第86話 芋から見つかる手がかり
アインらがゲルプに到着したのは、夕暮れが見え始めようとしていた時だった。
彼女は、にわかに茜色に染まり始めた外壁を眺めながら、街の出入口へと向かう。彼女から少し離れたガレンも続く。
「ここがゲルプですか……小さい街ですね」
アインが言った通り、ゲルプは街全体の敷地はロッソやヴァッサと比べると狭く、規模の小さい街である。
周辺には農耕や酪農に適して平野が広がり、そこに農村が幾つも作られている。その成果を集積するのが、ゲルプの役割だ。ここからさらに東西南北にモノが運ばれていく。
そのためか、農作業帰りらしい人たちとよくすれ違う。
土に塗れた作業着の中年の男性二人が、今日の成果を楽しげに言い合いながら酒場に消えていく。小さい子どもたちのグループが手を振って別々の方へ駆け出していく。
『のどか街だな』
ユウはそんな感想を口にする。
モノも人も少ないが、活気は失われていない。通りに並ぶ商店も規模と比べれば十分賑わっている。理想的な地方都市という感じだ。
『ユウさんは、どんな街で暮らしていたんですか?』
『雪が多い街だな。冬の間はずっと雪の相手をしないといけなかった』
『雪ですか。私は積もるほどの雪って見たこと無いんですよね』
『見たら驚くぞ。朝起きたら膝くらいまで積もっているんだ。それで何もかも真っ白で、太陽が反射して眩しいくらいだ』
『へえ……見てみたいですね。楽しそうです』
見るだけならな、という言葉は飲み込むユウ。雪かきの苦労など、銀世界を夢想する少女に伝えることではない。
それに、故郷語りをする前にしなくてはならないこともある。
「ところでアインさん。これからどうするつもりですか?」
誤射の一件以来話しかけてこなかったガレンが、微妙に距離を空けたまま訊ねる。それまでは蝶が横切ったことすら話題の種にしていたのだが、余程応えたと見える。
「とりあえず食事と寝床を確保して、時間があれば聞き込みをします。ガレンさんはお好きにどうぞ」
暗に"邪魔だから別行動しろ"と言うアイン。
それに対してガレンは、何処かほっとしたような表情となり、
「わかりました。私も知人に会いたいと思っていたので好都合です。アインさんを送り届けることは出来ましたし、ここで別れるとしましょう」
意外にもあっさりと同意する。
しかも口ぶりから察するに、後で合流するつもりもないようだ。
これにはアインも少し驚く。
あれほどしつこかったというのに、随分と殊勝な態度ではないか。だが、彼が言う通り好都合には違いない。
「ええ、ではその通りに。ありがとうございました」
まったく感情のこもっていない感謝の言葉にも、ガレンは微笑んでいた。一礼すると、踵を返してそそくさと人波に紛れていく。
それを確認したアインは、大きく息を吐くと上機嫌な声で言う。
「さあ、行きましょうユウさん。ここのご飯は美味しそうですよ」
「早速それか……」
「食事は大事ですよ。そのために私たちは頑張っているんじゃないですか」
「まあ、そうだけどさ」
「"衣食足りて礼節を知る"と賢人も言っていました。その食が欠けるということは重大な危機ということです」
「それは……そう、か?」
曖昧な返事をするユウに、そうですよと念押すアイン。
衣食が必要ない身としてはそこまでの危機なのかはわからない。理屈としてはわかるのだが。
まあ、何分発言者がアインだということもあるのだが。同じ言葉でもフィルターを通せば説得力が濾過されるものである。
「……私に対して穿った視点を感じましたが、流しましょう。私は寛大ですから」
「それはどうも」
「死神は無闇矢鱈に命を収穫しませんからね」
アインは余程ハイになっているのか、あれほど嫌がっていた異名を自分から口にしていた。それだけガレンと過ごした時間がストレスだったのだろう。
重荷から解き放たれた今は機嫌良さげに鼻歌を歌っていた。
街路を歩いていくと、公共の休憩スペースらしい円形の広場にたどり着く。
ベンチに座って話し込む主婦、駆け回る子ども、赤ら顔で笑い合う農夫。ここでものどかな雰囲気が漂っていた。
「あ、屋台が出ていますよ。ジャガバ……ター? ってなんでしょうか」
彼女が指差した先には、小さな屋台が店を出していた。作業帰りの農夫たちが皿とコップを受け取っているのが見える。
その傍には"じゃがバター"と書かれたのぼりが立っていた。
「じゃがバターを知らないのか?」
「知りません。美味しいんですか?」
「まず味なのか……。まあ、美味いよ。ジャガイモにバターをかけただけなんだけど、それが不思議と美味い」
「ジャガイモ……それは調査の必要がありますね」
真剣な表情でつぶやき屋台に突撃するアイン。
どうでもいいが、調査というのはジャガイモの出処なのか、それとも味なのか。たぶん後者だろうが。
