第84話 成長と試練

村を覆う影は未だ濃く、朝の日差しは木々に阻まれて十分に届いていない。

 オストゥは山間に位置する村だけあり、朝の空気は冷たく湿っている。音を立てるものが少ない空間には、何処かで鳴く鳥の声がよく響いた。


 その朝靄の中を黒い外套を纏ったアインが歩いていた。ふらふらと頭が左右に振れている。


「ねむい……さむい……ふとんにもどりたい……」


 油断すると目蓋を下ろそうとする眠気を覚ますように、アインは目元を擦る。


「頑張れ。ここで寝たら早起きの意味がない」

「わかってます……」


 彼女は外套に薄く浮かぶ水滴を振り落とす。周囲に人影が無いことを確かめると、家主が寝静まった家へと近づいていく。

 さながら泥棒のような動きだが、もちろん窃盗が目的ではない。


 そもそもそれが目的だとしても、アインはこんなまどろっこしいことはしないだろう。

 ドアを蹴破って侵入、呆然とする家主をすかさず張り倒し、取れるだけ取って逃げ去るに違いない。


 ユウがそんな想像をしていると、鞘が小突かれる。 


「……とても失礼なことを考えていませんか」

「眠気を覚ましてやろうと思ったんだよ」


 それはどうも、と憮然とした声で彼女は言って、民家の横に作られた柵を乗り越える。

 数メートル四方の枠内には、小さな畑が作られていた。盛り上がった土の山が並行して3列並んでいる。植えられたばかりなのか、まだ芽は出ていなかった。


 何故アインが文句を言いつつも早起きをしたのかと言うと、畑の調査を行うためだった。

 村人は協力的だったが、ジャガイモ警察がそうとは限らない。村長の手下ということを考えれば、妨害を行ってくるかもしれない。

 そう考え、まだ皆が寝静まった早朝に調査を行うことにしたのだ。


「ふわぁ……ああ、さっさと終わらせて戻りましょう。お腹も空いてきました」


 言ってアインはしゃがみ込み、湿り気のある土に手を置く。土の声を聞くように、じっと目を閉じたまま動きを止めた。


 数十秒ほどそれが続き、ユウが声を掛けようとした時、彼女は目を開く。


「何かわかったか?」

「はい。とりあえず、魔術的にどうこうというのは無さそうです。魔力が乱れていたり、枯れてもいません」

「魔力が野菜に影響があるのか?」

「ええ。程度の差はありますが、命あるものは全て魔力を保持しています。言い換えれば、命が豊富であるということは魔力が豊富だと言えます」


 そしてその魔力が乱れるということは、命が乱れるということに他ならない。

 心身が相互に影響を与えるように、どちらかに異常があれば、それは必ず表面化する。


 アインは更に続ける。


「強い魔力を持つ魔道具や土地に焼き付いた怨霊――そういったものが存在すれば、魔力が乱れます。木箱の林檎一つが腐れば全体が腐るようにですね」

「けど、そういうものはここにはない?」

「ありません。少し欠けているというか……足りない感じはしますが」

「足りない?」

「感覚なので言葉にしづらいですが……普通の畑の土より魔力の通りが軽かったんです。抵抗が少なかったというか」


 魔術的なことはユウにはわからないが、なんとなく想像はできる。

 普通の土には何かしらが密集しているが、ここの土は『何か』が足りない。その隙間の分だけ魔力が通しやすかったということだろうか。


 そんな感じですと頷くアイン。


 そうすると、土が原因という可能性は低そうだ。そうなると怪しいのは――。


「ジャガイモに問題がある可能性は?」

「それは何とも……。昨日食べた限りでは、ただの美味しい芋でした」


 じゃあ、どこに問題があるんだ。

 そうユウが言いかけた時、ぐぅと鳴る音が聞こえた。


「……」


 アインは無言で立ち上がり、被っていたフードをさらに目深に被る。表情は窺えないが、その頬はおそらく朱色だろう。


 何かジョークでも言って場を和ませたほうが良いだろうか。少し考えてユウは口にする。


「腹の虫も元気だし、そうだろうな」


 ジョークの採点結果は鐘一つ。

 鞘を叩いた手を擦りながらアインは足早に宿に戻っていった。





 朝食を終えたアインは、残る畑を全て調べたが異常は何もなかった。


 手入れの甘さこそ目につくが、土が乾ききっているということも、害虫に集られているということもない。よくある素人の菜園といった感じだ。

