第87話 ジャガイモの真相と攫われた男
「ポトフとミートパイをお願いします」
屋台の店主が教えてくれた酒場に到着したアインは、席につくなりウェイターに注文した。
ついさっき丸ごとのジャガイモを5個も食べたばかりだというのに、よくもまあ食べられるものだ。
呆れるユウに、アインは誇らしげに答える。
『ラシーヌさんとスムーズに会話するためですよ。料理を褒められれば嬉しくなって口も回りやすくなるというものです』
『いっちょまえにわかったような口を……どうせ会話するのは俺だというのに』
『ならそのアシストです。感謝してください』
『はいはい』
態度はともかく言っていることは間違っていないので、ユウは適当に返事をする。
ただまあ、ハイになる気持ちはわかる。半日近くストレスが溜まる状況が続いていたのだから、反動でそうもなろう。そこに酒が加われば尚更だ。
「けど、空いてる店はいいですね。ゆっくり食べられます」
アインが言う通り店内に客の影はまばらで、空席が目立つ。まだ夕食時にはやや早いので、そのためだろう。
少なくとも店に寂れている雰囲気は無い。清掃も行き届いているし、食事中の客も不機嫌そうな顔はしていない。
「寂れている店みたいな言い方はやめとけ。いらぬ誤解を招く」
「心配症ですね、ユウさんは。店員だって客にいちいち聞き耳立てるほど暇じゃありませんよ」
「そういうこと言ってると――」
ユウがそう言いかけた時、
「ああ、あんたかい! アタシを探していたっていうのは!」
「ひっ!?」
快活な声とともに背中を思い切り叩かれたアインは、驚きのあまり椅子から転げ落ちる。その拍子に椅子に立てかけられたユウも、床に倒れ込んだ。
突然の騒ぎに客の視線がアインに向けられる。その視線に気がつくと、彼女は目深にフードを被った。
アインは弾けそうな心臓を手で抑えながら、原因となった人物を見上げる。
女性にしてはかなり大柄で、思い切り見上げないと顔が窺えないほどだ。筋の通った顔つきは自信に溢れており、美人という美女といった印象を受ける。長い栗色の髪は、後ろで縛って纏めていた。
「すまないねえ、そこまで驚くとは思っていなかったよ。ほら、立てるかい?」
おかしそうに女性は笑うと、アインに右手を差し出す。
こくこくと頷きながらその手を取ると、
「わわっ」
一瞬足が浮き上がるほどの力で引っ張り上げられ、アインは声を上げる。そして、倒れたユウに気がつき慌てて拾い上げた。
『大丈夫か?』
『なんとか……食事中じゃなくて良かったです』
『だな……ポトフがあったら惨事だった』
いきなり話しかけられるのが苦手なアインだが、今のは誰だって驚くだろう。背中が痛むのか、彼女は背中を擦っていた。
「さて、人違いだったら申し訳ないけど、あんたが私を探してたって旅人かい?」
「……ということは、貴方が」
「そう、ラシーヌだよ」
ラシーヌを名乗った女性は、アインに椅子に座りなおすよう薦め、自らは反対の席につく。彼女が席についたのを認めると、ラシーヌはずいっと身を乗り出し訊ねる。
「で、魔術師が私に何の用だい? 屋台の親父は、アタシの親父から様子を見てくるよう頼まれたと言っていたが?」
「そ、それは……その……」
ラシーヌには悪気も敵意も無いのだが、意志の強い目に間近から見つめられたアインは完全に怯んでいた。アルミードの時もそうだったが、威圧的――と彼女が考えた相手にはどうも弱いようだ。
思いつめず食事のことでも考えていろとアドバイスし、ユウは会話を交代する。
「私はアイン=ナット、旅の魔術師です。そして、村長さんからの依頼というのは方便です。本当は、村で栽培していたジャガイモについて知りたかったのです」
「ジャガイモ? あれがどうかしたのかい?」
ユウは、不思議そうな顔をするラシーヌに説明していく。
オストゥでは甘芋からジャガイモ栽培に切り替えたこと。今年から急に不作になったこと。その原因が不明であること。
そして、村長がジャガイモ栽培を禁じ、ジャガイモ警察による取締を行っていること。
自分たちは、不作の原因を調査しているが村長が話を聞いてくれなかったこと。なので手がかりになりそうなラシーヌを訪ねたこと。
説明を聞き終えたラシーヌは、なるほどねえ、と大きく溜息をついて言う。
「悪いね、うちの親父の我儘に巻き込んじまって」
「いえ、自分から言い出したことですから。ですが、我儘ですか?」
「そうだよ。あいつは昔気質の頑固者で、新しいものを取り入れるのは嫌がるのさ。未だに魔力灯も無かっただろう?」
