第81話 JP

「日が暮れるまでには到着できそうですね」


 そうアインは言って、木々の合間から見える青空を見上げる。数時間前は天辺に達していた太陽は、木々の群れに沈みつつあった。


 彼女は手頃な木に背中を預け、質素なザックと腰を地面に下ろす。歩んできた道に目をやるが、うねった道は木々に阻まれすぐに途切れてしまう。


「ロッソから朝に出発してここまでか。予定通りか?」

「ええ、もう少し歩けば村があるはずです。今日はそこで休みましょう」


 アインはぼんやりと空を見上げながら、ここに至る理由となったツバキの言葉を思い出していた。


『利益の分配だとか、さらなる技術提供についての話し合いが長くなりそうじゃ。御主は先に行き、後で合流しようぞ』


 そう言う彼女をヴァッサに残し、アインとラピスはロッソに戻った。


 その次の日には、準備を済ませたアインは東にあるゲルプを目指して出発した。いつまでも留まっていると決意が鈍りそうだったのだ。


 ロッソとゲルプの間は山脈で分断されており、向こう側に行くには山を超えるか、山を回り込んでいる街道を進む必要がある。そして今、アインたちがいるのは木々が生い茂る山道だった。


 その山道の中間あたりには、オストゥという村がある。二人はそこを目指していた。


「馬車でもないと回り込むルートは野宿しないといけませんが、こちらなら村で休めますからね」


 馬車を使うという選択肢が初めから無いアインは、自らの計画に胸を張る。見知らぬ他人と狭い空間で過ごすくらいなら山道を歩いたほうがマシというのが彼女という人間だ。


「そりゃあいいけどさ、大丈夫なのかこの道。熊が出てもおかしくないぞ」

「熊だって人は怖いし、近寄らないでしょう。何しろこの先の村は狩人が集まって出来たと聞いています」

「へえ、今度は下調べしたのか」

「はい、小さな村なので情報は少なかったですが」


 ヴァッサの反省を活かしたのかとユウが感心したのも束の間、


「きっと仕留めた動物が食の中心でしょう。期待できますね」


 結局それか、と期待に胸を膨らませる彼女をよそに溜息をついた。





「……ここか?」

「そのはず……なんですが」


 ユウの問に、アインは歯切れ悪く答える。


 一本道で間違いようがないし、唯一の分岐点には立札が刺さっていたのも確認している。ここがオストゥに違いないのだが、


「なんだか……景気が悪いというか、暗い感じがしますね」


 村の入口から見渡すアインは、そんな感想を口にする。


 家の横に作られた畑を耕す人が何人か見えるが、その顔もいまいち覇気が無く溜息も多い。農作業に疲れたというよりも『こんなことに意味があるのか』と身が入らない風だ。


 ロッソやヴァッサでは見慣れた魔力灯が無いので、物理的に暗いというのも雰囲気に影を落としている原因だろうか。


「獲物が獲れてないんしょうか?」

「かもしれない。訊けばわかることだけど」

「それは後にしてまずは宿を探しましょう。歩き通しでお腹が減りました」


 食い気味に言う彼女に、ユウは無い肩をすくめて了解と答える。


 農作業中の男性に泊まれる場所は無いかと訊くと、一際大きな建物を指さされる。


「ありがとう」


 ユウは、アインの声でお礼を言って、


「……ありがとうございます」


 アインも小声でお礼を言った。


 教えられた建物は、1階は食堂兼酒場で2階が宿泊室というオーソドックスな造りの宿屋だった。ドアをくぐると、先客達が一斉にアインに視線を送る。


「……」


 フードを被ったアインはぎこちなく礼をすると、空いていた端のテーブルに着く。客全員から向けられた視線に、彼女は身を丸くしてた。


 落ち着かないのはアインだけでなく、その隣の椅子に置かれたユウもだった。地元客ばかりの店に余所者が来たのだから無理もないが、好奇の視線に晒されるのはいい感じがしない。


