第76話 波に乗れ

『皆さん、お待たせしました! もう間もなくアメンボ達の祭典『スライダーオブスライダー』が開始されます! 実況はこの私、ディーノが担当させて頂きます!』


 派手な服を着込んだディーノの宣言に、今か今かと待ちわびた観客たちが一斉に歓声を上げる。

 だが、ディーノの姿はここには無く、観客たちの視線は立ち並ぶ家の外壁に張られたスクリーンに向けられていた。


『そして皆様も既に目にしていると思いますが! 街中に配置された巨大なスクリーン! それを通してレースの様子をリアルタイムで観戦することが出来ます!』


 スクリーンの下には手のひら大の水晶玉が等間隔で配置され、淡い光をスクリーンに投影している。それを守るように、警備員が何人か立ちふさがっていた。


『これは魔術の名門として名高いヴィオリーラ家の出資によって、ここまで大規模な配置が可能となったのです!」


 スクリーンには気障ったらしく髪をかきあげるゼグラスの姿が映る。そして、何か言おうと口を開きかけたところで、


『そして、魔術を自在に操り『妖狐』の異名を持つ高貴なる美少女ツバキ様の技術提供によって成り立っています! 皆様盛大な拍手を!』


 ドヤ顔でピースをするツバキに切り替わる。黙っていれば美少女の登場に、観客から歓喜の声とともに拍手が鳴り響いた。

 その音に混じって『なんで僕は家の名前だけなんだよ』『というか何処が高貴なんだよ鏡見ろ』という声がスクリーンからもれていたが、ディーノもツバキもそれを無視して続ける。


『ふふふ、良い良い。祭りは皆で楽しまねばつまらぬからな』


 満足気に頷くツバキだが、あろうことか狐耳を隠さず露出していた。当然、ディーノもそれについて訊ねるが、


『ああ、これか? 仮装じゃよ。可愛いじゃろ?』

『確かに愛らしい! いやぁ、こんな華やかな席は久しぶりです! さあ、ここからはお二人を解説に迎えて進みたいと思います!』


 そう言うだけで、すぐに関心を失ったようにひょこひょこ動く狐耳から視線を外した。

 祭りの熱狂の前には狐耳が生えた人など些細な問題にすぎない。そう思いながらも、知る人がみればひやひやものだった。


「……大丈夫なのか、あれ」

「……まあ、ツバキ本人が良いなら良い……のでは」


 レースのスタート地点――時計で言えば12時――で待機していたアインとユウは、スクリーンを眺めながらそんなやり取りをしていた。

 度々彼女がいなくなったり、ビジネスと言っていたのはこれのことだったのか。絶滅したはずのフクスがまさかこんな場所にいるとは夢にも思うまい。


「ただいま。……何だかすごいことになってるわね」

「うむ。だが祭りとはこれくらいの熱狂は必要でござろう」


 背中から掛けられた声にアインは振り向く。立っていたのは長い髪を後ろでまとめたラピス、ツナギを着たマシーナだった。


「ラピス、マシーナ。お帰りなさい。調整は?」

「バッチリ。マシーナが気合い入れてくれたお陰で、今までで一番しっくり来るわ」

「我ながら良い仕事が出来たと感動でござる。塗装も済ませておいたから楽しみにしてくだされ」


 快活に笑ってみせるマシーナ。しかし、その表情が不意に固まる。その視線の先に居たのは、


「エド……」

「……マシーナか」


 それだけ言って無言を貫く彼に、マシーナは指を突きつけ叫ぶ。


「エド、今のあんたは舵の壊れた船と変わらぬ! 闇雲に櫂を振るって辿り着く先が瀑布だとわかっておらぬ! 故に拙者はその報復を邪魔させて貰おう!」


 その叫びにも、エドは無言のまま踵を返し人垣へと消えていく。拳を固めるマシーナに、アインは何と声を掛ければ良いのか考えるが答えはわからない。

 スクリーンに目を向ける。そこでは、ディーノが大げさな身振り手振りをしながら叫んでいた。


『さぁ! 数十年ぶりにギルドメンバー以外が出場するレースの開始まであと僅か! 生で見るか、スクリーン越しに見るか! どちらにせよ見逃す理由はありません! ヒーローが誕生する瞬間を見届けましょう!』