「ええ、ありませんでした。……では、ジャガイモが村を滅ぼすというのは方便で、その実はジャガイモが甘芋にとって替わられるのが嫌ということですか?」
「だと思うがね。あいつにとっては甘芋は特別なんだ」
そう言ってラシーヌは懐かしむように目を細める。
「特別というと?」
「どうして甘芋を栽培するか、っていうのは知っているね?」
「ええ、聞いています」
ユウの言葉にやや遅れてアインは首を縦に振る。
食事のことだけ考えろとは言ってないぞ、とユウ。わかってますとアイン。
「その甘芋栽培を始めたのは親父の親父……つまり、アタシのお祖父様ってわけだ。これで少しはわかるかい?」
「……なるほど。父からの伝統を絶やしたくないが故にジャガイモを拒んでいる。昔気質の方なら尚更でしょう」
「察しがよくて助かるよ。アタシもよく聞かされたもんさ、『自分が腹を空かしていると親父は自分の分の芋をわけてくれた』ってね」
ラシーヌはくつくつと笑いながら続ける。
「その話をしながらアタシに蒸した甘芋をくれるんだけど……これが不味くって。我慢して食べ終えたら、まだあるぞってさらに出てくるのさ」
「娘さん思いだったのですね」
「……まあね。早死にした母親の代わりを必死でやってくれたんだろうさ。芋は不味かったけど、その気持ちは暖かったな」
「……いい人なんですね」
ただの頑固者だよ、とラシーヌはしんみりした空気を払拭するように明るい声で言って、彼女は困ったように頭を掻く。
「ええと、それで……ジャガイモがどうして不作なのかは、アタシにはわからんね。旦那なら知っているかもしれないけど」
「旦那さんは今何処に?」
「厨房にいるはずさ。今呼んで――」
「ポトフとミートパイ、注文をお持ちした」
立ち上がりかけたラシーヌを遮るように、静かな男性の声が被せられる。それと同時に、テーブルに湯気立つ料理が並べられた。
アインとラシーヌが顔をあげると、そこには無表情でこちらを見やるエプロン姿の男性が立っていた。エプロンの色はピンク色で、控えめに言ってとても似合っておらず異様な雰囲気を醸し出していた。
アインとユウは思わぬ人物の登場に言葉を失っていたが、ラシーヌだけは顔を明るくして親しげに喋りかける。
「ブラット! いいところに来たね。この魔術師――アインが、村に贈ったジャガイモの不作について聞きたいんだと」
ブラットと呼ばれた男性は、ラシーヌからゆっくりとアインへ向き直る。何を考えているのかわからない無表情に怯むアインだったが、何とか堪える。
ブラットは口を開き、静かな声で、
「連作障害だろう。かぼちゃを植えると良い」
それだけ言うと、背中を向けて厨房へと戻ってしまう。
ぽかんと口を開いたままのアインに、ラシーヌは困ったように笑いながら言う。
「悪いね、うちの旦那は口下手なもんで。嫌ってるわけじゃないから安心してくれ」
「そう、なんですか……というか、旦那さん……?」
「そう! アタシの旦那だ! いい男だろ?」
「ええ、まあ……」
ろくに顔を見合わせられなかったアインは曖昧に答える。
そんな返答でも肯定してくれたのが嬉しかったのか、ラシーヌは声を弾ませて言う。
「だろう? やっぱり男は顔より誠実さだね! まっ、うちの旦那は顔もいいんだけどね!」
「それは……結構なことで……」
「あんたも気をつけなよ? あんたみたいに可愛い子は悪い男が狙ってるんだから。ガレンみたいに軟派な奴は注意するんだよ?」
「はあ……んっ? ラシーヌさんは、ガレン……さんと知り合いなんですか?」
「そりゃそうさ。同じ村に居たんだから」
言われてみればそうである。だが、何処か刺々しい口調の理由はなんだろうか。
ユウが訊ねると、彼女は顔をしかめて答える。
「村で暮らしていた時はしょっちゅう絡まれたもんさ。旦那と結婚するって時も『考え直して欲しい』だのとうるさかったんだ」
「ラシーヌさんも大変だったんですね……」
「そうだよ。……『も』ってことは、あんたもあいつに絡まれていたのかい?」
少し驚いたようにラシーヌは言う。
「はい……街まで送るだの美しいだの綺麗だのと……」
「ふぅん……。アイン、年齢はいくつ?」
「16ですが……」
「見た目通りか……」
「どうかしましたか?」
ラシーヌは大したことじゃないんだけどね、と前置きして続ける。
「私以外の女にもちょっかいかけることはあったけど、同い年か歳上だけだったんだ。年下趣味は無かったはずだから、不思議に思ってね」
「……」
「まっ、趣味が変わっただけかもしれないしね。ほら、つまらない男の話は終わりだ。料理を味わってくれ」
