第94話 一時の再会、一時の別れ
「それでここまで来たというわけですか」
ラピスから事のあらましを聞き終えたアインは、湯呑みを置いて言う。
慣れない箸に四苦八苦しながらも食事を終えたラピスは、箸を置いて答える。
「そういうこと。同時に着くとは思わなかったけど、貴方達は何をしていたの?」
「私は……ええと、ジャガイモ警察と一悶着ありました」
「……なにそれ?」
何を言っているんだと言わんばかりの顔をするラピス。
その反応は至極当然なのだが、本当のことだしそれ以上言いようがない。アインは言葉を濁らせつつ、入口を示す。
「まあ、色々あったんです……とりあえず店を出ましょうか。混んできましたし」
「我が払っておこう。先に出ておれ」
店内の客は食事を終えるとすぐ出ていき、入れ替わるように次の客が来ていた。二人はツバキに支払いを任せ、先に外へ出る。
「これからの予定は? しばらくここに留まるんですよね」
外でツバキを待つ間、アインはラピスは喋りかける。彼女は腕を組んで答えた。
「とりあえずマツビオサ家に挨拶ね。それからどのくらい留まるかは内容次第ってところかしら」
「そうですか……あの、私達もしばらく留まるつもりなので、何かあれば言ってください。力になります」
「ありがとう。けど、そうね。今回の依頼はアインの方が適役だったかもね」
「私は……人にモノを教えられるような人間じゃありませんし……訊かれても困ります」
アインは困ったように顔を俯かせる。
その理由をユウが訊ねると、
「例えば『どのように宝石に魔力を込めてどんなイメージをすればこうなる』という説明は、私には出来ません」
「なんで?」
「それは……何と言うか『出来るんだから出来る』以上のものが出てこないというか……説明は出来ませんが、実際出来てしまうんです。こう、えいっと魔力を込めれば出来ます」
「……あんた、そんなふわっとしたやり方でいつもやってたの?」
天才肌め、とラピスは呆れ半分感心半分に呟く。
良い選手が良いコーチであるとは限らないように、魔術の世界も同様のことがあるようだ。
「戻ったぞ。ラピスは我が奢ってやろう。アインは後で支払うように」
そんなことを話していると会計を終えたツバキが戻ってくる。3人は肩を並べて歩きだす。
通りからは、街の中央にある天守閣が見えた。平屋建ての多い街のため、一番背が高い建造物であるそれは、街のどこからでも見つけることが出来るだろう。
それを眺めていたアインは、ふと思い出したように口にする。
「ところで、マツビオサ家は何処にあるんですか?」
「白い塀に囲まれた屋敷らしいわ。大きいからすぐわかるって」
言われてアインは、丘の上から見た風景を思い出す。
領主が暮らすという城の次に大きな屋敷。それがマツビオサ家のようだ。
「けど、あの城の次に大きい屋敷なんてよく建てられましたね。没落しかけた割に財産はあるんですか?」
「いいえ、元々あの城と屋敷はセットだったのよ。けど、城を手放さざるを得ない事情があった」
そう言ってラピスは、マツビオサ家の歴史について説明を始める。
マツビオサ家は、優れた魔術師として実質的な街の支配者として君臨していた。
何しろ優れた鉄の農具を創り出せるものはかの家しかおらず、戦場において無敵のゴーレムを持つことから領主ですら顔色を窺う必要があるほどだった。
敵の刃も矢もものともせず、如何なる守りも紙のように破る巨人の軍団は、戦場の悪夢そのものだった。
その権力と支配の象徴が、街の中央にそびえ立つ城だった。
体面上はマツビオサ家が建造した領主の城とされていたが、実際にそこに住んでいたのは殆どがマツビオサ家の者だった。
領主は傍に建てられた屋敷に追い立てられ、飼い殺されることとなったのだ。
「しかし、技術が進歩したことで金属加工は魔術師の専売特許では無くなった。頼みの綱のゴーレムも無敵である時代は終わりを告げた」
「ゴーレムが弱くなったってことか?」
「少し違うわね。ゴーレムの強さは変わらなかったけど、周囲の武器がそれに優るようになり、数多くの対策も練られてしまった。これならアインも説明できるかしら?」
「えっ、は、はい」
いきなり話を振られたアインは咳払いをし、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「まず、ゴーレムの長所から説明しましょう。言うまでもありませんが、巨体から生み出される圧倒的な力です。この力で強引に守りを破壊することが出来る、というのは大きなアドバンテージでした」
