第82話 芸は身を助ける
和やかだった食堂は一転、緊張感に包まれていた。
客はジャガイモ警察を名乗った男たちから目をそらし、関わり合いになるのを避けていた。店主だけが、忌々しげに彼らを睨んでいる。
そう、ジャガイモ警察だ。間違いなく彼らはそう名乗った。
冗談としか思えない名称だが、彼らも客もその表情は真剣だ。
「……」
アインも同じような表情で彼らを見やっていた。
しかし、シチューを食べ続ける手は止めない。音を立てないようにしているのはせめても気遣いだろうか。
どちらかに合わせろと言いたいユウだったが、衣擦れ音も響きそうな静けさではそれも出来なかった。
睨み合う店主とジャガイモ警察。
「よう、注文はなんだい?」
先に口を開いたのは店主だった
何もやましいことは無いというように両手を広げる。
「生憎だが客として来たわけではない。ジャガイモが使用されていないか監査に来ただけだ」
「ほう、そいつはご苦労様だ。だが、使おうにもジャガイモは全部持っていかれたんだ。出したくても出せねえよ」
店主はテーブルに腰掛けると肩をすくめる。ジャガイモ入りのスープと客であるアインを隠そうとしていのだ。
食事中のテーブルに尻を置かれたことにアインは顔をしかめるが、流石に文句は言わなかった。
「それはそうだろうな……待て、そこの剣はなんだ」
マズイ、とジャガイモ警察の視線に晒されたユウは焦る。
アインは店主に隠れても、その隣にいるユウは隠しきれていない。そして普段から椅子に剣がある店などあるわけがない。
「そこに誰か居るのか? おい、そこをどくんだ」
店主は小さく舌打ちすると、テーブルから離れる。現れたフードの人物に、彼らの緊張が高まった。
「フードを取れ。ゆっくりとだ」
顔を晒したくはないが、余計な抵抗をしても意味がない。
それがわかっているアインは、言われた通りにフードを取る。
「なんだ……女?」
「子どもじゃないか、なんだって……」
予想外の顔に二人は動揺した声をもらす。
もう16歳ですよ、とアインは唇を尖らせて呟いた。
「君たちは下がっていなさい」
どよめく二人を制すると、一人の男が前に出る。初めにジャガイモ警察と名乗った男だ。
短く切られた髪と筋の通った顔立ちは真面目な印象を、細いが筋肉質の体格は質実剛健な印象を与える。
男は、丁寧な口調で、しかしはっきりとした声で告げる。
「旅人と見受けた。私の名はガレン。ジャガイモ警察隊長を務めている」
顔立ちの整った青年が口にするのは、些か間抜けな役職だ。
これがコントであればユウは笑っていただろうが、店の空気は相変わらずだ。冗談のようだが、この村にはジャガイモ警察という組織が存在するのだ。
「……どうも。アイン=ナットです」
アインの名を聞いても周りの客やガレンは何の反応も示さない。
噂が広まっていないことに胸を撫で下ろす彼女に、ガレンは言う。
「アイン殿、現在この村ではジャガイモの栽培・提供・摂取は禁じられている。故に、その皿の中にジャガイモがあれば罰則を課さねばならない」
「ふぅん。それは誰に対してですか?」
「その料理を提供したものにです。貴方は旅人だ、何も知らなかったものに罰は与えるような真似はしません」
「それは、『お前は見逃してやるから素直に吐け』ということですか?」
少し挑発するような物言いにも、ガレンは表情を変えない。澄ました顔のままアインに言い返す。
「解釈はご自由に。では、問いましょう。その皿の中にジャガイモは入っているのですか」
「さて……どうだったでしょうか。もう食べてしまったのでわかりませんね」
アインはそう言って、空になった皿をガレンに見せつける。
初めから何もなかったように中身は空っぽだった。スープ一滴足りとも残っていない。
それに周りの客がざわめいた。
「おい、さっき置いたばかりだったよな?」
「そのはずだが……食べたのか?」
「まさか……結構熱いし量もあるんだぞ」
言い合う客の声が聞こえていないように、ガレンはじっとアインだけを見つめる。
「証拠も無しに罰を与えることはしませんよね?」
