第79話 彼女たちが望んだ結末

「いつまでそうしているつもりだ?」


 達成感と疲労という重りで動けないまま横たわっていたアインに、そんな声が掛けられる。

 頭を動かすのも億劫な彼女は、目だけを動かし声の人物を探す。その人物は、すぐ傍らに立って見下ろしていた。


「敗者がこうして立っているというのに、勝者がそれでは様になるまい」


 エドガーはそう言って手を差し出す。その表情は逆光で窺えない。

 アインは少し迷ってから差し出された手を握り返す。すぐに力強い腕に引っ張り上げられ、彼女は蹌踉めきながらも立ち上がった。

 アインは気がつかれないよう小さく深呼吸し、恐る恐る視線を上げていく。


「……ああ、良かった」

「負け犬の顔を見て『良かった』とは、あまりいい趣味とは言えんな」


 心からの安堵の息をこぼすアインに、エドガーは皮肉げに笑ってみせる。

 その鈍色の瞳は、一言では言い表せない感情で揺れていた。怒りに乾き、枯れ果てようとしていた男はもういない。報復者の炎は、己が身を焼き尽くす前に消え去ったのだ。

 少し迷ってから、アインは訊ねる。


「今なら、答えてくれますか」

「何をだ」

「貴方が怒りを抱いていたものが何か、です」

「……自らの恥を語るのはいい気はしないが、そうだな――これで報復を完全に終えるとしよう」


 エドガーはそう言って、ここまで競い続けた軌跡を思い起こすように水路を眺める。


「俺は――俺自身を憎んでいたのだろうな」


 そして、彼は語り始める。周囲の騒がしさの中で、彼の声は懺悔室の告白のように静かに、けれど確かな声としてアインの鼓膜を震わす。


「ギルドを追放されたことを恨みはしなかった。そうなってもいいと思っての行動だ、後悔はしていない――だが、俺は強くはなかった。この街でアメンボとして生きることも、レーゲンバー家の名を残すことが出来ないのも、俺には耐えられなかった」

