第80話 新たな友人と新たな旅先

「皆にグラスは行き渡ったかな? では、アイン君とラピス君のスライダーオブスライダー優勝を祝って……乾杯!」


 アルカの掛け声に合わせて、口々に発せられた乾杯の声が貸し切られた宿の食堂に響き渡る。その中のひとりであり、主役のはずのアインは、


「…………だるい」


 体のあちこちに湿布が張られ、半眼になりながら香草の匂いを漂わせていた。腕を上げるのもままならない彼女は、目の前の食事にもグラスにも手を付けていない。

 そんな彼女を隣に座るシーナは心配そうに訊ねる。


「大丈夫ですか、アイン様?」

「大丈夫です……すいません、せっかく祝いの席を用意してもらったのに」

「いえ、いいんです。父もお礼をしたいと言っていましたし、私もそうしたかったのですから」

「悪いわねシーナ。関係ない人の分まで用意してもらって」


 ラピスはそう言って、『関係ない人』にジト目を向ける。


「いや、美味しい! 本当に美味しいですねこのお酒! こんなお酒は初めて飲みましたよアルミードさん!」

「そう言ってもらえると職人冥利に尽きるってもんだ! ほら、どんどん飲みな!」

「いやぁ、こんなに悪いですよ!」


 そう言いながらも注がれる蜂蜜酒を止めようとはしないアルカ。応援という名目でサボりに来ただけのはずだが、何故か苦難を共にした一人のような顔で祝賀会の幹事として参加していた。

 ため息をつくラピスに、既に3杯目を飲むツバキは愉快そうに言う。


「良いではないか。祝いは人が多ければ多いほど楽しいものじゃろ。おーい! もう何本か追加しとくれ!」

「ツバキ……幾ら奢りだからって飲み過ぎですよ」

「おお、アインにしては殊勝なことを言うな。さては自分が思うように食べられないやっかみじゃな?」

「……」


 そこは否定しろよ、と黙り込むアインにツッコむユウ。しかし、歯噛みする彼女には届いていないようだ。

 けらけらとおかしそうにツバキは笑うと、


「ほれ、我が食わせてやろうぞ。口を開けい」


 フォークに突き刺した川魚のバター焼きをアインの口まで運ぶ。

 何の躊躇もなく彼女はかぶりつき、口いっぱいに広がる味を満喫する。そして、残りを催促するように食卓を見やった。


「はいはい行儀悪いことはしない。けど、そんなんじゃ仕方ないわよね」


 早口で言いながらラピスは、クランベリーパイをアインの口元に押し付けるように突き出す。

 大きめの1ピースであるそれは、彼女が口を2回ほど開いただけで消失する。相変わらず食べるのが早い。


「お酒もどうぞ」


 今度はシーナが差し出したグラスに軽く手を添え、ゆっくりと傾けてもらいながら上質の蜂蜜酒を味わう。喉を通り過ぎる甘く熱い感覚に、目を細めた。


「美味しい……幸せです……」


 3人の美少女を侍らかし食事の面倒をみてもらうという、世の男性から嫉妬の視線を浴びそうな光景だったが、


『……餌付けされる雛にしか見えないな』


 とくに下心無く食事を味わっているアインが中心のせいか、ユウはそんな感想を抱いた。

 そんな微笑ましい光景が繰り広げる食堂にドアベルが鳴り響く。貸し切りであることは外に立て札を出して知らせてある。なのに入ってくるということは、


「おや、アイン殿モテモテでござるな」


 マシーナはそんな感想を言いつつ、テーブルを囲む椅子の一つに腰掛ける。すかさずグラスに蜂蜜酒を注いだシーナにお礼を言うと、一息で飲み干し気持ち良さそうに息を吐いた。