 つまり、手入れが不十分だからジャガイモが病気になっているという線はない。


 そして、魔術的な原因。

 例えば魔道具が地下に埋まっているだとか、怨霊が漂っているだとか――それも簡単にだが調べた結果は空振り。

 何かが欠けている土というのは怪しくはあったが、特筆すべきほどの点ではない。

 そもそも土に問題があれば甘芋にも何らかの異常があるはずだが、特に問題はない。味の不味さは以前からだと店主も言っていた。


 そうすると、やはりジャガイモに原因があるということになるのだが――。


「ジャガイモが村を滅ぼすねえ」


 ジャガイモは飢饉に陥った村を救ってきたと習ったユウは、にわかには信じられない。

 そうですね、と木陰で休むアインも同意する。


「あんな美味しいものが村を滅ぼすとは信じられません」

「美味いって言ってくれるのは嬉しいんだけどさ、判断基準はそれでいいのか?」

「美味しいから大丈夫ですよ」


 生きる時代が現代社会であれば、生活習慣病待ったなしであろうセリフを口にするアイン。

 結構食べる割に体型が変わらない彼女が言うと、そうかもしれないと思ってしまうのが怖い。


「しかし、そうは言ってもジャガイモが怪しいのも事実。ここは直接確かめてみましょうか」

「直接って、何を?」

「ジャガイモをです。村の人が気がつかなかっただけで、種芋の時点で問題があったのかもしれません」

「まあ、それが妥当か。徴収したジャガイモは村長が保存してるって言ってたけど、大丈夫なのか?」

「何がです?」


 心配そうに訊ねるユウに、アインは訊き返す


「相手はジャガイモ警察の親玉で、しかも頑固者って話だ。そんな相手と対面できるのかってことだ」


 アインはコミュ障でこそあるが、誰にでもというわけではない。

 親しい相手とは普通に話せるし、遠慮の要らない悪党ならずけずけとした物言いになる。


 彼女がもっともコミュ障を発揮するのは、"特に親しくもない相手"で"今後も関わりを持つ相手"である場合だ。

 そしてこれから向かおうという村長は、そのどちらにも一致している。会話をするのは自分だが、そんな相手を前にして平気なのか。


 ユウの心配に、アインは自信ありげに胸を叩いて言う。


「大丈夫ですよ。私だって成長しているんです。それくらい平気ですよ」


 本当かよ、とユウは言いかけ、言葉を飲み込む。


 昨日、客達に囲まれた時は焦っていたものの、店主とはちゃんと会話が成立していた。

 それは、ムンドから初めての依頼を受けたときとは比べ物にならない成長と言える。地が低いというのはあるにしろだ。


 そして、彼女も平気だと言っているのだ。

 ならば、ここは甘やかさず、行ってこいと背中を押してやるべきだろう。


「わかった。行こう」

「ええ、任せてください」


 力強く立ち上がるアインの姿に、ユウは感慨深さと一抹の寂しさを覚えつつ、二人は村長宅へと向かった。





 "男子三日会わざれば刮目して見よ"という言葉がある。

 日々鍛錬すれば三日で見違えるほど成長するという意味だ。


 アインの場合、もっと長い時間を掛けてではあるが成長している。それは間違いない。

 だが、今回は相手が悪かった。


「話す必要など無い! 消えろ!」


 ジャガイモについて話を聞きたいと言った途端にこれではアインでなくとも怯む。

 ドアから顔を覗かせた村長の図体が2メートル近くあろうかという大男であれば尚更だ。


「す、少しでいいので話を……」

「余所者と話すことなど無い!」


 強引に閉められるドアに、アインは出しかけた手を引っ込める。次いで錠がかかる音がした。


「……ここまでとは」


 にべもない対応に彼女は肩を落とす。まさか話を聞く気も無いとは思わなかった。

 途方に暮れるアインに、ユウは言う。


「一旦下がろう。これじゃ話にならない」

「ですね……」

「お前はよくやったよ。アレじゃ俺だってビビる」


 慰めるユウに、ありがとうございますと小声でアインは答えて踵を返す。


 村長から話が聞けなかった以上、別を当たるしか無い。当たれそうな人物は――。


「ジャガイモ警察の奴らか」

「もしくは、ジャガイモを贈ったという隣町の婿」