 あと僅か。その言葉にアインは表情を引き締める。

 胸が鳴るのは緊張と不安のせいだけではない。祭りの高揚した空気が体を満たしているせいだ。味わったことのない感覚だが――決して嫌な気はしない。

 その時、袖が引っ張られる。振り返ると、俯いたマシーナがアインの袖を引いていた。


「……すまぬ、お二人とも。拙者が出来るのはここまで。後は任せることしか出来ませぬ」

「……ええ、任されました。必ず、勝ちます」

「そのつもりよ。だから、貴方は終わった後のことを考えて」

「終わった後……かたじけない」


 頭を下げるマシーナに踵を返し、アインとラピスは決戦の場へと向かう。


『だから、何でお前ばっかり目立つんだよ!』

『優男よりも美少女が見られる方が客も喜ぶじゃろこの戯けが!』

『ああ!? もっと出るとこ出してから言え……っておい、その椅子は何だ! おいやめ――』


 気が抜けるやり取りから離れるために、足早かつ耳を塞ぎながら。





『皆様! 大変長らくお持たせしました! いよいよスライダーオブスライダーが開始されます!』


 ディーノは湧き上がる歓声に両手を挙げて答え、それが静まったのを見計らって続ける。


『ルールは至って単純! ただ時計盤のように丸い水路を進み、一番早く私たちが居る中央橋――ここで待つ領主に一番早く親書を渡したものが勝者となります! 空を飛んだり、街路を進むことは禁止されていますが、それ以外にはありません! なんなら、今から泳ぎで参加してもらっても構いませんよ!』


 スクリーンにはジョークに笑う観客、特設の玉座に腰掛け手を振る領主、息を切らすゼグラスとツバキと切り替わっていき、


『では、ここで出場選手の紹介へと移りましょう!』


 スタート地点で待機するアルベールの姿が映し出される。相変わらず鷹のように鋭い瞳は冷たく、揺るぎない。


『まずは、この人! アルベール=ハービヒト! 船舶ギルドの長であり、現在は一線を退いたが腕は超一級! 伝家の船鷹はどんな風だろうと自分の味方につける! ギルド長の意地を見せつけることは出来るのか!?』

「ギルド長ー! 私たちの分まで頑張ってくださいー!」

「ガキに舐められっぱなしじゃ無いところを見せてくれー!」


 沸き上がる歓声の中でも、アルベールはただ正面だけを睨んでいた。彼の船は、一人が立つのがやっとの細い船体に三角形の帆が張られている。彼は、帆と平行に張られたロープを掴んで立っていた。


『そして、それに挑むはエドガー=レーゲンバー! かつてギルドに所属したアメンボ、しかし今は『レコードブレイカー』と名乗る報復者となった! 愛船である記録破りの名の通りに下克上は果たせるのか!?』

「ボスー! 応援してますぜー!」

「勝ってくれよボスー! ギルドの連中に目にも見せてやってくれー!」


 黒を基調にした船体に搭乗するエドガーは、歓声も実況も聞こえていないように腕を組み、目を伏せていた。


『そしてそしてェ! その戦いに乱入するはアイン=ナット&ラピス=グラナート&ユウ=クジョウの旅人チームだああああああ!』

「アイン様ー! がんばってくださいー!」

「アイン勝てよー! 勝ったらとびっきりの酒をご馳走してやるぜ!」

「ラピス君も頑張ってくれよー! 君が勝ったら上司であるボクの鼻も高いからねー!」


 ここ一番に湧いた観客に、ハンドルを握るラピスは余裕の笑顔で手を振って答え、その背中にしがみつくアインはおずおずと手を振る。灰色だった船体は、銀と赤を組み合わせた塗装が施されていた。


『その目的も、その船掟破りの入手経緯も謎! 今回唯一の3人チームで参戦ですが、残る一人の姿が見えません! いきなりのアクシデントがあったのか!?』

「ここにいるよ」


 アインの背中に背負われたユウは、ぼそっと独りごちる。

 アインとラピスの格好は練習時と同じくシャツとショートパンツというラフな格好だ。アインの両手両足首には黒いバンドが巻かれたままだった。


『だが、登場を待つ時間はありません! アインとラピスのタッグでの挑戦となります! その実力は全くの未知数ですが、魔術師としての実力は超一流! 何を隠そうロッソの魔術協会会長の悪事を暴いたのは彼女たちなのです!』