「あ、はい……頂きます」
「私もそろそろ仕事に戻るよ。何かあればまた来ておくれ」
手を軽く振ってラシーヌは厨房に向かう。
その背中を見送ったアインは小さく息を吐き、ポトフのニンジンをスプーンで口に運び、
「……美味しい」
嬉しげに呟いた。
「ところで、連作障害って何ですか?」
宝石の状態を確かめていたアインは、その手を止めて唐突に訊ねる。小さな宿の一室のテーブルには、所狭しと光り輝く宝石が並べられていた。
さては食事に満足して今の今まで忘れていたな、と若干呆れるユウだったが、いちいち小言を言っても仕方がないので質問だけに答える。
「連作障害は、特定の野菜を連続して栽培すると起こる障害だ。そうなると病気になりやすかったり、上手く育たなかったりする」
「けど、甘芋はずっと栽培していたんですよ? どうしてジャガイモだけに?」
「連作障害は起きづらい野菜と起きやすい野菜があるんだ。サツマイモ――甘芋は起きづらい野菜の典型で、ジャガイモは起きやすい野菜の典型だ」
「へえ……そうなんですね。原因は何なんですか?」
「確か……野菜はそれごとに必要な栄養が異なるんだけど、特定の野菜だけを栽培すると土中の栄養が偏るんだ。それを避けるためには、違う野菜を植えるといい。ブラットが言っていたカボチャとかな」
アインが感じた"何か"が足りないというのも、そのせいだったのだろう。栄養が偏っていたため、普通の畑の土と手応えが違ったのだ。
「なるほど……言われるとそんな単純なことだったんですね」
「そうだな……言い訳になるけど、『村が滅びるだの』と大層なことを言っていたせいで、言われるまで思い出せなかった」
ユウは嘆息するように言う。
農耕に関する知識が無い集団がジャガイモを上手く育てられない、と聞いた時点で連作障害の可能性を浮かべるべきだったのだ。
幾ら魔術が存在する世界だろうと、生物の原則まで変わらないというのは盲点だったというべきか、この世界に馴染んだ弊害というべきか。
思い出しておけば半日かけてここまで来る必要も無かったというのに。
「まあ、いいじゃないですか。ジャガイモに問題ないことはわかったんですし、後は村長さんの説得です」
「それが一番大変そうだけど……今から心配しても仕方ないか」
「ええ、そのとおりです。明日のことは明日考えて、今日は寝ましょう」
アインはそう言って机の上に広げた宝石を片付け、ザックに仕舞う。脱いだ上着の代わりに寝間着を取り出してベッドに放ると、
「失礼します」
ユウを柄の先からザックに突っ込む。ぞんざいとも言える扱いだが、着替えるという意思表示なのでユウは何も言わない。
たまにザックの口から外の様子が見えることもあるが、もちろんそれも言わない。
ユウは衣擦れ音を聞きながらふと思い浮かんだことを訊ねる。
「そもそも、誰が最初に『ジャガイモが村を滅ぼす危険なもの』なんて言い出したんだ?」
村長が意固地になっているのが伝統を守るためだとしても、その大義名分となっているのは"ジャガイモは危険なもの"ということだろう。
しかし、それを村長に伝えたのは何者なのか。
「……さあ? そういえば誰なんでしょうか」
アインが眠そうな声で答えた時、部屋のドアがノックされた。
彼女は着替える手を止め、ドアに向かって言う。
「……なんでしょうか」
言いつつアインは何時でも魔術を使えるように構える。相手の狙いはわからないが、こんな夜分に訪ねてくる知り合いは今はいない。
「……アイン=ナットだな」
ドア越しにくぐもった声が彼女の名を呼んだ。男であることはわかるが、それ以上はわからない。
アインは警戒を続けたまま答える。
「そうですが……何の用ですか」
「ガレンを返して欲しくば、北の森にある洞窟まで来い」
「……なんですって?」
確かにガレンと言った。そして、返して欲しくばということは――。
「……誘拐、ということですか」
「そうだ……いいな、一人で来い。さもなくば」
「命の保証は無い、ですか?」
台詞を取られた男は、言葉をつまらせたが咳払いをして続ける。
「そうだ、夜が明けるまでに来い。話はそれだけだ」
一方的に男は宣言すると、アインの答えを待っているのか黙り込む。
ユウは突然の展開に戸惑っていた。一体誰にガレンが誘拐されたのかも、何故アインが呼び出されたのかもわからない。
だが、彼女がどうするかは――予想できた。
「……ええ、わかりました」
神妙な声で、アインはそう答えた。
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