第93話 Go East!
カリカリとペンが滑る音。それだけが部屋で聞こえる全てだった。
薄暗い部屋で私はひたすら書類を書き込み、机に積み上げていく。書類の山が何個かできた机は狭いが、それももうすぐ終わる。
「ラピス=グラナート……っと」
何度書いたのも忘れるくらいに書き続けた自分の名前をサインし終えると、私はペンを放り出す。背筋を伸ばすと肩の骨がぱきぱきと鳴った。
私は背もたれに背中を預けたまま、灰色の天井をぼんやりと見上げる。
「もう少しゆっくりしていけば良かったのに……」
つい口からもれた思考を慌てて手で抑える。彼女が出立したのは昨日の今日ではないか。
待つと言ったのだからその日まで待つ。それが出来ないほど自分は寂しがり屋ではなかっただろうに。
私は溜息をついて机に突っ伏す。
目を閉じると、彼女達と共に過ごした数週間が思い出される。
耳を震わす歓声、体に浴びた水しぶき、そしてアインが話してくれた旅の理由と短いながらも二人で過ごした時間。どの記憶も眩しいものばかりだ。
だが、ここは薄暗い地下工房であり、水の匂いも冷たい澄んだ空気など欠片もない。
嫌いではなかったインクと古びた紙の匂いが、今ばかりは疎ましい。
「……いきなり辞めるわけにはいかないわよね」
今すぐ辞めると言ったら、アルカ隊長はどうするだろうか。引き止めるのか、賛成してくれるのか。
どちらにせよ、彼の反応によって変わる決心では意味はないが。自信を持って言える時がその時だろう。
ただ、その時が何時になるのか。結論を遠ざけようしているだけではないか。その不安は拭いきれなかった。
そのまま机に突っ伏していると、ノックもなくドアが開かれる。
「やあ、ラピス君お疲れ様! 紅茶でも飲んでリラックスしてくれ!」
いきなりドアを開いて現れたアルカ隊長は、トレイに載せたカップをがちゃつかせながら机の前にやってくる。
私があっけにとられていると、彼はカップを一つ差し出す。
「……どうもありがとうございます、アルカ隊長」
私がお礼を言って受け取ると、彼は人懐っこい笑顔を見せる。悩みなんてまったく無さそうでとても羨ましい。
「おおっと、何だか不本意な評価を受けた気がするな」
「気のせいです。紅茶を淹れるのは相変わらず上手ですね」
「そうだろうそうだろう! 何しろお偉いさんに気に入られるために猛特訓したからね! まあ、そんな機会は一度も無かったんだが!」
脳天気に笑って自分の紅茶をすするアルカ隊長。
相変わらずの頼り無さに肩をすくめつつも、私も紅茶を頂く。たっぷりと入れられた蜂蜜の甘さが疲れた体に染み入るようだ。
アルカ隊長は、机に積み上げられた書類を見ながら言う。
「サインは……全部済んだようだね。街の人から受けた依頼の報告書は?」
「そちらも終わっています。後は上の方がサインをするだけです」
「うん、順調なようで何よりだ。優秀な部下がいてボクは幸せだよ。いや、これはお世辞ではないよ。心からそう思っているとも」
うんうんと頷くアルカ隊長。彼が言う通りそれは本心なのだろう。
ただ、実力を認めてくれるのは嬉しいのだが、彼が私を褒める時というのは大抵面倒な仕事をさせようという時だ。
「ああ、違う違う。仕事を押し付けようっていうんじゃあない。仕事を届けに来たんだよ」
さり気なく立ち去ろうとした私の動きを気取ったのか、アルカ隊長は手を振って否定する。目ざとさも相変わらずだ。
「そこに差はあるんですか?」
「大アリだとも。ボクからではなく、歴史ある魔術師からの仕事と聞けばやる気になるだろう?」
「……内容次第ですけどね」
「それはその通り。では、説明しよう」
アルカ隊長は椅子に腰掛けるとポケットから手紙を取り出す。今時珍しい羊皮紙だ。
