第97話 羨望と成長
「……そうして私は、何とかキマイラを倒し地上に戻ることが出来たのです」
四苦八苦しながらこれまでの旅を語っていたアイン。コノハはその光景を目蓋に浮かべるように目を閉じ聞き入っていた。
ユウは、それを黙って眺めていた。
彼女にとってもいい勉強になるだろうし、コノハが聞きたがっているのはアインが語る物語なのだからと、口を挟むことは無かった。
「とても面白かったわ、アイン。本当に倒せるのかドキドキしちゃったわ。もしかして、ここにいるアインは幽霊かもって思っちゃった」
「……ありがとうございます」
ほっと息をつくアインに、笑顔のコノハは拍手を送る。それを見計らったように、玄関から戸が叩かれる音が聞こえた。
お客様かしら、とコノハは立ち上がり玄関に向かう。
「はぁ……」
アインはそれを確かめるために――或いは気力が限界なのか体を倒す。小さい家のため、それだけで部屋から玄関を見通すことが出来た。
「あら?」
コノハが戸を開くと、そこに立っていたのは外套を纏った少女だった。背はあまり高くなく、フードを被っているため顔は良く見えない。
しかし、その姿はアインとユウにはよく見慣れた少女のものだった。
「ツバキ? どうしてここが?」
慌てて立ち上がったアインは、コノハから隠すように彼女の前に立ち訊ねる。
ツバキは、フードを軽く持ち上げると、ニヤリと笑う。
「なんじゃ、もう新しい女子を見つけたのか」
「……どういう意味ですか、それ」
さあのう、とツバキは嘯きながらアインの後ろに立つコノハを見やる。
彼女は、突然の訪問者に小首を傾げていた。
「ええと、どちら様でしょう? アインのお友達かしら?」
「そんなものじゃ。名はツバキという」
「ツバキ……まあ!」
ツバキという名を聞いたコノハは目を輝かせると、靴も履かないまま玄関に降りてツバキの手を取る。
「御狐様と同じ素敵な名前ね! その金色の髪も御狐様の毛並みたいにとっても綺麗!」
「そんなに褒めるでない、照れるではないか」
興奮気味に握った手を上下に振るコノハ。その様子は無邪気な少女そのものだ。
褒められたツバキは、口ではなにかと言いつつも満更でも無さそうに胸を張っていた。
「ツ、ツバキ……宿は取れましたか?」
それから取り残されたアインは、おずおずとツバキに喋りかけるが、
「ねえ、アインのお友達なら旅をしているのでしょう? その話を聞かせてくださらない? それはとても素敵なことだと思うの!」
「そうまで言われては断れまい。夜には暇するが、それまでなら構わんぞ」
「ありがとうツバキ! ねえねえ、御狐様に会ったことはあるの? 出身は何処なの?」
「さて、どうかのう。そうとも言えるし、そうではないとも言える」
「気になる、気になるわ!」
コノハは待ちきれないとばたばたと部屋に戻り正座する。その目は子どものように輝いていた。
ツバキも靴を脱ぐと、上機嫌な様子で彼女が待つ部屋へと向かう。そして、固まったままのアインに対して言う。
「なんじゃアイン。ぼうっと突っ立っておらんで座らんか」
「い、いや……私はそろそろ出たいんですけど……」
遠慮がちに言うアインだったが、それがツバキに通じるわけもなく、
「何を言っておるんじゃ。主役がいないと張り合いがなかろうに」
強引に手を掴まれ、引きずられるように元いた座布団にまで戻される。
席についた彼女は、そわそわとした様子のコノハから逃げられないことを悟り、小さく諦観の息を吐いた。
その様子を見て、ユウは訊ねる。
『そんなに嫌だったか?』
『嫌というか……苦手なんです』
コノハのことは嫌いではないし、むしろ魅力的な人物だということは既に認めている。
上流層でありながらこちらを見下すこともせず、他愛ない話に心から楽しんでくれている。押しの強さに面食らったが、それでも加減はわかっている。
けれど、何故か直視できない。どうしても目を逸らしたくなってしまう。その理由がわからない。
『羨ましいんじゃないか? いきなり旅人を自分の家に招ける大胆さというか、コミュニケーション能力が』
『そう……なんでしょうか』