彼女が扱ってきたゴーレムを思い出すユウ。
確かに、ゴーレムの力は圧倒的だった。人の力では全く敵わないだろう。
「ですが、それ以外は弱点の塊と言ってもいいでしょう。第一に脆い。魔術で固めようと元は土や岩です。火薬や爆発魔術を喰らえば簡単に削れてしまう」
「けど、それは時間を掛けたり材料を変えればいいんじゃないか?」
「それは正しいですが、正解ではありませんでした。時間や材料を掛ければ脆いという欠点は克服できますが、単純な命令しか理解できないという欠点はそのままです。堀や罠には無力なままです」
そう言えば、彼女が命令する時も"突っ込め"や"薙ぎ払え"と極単純な命令しかしていなかった。
キマイラとの戦闘では、ワイヤーで接続しなければ思い通りに動かすこともできなかった。
アインは更に続ける。
「それを避けるためには、術者が近くで命令を出し続ける必要があります。しかし、それは本末転倒です。安全に敵を倒せるから意味があるのに、危険な場所に近づいては意味がない」
そのために更に安全対策を……とコストは次々に増していく。
城一つを落とすために、城三つを建てられるだけのコストを掛けたところで得られるものはない。
「その結果、コストに見合わないとして、現在は戦場に投入されることは稀。せいぜい対抗策を持たない野盗やゴロツキ相手に使い捨てを前提に突っ込ませるくらいね」
「そうして地位を失った結果、城を領主に明け渡すまで落ちぶれた、というわけじゃな」
皮肉げに笑うツバキの言葉で解説は締めくくられる。
まさしく盛者必衰の軌跡というわけだが、ではそんな家が今更ゴーレムを研究してどうするというのだろう。
訊ねられたラピスは、肩をすくめて言う。
「それは私にもわからないわ。まあ、それが気になって引き受けたっていうのもあるんだけど――っと、見えたわね」
視線の先には、警備員らしい二人の男が重厚な門の左右に立っているのが見える。左右に続く塀はかなり長く、全力で走っても10秒以内で端に到達することは出来ないだろう。
「デカイな……」
観光名所かと思うような大きさを前に、ユウは呟く。
遠くから見て大きいということはわかっていたが、近くで見ると尚更だ。
没落しかけたというのに、ここまでの屋敷を維持できるというのは当主が優秀だったのだろうか。
「どう? アインも一緒に挨拶……って、そんなに嫌な顔しなくてもいいでしょ」
「い、嫌というわけでは……ごめんなさい、やっぱり嫌です……」
「わかってるわよ、聞いてみただけ。じゃあね、宿をとったら場所を教えて」
ラピスはアインの肩を軽く叩くと、一人門へと進んでいく。手紙らしきものを見せられた警備は、門を開ける。
門が閉じる前に、振り返った彼女はアイン達に手を振り、
「あっ」
アインが振り返す前に、門が閉じられた。
閉じられた門をじっと見つめていたアインだったが、
「ほれ、いつまでもそうしてるんじゃ」
ツバキにせっつかれて我に返る。
「まったく、今生の別れというわけであるまいに。別れる度にそれならずっと手を握ってやればよかろう」
「そんな簡単に……」
「そんな簡単なことじゃと思うがね、我は。御主があやつの手を引けば何処にだって行けるだろうよ」
「……ラピスにだって、色々なしがらみや縁があります。私だけで決められることじゃありません」
目を伏せて言うアインに、ツバキはあっさりと頷く。
「それはその通り。理屈じゃな。じゃが、御主が大切にしているのは理屈ではなかろう」
彼女はそう言って、アインから離れて一人歩き出す。何処に行くのかとその背中に訊ねると、
「宿をとってくる。御主は観光でもしとれ。何処に行っても構わんが、遠くにはいくなよ。迎えに行くのが面倒じゃ。ああ、小遣いはいるかの?」
「……そんなに子どもじゃありません」
そうじゃったな、と唇を尖らせるアインに笑いながら答えると、ツバキは人混みへと消えていった。
残されたアインは、溜息をついて呟く。
「……気を使われたんでしょうか」
「さあな。からかわれただけかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どっちですか」
「自分の都合がいい方にしておけ。その方が気が楽だろ」
「……なるほど、では前者ということに。そしてそんなツバキを見返すために、何か仕事を探してきましょう」