「仕事というのは、クローバー家の現当主であるゼド=マツビオサからだ。マツビオサ家は知っているか?」
「聞いたことのない……いえ、何かの文献で見かけました。確か、ゴーレムに関するものだったかと」
「よく勉強しているね。マツビオサ家は東のエドゥという街に土着し、ゴーレムに関する魔術で有名だった家だ」
ゴーレム。
魔力を込めた宝石を核とし、土塊や金属塊に仮初の意志を与えることで生まれる魔術兵士だ。
私はあまり得意ではないが、アインは人並から巨人まで器用に使い分けることが出来る。それも宝石ではなく、ただの小石を核に出来るのは彼女くらいだろう。
そして、マツビオサ家はそのゴーレムに関する魔術で有名『だった』。ということは、
「今は没落しているということですか?」
私の問にアルカ隊長は頷く。正確には没落しかけただけどね、と前置きし続ける。
「典型的な魔術師だったマツビオサ家は、時代の変化についていくことが出来なかった。いや、拒んだのかな。どちらにせよ、威厳と財産を失うことになったというわけだ」
「魔術は所詮技術にすぎない。それを忘れればそうもなるでしょう」
魔術師が超人であり、或いは現人神とまで扱われたのは遥か昔だ。
その中にはかなりの横暴を働いたものもおり、酷かった地域では未だに魔術師はいい顔をされない。
常人と魔術師の違いなんて、魔術が使えるかどうかしかないのというのに。
そして、それを認めることが出来ない魔術師が犯罪に走ったりするのだ。まったく迷惑極まりない。
「君の言うことはもっともだけどね。最初から手にしていたものを捨てろと言われても難しいんだ。それはわかってあげてほしい」
「考えておきます。それで、そのマツビオサ家が私に何の用ですか?」
「ええと……優秀な魔術師であるラピス=グラナートの力を当家の研究に貸して貰いたい。要約するとそんな感じだね」
「協力……ですか?」
私を指名したということは、私にしか出来ない協力をしてもらいたいということだろうが、その意図がわからない。
確かに私は副隊長という地位こそあるが、魔術に関する知識はまだまだの若輩者だ。研究成果をあげたこともないのに、一体何をどう協力しろというのか。
「戦闘用ゴーレムの改良に力を貸して欲しい……とのことだ。それなら君の得意分野だろう?」
「……人を破壊魔みたいに言わないでください。そういうのはアインの分野です」
「確かに彼女は強いけど、そんなにかい?」
「そんなにです。アルカ隊長は、扉破りについて学びましたよね?」
魔術協会が教える技術は、魔術そのものだけではない。
遺跡の扉には鍵や錠前がかかっている場合もある。そのため遺跡探索を主としたいのなら扉破りの技術が必要となる。
そこでロックピックを使った古典的なものから魔術による金属操作による解錠。さらにはパズル的な発想までを学ぶことになる。
「ああ、ボクもやったよ。懐かしいな……試験は鍵の掛かった扉を3つ突破し、その速さを競うんだ。ちなみにボクは80秒で歴代最速だったよ」
ドヤ顔を親指で示すアルカ隊長だったが、
「それは凄いですね。ちなみにアインは40秒で殿堂入りです」
「……ん、んん? それはおかしくないかな? ボクの誇らしい記録をあっさり塗り替えられるのは流石に泣きそうになるんだけど? 一体どうやったらそんな速く開けられるのかな?」
涙を堪えるように天井を見上げる彼に、私は溜息をついて言う。
「蹴破ったんです」
「……蹴破った?」
「ええ、ゴーレムの足だけ召喚して。それで何度も扉を蹴りつけて」
あの日のことを思い出すだけで頭が痛い。
試験当日、アインの機嫌はとても悪かった。
試験に対する緊張から寝不足。寝坊したことで朝食を摂り損なう。多少遅刻したため講師から嫌味を言われる。
この時点までは、自分に非があると彼女も抑えていた。
