第96話 門を抜けるとその先は

 物々しい空間。

 私がマツビオサ家の敷地に踏み込んで感じたのは、そんな空気だった。


 入ってきたばかりの門には、外だけでなく内側にも見張りが立ち、こちらの一挙一足を監視しているようで居心地が悪い。

 それだけではなく、両隣にまでそんな男が立つのだから尚更だ。

 外部の人間とは言え、自分たちが招待した客にまでこれとは。まるで紛争地帯の国境ではないか。


「こちらへ」


 無表情に石畳で作られた細い道を示す案内人。その先には屋敷の入口が待ち構える。

 そこまでの短い道を歩く途中、私は目だけを動かして辺りを窺う。


 右手側には松らしき木が植えられ、石塔が置かれた空間がある。おそらく庭園なのだろう。

 左手側にはやや色が落ちた白塗りの倉庫らしき建物があった。かなり大きく、一部屋敷側に見えることからL字型になっているようだ。

 生活空間で研究をするとは思えないし、アレが工房なのだろう。通常は秘匿の観点から地下に置くことが多いが、この警備があるため利便性を優先出来たのだろう。


「どうぞ」

「ありがとう」


 入り口のドアを横に動かした男は軽く礼をし、入るよう促す。玄関のようだが、私がいる地点よりも一段高くなったところから床が続いている。

 そこには、一人の青年が立っていた。


「ラピス=グラナートと申し受ける。自分は当主ゼド=マツビオサの助手を務めるシェン=マツビオサ。以後お見知りおきを」


 シェンと名乗った青年は、真っすぐ伸ばした背筋をそのまま前に倒して礼をする。お手本のように綺麗なお辞儀だ。


 魔術師かつ研究者というのは、大抵不健康で軟弱者とイメージされることが多い。それは偏見でもあるが、実態としてはそのようなタイプの多いのだ。

 しかし、彼は目にクマもないし、汚れた白衣も着ていない。適度に鍛えてある体躯、しっかりと開かれた黒い瞳に短く整えられた黒髪と珍しいタイプだ。


 無論、来客用に整えただけとも考えられるが、それすらしない魔術師も多い。つまり、彼はそれを気にする程度には社交性があるということだ。

 当主と同じマツビオサの名を持つということは、おそらく息子だろう。それなら、父親も同程度の社交性はあるはずだ。


 物々しい雰囲気から、アインを更に拗らせたような奴が出てきたらどうしようと考えていた私は、内心安堵し挨拶を返す。


「初めまして、ラピス=グラナートです。研究協力ということで参上致しました」

「遠い地からの来訪、誠に感謝致す。まずは当主へお目通しを願おう」


 独特の敬語に、私はマシーナを思い出す。

 彼女が語った東の国ニホンは、老人のほら話とユウは言っていたが満更嘘というわけでもないのかもしれない。


「ええ、構いません。大切なことですから」


 私が社会辞令の笑みを浮かべて言うと、彼は無表情のまま頷く。


「では、こちらに。それと、屋敷内は土足厳禁ということをご理解いただきたい」

「わかりました」


 私はシェンの指示に従い、ブーツを脱いで木張りの床に足を下ろす。直に伝わるひんやりとした冷たさが、なんだか不思議だった。


 シェンの後に続いて廊下を少し進むと、右手側の壁が無くなり先程見た庭園が一望出来た。壁も窓もない外と内の距離感の近さは、私が過ごした家には無い奇妙なものだ。


「驚きましたかな」


 先を進むシェンは振り返って言う。

 私は素直に答える。


「はい、東と西では文化が異なると聞いていましたが、実際に目の当たりにして初めて実感しました」

「それは然り。自分も靴を履いたまま家に上がる姿には驚いたもの」

「しかし、この街は西の様式で建てられた家もありますが、あれは何故ですか?」


 そう訊ねた瞬間、シェンはほんの僅かに眉を動かす。しかし、すぐに何事も無かったように答える。


「それは、プリムヴェール家の移住者達が造り上げた区画だ。現在の領主は、プリムヴェール家であることは存じているか?」

「聞きかじった程度ですが」

「なら、続けよう。プリムヴェール家の初代領主は、当時混乱していたこの街を治めるべく王から派遣された。彼はその期待に答え、見事街を治めてみせた。閉鎖的だった街に新たな空気を取り入れ、我々に依存していた体制を見事に変革させた」