アインもまた、その視線から目を逸らさずに真っ向からぶつけ合いながら、ユウをそっと手繰り寄せる。
ユウが武器としては役立たないことを、ガレンは知る由もない。
故に、武器を持ったということは不都合な答えであれば実力行使も辞さない――そう認識する。それが彼女の狙いだった。
女の一人旅ともなれば危険が付き纏う。それが続いているということは、実力者か余程の幸運の持ち主だ。
ガレンが彼女をどちらかと判断するかは賭けだが、分の悪い賭けではない。
強権的に振る舞うのならとっくにそうしていただろう。警察という名称や、客の態度からして権力を持つことは明らかだ。
だが、ガレンは落ち着いた対応を続けている。
ならば、武器をちらつかせる相手への対処は――。
「……ええ、そのとおりです。疑いだけで罰を与えることはあってはなりません。気を悪くしたのなら申し訳ありません」
ガレンはそう言ってアインに頭を下げると、店主に向き直る。
「お騒がせ失礼しました。ですが、ご理解いただきたい。ジャガイモは危険な存在なのです。それこそ村を滅ぼしかねないほどに」
「わかってるよ。ほれ、客が萎縮するから帰ってくれ。客としてならいつでも歓迎してやるぜ」
「それはありがとうございます。では、失礼致します」
ガレンは微笑んで言うと、立ち竦んでいた部下二人を連れて店を出る。
部下は戸惑ったように振り返っていたが、結局何も言わないまま去っていった。
ドアが完全に閉まってから十数秒後、誰かが息を吐いたのを皮切りに全員が緊張した体勢を崩した。
「いや、大したもんだなあんた」
「何がです?」
してやったなと笑う店主に、アインは言っている意味がわからないと首をひねる。
「こっそりと皿をすり替えたんだろ? いつやったのかはわからんが、あの状況で大した度胸だよ」
なるほど皿をすり替えたから空だったのか。
客達がそう納得した最中、アインはさらっと言い放つ。
「……すり替えてなんていませんよ?」
「……はっ?」
店主は一瞬固まるが、ああ、と手を叩く。
「中身を何処かに捨てたんだな。皿が汚れてなかったのは外套で拭き取ったからだ」
その言葉に再び客達の間に納得の空気が流れるが、
「そんな勿体無いことしません。料理にも作ってくれた人にも失礼です」
むっとしたように言う彼女に再び蹴散らされる。
腕を組んだ店主は、額を押さえて答えを探すが、すぐにお手上げというように両手を上げる。
「一体どうやって中身を隠したんだ?」
「隠してなんていませんよ。食べただけです」
何を当たり前のことを訊いているのかというように、彼女はそう言った。
「…………食べた?」
「はい」
短い肯定の言葉に、店主も客も言葉を無くしていた。
彼女の元に料理が運ばれたのと、ジャガイモ警察がやってきたのはほぼ同時。
普通に考えれば食べる時間はない。そもそもあの空気の中食事を続けるという発想がない。
『ああ……だから口がよく回るのか』
だが、この場で一人だけアインの食事の速さを知っているユウは納得していた。
大量に積まれていたはずの料理が、ちょっと目を外したら半減していたなど良くあることだ。皿が綺麗なのは、パンで拭き取ったからだろう。
「その……あんた、すげえな……」
「ああ……すげえ」
「すげえ度胸だ……」
何を褒められているかはよくわかっていないが、褒められたことに上機嫌なアインは得意げな顔だった。
だが、突如真剣な顔になり、
「先程の彼ら……ジャガイモ警察と名乗っていましたが、何者なのか聞かせてもらえませんか?」
「あ、ああ」
言われた店主は面食らいながらも頷き、彼女の対面に腰掛けようとしたところを、
「待ってください」
アインに制止される。その目は真剣なままだ。
ただならぬものを感じ取った店主は、ごくりとツバを飲み言う。
「……なんだ?」
アインは、空になった皿を彼の前に差し出し、
「美味しかったのでおかわりください」
まだ食うのかと戦慄する客たちをよそに、そう告げた。
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