第77話 意地を燃やせ
『さあ、第1コースは圧倒的な差をつけてアイン&ラピスがリード! それにエドガー、アルベールと続く!』
第1コースは終盤に差し掛かり、続く第2コースの様相が見え始める。
第2コースは水路内にランダム配置された球状のブイを避けつつ進んでいく必要がある。速度は出したいが、制御できなければ横転の危険も増す。そうなれば、挽回は不可能だろう。
「だからってビビってられるか!」
ラピスは吼え、配置されたブイの群れに突っ込んでいく。
溜め込んでいた魔力は全て吐き出し、今動かしているのはラピス自身の魔力のみ。そのため速度もエドガーの記録破りと同等にまで落ちている。
そこで制御のために速度を落とせば、第3コースを走るアインの負担が大きくなる。それは避けなければならない。
『ここでアイン&ラピスの掟破りが第2コースに突入! 荒削りながらもブイを躱し進んでいく!』
『ハハハハハハッ! どうじゃ、始めて2週間の素人とは思えぬ動きじゃろ!』
所詮素人だけどね。
ラピスの心はツバキの自慢げな声にも、ざわめく観客の声にも浮かれること無く冷静を保ち続ける。
いや、そうせざるを得なかったというのが正しい。
「ッ!」
除けたブイの影に隠れていたブイを間一髪で避けるが、それと引き換えに速度を落とすしかない。忌々しげに足止めしたブイを睨み、ハンドルを捻り上げる。
ブイの配置は頭に入れておいたし、最適なルートも幾つか想定していた。だが、技術がそれについていかない。川の水流と水路の水流はまるで違う、相手に追われるという緊張感もここまでとは思っていなかった。
『鷹も風を受け速度を増していく! それに追いつかれまいと記録破りも水を切り進んでいく!』
ディーノが言う通り、背後の水切り音は徐々にはっきりと聞こえつつある。
「……! ユウ、二人との距離は!」
「かなり近づかれた! あと10秒もすれば第2コースに届く!」
ユウの叫びに、ラピスは唇を噛む。
想定よりも速い。こちらはまだ第2コースの半分も達していないというのに。もっと、もっと速く……!
焦る心を押さえつけ、ラピスはハンドルを握りしめる。
道具が足りないなら技術で補い、技術がないなら道具を頼る。両方足りないのなら――知恵を絞る。それが魔術師の戦い方だ。
『おおっと! アイン&ラピスがさらに加速する! しかし、この速度でブイを躱せるのか!?』
「お生憎様……! 躱すのは最小限だけよ!」
勢いを増した船首が球状のブイに触れる。普通であれば大きく速度を損ねる悪手だが、
『なんだぁ!? 掟破りはブイをすり抜けたように抵抗なく進んでいく! これは一体どんな魔法なのか!?』
『あんなの魔法じゃないよ。さっきの大波を、今度は船首から船底にかけて作り出しただけ。それで抵抗を最小限に抑えて滑り抜けたんだよ』
『なんと! 魔術師ならではのテクニックで突破していくアイン&ラピス! 今ブイ地帯に突入したエドガーとアルベールは追いつけるのか!?』
先程までのラピスのコース取りは、ブイを避けるために弧を描く動きだった。そのためスピードは落ちやすくなるし、体重移動の回数が増える分横転のリスクも増す。
しかし、ブイを半ば無視できるのであれば、第1コースとほぼ変わらず直線で進むことが出来る。エドガー達とテクニックで勝負するよりは、幾分かマシなはずだ。
問題は――。
「こっ、のぉ!」
ぐらつく船体と体に檄を飛ばし、必死にラピスはコースを進んでいく。水切り音とエンジン音は、すぐ背後まで迫りつつある。ここで止まる訳にはいかない。
『……むう、あれでは持たんかもしれぬな』
『それはどういう意味ですかツバキ様!?』
『加速するために消費した魔力に加えて、ブイ避けの波まで同時に展開してはラピスの魔力が持たぬかもしれぬ。そこにレースの緊張感も加われば、いつ限界が来てもおかしくない』
『はん、第2コースもやっと半ばで力尽きるようなペース配分をしてどうするんだよ。レース全体で見れば半分も終わってないっていうのに』
『その通りです! 一体何を考えているんだアイン&ラピス! そして、追いすがる二人はまだまだ余裕といった表情だ!』
エドガーの記録破りは荒々しく水しぶきをあげながらも、その操縦には全くの乱れは見られない。白波を立てながら水面を切り裂き、前を走る獲物に牙を立てんと駆け続ける。
アルベールの鷹は、ややもすれば丸太にマストが刺さっているとまで言える簡素な造りだ。
しかし、固いだけでなく柔軟にしなるマストは、彼の体重移動によって自由自在に角度を変え、最適な風を生み出し加速を続ける。静かに、予め引かれたラインをなぞるように鮮やかに進む鷹。その瞳は獲物を捉え続けていた。
そして、二人の速度はレース開始から過度に乱れることはない。ラピスのような走りをすれば、限界がすぐ訪れることがわかっていたからだ。
「まだまだぁ!」
そんなことはわかっている。だが、そうする以外に勝つ手段はないのなら、そうするしか無い……!