ユウの指摘は間違ってはいないように思えたが、けれどそのものではないとも感じた。
羨んでいるのは、一体何に対してなのだろう。
「ツバキはフードを取らないの? もしかして、その下には御狐様の耳があったりするのかしら?」
「ご想像にお任せ、と言っておこうかの。その方がわくわくするじゃろ?」
「むう、意地悪ね。ねえ、アイン。本当はどうなのかしら」
考え込んでいたアインは、コノハに話を振られて我に返る。
「あっ、はい。本当は狐耳が――」
「ところでさっき言っていた"御狐様"とはどういう意味ですか?」
反射的に答えようとしたアインの言葉を、ユウは強引に被せて誤魔化す。
自分と同じく、ツバキの正体はおおっぴらにするべきではないだろう。当の本人は、笑いを噛み殺していようともだ。
不自然な声にコノハは少し不思議そうだったが、特に追求することはなく答える。
「御狐様は、長い年月を生きる優れた知慧を持った狐よ。人の姿に化けて、迷える人に知恵を授けてくださると信じられているの」
「それはつまり、フクスのことですか?」
気を取り直したアインは、ツバキに視線をやりながら訊ねる。
「たぶん、そうだと思うわ。私は歴史家じゃないから詳しくないけど、狐に関連する物語は各地にあるらしいから」
「では、ツバキを『御狐様と同じ名前』と言ったのは?」
「それはね、御狐様たちは花の名前を名乗ると伝えられているの。椿もその中の一つで、種類によって花の色が赤や白に桃に変わる綺麗な花よ」
「我のように美しく、そして鮮やかな愛しい花よ。覚えておくがいい」
ふふん、とツバキは満足げに鼻を鳴らす。
どうやらツバキが上機嫌なのは、御狐様として尊敬されているのが嬉しかったためのようだ。
そこでユウは気がつく。
「もしかして、木の葉という名前はそこから取ったのですか?」
「ええ。花の名前そのものは恐れ多かったので、それに関連する名前を、と両親が授けてくれたのです」
コノハははにかみながら、気がついてくれたことに嬉しそうに答える。ツバキはますます上機嫌となっていた。
「なんとも殊勝なことではないか。他種族に対する畏敬を忘れないその姿勢は素晴らしい。褒めてやろうぞコノハとやら」
「ありがとう、ツバキ。きっと父と母も喜びますわ」
「ははは、苦しゅうないぞ」
気分良さそうに笑い合うコノハとツバキ。話の矛先が逸れたことに安堵するアインだったが、
「そう言えば、二人はどんな理由で旅をしているの? ねえ、アインはどうして?」
「うぇっ!? そ、それはその……」
再び向けられた挙句、その上答えづらい質問に素っ頓狂な声をあげる。彷徨わせた視線は、コノハだけでなくユウとツバキにも向けられていた。
その視線の意味をユウは理解していた。自分たちの前では言いたくないのだろう。
生憎その場で聞いてしまっているので無駄な葛藤である。無論口には出さないが。
「あまり詮索するものではなかろう。旅の始まりが希望にあふれているとは限らんのじゃ」
「そ、そうですね。あまり、面白い話ではないので」
その引け目があるのか、珍しくツバキは助け舟を出す。『面白い話ではない』で吹き出しかけていたが。
「そうね……。ごめんなさいアイン。そんなことも考えもせずはしゃいで、不躾だったわ」
「い、いえ気にしてませんから……」
申し訳なさそうに謝罪するコノハの姿に、何も悪くないはずのアインが動揺していた。
何故だ。何もかも話す必要なんて無いし、どちらかと言えば悪いのはコノハのはずだ。
それなのに、何故自分が罪悪感を抱いているのか。この叱られた子犬と相対しているような感覚は何なのだ。
そこでアインはハッとする。
「まさか……」
「アイン? その、許してくれるかしら?」
アインは、しゅんとした心細気な声と上目使いで見やるコノハを、穴を開けるように凝視する。
まさか、彼女はこれを計算して行っているのでは。これまでの愛らしい行動も全て計算ずくで、都合よく動かすための策略なのでは。
いやいや、何を考えているのだ。何もわかっていない相手を悪く思うなど。それは恥ずべき行いであろう。
だが、だがしかしだ。人の心を惑わす悪魔的行いに対して警戒するのは果たして悪なのか?
