第89話 喜劇の幕引き
アインに突きつけられた剣は、ユウにはやはり装飾過多な細剣にしか思えなかった。
だが、そうではないということは、アインの表情を見れば嫌でも理解する。
「貴方……どこでそれを手に入れたんですか!?」
彼女の驚愕に染まった顔にガレンは満足げに頷き、上っ面の賞賛を浮かべながら語り始める。
「君のように真っ黒いローブを纏った老人だよ。不思議な雰囲気を持った御人でね……『財を投げ捨てても成し遂げたいことがあるのなら、これを授けよう』。そう言ってこの魔剣をくれたんだ」
「そんな……」
アインは動揺した声を抑えるように口を手で覆う。その体は震えていた。
どんな敵に対しても怯えることが無かった彼女が震えている。その事実に、ユウはひどく動揺する。
『アイン! 何なんだあの剣は!? そんなにヤバイものなのか!?』
彼の呼びかけにもアインは答えず、震える体を抑えきれずに膝をついてしまう。戦う前から戦意を失ったことも初めてだ。
「ははは、怯えているようだけど、まだまだ早いよ。この剣の本当の力を見せていないのだからね」
ガレンは、勿体つけた動作で魔剣を天にかざし、そして叫ぶ。
「光よ!」
瞬間、細い刀身を覆うように青白い光が迸る。眩い光は細い刀身を軸に肉厚の刀身を形成する。その刀身は鍔の幅と同程度に広がり、細身だった刀身は両手剣のそれまで拡大する。
ユウが目を逸らしたのは、その眩しさのためか、それとも底知れない恐怖のためか――。
膝をつくアインに、ガレンは悠々と歩み寄る。彼女の実力はよくわかっているはずだが、余程魔剣に自信があるのだろう。
「やはり、君ならこの剣の素晴らしさを理解できると思ったよ」
彼は、光の刀身を突きつけて言う。彼女は、体を抱くようにして俯いていた。その体の震えは未だに止まらない。
「降伏しろ、なんて言わないよ。ここまで知られたからには少し痛い目を見てもらおう。少し痛いだろうけど、手加減はしてあげるよ」
「……ッ!」
アインは両足を使って転がるように飛び退く。遅れて魔剣が振り抜かれ、先程まで彼女がいた空間が切り裂かれる。
追いかけようともしないガレンに、ユウは内心で舌打ちする。
あいつは、わざとアインが飛び退いてから剣を振り抜いた。怯える彼女を嘲笑うためだ。
今も、逃げ回るだろう彼女を嘲笑うために一気に攻めようとしない。
『アイン! しっかりしろ! あいつが余裕ぶっている今がチャンスだ!』
立ち上がることもしないアインに、ユウは必死に呼びかけるが、
「駄目……死んでしまいます……」
彼女は震える体を抱きながら、うわ言のように呟くばかりだった。
こんな彼女は見たことがない。ユウは魔剣以上にこんな状態の彼女に動揺していた。
戦いの最中に冷静さや戦意を失うことはあった。だが、戦う前から――それも格下相手にこんな風になるなんてことは無かったし、考えたこともない。
明確な敵である以上、戦うことを躊躇う理由もないはずなのにだ。
「君は、なかなか実力ある魔術師のようだね。そんな魔術師を倒せば、きっとラシーヌも私を認めるだろう」
青白い光を湛えた光刃は、触れるものを全て切り裂いてしまうような――そんな錯覚を覚えてしまう。
何時かの日にアインが言っていたことをユウは思い出す。
魔道具の中には、倫理観や危険を度外視したものも存在する。ガレンの手に握られている剣も、実力差を簡単にひっくり返すほどの武器だと言うのか。
「私の名とその愛剣六に割りしもの《バウムスケル・テールング》は吟遊詩人によって永遠に語り継がれる。愛する者と名誉を手中に収めた主人公としてね!」
舞台役者が観客に向けてそうするように、ガレンは両腕を広げて天を仰ぐ。閉じた目は、観客からの喝采を心待ちにしているのだろう。
だが、
「……くっ」
「さあ、アイン君。君はその礎になるのだ。私の活劇の一部に成れることを光栄に思いたまえ」
その唯一の観客であるアインの反応は、
「ふっ……は、あはははははははは! だ、駄目です! もう我慢できません! ぷっ、はははははは!」
最高の喜劇を目にした笑撃だった。
笑い声を堪えることもせずバンバンと地面を叩く姿に、ガレンはおろかユウまでも言葉を無くしていた。
『あ、アイン? 大丈夫か?』
「だ、大丈夫……じゃないです! だめ……考えるだけで笑っちゃいます……!」
想定と真逆の結果にガレンは狼狽していたが、何とか余裕を取り繕って言う。
「おやおや、恐ろしさのあまり気が触れたかな? それは悪いことを――」
「あはははは! なにを……言ってるん、ですか! 頭に腐ったカボチャが詰まってる貴方に言われたくありませんよ! くっ、ふぅ……!」
「腐ったカボ……!?」
額に青筋を立てるガレンに、息を切らしたアインは尚も続ける。その表情に怯えは全く見られず、むしろ可笑しくて仕方ないと言っていた。
「そうとしか思えませんよ……そんな、オモチャを振り回して……主人公だの永遠に語り継がれるだの……ふ、ひひ……」
ふらつきながらも木を支えに立ち上がり、笑い過ぎて痛むのか腹筋を抑えるアイン。
