第69話 炎を掴むために・ツバキ編

「ええ!? エドガーさんってそんな酷い目にあったのですか!?」


 きゃぴきゃぴした黄色い声を挙げたのは、重厚な革張りのソファーに腰掛ける金髪の少女――狐耳こそ無いが、その顔と格好は紛れもなくツバキだった。

 わざとらしく目を丸くし口に手を当てる彼女に、対面に座る男性は無表情で、


「ああ」


 そう答え、手にした葉巻を吸う。

 白髪をオールバックにまとめ、高級スーツに包まれた体は引き締まっているが、細い印象は与えない。しわのある顔も、鷹の目のような鋭さを失っていない。60代と見られるその男性は、


「しかし、そんな男の話を聞きにわざわざギルド長の元に来たのかね、お嬢さん」


 船舶ギルドの長、アルベール=ハービヒトだった。


「はいっ。アルベールさんはとても素敵な方と街の人も言っています。ですが、エドガーさんのお父様を死に追いやったと……根も葉もない噂とはわかっていますが、直接聞かずにいられなかったのです」


 聞き出した情報を元に、世間知らずな少女を演じるツバキ。この場にアインやラピスがいれば、真顔になるか笑い転げるかの二択だったろうが、生憎この場にはどちらもいない。


『あー阿呆らしい……なんで我はこんな真似をしとるんじゃ』


 そして何よりも、それに不満を持っているのは当のツバキだ。見た目は幼い少女なので、それを活かすにはこれが一番とは言え、耳と素の口調を隠すストレスは相当だった。


「ふむ。部下が通した以上理由あってとは思っていたが、本当にそれだけかな」


 アルベールは葉巻を置き、ツバキを見やる。

 冷たい目だ、と作り笑顔を浮かべながらツバキは思う。ここまで来れたのは暗示を掛けてきたからだが、この男には通じそうもない。上手く聞き出すしか無いだろう。


「まぁ、信じて頂けないのですか? それは……哀しいです……」


 よよよと泣き崩れる真似をするツバキ。

 年端もいかない少女の涙には大抵の者が慌てるのだが、アルベールは冷たい目で見つめるだけだった。


「まあ、いい。何を考えていていようと、私がすることは変わらん」

「変わらない、ですか?」

「ああ、そうだ。ギルド長としてレコードブレイカー、ひいてはエドガー=レーゲンバーを認めることはできん。奴らがアメンボとして決闘を挑むなら、正面から受けて立つ。そして叩き潰すまでだ」

「そんな……話し合いで解決できないのですか」

「話し合う? そんな相手だと思うのか? 奴らはこちらの生きる糧を奪う害悪だ。蝿と同じで、目障りだから潰す。ただそれだけの存在だ」


 求められた反応だけを返す絡繰のように淡々と答えるアルベール。冷たい瞳は、凍りついたように微動だにしない。

 確かにアルベールの立場からすれば、エドガー達はギルドのルールから外れた存在で、そう言われても仕方ないだろう。

 だが、それを許容できるかは別の問題だ。


「……それは、ギルドを守るためか」 


 素の口調を隠すことなく言って、ツバキはアルベールを睨む。

 普段の老人じみた口調は、故郷の友人たちの形をなぞっているだけに過ぎない。その友人たちならもっと上手くやれるのだろうが、一方的に『目障りだから潰す』と告げられて、それに便乗できるほどツバキは老獪には成りきれなかった。

 彼らにも、ちっぽけでも誇りがあるはずだ。自分がフクスであることを想うように。そう考えると、堪えることはできない。

 怒りをにじませるツバキに対して、アルベールの表情は変わらない。


「そうだ。それが私の役目であり、私の責任だ。所属する店を守り、生活を守る」

「若者の未来を切り捨ててでもか」

「そうだ。それが罪だというのなら、罰は必ず訪れる。だが、その日までは役目を果たし続けさせてもらう」

「……ふん、気に食わん。気に食わんな、その正しさは」


 アルベールを睨みながら、ツバキはそう吐き捨てる。

 全体の幸福のために悪であることを自覚しながら躊躇しない。それが正しく、必要だと言うことがわかっていながらも、ツバキはそれを認めたくなかった。

体系的に処理をすると言うなら、意志を持った生き物である必要がない。例え答えが間違っていようと、自分の意志で出したものにこそ意味がある。彼女はそう信じていたからだ。


「話は終わりか? なら、帰ってくれ。仕事がまだ残っている」

「言われんでもそうさせてもらうわ。まったく、恨み妬みが理由のほうが余程人らしかったわ」


 不機嫌そうにツバキは言って立ち上がり、ドアへと向かう。アルベールは、無言でそれを見送っていた。

 ツバキがドアノブに手を掛けた時、 


「……ああ、そうじゃ。もう一つ聞かせい」


 振り向き、アルベールの答えを待たず問いかける。


「あやつらを叩き潰すと言ったが……何故レースで決闘などと回りくどい手を取る? ギルドの飯の種を食い荒らしているのなら、大義名分なぞどうにでもなろうに」


 その問いに、アルベールの瞳が極僅かに揺らぐ。冬の日差しに分厚い氷が照らされた程度の揺らぎだったが、ツバキはそれを見逃せなかった。

 だが、その揺らぎはすぐに消え、声を荒げることも沈めることもなく、真冬の湖面のような声で答える。


「『アメンボの腕は上だが、数に負けた』という一片の希望すら与えないためだ。それ以外に理由はない」

「……そうか、邪魔したの」


 ひらひらと手を振ってアインは部屋を後にする。それに遅れて小さく鈴が鳴ったような音がした。

 ドアが締まりきった残響が消え去り、一人部屋に残されたアルベールは、


「そうだ……それ以外に……何の理由がある」


 自分に言い聞かせるように、そう呟いた。

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