第88話 魔剣"六に割りしもの"
ガレンを無事に返してほしければ夜明けまでに北の森にある洞窟へ来い。
そう告げられたアインは、
「……ん。……ふわぁ」
朝日が差し込み始めた部屋。そのベッドからのっそりと起き上がり欠伸をこぼした。
頭はぐらついており、今にでも布団に逆戻りしてしまいそうな彼女にユウは喋りかける。
「やっと起きたか。で、いいのか?」
「……なにがですか」
「ガレンだよ。夜明けまでに来いって言われたのに、もう日の出は過ぎてるぞ」
既にうつらうつらし始めた彼女に、ユウは呆れたように言う。
そう、男から告げられたアインは神妙な声で答えた後、そのままベッドに潜り込んで熟睡してしまったのだ。
最初は万全な状態で挑もうとしているのだと好意的に考えていたユウだったが、こいつはただ眠いから寝ているだけなのだ、と気がつくのに大して時間は掛からなかった。
そもそもを言えば、答えたときからそんな気はしていたのだが。本当に助ける気があるなら男を逃したりしなかっただろう。
「だいじょうぶですよ……人質を痛めつけた所で得があるわけじゃありませんし……」
「本当か?」
「本当です……多少痛めつけられても死にはしないでしょうし……」
アインはもう一度大きく欠伸をすると、這い出るようにベッドから抜け出し階下にある洗面所へと向かう。
「まあ……完全に無視するのも後味が悪いですし……ご飯を食べてから向かいましょう」
睡眠と朝食に優先度が劣るガレンに内心同情を禁じ得ないユウだった。
「街の不良が溜まり場にしている洞窟は、こっちみたいですね」
バケット一杯のパンと色とりどりの野菜サラダにコーンスープを完食したアインは、地面を撫でて呟く。
宿の店主から聞いた話と踏み固められた地面の方向は一致していた。この先にガレンと彼を攫った男たちがいるのだろう。
「しかし、何でガレンを攫ったんだろう……そもそも、アインと関わってことを何処で知ったんだ?」
「さあ……ああ、街道で会ったゴロツキじゃないですか? やられた復讐で、とか」
「あり得そうだけど……どうかな」
ボコボコにされたゴロツキの惨状を思い出すユウ。
あそこまでやられて復讐を考えるのは、かなりのガッツがあるか命知らずかのどちらかだろう。
そして、彼らにそこまでのガッツは無さそうだし、命知らずでも無さそうに思えた。
「まあ、行けばわかりますよ」
考えるのが面倒になったのか、アインはそう言って木々の根を避けながら進んでいく。
十数分ほど歩いた所で、視界の先に洞窟の入り口とその左右に座り込む男の姿が見えた。
見張りかと緊張するユウだったが、どうも様子がおかしい。どちらの男も抱えた膝に頭を突っ伏しており、何も見ていない。気怠げな空気がここからでもわかった。
「なんだあれ……眠いのか?」
「みたいですね。これを狙っていたんですよ、私は」
「今思いついただろ……」
木影に隠れながら二人は様子を窺う。
罠の可能性も考えたが、あの徹夜明け特有の暗い空気は作り物とは思えない。とすると、夜から今まであそこで見張っていたのだろうか。
「悪人も苦労してるんですねえ」
その原因となった本人は素知らぬ顔でつぶやき、両手に光球を浮かべる。容赦する気は全く無いようだ。
光球を放とうと両手を突き出したその時、
「おい、ふざけてんのか! 全然来ねえじゃねえか!」
洞窟内から聞こえてきた怒鳴り声に彼女は両手を降ろす。
「なんでしょう……?」
怒鳴り声は段々とこちらに近づいき、続いて金髪の男が姿を現す。若い男で、昨日のゴロツキ内にはいなかった顔だ。目にはクマが浮いている。
一応ユウはアインに見知った顔か訊ねるが、
「知らない顔ですね」
予想通りの答えを返す。例え会ったことがある人物だとしても、彼女は忘れているだろうが。
失礼な、と彼女が呟いてる間にも金髪の男は肩を怒らせながら洞窟から去ろうとしていた。どうやらアインが来なかったことに腹を立てているようだ。
「ま、待ってくれ! 彼女は必ず来る!」
そこに焦ったような声が洞窟内から届く。そのよく通るに、ユウは聞き覚えがあった。
「その台詞は聞き飽きたぜ! 若い女を相手にできるとお前が言ったからこうしていたんだ! それがこのザマだ!」
「それは申し訳ないが……来るはずなんだ! ああ見えても心優しい女性で困っている人を見捨てたりはしない!」
息を切らしながら洞窟から現れた男に、アインとユウは息を呑む。
「そう……きっと私を助けに来る……」
そこにいたのは、攫われたはずのガレンだった。手枷もされておらず、怪我も見られない。昨日別れた時の格好そのままだ。