「距離的には前者が楽だけど、村長があの様子じゃな……」


 ジャガイモ警察の面々と話し合ってるところを見られたらどうなることか。あまり考えたくない。

 それは、アインも同じ考えだった。


「面倒ですが、隣町に向かいましょう。半日もあれば着くはずです」

「だな。ジャガイモに問題が無いことを証明すれば、少しは話を聞いてもらえるかもしれない」


 行動指針が定まったところで、アインは準備のために宿に歩を運ぼうとした時、


「やあ、アインさん。何処へ行くのですか?」


 爽やかな男の声に足を止める。声の先には、ガレンが手を挙げていた。

 後回しにしようと話したばかりのジャガイモ警察の登場に、アインは息を詰まらせる。

 無視しようかと一瞬考えたが、


「……どうも」


 不審に思われるだけだと思い直し、小さく会釈する。

 ガレンは微笑みを浮かべながらこちらに近づく。アインの背後にある村長の家に視線を送って言う。


「もしかして、村長さんから話を聞こうとしていたのですか」

「ええ、まあ」

「その様子だと、怒鳴り帰されたようですね。ただ、気を悪くしないでください。彼も村を守ろうと必死なのです。そしてこの私も」


 恭しく一礼するガレン。舞台役者のように様になっている動作だったが、


「はあ、そうですか」


 アインはどうでも良さそうな声で答える。

 その態度にガレンは一瞬を眉を上げるが、すぐに微笑みを取り戻すと咳払いし、訊ねる。


「アインさんは、これからどうするつもりですか?」

「隣町に行くつもりです。ジャガイモを贈ったという、村長さんの娘の婿から話を聞こうと思います」


 アインは正直に目的を答える。

 どうせ村を留守にすれば、何処へ向かったかなどすぐに知られる。ならば隠す意味も無い。


 それに、村長が激高し手を振り上げたならば、力尽くで聞き出す大義名分も出来る。


『だから暴力で解決を図るのはやめろと……』


 最後の手段ですよ、とどこまで本気かわからない調子で返すアイン。

 それを知ってか知らずか、ガレンは大袈裟に驚いて言う。


「隣町に? 村のためにそこまでしてもらうわけにはいきません。ここは私に任せてください」

「いえ、その必要は」

「このような繊細な手を汚すことはありません。どうか私にお任せを」


 そっとアインの手を取ろうとするガレンの手を、彼女は振り払う。


「必要ありません。私一人……いえ、とにかく貴方は手助けはいりません」


 鬱陶しいと、はっきりした拒絶の意志を目に浮かべながら、アインは言い放つ。

 細まった青い瞳は冷たく、これまで何人もの相手を引き下がらせてきた目だが、


「おお……なんと心強い言葉。ですが、美しき乙女に任せきりでは男が廃ります。どうか、手助けだけでもさせて頂けませんか?」


 ガレンは怯むこと無く、沈痛な表情で訴えかける。青い双眸に睨まれようとも、まったく揺るぎない。


 その態度に、ユウは呆れる前に感心してしまった。ここまで露骨に避けられているのに、引き下がらないとは何たる胆気か。


「ぐぬぬ……」


 狙いを躱されたアインは歯噛みしつつも冷静さを保とうとしていた。

 彼女が一番嫌いなのは、親しくもないのに馴れ馴れしく接してくるタイプであり、目の前のガレンはその権化と言ってもいい。

 これがただのナンパ男なら彼女は無視しただろうが、彼は村長とも繋がりのあるジャガイモ警察隊長だ。事件に関する情報が手に入る可能性は大きい。


 感情ではなく論理で解決しようと、アインはユウに訊ねる。 


『……ユウさん、彼と協力するメリットはありますか』

『情報収集、村長の説得の手伝い、隣町までの案内。ざっと思いつくのはこれくらいだ』

『……ええ、そうですよね。協力したほうがいいんでしょうね』


 そんなことはわかっている。わかっているのだ。

 ただ自分がこの男を気に食わないということさえ我慢すればいいのだ。そう、成長した私なら出来るはず、いや出来る。


 心を落ち着かせるようにアインは大きく深呼吸し、


「……わかりました。協力感謝します」


 言葉とは裏腹に、まったく感謝する気の無いしかめっ面でそう言った。

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