第90話 芋への拘りとその理由

「はあ、そりゃあ大変だったね」


 アインから今朝の顛末を聞き終えたラシーヌは、苦笑いを浮かべながら言った。


「はい……朝から面倒でした」


 アインは皿いっぱいの大きさがあるパンケーキをナイフで切ってフォークで口に運ぶ。

 ふかふかの生地と甘酸っぱいソースの組み合わせに、満足げに頷いていた。


 ジャガイモが危険だと村長を唆したのはガレンだと判明したものの、それだけで村長を説得できるかと言えば怪しいところだった。

 何しろガラクタに有り金全部を差し出すようなガレンのことだ。村長も嘘と知りつつ話に乗った可能性が高い。


 そうなると、村長が持つ甘芋に対する拘りの理由がわからないままでは説得できない。

 それを知る可能性のあるラシーヌの元をアインは訪ね、ついでにお茶とお菓子を楽しむことにした。

 店は開けたばかりで、客はまだいないということもあり二人はテーブルに向かい合って話し合っていた。


「ラシーヌさんこそ……苦労されたでしょう」


 アインは言いつつ、パンケーキを口に運ぶ。5枚はあったはずだが、いつの間にか残り1枚となっていた。

 自分の夫の料理を美味しそうに食べてくれるのが嬉しいのか、ラシーヌは目を細めて言う。


「なに、今の幸せを思えば大したものじゃないさ。それに、苦労って言うならアインの方がしているだろう」

「私が、ですか?」

「そうさ。その年齢で一人旅なんて誰にでも出来ることじゃない。余程決意があったんだろ?」

「…………ええ、まあ、はい」


 長い沈黙からとても曖昧な表情で頷くアイン。

 旅の切っ掛けが"メイド喫茶のメイドになるのが嫌だったから"とは絶対に言えない。そんな顔をしていた。


「ま、あいつのことはいいだろ。流石に今回で懲りたはずさ。本題に入ろうか」

「はい、お願いします」


 アインはパンケーキを食べ終えた皿にナイフとフォークを置いてラシーヌの言葉を待つ。


「親父が甘芋にこだわる理由は……正直昨日話した以上のことは思いつかないね。昔からの伝統を守りたい以外のことはね」

「そもそも、村長さんはどんな人なんですか?」

「あん? 今更かい……っと、まともに話す間もなく追い返されたんだっけ」


 アインは頷く。

 順番からすれば、まずは村長から話を聞くべきだったのだが、追い返されたせいで叶わなかった。

 彼の人柄は村に戻ってから調べようと思っていたが、そうにもいかなくなった。


「そうだねえ……なんとなくわかったと思うけど、厳格で昔気質というか、物を大事にする人だな。祖父から受け継いだ狩猟ナイフも刃が欠けて柄だけになっても、未だに取ってあるくらいだ」

「変化はあまり好まない……ということですか?」

「そうとも言えるね。ああ、それで思い出した。アタシが初めて兎を狩った毛皮でポーチを作ったんだ。それがボロボロになってきたから、いい加減捨てればってアタシは言ったんだ」


 そうしたらあいつは、とラシーヌは呆れたように――しかし楽しげに続ける。


「『そんなことが出来るか』と怒鳴ってきてさ。それでアタシもムキになって『新しいの作ってやるからそれを使え!』って喧嘩になったことがあったんだ」

「それは、結局どうなったんですか?」

「古いものも新しいものも両方使ってるよ。新しいものが増えていっても、結局捨てることは無かったね」

「ふむ……随分物を大切にするんですね」


 天井を仰いで考え込むアイン。

 相手の立場になって考えるのは、説得やコミュニケーションには必須である。さりとて、それがアインに出来るのかというのは別問題だが。


「私は……物にはあまり執着しないので、その気持ちは計りかねます」


 アインは眉をひそめて言う。

 自分も物を大切しないわけではないが、そこまでムキになるものなのかというのが正直な気持ちだった。

 物は物だし、いつかは壊れるもの。壊れてしまうのは残念だが、その時が来てしまったのだと思うしか無い。それが世の理だ。


 わからないねえ、とラシーヌは呟く。 


「あいつは、一体何にそこまでこだわっているのか……」

「思い出だろう」


 静かに告げられた声に、アインとラシーヌは顔を上げる。

 テーブル横には、音もなくブラットが立っていた。相変わらず似合わないピンクのエプロンを着けている。

 彼は空いた皿を片付け、代わりに新たなパンケーキの皿をアインの前に置く。頼んだ覚えのない彼女は、困惑気味に彼を見やる。


「サービスだ。妻に関わる面倒事を片付けてくれたのだろう」

「ど、どうも……」


 表情は困惑したまま、しかし手は素直にパンケーキに伸ばす彼女をユウは制し、ブラットに訊ねる。


「思い出にこだわっているとはいうのは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だ。君とてそうだろう」