 シェンは事実だけを淡々と述べる。そこに感情は見られない。

 或いは、見せまいとしているのか。


「その混乱というのは……」

「察しの通り、ゴーレムの進歩に対し対抗策が上回ったことによる収入・権威の低下だ。実質的な支配者だった当時のマツビオサ家の衰退は、同時に街の衰退も招いてしまった」


 シェンは、廊下から外を見やる。そこからは、高くそびえ立つ城が見える。

 かつては自分たちの先祖が過ごしていただろうそれを見る彼の目は、怒りも悲しみも無い。"そうなってしまった"ことを静かに認めているだけだ。


「ここではプリムヴェールの名を出さぬ方が良い。かの家をよく思っておらぬものはここには多い」


 彼は、ふっと視線を戻すと失礼、と頭を下げる。


「つまらない話を聞かせてしまったな。当主を待たせてるわけにはいかない、早々に向かうとしよう」


 言うべき言葉がわからなかった私は、ただ黙って頷き後に続いた。





「おお、来てくださったか。お初にお目にかかる、私がマツビオサ家現当主のゼド=マツビオサである」


 草で編まれた絨毯のようなもの――畳と言うらしい――が敷き詰められた大広間。

 出入り口から一番離れた場所で四角いクッションの上で胡座をする男は、そう名乗り礼をする。


「ラピス=グラナートです。高名なマツビオサ家に協力者として助力できることを光栄に思います」


 彼から少し離れた所に、私とシェンは並んで座る。私は胸に手を当てて軽く礼をし、シェンは深々と礼をした。


 普段は会合や宴会などで使われるのだろう空間には、私達以外には誰もいない。

 しかし、扉一枚隔てた空間から向けられる視線は隠しようがない。警備の役目としては仕方あるまいが、やはりいい気分ではない。


「さて、長い挨拶はこの老体には応える。よって、早速本題に入らせて貰うが構いませんな?」

「ご謙遜を。まだまだお若いでしょうに、そんなことを言われては私の立つ瀬がありません」


 世辞半分、本音半分の言葉を私は口にする。

 白髪を後ろになでつけたゼドの顔は、シワは多少あるものの、張りと瑞々しさは失われていない。

 その立ち振舞と纏った空気は健康そのもので、シェンの年齡から考えて実年齢は60代だろうが、まだ50代と言っても通じるだろう。


 ゼドは声を上げて笑う。その表情は、魔術師の当主というより好々爺といった感じだ。


「それは失礼した。しかし、幾ら見た目が若かろうとこの年齡では出来ぬこともあるのじゃよ」

「そのために、私をお呼びになったのですか?」

「その通り。ラピス殿を招いたのは、他でもないゴーレム改良の手助けをしてもらいたいのじゃ。特に戦闘用のものをのう」

「戦闘用、ですか」


 予想はしていたが、その通りだったとは。それにしても、戦闘用ゴーレムの改良をしてどうしようというのか。


「今更、と思われましたかな?」


 ゼドは、私を試すように片目でこちらを見やる。

 内心を見透かされたような言葉に心臓が跳ねるが、


「いえ、そんなことは。確かにゴーレムの欠点の多さは否定できませんが、強力であることも事実です。その欠点を改善できれば、過去のような活躍も可能でしょう」


 私は内心の動揺を押し殺しながら、出来る限り冷静な声で応える。


 ゴーレムは欠点が多く、その欠点を改善できれば強力というのは本当だ。それがひどく難しいというのも事実だが。

 完全な嘘を言うわけにもいかないが、事実だけを突きつけるわけにもいかない。無駄に相手を怒らせても得は何もないのだから。


 私とゼドはお互いに目を逸らさず視線をぶつけ合う。

 御しやすい相手と思われてはいけない。それは私が所属する協会が下に見られることと同義だ。


「……ふむ、なるほど。俄には信じられなかったが、噂は本当だったようだ」


 先に切っ先を降ろしたのはゼドだった。

 しかし、好々爺の笑顔を浮かべる彼は、気になることを口にした。


「噂とは何のことでしょうか」

「"ロッソの魔術協会会長の邪悪な野望を打ち破ったのは、二人の少女――アイン=ナットとラピス=グラナートという噂だ。その意志の強さを見れば納得というもの」

「光栄です」


 褒められているのだろうが、正直なところな微妙な気分であった。

 野望を阻止したと言えば聞こえはいいが、そもそもは身内の悪行であり、それもアインがいなければ果たすことはできなかっただろう。


「アイン殿にも協力を願いたかったのだが、旅の者故に何処にいるのか所在が掴めなかった。ああ、だからと言ってラピス殿を下に見ているわけではあらぬ」

「彼女なら――」


 この街にいる、という言葉を私は飲み込む。

 アインがこの街にいることを教えれば、すぐにでも彼女に協力を要請する。私が協力していることは彼女も知っているし、おそらく気を使って断らないだろう。


 しかし、ただでさえコミュニケーションが苦手な彼女が物々しい空気のここに居られるだろうか。

 そもそも勘で魔術を使っているような彼女だ。モノを教える立場ではないと彼女も言っていたではないか。どう考えても不向きだろう。


「いえ、失礼しました。急かすようで申し訳ありませんが、詳しい内容についてお聞かせください」


 ならば、ここは黙するのが正解だ。私は、ゼドに協力内容の説明をするよう促す。

 彼は、愉快そうに笑って続ける。


「なに、熱心なことで結構ではないか。やることは至極単純、実戦経験に基づく意見が欲しいのじゃよ」

「実戦経験……確かに、私はある程度の実戦を経験しています。しかし、それであれば傭兵でも構わないのでは?」

「あんな奴らでは何の役にも立たぬ。魔術師でなければ意味が無い」


 語勢を強めながら、しかし笑みを浮かべたままゼドは言い放つ。

 その噛み合わなさに私が眉をひそめたことに気がついたのか、彼は取り繕うように言う。


「ゴーレムの天敵は魔術師である。よって人を相手に戦う傭兵では役に立たぬということで、意味が無いと言ったんじゃよ」

「なるほど、それはその通りです」

「詳しい話は、そこのシェンから聞いてくだされ。優秀な研究者であり、力になってくれるじゃろう」


 私は納得したように答え、隣に座るシェンを横目に見る。

 これまで何の反応も示さず無言を貫いていた彼だったが、『研究者』という言葉に膝に置かれた手を固く握りしめていた。


「それと、私室を用意したので滞在中はそこを利用くだされ。シェン、案内しなさい」

「承知」


 シェンは一言で答えると、立ち上がり後に続くよう目で促す。


「失礼致します」


 私はその背を追いながら、彼が一度もゼドと視線を合わせなかったことが心に引っかかっていた。

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