「あんた、旅人さんかい?」


 客の一人が喋りかけ、緊張に身じろぎながらもアインは小さく頷く。客は笑顔を見せると、


「何も無い村だがゆっくりしていってくれ。最近は馬車で旅するやつが多いせいか、ここに来る旅人も少ないんだ」


 そう言うと、厨房に向かって声を張り上げる。呼ばれた店主は、聞こえているよと苦笑しつつアインのテーブルまでやってきた。


 とりあえず疎まれていないことに安心したアインは息を吐き、パンとスープを注文する。


「あいよ。食べごろの鹿肉があるから期待してくれ」


 厨房に戻っていく店主の背中をアインは輝いた目で見送ると、ユウに触れる。


『私の見立ては間違っていませんでしたね』

『誇るのがそれでいいのか? けど、ここはそんなに暗い感じはしないな』

『そうですね。深刻な問題があったとか、そういうわけでは無さそうです』

『深刻な問題って、例えば?』

『んー……わかりやすいのは野盗や魔物が暴れているとかですね。けど、そんな噂は聞いていません』

『野盗もホッとしているだろうな。ここに居なくてよかったって』

『……それはどういう意味ですか』


 別に、と初めての依頼を思い出しながらしれっと答えるユウ。アインは言いたいことがありそうだったが、藪蛇になると考えたのか口を真一文字に噤んだ。


 少しむくれ気味の彼女だったが、


「はい、黒パンと鹿肉の煮込みお待ち。おかわりが必要なら呼んでくれ」


 テーブルに料理が並べられるとすぐに機嫌が戻っていく。本当にわかりやすいな、というユウの言葉は聞こえていない。


 頂きますと言って、赤黒いスープの中から鹿肉をスプーンで口に運ぶと、満足げに頷く。次に輪切りにされた黄色いものを口に運び、


「……ん」


 僅かに眉をひそめる。


『どうした?』

『この甘芋……ボソボソしていてイマイチですね……』

『甘芋……? サツマイモのことか?』


 黄色くて甘い芋と聞いて思いつくのはそれだが、この世界でも同じなのだろうか。


 そんなことをユウが考えていると、


「その芋、マズイだろ?」


 最初にアインに声を掛けた客が、そう喋りかけてきた。突然のことに彼女は慌てながらも首を振って否定する。


「そんなことは……」

「いいんだよ、作ってる俺達だってマズイと思ってるんだから」

「……? それはどういう意味ですか?」


 胸を抑えて鼓動を落ち着かせるアインに代わってユウは訊ねる。


「なに、そのままの意味だよ。鹿や山菜は狩れても、農作に関しては俺達は素人だ。そんな素人が作った芋が美味い訳がない」

「貴方がこの芋を?」

「隣の家のやつかもしれんがな。どちらにせよ味は大して変わらんが」

「オイオイ、俺の腕が悪いみたいだろ」


 厨房から顔を出した店主の言葉に周りの客も声を挙げて笑う。緊張が解けてきたアインは、彼に言う。


「とても美味しかったです。おかわり、頂けますか?」

「嬉しいこと言ってくれるねえ。よし、とっておきの奴を食わせてやるよ」

「とっておき、ですか?」

「ああそうだ。さっきみたいなショボい芋じゃない。もっと上等な奴だ」

「それは楽しみです」


 微笑むアインに気を良くしたのか、店主はにかっと笑う。いつもこういう対応ができればもっと楽なのに、とユウはぼやいた。


 だが、周りの客は笑うのをやめて眉を寄せていた。客の一人が、不安げに店主に言う。


「おい、大丈夫なのか? あいつらに知られたら……」

「大丈夫だよ。一人分だし、食っちまえばわからねえよ」

「なら、良いんだが……」


 そのやりとりを眺めていたアインに、店主は安心させるように笑うと、


「ちょっと待っててくれ、すぐに持ってくるからな。ほら、お前らも何時までも旅人さんを見てないで食え!」


 そう言って再び厨房に戻った。アインに心配そうな視線を送っていた客達も視線を外し、目の前の料理と喋り相手に意識を戻していく。


 注目が落ち着いたことに胸を撫で下ろすアインに、ユウは訊ねる。 


『どう思う?』

『何がですか?』

『あいつらに知られたら、って客が言ってただろ。知られたら困る料理ってなんだ?』

『さあ……密漁種とかでしょうか。ここらでは聞きませんが』

『もしそうだったら?』


 アインは少し考えるように腕を組む。答えが出たのか小さく頷くと、


『狩られてしまったものを無駄には出来ません。食べた後で店主に釘を差しておきましょう』

『……食欲が隠しきれてないぞ』

『何を馬鹿なことを。私は大体正しいことをしますよ』

『よだれ。垂れてる』

『うそっ!?』


 慌てて口元を拭うアインだが、手についたのはよだれではなくスープの残滓だった。彼女は顔を赤くし、鞘を叩こうと手を伸ばしたところで、


「おかわりお待ち。今度の芋は美味いぞ」


 店主の声に慌てて引っ込める。


 感想待ちなのかテーブルから離れない店主にやや緊張しつつも、アインはスープから芋と思わしきものを掬い上げる。先程とは違い輪切りではなく、丸く白っぽいものがスプーンに乗っていた。


「これは……白芋ですか?」

「ああ、そうだ。だが、そこらで食べられるものとは段違いだ」

「へえ……見た目は変わりませんが……」


 白芋、と彼女らが呼んだものにユウは見覚えがあった。


 和食から洋食、果てにはジャンクフードにまで使われる万能食材。その名は――。


「全員、動くな!」


 勢い良くドアが開かれ、停止を命じる声が店中に響き渡る。食事をしていた客は動きを止め、酒を飲んでいた客はむせ返り、店主は厳しい顔つきでドアを睨む。


「なんですか……?」


 アインは落としかけた白芋を口に運びながら、入ってきた3人の男を見やる。


 男たちの格好は、丈の短いチュニックとズボンという店の客と変わらない格好だ。ただひとつ違うのは、『JP』と刺繍された粗雑な腕章を巻いていることだった。


 その中の一人が前に一歩歩み出る。店内を見渡すと、


「ジャガイモ警察だ! 全員その場を動くな!」


 ユウが思わず耳を疑う言葉を、鋭く叫んだ。

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