「マシーナ、こっちに来て良かったの? エドガーとは……」

「ああ、とりあえず言いたいことは言い合ったでござるよ。それに、エドはともかくモヒカン連中が敗戦に落ち込んでいるようでな。その慰め会に付き合わねばならぬのだと」


 律儀な男よな。そう言いながらも、マシーナは嬉しそうに微笑んでいた。


「彼はどうなりますか? 一応、ギルドとの確執はなくなったわけですが」


 あらかたの食事を楽しんだアインは口元を拭い、マシーナに訊ねる。


「確執は無くなったが、すぐに仲良く協力というわけにもいかぬであろうな。アルベールがそうであったように、それぞれに立場というものがある」

「そうですか……」

「とは言え、選択肢が生まれたと言うだけで大きな成果でござるよ。アイン殿がいなければ、誰も笑っていられない結果になったでござろう。改めて、感謝申し上げる」


 深々と頭を下げるマシーナに、アインはわたわたと手を振ろうとし――筋肉痛に呻き声をあげる。気恥ずかしさに彼女は頬を染めながら、


「え、ええと……そ、そう言えばマシーナはどうしてセッシャとかゴザルとか使うんですか? 随分変わってますけど」


 唐突にそんなことを訊ねる。あまりにも下手な話術に思わずユウはぼやく。


『話題切り替えが雑すぎる』

『うるさいですよ』


 訊ねられたマシーナは、よくぞ聞いてくれたと顔を輝かせ、誇らしげに胸に手を当てながら答える。


「これはですな、遥か極東の地『ニホン』に存在したというサムライが使っていた言葉なのでござるよ」

「――なんだって?」


 思わず地声を出してしまったユウは、慌ててアインの声で言い直す。


「す、すいませんマシーナ。もう一度頼む……お願いします」

「……? 今、殿方の声がしたような」

「気のせいです、気のせい。それよりもニホンについて詳しく聞かせてもらいませんか?」


 数か月前までは自分が過ごし、そしてアインもツバキも知らないと答えた国『日本』。それを何故彼女は知っているのか。逸る気持ちを抑え、ユウはマシーナの言葉を待つ。

 話に食いついてくれたのが嬉しかったのか、マシーナは不意に聞こえた声を気にすること無く、自慢げに語り始めた。


「数年前までこの街に暮らしていた老人がいたのでござるよ。その老人は、吟遊詩人を生業としており、ニホンのサムライもその話の一つでござる」

「数年前まで……てことは、今はもう街にいない?」

「そうでござるな。『別の街で稼ぐさ』と言って、旅立ってしまわれた。拳一つでモヒカンを退治する救世主の物語はもっと聞きたかったのでござるが」

「……その救世主って、北斗とか南斗とかそういう技を使いますか?」


 思い当たる単語にそう訊ねると、マシーナは驚いた顔で肯定する。


「おお、よく知っているでござるな? 有名なのでござるか?」

「ええ、まあ」


 そりゃあ超有名作だからと言いたいユウだったが、そういうわけにもいかず曖昧に答える。ひょっとするとレコードブレイカーのモヒカン達は、その影響を受けていたんだろうか。