第2コースを五分の状況で終わらせる。それがアインへバトンを継ぐための最低条件。そのためなら、この程度――。
『ああっと! ここまで独走状態だったアイン&ラピス! しかし、その速度が確実に落ち始めているぞ! 限界が来てしまったのか!?』
ブイを乗り越えた衝撃に体が震える。その拍子に、握りしめていたはずのハンドルから手が離れる。
魔力供給が途切れた水晶が水流の放出を停止し、速度が激減した一瞬。
『そしてその瞬間を見逃す二人ではなかった!獲物の喉元を狙う猟犬のように瞬時に間合いを詰めていく!』
「ラピス!」
「ッ!」
アインの声にラピスは靄のかかる意識を振り払い、すぐさまハンドルを捻り上げる。
だが、それは一手遅かった。
『抜いたあああああああああ! ここでエドガーがアイン&ラピスを抜き去り、その僅か後方にアルベールが追う! 1位から最下位まで落ち込んだ二人に勝機はあるのか!?』
一瞬で――しかしラピスの目にはゆっくりと――左右を通り過ぎていくエドガーとアルベールの背中。波に煽られた船体。観客達の絶叫と歓声。負けたくないという焦り。気だるさに覆われた体。
それら全ての歯車が負の方向に噛み合っていく。バランスが崩れた状態で再加速した掟破りは、蹌踉めきながらブイに船体を掠めてしまう。
「しまっ……!」
船体が浮き上がり大きく左に傾く。このまま着水すればその衝撃で横転してしまう。速度を緩め、着地制御に専念すればそれは避けられるかもしれない。
だが、そうすれば間違いなく大ロスとなる。そのロスを取り返すのは――無理だ。
じゃあ、どうする? どちらを選べばいい?
リスクとリターン。現実と希望。冷静と意地。脳裏でひっきりなしに天秤に乗せられていく。そのどれもが左右に振れるばかりで定まらない。
どうすれば――。
「ラピス、そのまま行ってください! 貴方なら出来ます!」
「……ッ!」
その声に揺らいでいた天秤が一斉に傾く。
そうだ、今更何を言っている。この勝負は綱渡りを連続でやりきって勝てる危ういもの。この期に及んでリスクなんて考えてられるか!
ラピスは力を取り戻した手でハンドルを捻り上げていく。速度を上げた船体は傾くが、ギリギリのところで踏みとどまっていた。
『アイン&ラピスの掟破りが大きく傾く! このまま横転してしまうのか!?』
「そうは……いきません……!」
アインは間近に迫る水面に向かって左手をかざす。生まれた青白い光が帯となり、放たれた。
『なんだぁ!? 突然水柱が生まれ、辺りに水が降り注ぐ! 一体何をしたんだアイン&ラピス!』
ディーノの絶叫に、ツバキは感心した声で答える。
『魔力を放ち、その反作用で無理やり姿勢を戻しおったな。これも魔術師ならではのテクニックと言えるかの?』
『ただのゴリ押しだよ、あんなの。それだけで勝てる相手じゃない』
『それはあやつらもわかっておるよ。ここからが見所じゃ』
『それは大いに期待したいところです! さあ、第2コースも終盤! 抜きつ抜かれつを繰り返すエドガーとアルベール! それに追いすがるはアイン&ラピス! このコース中にどこまで追いつくことが出来るのか!?』
まだだ、まだいける。
歯を食いしばり魔力を振り絞るラピスの目には、第2コースの終点しか映っていない。道中にあるはずのブイは、反射だけで避けていく。思考は全て魔力のコントロールに割かれていた。
萎える体を突き動かすのは意地だ。自分を信頼して体を預けてくれる彼女に、かっこ悪いところは見せたくないというちっぽけな意地。
『ここでエドガーが第2コースを突破! 僅かに遅れてアルベールも突破! 第3コースに突入します!』
だが、そのちっぽけな火が炉を燃やし続ける。体力も気力も全て魔力という薪木に変換し、それが船を動かしていく。
「ああああああああ!」
ラピスは吼え、最後のブイを避ける。コースとコースの間の僅かな緩衝地帯に差し掛かったところで、彼女の体が崩れ落ちた。
『ここで限界が来たのかラピス!? ハンドルにしがみつくことで落水は避けたが、レース続行は不可能でしょう! どうするアイン=ナット!?』
「ラピス!」
「私は……いいから……行きなさい、アイン……」
気丈に笑ってみせるラピス。アインは、彼女に対して掛けたい言葉を全て飲み込み、
「……はい!」
彼女が待っているだろう答えを発し、両手両足首に巻かれた黒いバンドを取り去る。
見るのはラピスではない。自分が進むべき道だ。アインは先行する二人の背中をキッと睨みつける。
『さあ、第3コースは縦横無尽に張られたロープの迷路を進んでいきます! 幅も狭い道を進んでいくには、テクニックと先を見通す目が必要となります! 全体に速度が落ちるからこそ、ここでの差は見た目以上のものとなるでしょう!』
ディーノが言う通り、ロープが張られた道は狭く、速度を出すことは出来ない。優れた腕前を持つエドガーとアルベールでさえ、人が軽く走る程度でしか出せていない。
加えてブイと違ってロープはしっかりと張られているため、先程のように強引に突っ切ることはできない。突っ込もうものなら体が引っかかるのがオチだろう。
つまり、素人であるアインとラピスにとっては大敵と言えるコース構成だ。
『ツバキ様が見所だと言っていたアイン&ラピスの第3コース! 如何にしてアイン=ナットはこのコースを掟破りで突破するのでしょうか!』
期待を込めて叫ぶディーノ。観客たちも、固唾を呑んでその瞬間を待ちわびていた。ぜグラスですら、無言でじっとスクリーンを見つめていた。
だが、その空気を無視してツバキは、
『いや、無理じゃろ。だってあやつ、たぶんハンドルを握ったのは1回だけじゃぞ』
あっさりと、そう言ってのける。
『…………は?』
観客が嘘のように静まり返り、ディーノが思わず素の声をもらし、
『はああああああああああああ!?』
ゼグラスの絶叫が、街中のスクリーンから響き渡った。
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