが好き。だって、手を伸ばし続ければ何時かは届くかもしれないのだから」


 心からそう信じていることを確信させる笑顔を、街灯の光がスポットライトのように照らし出す。舞台に立つ女優のように華やかで、輝かしい彼女に対してアインは、


「……すごいです」


 自然と賞賛を口にし、同時に羨ましいと感じた。

 一度は触れることが出来たものから逃げ出してしまった自分には、ひたむきに信じて手を伸ばし続けられる彼女は眩しい存在だった。

 だから、苦手だと思ってしまったのだろう。自分の小ささを見せつけられているようで。


「なかなか骨のある娘ではないか。そしてロマンチストでもあるな。夢を見るより星を視るほうが良いとはな」

「もう、あまり茶化さないで。ちょっと芝居が過ぎたと思ってるんだから」


 楽しげに笑うツバキに、コノハは照れくさそうに言うと二人の手を取る。


「ちょっと長話だったわね。行きましょう、お二人とも」

「は、はい」

「それはいいが……手を繋ぐのはやめんか。子どもと間違えられるであろう」


 ツバキは愚痴りつつも、手を振り払うことはせず歩み出す。

 アインは、繋がれた自分の手をじっと見つめて考えていた。


 自分にとっての星を掴むことは出来るのだろうか。

 それに、手を伸ばし続けられるのだろうか。


 その答えは、今出すことはできなかった。

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