「それが、沈み込んでいた時期ですか」

「ああ、マシーナから聞いていたか。その通りだ。生きているのに死んでいるような日々を送り続けていた。そんな時に出会ったのが『漂流者』と奇妙な船だった」


 その時、思ってしまった。エドガーはそう続ける。


「これがあれば、ギルドにアメンボとして自分を再び認めさせることが出来る、と。まったく馬鹿げている。甘ったれた考えだ」


 強く怒りの言葉を吐き捨てるエドガー。


「そして、そんな甘ったれた考えを思いついた自分を怒り、憎んだ。もっとも、その時は自分でもその正体がわかっていなかったがな」

「だから、間違えたんですね。誰もが貴方はギルドに復讐する権利があり、それが当然のことだと想い、願ったから」


 父親を謀殺され、ギルドを追放された男が傲慢な彼らに復讐を果たす。それが現実に成されたのなら、なんて痛快な物語になろうだろうか。

 だが、現実は違った。男はギルドに復讐心など抱いておらず、その胸の内にあったのは矛先もわからぬ怒りだけだった。そして、民衆の願いによって矛先は定められてしまった。

 それは、民衆の願いを叶えることで自身から向き合うことを避けていたのだろうとアインは考える。かつての自分が弱さからを目を逸らすために、怒りを外へ向けていたように。

 だから、彼は復讐ではなく報復だと言っていたのだろう。何の大義も無いことに無意識は気がついていたのだ。


「スライダーオブスライダーの開催まで待ち続けたのは、レーゲンバーの名前を取り戻すことを望んでいたからです。それが、貴方の本当の意志だったはずです」

「ああ……そうなのだろうな。そんなことすら見失っていた……マシーナに舵が壊れた船扱いされるわけだ」


 エドガーは自嘲するように言って、アインに向き直る。


「礼を言おう、アイン=ナット。そしてユウ。お前達のお陰で俺はこうしていられる。本当に、ありがとう」

「い、いえそんな。私達が勝手にしただけですから……」


 暖かい感謝の言葉に、アインは先程までの彼とのギャップも相まってしどろもどろになりながら答える。

 そんな彼女に、エドガーはふっと笑う。


「それで人を救ったのだから胸を張れ。さあ、敗者に構ってる暇があるなら仲間の元へ行け。敗者は敗者同士語ることがあるようだ」

「敗者同士……」


 アインの背後に向けられたエドガーの視線。その先には、無言で彼を見やるアルベールがいた。

 無言のまま彼に近づくアルベールに、騒がしかった周囲が緊張に包まれ一気に静まり返る。アインもその場から一歩引き、固唾を呑んで彼らを見守っていた。

 エドガーの眼前でアルベールは立ち止まり、その鋭い瞳と鈍色の瞳がぶつかりあう。


「ギルド長としては、貴様を追放したことを間違いだとは思っていない」


 そう告げる彼の瞳は、凍りついたままだった。

 駄目だったのかとアインが落胆したその時、


「――だが、アルベール=ハービヒトは迷い続けていた。才能ある若者を切り捨てまで身内を守ることが正しいのか。そして、やっとわかった」


 そう心情を吐露するアルベールの瞳は、後悔と自己嫌悪に揺らいでいた。


「私は君の才能を妬んでいた。だから、ギルド長としての正しさにこだわり続けたのだろう。それが正しいことだと信じ込むために……私はその罰を受けたかったんだ……すまない……本当にすまない……」


 顔を伏せ肩を震わせながら告解を口にするアルベール。それに対しエドガーは、ゆっくりと首を振って右手を差し出す。

 その行為にアインは息を呑み、アルベールは信じられないように差し出された手を見つめていた。


「……私を許してくれるのか」

「許すことなど初めから無いさ――アメンボとして競い合えたのは僅かな時間だったが、光栄だった」

「……!」


 アルベールは、その言葉を噛みしめるように空を仰ぐ。凍てついた瞳から溶け出した一筋が頬を伝って流れ落ちた。


「……ありがとう、エドガー=レーゲンバー」


 差し出された手にアルベールは自らの手を重ね合わせる。その光景は、そうなって欲しいとアインとユウが望み、目指したそれだった。


「ほら、いつまでそうしとるんじゃ!」

「ひゃっ、ツ、ツバキ?」


 しんみりとした気分になっていたアインの背中がいきなり叩かれる。その原因であるツバキは、誇らしげな笑顔を浮かべていた。


「御主らもいつまでそんな風にしみったれてるんじゃ! さっさと表彰台に立って勝者を讃えんかい!」


 嬉しくて堪らないといった彼女は、その勢いのままエドガーとアルベールに向かって声を飛ばす――というか、殆どヤジだった。

 湿っぽい空気を払拭しようとした、と思いたいところだが、何しろ彼女のことなので思ったことをそのまま口にした可能性もある。


「そうでござるよエド! さっさと終わらせるでござる!」


 固まるエドガーに向かって、さらに声が掛けられる。その人物に、彼は苦虫を噛み潰したような顔になる。


「マシーナか……」

「なんでそんな顔をするのでござるか! 心配していた幼馴染に対して!」

「それは……その、すまなかった」

「すまなかった!? それで済むと思っているのでござるか! こっちにだって言いたいことも聞きたいことも謝りたいこともいっぱいある! だから、早くしろ!」

「わかった……わかったから落ち着いてくれ……」


 感情のままに詰め寄るマシーナに、エドガーは押されっぱなしだった。唸る子犬をなだめるように、彼は両手で制止する。

 アインが、今までの彼からは考えられない姿を呆然と眺めていると、今度は肩が叩かれ、そのまま重いものがのしかかってくる。炎のように鮮やかな赤がのっそりと揺れた。

 その姿に、アインは顔色を変えて叫ぶ。


「ラピス!? 大丈夫ですか!?」

「へいき……ここまでマシーナに肩貸して貰ったから……まあ、エドガーを見たら放り出して行っちゃったんだけど……」

「それは……大変でしたね」


 所々に土汚れがついた彼女の体を見てアインは言う。

 ラピスはそうねと苦笑し、辺りを見やる。


「けど……良い結末になったみたいね」

「……はい。皆さんのお陰です」


 ありがとうございます。

 その言葉に、ツバキは誇らしげに胸を張り、ラピスは照れくさそうに頬を撫で、


「いいや、こっちこそだ。ありがとうアイン、俺の声に応えてくれて」


 ユウは信頼を込めて礼を返す。

 目の前では、マシーナに縋りつかれたエドガーが胸板を叩かれ続け、アルベールはそれを止めるべきか困ったように二人を眺め、ディーノと観客たちは口々に好き勝手なことを叫んで盛り上がっていた。ゼグラスも仏頂面ながら拍手を送っている。

 無茶苦茶な状況だ。けれど、誰もこれを否定しないだろう。何故なら、祭りらしく誰もが生きることを楽しんでいるのだから。


「……ああ、いいな」


 呟いたユウの声は、祭りの喧騒に飲まれていき、その一つとなった。

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