 その叫びに、どよめきが巻き起こる。様々な噂が錯綜した人物の正体が、こんな少女だとは誰も思っていなかったようだ。


「……やはり、マスクを被ったほうが良かったのでは」

「いらん」


 そして、真剣な表情の理由が『他人の視線から逃れたい』だとは誰も思うまい。

 ラフな格好に浴びる視線が気になるのか、縮こまる彼女にユウは檄を飛ばす。


「勝ちたいんだろ? だったら、そんなに縮こまっていたらラピスに対して情けないだろ」

「ユウの言うとおりよ。あんたはすごい奴だって皆に見せつけるんだから、もっとしゃんとしなさいな」


 二人の言葉に、アインは丸めていた背中を伸ばし気合を入れるように胸元を軽く叩く。


「……はい。そうでした、一人で戦うわけじゃないですからね」

「そういうこと」


 ウインクをするラピスにアインは笑い返す。


『さあ、ついについに! レース開始まであと10秒となりました! カウントダウンが開始されます!』


 ディーノの宣言とともに、観客を巻き込んでのカウントダウンが開始される。


『9! 8!』


 アルベールは、鋭い瞳で正面を睨み続けている。カウントが迫るに連れて、纏う気迫も強さを増していく。


『7! 6!』


 エドガーは、組んでいた腕を解きハンドルに手をかける。静かに、しかし焼け焦げそうな怒りを噛みしめるように。


『5! 4!』


 アインは、振り落とされないためにラピスにしっかりと抱きつき、ラピスはハンドルを強く握りしめる。ユウは、ただ勝利を信じていた。


『3! 2! 1!』


 そして、その瞬間がついに訪れる。


『スタァアアアトオオオオオオオオ!』


 号砲が鳴り響き、決戦の幕が開く。洪水のような歓声の中、一斉に各船が前に出ていく。


『まず前に出たのはエドガーの記録破りだ! それに鷹が続く!』


 水の放出によって加速する記録破りは、風を受ける必要がある鷹と違い初速に優れている。故に、この結果は必然だ。

 だが、同型機である掟破りは鷹の後方に位置していた。それも、出遅れただけでなく速度が出ていなかった。


『おおっとどうしたアイン&ラピス! まさかマシントラブルか!?』

『はん、所詮素人だね。大方魔力を注ぎ込みすぎて循環が上手くいってないんだろ』


 実況に観客がざわつく中、ラピスとアインは遠ざかるエドガーとアルベールの背中――それよりも先の道だけを睨んでいた。その顔に一切の焦りはなく、


「――いける。しっかり掴まってなさい、アイン!」


 皆の驚く顔が楽しみだという期待に満ちていた。


「はい!」


 アインが答えた刹那、ラピスはハンドルを限界まで捻り上げる。

 ゼグラスが言ったことの半分は正しい。魔力を大量に注ぎ込んでいるというのは正解だ。しかし、上手くいっていないというのは大間違い。


「出遅れたですって?」


 水流を生み出す水晶にレース開始前から限界ギリギリまで注ぎ込まれた魔力が、ハンドルから循環するそれがトリガーとなり起爆する。


「遅れてやったのよ|!」


 文字通り爆発的に生み出された水圧をもって、掟破りは常識外れの速度で加速する。鉄砲水に押し出された船体は、水切りのように僅かに浮き上がりながら突き進んでいく。


『なんという凄まじい加速だ! あっという間に二人を抜き去る!』

『け、けどあんなスピードじゃコーナーを曲がりきれない! あんな風に浮き上がっていたら舵だって効かない!』


 そんなことはわかってる。

 息が詰まりそうな風の中、ラピスは迫りつつあるコーナーを睨んでいた。普通に曲がるなら大したことはないが、今のスピードで曲がり切るのは至難の業だろう。

 なら、答えは簡単だ。


『掟破りはスピードを緩めない! そのままの速度でコーナーに突っ込んでいく!』


 ラピスは横転するギリギリまで体重を内側に傾けていくが、支えるだけで精一杯なほどにハンドルは重く徐々に船体は外壁へと近づいていく。


『このままでは激突は必至だ! 一体何を考えているんだアイン&ラピス!?』


 ディーノが吼え、観客たちがクラッシュの未来に悲鳴をあげた瞬間、ラピスは唱える。


「水流停止! そして我が眼前こそが進みべき道――来なさい、水曜の大波!」


 その瞬間、ラピスと外壁の間に反り立つ水の壁が生まれる。その水壁に触れた船体は、水壁を滑るように駆け上がっていく。その光景はさながらサーフィンだ。


『すごい、すごいぞ! 激突するかと思われた刹那、大波を生み出し新たな道を作り出した! そしてェ! 頂点まで上りきった船体は勢いそのままに一回転しながらコース中央へと舞い戻る!』

「信じてますから、ラピス!」


 180度反転した視界の中、アインは必死にしがみつきながら叫ぶ。ユウは、悲鳴を抑えるのに精一杯で周りがどうなっているのかわからなかった。

 1秒にも満たないはずの滞空時間を経て、掟破りは無事に着水に成功する。観客たちが大きな歓声と拍手を響かせる。

 ラピスはぐらつく船体を抑えつつ、水晶に再び魔力を循環させ加速を開始する。正面を向いたまま、彼女は叫んだ。


「ユウ、二人との距離は!?」

「ぶっちぎりだ! まだコーナーを曲がってもいない!」

「良し! 最低条件はクリアしたわね! アインは大丈夫!?」

「だ、大丈夫です……心臓がバクバクしてますけど……」

「慣れなさい! 第2加速行くわよ!」


 宣言とともに再び爆発的に加速する船体。リードは圧倒的だったが、楽観視は全く出来ない。


『……ふん、今のは驚いたけどやはり素人だな』

『おおっと、それはどういう意味ですかゼグラスさん!?』

『あんな急加速が出来る魔力を溜め込ませて、それを爆発させたんだ。当然器である水晶にもヒビが入る』

『そしてヒビが入れば魔力を循環させようと溢れるばかり。あの調子で進めば第2コース辺りで自壊しかねない。そういうことじゃよ』

『なるほど、解説ありがとうございます! つまり、勝負はまったくわからないということですね!』


 そう、その通りだ。勝負はまだ始まったばかりだ。

 そして、大差をつけられずアインを第3コースまで送り届ける。それが自分の役目だ。

 ラピスはハンドルを握る手に力を込め、第2コースへと進んでいく。

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