思うところがある相手に対して警戒することさえ罪だと神は言うのだろうか。
「……違う」
「ア、アイン?」
そうではない。彼女は自分の行いが傲慢である可能性を認め、その上で意思を貫こうとしていた。
そんな彼女が、こちらの罪悪感を煽るような姑息な真似はするまい。
いや、待て。しかし現実に彼女はそのようなことをしている。それが無意識であると言うなら、それは確信的に行うよりも脅威ではないか。
けれど、悪意もなく無意識で行われる行為を咎めるのは果たして善と言えるのか――。
「どうしましょうツバキ……怒らせてしまったのかしら」
「どうせテンパっているせいで阿呆なことでも考えておるんじゃろ。気にせんでも構わん」
全く此奴は、と呆れ気味に言うツバキの声も、コノハを睨むアインの耳には届かない。
かなりの威圧感がある彼女の視線に耐えきれず、コノハはツバキの背中に隠れる。その姿は怯える小動物めいていた。
それにますますアインの目が鋭くなっていく。
「本当に怒ってない? というか怖い……怖いわ。割ったお皿を隠していたのがバレた時のお母様より怖いのだわ」
「本当にキレたらあんなものではないから安心せい。悩みが無さそうに見えて色々抱えているんじゃよ」
「そうなのね……ねえ、どうしたら許してくれるかしら」
「んー御主は料理は出来るかの?」
「上手ではないけど、出来るわ。料理を作れば許してくれるの?」
不安げに訊ねるコノハに、ツバキはカカカっと笑う。その通りじゃというように。
半信半疑ながらもコノハは隠れていた背中から出てくると、息を整えてアインの目を見据える。
「アイン、さっきはごめんなさい。私と同じくらいの歳で、それも同性の旅人と話せると思って、つい不躾に踏み込んでしまいました」
「……」
アインは無言のまま答えない。
「そのお詫びになるかはわからないけど、ご飯を作ろうと思うの。もし良ければ付き合って欲しいわ。私と一緒は、嫌かもしれない――」
「メニューは?」
「えっ?」
「メニューはと聞いています!」
それが何よりも大事だというように詰め寄るアインに、コノハは若干怯えつつも答える。
「白いご飯に……魚の干物、お味噌汁に豆腐……それに油揚げ、なんてどうかしら」
先程苦手な相手と言っていたのは何だったのかと、傍らのユウは思いつつ行方を見守っていた。ツバキに目をやれば、膝を抱えて肩を震わせていた。
ツバキが言う通り、悩みの無さそうなアインも抱えているものはある。あるのだけど、それはともかくとして彼女の性質自体は単純なものなのだ。
味わったことのない食事が食べられるというだけで、あっさり機嫌を直してしまうくらいに。
「こちらの食事の味が合わないなら、西の味付けにした方がいいかしら?」
「いえ、その必要はありません。この街の食事はどれも素晴らしかった。コノハの食事も期待しています」
アインは、そこまで言ってやっと我に返ったのか、わたわたと手を振って弁明を始める。
「ええと……その、私は怒ってなどいません。それは本当です。ただその、喋るのはあまり得意ではないのです。それが続いたものだから、つい気疲れしてしまっただけです」
「そうだったの……」
「ですが……喋るのは苦手ですが、嫌いなわけではありません。それは、知っておいて貰いたいのです。もちろん、貴方と話すこともそうです。まだこの街には居るつもりなので、明日にだって話せるはずです」
所々つっかえながらも、自分の意志をしっかりと言葉にして伝えるアイン。
その姿に、ユウは熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。
農夫へ挨拶をろくに返せなかったアインが、会話が苦手なことを伝えつつそれ自体は嫌いではないと言葉に出来ている。それも一世一代の決意も無しに。
――ああ、この旅は無駄ではなかったのだ。
一人感動するユウをよそに、コノハは少し考えるように頬に手を当てる。そして、愛らしい微笑みを浮かべて言う。
「うん、ありがとうアイン。そうね、ゆっくり聞かせて。貴方のことも、貴方の旅も」
「はいっ。……あと、その、気軽に手に触れるのも遠慮してもらいたい、かもしれません」
「あら? 『感謝と優しさは手から伝わる』とお母様が言っていたのだけど、違ったかしら」
やっぱり、苦手かもしれない。
両手を優しく包むコノハから目を逸らすアインは、そう思った。
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