 そのままの意味だ、と言われてもユウにもアインにもわからない。

 言うべきことは言ったという顔のブラットに、ラシーヌは頬杖をついて言う。


「アタシならともかく、アインにはわからんだろうさ。ちゃんと説明してやんな」

「……君はその古びた剣をとても大切にしている。まるで人のようにだ」

「そ、そうでしょうか?」


 ユウのことがバレたと思ったアインは裏返った声をあげる。

 この二人にバレても問題はないが、だからといって隠し事を指摘されては冷静ではいれらない。幸い、ただの喩えだったようだが。


「その剣を貶されたり、傷つけられるようなことがあれば君は怒るだろう。それは何故か」

「それは……」


 人格ある"人"だから、と言うわけにはいかずアインは口をつむぐ。

 ブラットは静かに続ける。


「それは剣に関連する思い出を傷つけられたも同然だからだ。共に旅をし、苦楽を過ごしてきた――そのような思い出を否定されて怒りを抱かない者はいない」

「あ……」


 その言葉に解けなかった紐の結び目が一気に解けていく。そして、バラバラだった紐が一つに繋がっていく。

 物を壊されて怒るのは物を失ったためだけではない。同時に思い出も破壊されたように感じるからだ。

 村長は、それを恐れていた。幼い頃から娘にまで続く甘芋の思い出を消したくなかったのだ。


 しかし――まだ繋がらないものが一つ残っている。

 何故村長は、村人たちにまで無理矢理甘芋を栽培させようとしたのだろう?

 伝統を守るということなら、自分たちだけでも成立するはずだ。強権を振るってまでそうした理由がわからない。


 考え込むアインに、


『……いや。彼がそうした理由は、なんとなくわかった』


 ユウは躊躇いがちに伝える。


『本当ですか?』

『ただ、言葉にするのには時間がいる。もう少し待ってくれ』

『十分です。村に戻るまでにお願いします』


 アインはブラットに向き直り、頭を下げてお礼を言う。


「ありがとうございました。お陰で解決の足がかりになりそうです」

「いや、気にすることはない。大したことはではないからな」


 静かな口調でブラットは言うと、踵を返して厨房に戻ろうとする。その背中で揺れるピンク色のエプロンの結び目を見て、ふとユウは訊ねる。


「そのエプロンも、思い出の品なんですか?」


 ブラットは答えず、ゆっくりと振り返る。その視線はアインではなく、ラシーヌに向けられていた。何故か彼女は両手で顔を覆い隠している。


「思い出の品かと問われれば、そうだ。このエプロンは彼女が贈ったものだ。そして君はこう思っている。『何故ピンク色のなのか』と」


 アインが小さく頷くと、ブラットはほんの僅かに表情を緩める。ぱっと見では変わらないが、纏う雰囲気は何処か楽しげだ。


「これは戒めでもある。前後不覚になるほど酔っ払い、プレゼントとしてまったく似合わないエプロンを贈った妻に対するな」

「だあもう、アタシが悪かったよ。ったく、怒らないと思ったらそれを着て店に出だすんだから。悪魔が憑いたんじゃないかって真剣に心配されたんだからね」

「悪魔というなら酒がそうだろう。最近はめっきり見ないようだが」

「お陰様でね。間違ってドラゴンのお面をつけて厨房に立たれでもしたら、司祭がかっ飛んでくるからね」 

「それは何より。健やかであることは望ましいことだ」

「はいはい。いいから仕事に戻りな」


 しっしっとブラットは追い払うように手を払うラシーヌ。しかし、その赤くなった顔は照れくさそうな笑みを浮かべていた。

 小さく肩をすくめたブラットは、アインを見やり言う。


「上手く解決できることを祈っている。『こんな事件があったんだ』と酒場のネタに出来るほどに」

「……はいっ」


 アインは緊張気味に答え、


「頑張ります」


 ユウは決意を持って答えた。

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