被害者であるはずの彼は、加害者であるはずの金髪の男を必死で引き止めていた。
「どうだかな! 美少女だとか言っていたが、今じゃそれもうさんくせえ! どうせそのアインってやつもブスなんだろ!」
ガレンに向かって吐き捨てた金髪の男は立ち去ろうと振り返り――絶句する。
「へえ、ちなみに誰がブスなのかもう一度言って頂けませんか」
真顔で告げるアインの冷たい目に晒された男は、小さく悲鳴をあげて後ずさる。そのプレッシャーに、見張りも慌てて立ち上がった。
ガレンは、驚愕の表情で彼女を見ていたが、観念したように頭を振ると、
「そうか……全てお見通しだったというわけだね」
静かな声でそう言った。そして舞台役者のように両腕を広げ、天を仰ぎながら続ける。
「私がジャガイモが危険であると村長を煽り、ジャガイモ警察を組織するよう仕向けた犯人。それもこれも、全てはラシーヌをあの冴えない男から取り戻すため。夫の贈り物が原因で村に不和が訪れれば、申し訳無さを感じた彼女は夫と別れるであろう。そこを私が慰め、手中に収めるという遠大な計画……」
「……」
ペラペラと聞いてもいないことを語り続けるガレン。自分に酔っているのか、ぽかんとする男たちに気がついていないようだ。
沈黙するアインに気を良くしたのか、ガレンはやおら腕を振り上げながら背中を向ける。
「そこで貴方は邪魔となった。私の虜にしてこの件から遠ざけようとしたのですが……それは失敗に終わりました。なので、少々暴力的な手段に頼ろうとしたのですが――」
そこまで言ってガレンはアインに向き直り、びしっと指を突きつける。
「見事、貴方はそれを見抜き夜明け過ぎにここにやってきた。称賛に値する判断力ですね」
優雅に余裕を湛えた微笑みを浮かべるガレンだったが、
「へえ、そうだったんですか。全然気が付きませんでした」
感心したように言うアインに、その微笑みが凍りつく。
ガレンは唇の端を引きつらせながら、震えた声で訊ねる。
「……気がつかなかった?」
「ええ、全く」
「…………では、どうして遅れてきたのですか?」
「いや、もう寝間着に着替えちゃってましたし。朝ご飯も食べたかったので、この時間になりました」
それだけです、と念押す彼女にガレンは指を突きつけた膝を落とす。
ユウは内心で溜息をつき、先程まで腹を立てていた金髪の男すら、ガレンに同情的な視線を向けていた。
アインが優しいというのは間違いではない。
しかし、その優しさが誰にでも向けられるわけではない。むしろ、"どうでもいい"と判定した者に対しては割りと冷淡である。
「哀れな……」
ただまあ、わからなかったことはお陰でだいたいわかった。
ジャガイモが危険だと煽ったのは、ラシーヌのブラットへの信頼を壊すため。それくらいで信頼を失うような二人ではなさそうだが。
アインにやたらちょっかいを掛けたのは調査を止めさせるため。昨日のゴロツキへの対応もあり、それを止めて彼が言うところの暴力的な手段を選んだのだろう。
しかし、当のアインがやってこず堪忍袋の緒が切れたというのが現在の状況だ。
「しかし、何ですか。しょうもない男ですね、貴方は」
肩を震わすガレンに向かって、アインは呆れたように言い放つ。それにはユウも同感だった。
やること成すことがみみっちい上に、その全てが上滑りしている。顔がいいだけとラシーヌが言っていた理由がわかった気がした。
俯き肩を震わせていたガレンだが、突然顔を上げると、哄笑を響かせる。
「はっ……ハハハハハ! いいさ、どちらにせよ結末は変わらない! 君はここで私に負ける! そして村に戻ること無く逃げ去るのさ!」
「それはいい計画ですね。実現不可能ということを除けばですが」
つまらなそうに言い捨てるアインに、ガレンは大袈裟に肩をすくめながら洞窟入り口の歩み寄る。
「言っていればいい。だが、最後に勝つのはこの私だ!」
主人公のように堂々と叫び、影に隠してあった剣を抜き放つ。陽光に照らされた細身の刀身には、びっしりと文字のような幾何学的な文様が刻まれている。
ユウにとってはただの剣にしか見えない。むしろ、細い刀身に刻まれた文様のせいで酷く脆そうにすら思えた。
「あれは……」
だが、アインは違った。彼女は目を見開き、体を震わせていた。魔術師である彼女は、その剣の本質を一瞬で理解したのだ。
信じられない、というようにその剣の名を呟く。
「六に割りしもの《バウムスケル・テールング》……!」
ガレンは不敵に笑い、切っ先を突きつける。
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