 しかし、そうなるとその老人は『漂流者』という線が高そうだ。そうなると、マシーナに語ったというニホンもこの世界に存在するわけではないのだろう。


「しかし、ニホンとは面白い国でござるな。何でも国難に備えて数十メートルの鉄の絡繰が何機も配備されており、ニンジャなる隠密集団が下水道に住み着いているとか」

「ははは……」


 暮らしていたものとしては出来ることなら否定したい。したいが、純粋な目で信じる彼女に真実を告げられるほど空気が読めないわけじゃない。

 乾いた笑いを続けるユウに、アインは不思議そうに訊ねる。


『つまり、その老人はユウさんの世界の物語を語って儲けていたということですか?』

『だろうな。記憶に残った話をツギハギして一つの物語として語っているんだろう』

『ユウさんもやってみませんか? 旅費くらいなら稼げると思いますけど』

『俺は小心者なんだよ。良心が痛むからやめておく』


 だが、物語を残すというのは心惹かれるものがあった。自分が存在した証が顔も知らない誰かを通じて残っていくというのは、浪漫めいたものを感じる。

 ユウがそんなことを考えていると


「けど、東ですか……」


 アインは呟き、二本目のボトルに取り掛かっているツバキを見やる。視線に気がついた彼女は、


「どうしたアイン。我がどうかしたか?」

「いえ、ツバキは東の方から来たんですよね」

「そうじゃが?」

「マシーナの話を聞くと興味が出てきました。そちらの方はまだ行ったことがありませんし、次は東を旅してみようかと思いまして」

「案内を頼みたいとな? 我は構わんが――」


 チラリ、とラピスを見やるツバキ。

 ラピスは肩をすくめて言う。


「私は無理ね。流石に何時までも協会を留守には出来ないから」

「……そうですか」

「だから」


 そう言ってラピスは、しゅんとしたアインの肩を叩く。体に走った痛みに声にならない悲鳴をあげる彼女に、ラピスは続ける。


「物でも話でもいいから、お土産はたくさん持って帰ってきなさい。期待してるわよ」

「……はい、必ず!」

「じゃあ、旅の無事を祈って乾杯!」

「乾杯!」


 二人は笑い、グラスを軽くぶつけ合う。キン、と軽い音が響いた。

 その様子に目を細めていたマシーナだったが、そう言えばと呟きツナギのポケットをあさり始める。目的のものを見つけると、それをアインに差し出した。


「なんですか、これ?」


 渡されたのは羊皮紙だった。アインは上から下へと内容に目を通していくが、下に行くほどその顔が曇っていく。


『何が書かれているんだ?』

『弁償を求める書面ですね……』

『弁償? 何の?』


 ユウの疑問に答えるように、マシーナは口を開く。


「掟破りは一応協会の備品ということになっておりまして。で、それに使われている水晶は結構高価なものでありましてな」

「ちょ、ちょっと待って下さい! アレを貸してくれたのはマシーナじゃないですか!」

「うむ、それはその通り。しかし、あんな無茶をするとは聞いておりませぬが?」

「うっ……」


 じろっとした視線を向けるマシーナに思わず呻くアイン。

 無茶というのは、心臓部である水晶に無理やり魔力を注ぎ込んだことを言っているのだろう。

 水晶は過負荷を掛けたせいで、もう使い物にならないはずだ。彼女からすれば、自分の手がけた作品を壊されたことに等しいのだから、怒るのも無理はない。

 そして、そうすることを彼女に黙っていたのは反対される恐れがあったし、反対されたとしてもそれ以外に方法がないのだから黙っていても同じ、と提言したのは自分だ。


「無論、貸し出した拙者の責任もあるし、アイン殿には多大な恩もある。故にすぐに払えとは言わぬし、全額とも言わぬ。ですが、幾分かは支払って貰わねば――」

「……はあ、わかりました。確かに黙っていたのは私ですし、協会の財政にもマシーナに負担をかけるわけにもいきません。全額払いますよ。シーナさん、小切手はありますか?」

「ええ、どうぞ」


 シーナからペンと小切手を受け取ったアインはお礼を言うと、空欄に弁償額を書き込んでいく。最後にサインを終えると、小切手をマシーナに差し出した。

 マシーナはぽかんと口を開けて差し出したそれと、アインの顔を交互に見やる。受け取らない彼女に、アインは訝しげに眉をひそめた。


「いらないんですか?」

「いや、その……いいのでござるか?」

「……? 必要なんですよね?」

「それはそうでござるが……そんな簡単にこんな大金を払うことを決断していいのでござるか?」

「どうせ旅に大金は持ち歩けませんし、それに友人とお金で揉めたくはありませんから」


 アインはそう言ってから、


「……友人、ですよね」


 不安げにそう続けた。

 それに、マシーナは破顔すると大声で笑い出す。ひとしきり笑うと、彼女は目元を拭って差し出された小切手を両手で恭しく受け取る。


「うむ、不甲斐ない拙者で良ければこれからも友人として付き合いくだされ。そして、その心遣い確かに受け取ったでござる」

「はい、こちらこそお願いします」


 ほっとした様子でお辞儀をするアイン。ユウは彼女に言う。


『そういう躊躇いの無さは、お前の美点だな』

『そうやって褒めてくれるところは、ユウさんの美点ですね』

『まあな。けど、東か。何があるんだろうな』

『それはわかりません。ですが』


 テーブルを囲む面々の顔を眺めながら、アインは微笑む。


「きっと、楽しい旅になりますよ」


 間違いない、とユウは同意した。

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