アインは最後にもう一度閉じた門を見やると、そこから背を向けて歩き出した。
『……で、お前は数十分前になんて言ったか覚えているか?』
『何か仕事を探しましょう、でしたっけ』
『正解だ。では今お前がしているのはなんだ?』
『そのためのエネルギー補給です』
しれっとアインは答えると、手にした丼を傾け黒っぽい汁をごくごくと飲み干していく。
ぷはぁ、と満足気に息を吐くと空になった丼を立ち食いそばの屋台の店主に返した。
店主は丼を受け取ると、感心したように言う。
「いい食べっぷりだねぇ。西の人の割に箸使いも上手いし」
「ありがとうございます。ソバの麺は初めて食べましたが、美味しかったです。立食というのも面白いですね」
「気に入ってもらえて何よりだ。しかし、アンタみたいに若い旅人は珍しいな。一人で旅をしているのかい?」
「今は三人で旅をしています。ところでお尋ねしたいんですが、この街の魔術協会が何処にあるか知っていますか?」
その質問に店主が息を呑んだのがわかった。
彼女が魔術師だというのがそこまで意外だったのかとユウは考えたが、そうではなさそうだ。
彼は周囲に目をやると、声を潜めて答える。
「……この街には魔術協会は無い。それと、ここでは魔術師だってことは隠したほうがいい。マツビオサ家に目をつけられる」
店主の緊張を察したのか、アインも同じように声を潜めて問い返す。
「……それはどういう意味ですか」
「この街にはマツビオサ家が認めた魔術師以外は居られない。自分たちこそが選ばれたものであり、それ以外は有象無象と考えているような連中だ。目立つことをすれば何をされてもおかしくない」
「以前にそういうことがあったというのですか?」
店主は神妙な顔で頷く。
「10年前にな、アンタみたいな旅の魔術師がやってきたんだ。そいつは優しい男でな、森に潜む野盗退治を引き受けてくれた。危険を承知でな」
「彼は、帰ってこなかったんですか?」
「いいや、彼は無事に野盗を退治し、帰ってきた。だが、次の日には何処にも姿を見せなかった。その次の日も、それから今日までも」
その言い方は、知らぬ間に旅立っていた、とは到底思えない。何か人為的な悪意によって姿を消したのだと言っていた。
「……それがマツビオサ家の仕業だと?」
「あいつらにも退治を依頼したんだ。けど、あいつらはこっちの足元を見てふっかけてきやがった。野盗の相手なんて、俺達には出来ないことを知っていながらな」
「では、メンツを潰されたことに対する報復だと?」
店主は吐き捨てるように答える。
「そうに決まってる。あの当主ならやってもおかしくないね。いつも笑っているが、腹の底じゃ何を考えているんだか」
メンツを潰された事に対する報復。
あり得なくはないとアインは考える。
ラピスや店主の話から察するに、マツビオサ家はかなりプライドの高い家のようだ。流れ者の魔術師に自分たちの手柄を横取りされたと思っても不思議ではない。
そして、それをもみ消すだけの力もあるだろう。没落しかけたとはいえ、あの広大な屋敷を所有しているのだ。それだけの金はある。
そうなると、疑問が湧いて出る。何故ラピスを協力者として招いたのかということだ。
外部の魔術師の力を借りるなど、彼らが一番嫌いそうなことではないか。
「これまで外部の魔術師を雇い入れたことは?」
「それはわからんな……傍目には商人か魔術師かはわからんし、中に入れるのは奴らが認めた者だけだ。あそこは一つの国みたいなもんだよ」
「国……」
そうするとあの門は国境だ、とユウは思う。
入る者も出る者も、あの警備員達が監視しているのだろう。不法入国を企めば、どんな結果になるか想像に難くない。
興奮してきたのか、店主は潜めていた声を荒げ始める。
「そうさ、自分たちが気に食わなければ何時でも首を落としていいと思っている王様の国だ。その王様も不気味で仕方が――」
「あら、あまり人を悪く言ってはいけないわ」
鈴が鳴るような透き通った声に、早口でまくし立てていた店主は一転して言葉をつまらせる。顔には驚愕と焦りが浮かんでいた。
背中から聞こえた声にアインは振り返る。
「同じ街で暮らしているのだもの。仲良くしたほうが絶対にいいわ」
貴方もそう思わない?
切り揃えられた濡羽色の髪の少女は、そう言って微笑んだ。
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