向かってくるアインに気がついた屋台の店主は、ジャガイモを茹でる手を止めて言う。
「らっしゃい。おっ、あんた旅人さんか?」
アインが頷くと、店主は驚いたように言う。
「若い女の子だっていうのに大したもんだ。まさか、傭兵か?」
「いえ、ただの魔術師ですよ」
「へえ、魔術師とはな。だが、魔術師さんがこんな街に何の用だ? ここには叫び声をあげる人参なんて無いぜ?」
「ちょっとした野暮用です……注文いいですか?」
「おおっと悪いな。話の前にまずは食ってもらわねえとな。幾つだ?」
アインは少し考え、
「3……いや4……いえ5つください」
その答えに店主は面食らったような顔をするが、すぐに笑って答える。
「なんだ、ツレが居るのか?」
「居ませんが?」
語気を強めて即答するアイン。ガレンのことを思い出したせいだろう。
店主は思わぬ反応に若干怯えていた。
「お、おう……悪かったな……」
"何か悪いこと言ったか?"と内心思っているだろう彼に、アインは憮然とした表情で代金を手渡す。
しかし、その表情もジャガイモが盛られた皿を受け取るとすぐに緩まっていた。
「これがじゃがバター……」
アインは目を輝かせて湯気が立ち上る皮付きのジャガイモを見つめていた。溶け出した黄金色のバターは冠雪のようにジャガイモを覆っている。
ユウにとってはローカルフードであるそれが、この世界にも存在するというのが不思議であり、懐かしくもあった。
「ビールは呑めるか? 一緒に食えばお互いを引き立たせるぜ」
「ビール……苦い酒は好みではありませんが、そう言われては買わずにはいられません。1杯ください」
「あいよ」
店主はビール樽のディスペンサーをひねり、木製コップにビールを注いでいく。
それを待つのも惜しいアインは、湯気立つジャガイモをフォークで二つに割ると、片方にたっぷりとバターをつけて口に運ぶ。
「あふっ……んん、おいしいです……とてもおいしい……」
頬を緩ませきったアインは、とても幸せそうな声で感想を述べる。
オストゥで食べたものも美味しかったが、これはそれ以上だ。ホクホクした甘い芋にバターのほのかな塩味が絶妙なアクセントとなっている。単純な調理法なのに味に差が出るのは、芋そのものの質の違いが原因だろう。
「はい、ビールお待ち」
そしてビール。苦さは相変わらず苦手だが、ジャガイモで喉が渇いたところにこの喉越しは素晴らしい。"ビールは喉越し"というのがわかったような気がする。
ほう、と満足げな吐息を零すアインに店主も嬉しそうな顔だった。
「どうだい、美味いだろ? そこらの芋じゃこうはいかない」
「はい……その通りです」
アインは夢見心地でジャガイモを食べ続ける。
このままではそれだけで終わってしまいそうなので、彼女に代わってユウが訊ねる。
「このジャガイモは何処で手に入れたんですか? あまり聞いたことのない芋ですが」
「ジャガイモか? こいつはブラット夫妻の伝手で分けてもらったんだ。この料理も彼らから教えてもらった」
夫妻、ジャガイモ。手がかりになりそうなワードに、ユウはさらに訊ねる。
「ブラット夫妻……妻は、オストゥの出身ですか?」
「そうだが……知り合いなのか?」
「村長さんから様子を見てくれないかと頼まれたんです。けど、ジャガイモを贈ってくれたということ以外話してくれなくて、名前もわからないんです」
かなり無理がある嘘だったが、アインの食べっぷりに気を良くした店主は気にすること無く答える。
「そうだったのか。ラシーヌさんなら、今は夫の酒場を手伝ってるぞ。そこまでの道をメモしてやるよ」
店主は伝票の裏に簡単な街路図を書き込み、アインに差し出す。
食べることに集中していた彼女だったが、ユウが数回ほど怒鳴るように思考を伝えると、口のジャガイモを飲み込みお辞儀をして受け取る。
「すいません、助かります」
「なぁに、こんな可愛い旅人さんが来てくれたんだ。これくらいはサービスだよ」
「ありがとうございます。ジャガイモ、とても美味しかったです」
幸福感に満たされたアインは、穏やかな微笑みを湛えながら言う。その姿は普通の少女――どころか誰もがドキッとするような美少女だった。
『不覚……』
思わず反応してしまったユウは無性に悔しかった。
昼間はゴロツキ相手に容赦ない攻撃を加え、ドサクサに紛れてガレンを誤射しかけた人物だというのに。
そんなことを知らない店主は、だらしない表情で鼻の下を伸ばしていたが、
「ごちそうさまでした」
空になった木皿に表情を固め、踵を返したアインと皿を交互に見やる。
そして、先程まで居た魔術師の少女が短時間で食べ終えたと結論を出すと、
「……魔術師ってすげえ」
ユウやラピスが聞けば"あいつだけだ"と返すだろうつぶやきをこぼした。
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