それを見てユウは安心する。
ああ、いつもの彼女だ。悪党には容赦が無く、口も悪くなるいつもの彼女だ――。
「……ほ、ほう。この魔剣をオモチャというか。ならば、その身をもって味わうがいい!」
激高したガレンは、魔剣を振り上げ一直線にアインに突き進む。
横薙ぎに振るわれる光刃を、彼女は背後の木に隠れることでやり過ごそうとする。木の太さは、アインが腕を回せば抱ける程度の太さしか無い。
「そんな木、丸ごと切り裂いてみせる!」
ガレンは豪語し、勢い止まぬまま光刃は振り抜かれる。
カッ、と軽い音が響いた。それが切っ掛けだったように辺りは静寂に包まれる。
「えっ?」
続いて聞こえたのは、ガレンの間抜けな声だった。自信満々だった顔は、今や阿呆のように口を開けて目の前の光景だけを見つめていた。
「そ、そんな! こんな木も斬れないなんて!?」
魔剣は、木に僅かに食い込んだ所で動きを止めていた。ガレンは引き抜こうと引っ張るが、焦りのせいか叶わない。
「はいはい。いい加減幕引き願いましょうか」
アインは、大根役者に対する冷たいヤジのように言うと、手にしたカボチャくらいの大きさの石を魔剣に向かって振り下ろした。
ばきん、とあっけない音と共に刀身は真っ二つに割れる。引き抜こうとしていたガレンは、勢いままに尻もちをついた。
「馬鹿な……! これは、魔剣じゃなかったのかー!?」
木に食い込んだ刀身と、手にした魔剣の残骸を交互に見やるガレン。その顔には、拭いきれないほどの汗が流れていた。
アインは手にした石を投げ捨てると、彼を見下ろしながら嫌味を込めて言う。
「魔剣ですよ。ええ、魔術は付与されています」
「じゃあ、どうして……!」
「大方"全てを切り裂く光の魔剣"とでも言われたんでしょうが……それが出来るのは、ただ光らせるだけですよ」
「ただ……光らせる……?」
「柄の中に照明魔術を刻んだ芯棒が入ってるんでしょう。その光を刃状にしていただけです。何の殺傷力もない眩しいだけの光を、貴方は振り回していたんですよ」
それは言うならば、懐中電灯を振り回してはしゃいでいたに過ぎない。
その事実を指摘されたガレンは真っ青だった顔を朱に染めていく。握りしめた拳を大地に叩きつけながら叫んだ。
「じゃあ、騙されたっていうのか!? あの老人に!?」
「魔術師には有名なジョークですよ。"ただ光るだけの剣を魔剣として売ろう""魔剣の名前は
アインは呆れ果てたというように、大袈裟に肩をすくめて言う。
「本当に騙されるやつがいるとも思いませんでしたが」
これまでの意趣返しとばかりに煽りに煽るアイン。
ガレンは拳を震わせ紅潮した顔でアインを睨みつけていたが、彼女は冷ややかな表情で見下ろすだけだ。
勝敗は完全に決した。彼女の実力はガレンも身を持って知っている。
逆立ちした所で叶わないのは誰の目にも明らかだろう。
不意に、ガレンは握りしめていた拳を解き肩を落とす。魔剣の残骸は手を離れ、軽い音を立てた。
彼は詫びるように頭をうつむかせたまま言う。
「……私の負けだ。だが、彼らは私が雇っただけで無関係だ。見逃してくれ」
ガレンの言葉に、呆けたまま傍観していた金髪の男は意識を戻す。
「あんた……」
「いいんだ……勝負に敗れた無様な男にはこれくらいしか出来ない……」
「そんなことねえよ! あんた……かっこよかったぜ……!」
何処をどう見ていればその感想が出てくるのか。
ガレンに駆け寄る金髪の男を冷めた感情で眺めるユウ。アインもおそらく同じ気持ちだろう。
そんな二人に構わずガレンと男は茶番を続けていた。
「あんたの勇姿……俺は決して忘れない! 例え歴史の闇に消えようと俺が語り継ごう」
「正気を疑われるからやめておけ」
ぼそっと呟くユウ。
「ああ……私も君との友情は忘れない……盟友よ」
「さっき逃げられるところだったじゃないですか」
半眼でツッコむアイン。
「さあ、帰ろうぜ……あんたを待っている人がいるんだろ……」
「そうだな……帰ろうか……」
傷ついたガレンに金髪の男は肩を貸し、顔を見合わせて笑い合う。朝の木漏れ日が、傷を癒やすように優しく照らしていた。
本当に大切だったのは人を傷つけるための武器ではなく、互いを信頼し合える友だった。魔剣の呪縛から逃れたことで、彼は真実を見つけることが出来たのだ――。
とまあ、脳内で適当なナレーションをつけてみたユウだったが、
「ところで、喜劇の定番オチはご存知ですか?」
目の前にあったのはそんな綺麗な物語ではなく、ただアインから逃げようとしているだけの二人であって。
「い、いや……わからないな」
「あ、ああ……全然想像もつかねえや」
顔と声を引きつらせながら答える二人に、アインがすることは拍手ではなく、
「なら、教えてあげますよ」
右手に浮かべた光球を彼らめがけて投げつけることだった。
「あ、ああ! うわあああああああ!」
「やめ――!」
二人の絶叫は、青白い閃光に呑まれて消えていく。
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