しかし、試験を担当した講師は彼女に対して『一晩付き合えば結果を誤魔化してやる』と絡んだ。
今日までの彼女の成績は良くなかったため、そんなことを言い出したのだろうが、それが間違いだった。
アインは無言のままゴーレムの足を召喚。複数の南京錠やドアノブがついた金属製の扉を蹴破り、唖然とする講師に向けて一言、
『開けました』
有無を言わせない青い目で睨む彼女と扉だったモノの惨状に誰も何も言えず、講師は震えた声で合格を告げた。
結果、次回の試験要項には"扉を破壊してはならない"の一文が追加されることとなった。
「……それは中々。いや、なるほど。ロックだね、鍵だけにね!」
「それで、マツビオサ家の依頼についてですが」
「おおっと、上司のシャレには反応するべきだよラピス君! そんな露骨に話を戻されるのは傷つくな!」
「はいはい面白いですねサイコーですね」
「雑だなぁ……まあ、いいか。ええと、おそらく目的は戦闘用ゴーレムの研究協力というところまで話したんだっけ」
手紙をぺらぺらとめくりながらアルカ隊長は続ける。
「研究協力の報酬は中々の額だ。これは協会としても君個人としてもという意味でだ。合わせれば家と土地のセットが買えるだろう。旅費や滞在費も全額負担すると言っている」
「……研究協力って、そこまで貰えるものなんですか?」
「普通は貰えない……けど、今回の依頼主は魔術の名家だ。金をケチることは恥と考えているのかもしれない」
「……正直怪しいですが、断るには魅力的な案件ですね」
私は率直な意見を述べる。アルカ隊長も同意した。
「協会勤めだと遠出する機会も少ないし、東の文化に触れるいい機会だ。もやもやしたものがあるなら、ついでに吹き飛ばしてくるのもいいだろう」
私はもらしかけた声を抑え、できるだけ動揺を隠しながら足を組む彼に訊ねる。
「……アルカ隊長。聞いていましたか」
「ん、何をかな。それで、どうするかな?」
アルカ隊長はそう言って、手紙を私に差し出す。私は少しだけ考え、手紙を受け取った。
「この依頼、受けさせていただきます」
「うん、わかった。馬車の手配とかはボクがやっておくから、君は旅の準備をしておきなさい」
アルカ隊長は立ち上がり、空になったカップをトレイに載せていく。
私はそれを手伝いながら、手にした手紙に目をやる。
東の街エドゥ。もしかすると、昨日東に向かったばかりのアインとツバキに会えるかもしれない。
それを目的にして依頼を受けたわけではないけれど、期待してないと言えば嘘になる。もし出会えたら、彼女はどんな顔をするだろう。
仄かな期待と共に手紙を内ポケットに仕舞っていると、アルカ隊長は軽薄な声で言う。
「ああ、そうだ。エドゥは東の入り口だからアイン君と会える可能性はあるよ! まあ、そんなこと言わなくてもわかってるよね! それを期待して――ぶっ!?」
「隊長のサインをお願いします! そして私は準備があるのでこれで失礼します!」
書類を顔面に叩きつけられ蹲る彼の横を通り過ぎ、私は部屋から去る。赤くなった顔を見られないように、出来る限り足早に。
「あの人は本当に一言余計な……! それでいて当たっているから質が悪い……!」
ああけど、周りに誰もいなくてよかった。
赤くなった顔もそうだけど、"会えるかも"というだけで緩みそうになる顔なんて誰にも見せられない。
自分でも単純過ぎるというか、子どもじみていると思うがどうしようもない。それが本音なのだから。
「……そうね、待つのにも飽きたわ」
そもそも1年待ったのだから十分だろう。たまにはこちらから迎えに行ってやろうではないか。
自然と軽くなった足で、私は旅の準備をすべく廊下を駆け出した。
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